グスタフ・ヴァルザー特務中尉
―1936年1月。
グスタフ・ヴァルザーは特務中尉に任じられ、ドイツ国防軍の一員となっている。アメリカに移住したプロイセン出身の一族の出で、前職はアメリカ陸軍少尉、専門は需品科ですなわち後方勤務の補給を主に仕事にしていたという。端正な顔立ちに両顎にかけて古傷が認められるが、これは爆発事故に巻き込まれた時の傷であったらしい。彼はその時に自分の命を顧みずに消火作業にあたり、人並みの勲章を授かったとのことだ。
この度の再軍備宣言に伴い、一族の故国に戻り仕官した。調査したところやましい所は認められず、先月士官待遇で陸軍の一員となったのである。
ベックは彼の書類を見てこう感想した。
「よく出来た書類だ」
そう、何を隠そうこれは偽造書類であった。偽装されたのはヴァサーゴであり、これはフリッチュ自ら作り上げたものであり、その出来栄えは陸軍参謀総長直々のお墨付きである。
ヴァルザーという名は、ヴァサーゴの友人であったグレーズが彼につけたあだ名であった「ヴァル」を基にフリッチュが名付けた。グスタフは適当なので、ほとんど使わないが。
ところで、ベックはフリッチュがヴァサーゴ…こちらの世界ではヴァルだが、彼を引き取る事に一番反対した人物であった。フリッチュの立場は非常に不安定であるが、ナチスの台頭に一番反対する事が出来る人物であった。だからこそ余計な事をすれば、攻撃のネタにされると危惧したのである。もっとも、それに対してフリッチュは
「どうせ非難してくる時は身に覚えのないことで攻撃してくるだろう。ヴァサーゴ…いや、ヴァルザー中尉のせいで陸軍総司令官の職を辞するようなことにはならないだろうよ」
「ですが、彼は…魔族とやらを自称しておりますし」
「ベック参謀総長、それがどうしたことかね」
このやり取りをして以降、ベックはフリッチュにヴァルザーを遠ざけるように直言することは控えるようになった。フリッチュ曰く、人間だろうと魔王だろうとそれは関係ないということであった。
彼が魔王だったかどうかの確証を取ることはほぼ無理である。しかし彼の話に矛盾を疑うところはなく、今のところはフリッチュの信じてやれという言葉に従ったのである。
ところで、現在のナチス・ドイツではアーリア人優先政策が取られている。アーリア人とは何ぞやと問われると中々難しい所であるが、この政策の目的はドイツ民族のアーリア系を世界で最優秀な民族にすることであった。
さらにもう一つ、非アーリア系であるユダヤ人を追放することも大きな目標であった。ナチスの人気は、このユダヤ人追放によるところが大きかった。それだけドイツでユダヤ人が嫌われていたのだが、それはルール占領という事件を利用したナチス党のプロバガンダが世論に大きく影響を与えていたのも事実である。
さて、ヴァルは勿論ユダヤ人として迫害を受ける可能性は無かったのだが、そもそも人間ではないことで迫害される可能性があった。だが幸いなことに、彼は元々人型の魔族であった。どうやら人魔族という種族だったらしいのだが、彼らには人とは異なる大きな特徴が2つある。
1つは、頭頂部に角が生えていることである。魔族によっては2本や3本持つ者すらいたが、彼は1本の角を有していた。だが、彼が介抱されたときにその角は存在していなかった。何故無くなったのかは分からない。それは神とやらの気まぐれによるものなのか、あるいは彼が発見されたときに負傷していたことが影響したのかそれは誰も答えを出せていない。だが、この問題はとりあえずクリアしたと言えよう。
もう1つは、彼らは口元に紋様を有していた事であった。その紋様はそれぞれ必ず異なっており、人間でいう指紋みたいなものであった。さて魔王だった男は、左右それぞれの口元から顎にかけて2本の太い線が走っていた。もちろん、普通の人間にそのような物は認められない。フリッチュらが最初に出会ったときは怪我と勘違いしたが、実際には人魔族特有の紋様だったのである。
そこで彼らはこれをかつて負った傷としたのであった。そうやって誤魔化したのである。
また、フリッチュは彼を国防軍の士官とした。その理由は様々であるが、彼を手許に置くことを決心したこともあり、それであれば軍人にした方がやりやすいと判断したのである。
さらに魔王と言う重責を担っていたこともあり、彼の戦略家としての才能を評価したのであった。それはフリッチュ自身が彼に今の現状を詳しく説明していく中で、時に質問してくる内容から並々ならぬ才を感じたのであった。総司令官曰く、
「ロンメルやグデーリアンより使える」
とのことであった。フリッチュは彼らを戦術家としては評価していたが、戦略家としては不十分と判断していたのだ。そんな彼を中尉という低い位に任じたのは仕方ないことであった。
もし、一から彼を国防軍の士官にしようとするならば、士官学校に入らなければならない。再軍備宣言により、採用数が大幅に上昇したこともあり、彼が合格することは簡単であっただろう。しかし、それでは時間がかかりすぎる問題があった。ヒトラーの戦略が迅速果断に進められているところを見ると、そう時間は無いように思えた。
そこでウルトラCな方法を考えたのである。それがアメリカ陸軍士官だったということに偽装した事であった。それも補給任務を主にしていてあまり人に知られていないという形式にして、さらに紋様を誤魔化すための負傷を名誉の傷としたのであった。
実際、再軍備宣言後にドイツに帰国して国防軍士官になった外国出身のドイツ人もそれなりにいたので、書類さえ用意すれば簡単な事であった。なにせ、総司令官と参謀総長がグルなのだから。
ただ、バレないようにするために彼をアメリカ陸軍では少尉と言う低い地位だったという事にした。さらにあまり優秀な人材が少ないとされる補給を専門とする後方勤務の士官としたのだ。それであれば、ヴァルザーなる者を知らなくても、まぁそういう奴がいたのかという事になるだろう。
そして、彼をフリッチュ家の一族の末裔出身としたのである。これにより、陸軍総司令官によるコネクションを頼りにした人物とし、才能がどうとか、アメリカ陸軍での功績がどうとかいう事など、必要以上に注目されないようにしたのである。
グスタフ・ヴァルザーアメリカ陸軍退役少尉は、こうしてドイツの危機に駆け付けた人物と評価され、1935年12月1日付で、23歳にして特務中尉に昇進の上でドイツ国防軍に士官として採用されたのであった。
もっとも、実年齢が723歳なのは内緒であるが。