綱渡りの一歩
デニッシュ大佐は、フランス陸軍の士官でありながら商人としての一面もあった。元々、フランスでも名だたる投資家の生まれであった彼は、世界大戦後のフランスが得た恩恵をフルに活用した。
15年前にラインラント進駐連合軍の若手士官の1人として派遣された彼は、フランス軍が得ることとなった鉄鉱石などの資源の運搬に力を注いだ。その功績をフランス軍に尽くしたと言えば聞こえは良いが、実際はそうとは言えなかった。彼の一家が経営している企業に、一部資源の横流しや便宜を図っていたのである。フランス軍のルール占領時にはドイツ・ルール地方から産出された石炭なども無償で獲得したが、それを横流しし莫大な利益を得たとも言われている。年齢的に言えば少将の地位にいてもおかしくなかったが、このような行為を把握していたイギリスなどから告発されたこともあり、同期に比べて出世が遅れていた。
もっとも彼は、地位よりも実を求めた。これまでのこの行動は一族のために行った行為であり、恥じる素振りすら見せていなかった。周りからは「恥を恥とも感じぬ」と影口を叩かれていたが、その影口すら気にしない男である。
だが、そんな彼も世界大恐慌から逃れることは出来なかった。彼とその一族は大損し、経営していたいくつかの会社は畳まざるを得なかった。新富豪と自称していた彼ら(一般の人々からは成金と呼ばれていた)にとって、はじめての屈辱であった。とはいえ、それでも一般人と比べたら裕福な生活ができる財産を持っている。しかし、一度得たものを失うと人はそれを恐怖に感じて取り戻そうとするのだろう。彼は再び自分自身の栄光を求めた。
それが、ラインラントを睨むフランス軍一の最前線の大隊の隊長という地位であった。地位を求めていたわけではない。彼はあくまでも実を求めていた。
もしフランス軍が再びラインラントへ進駐するとなれば、大隊は先兵としてラインラントへ赴くことになるだろう。であれば、以前に受けた恩恵をまた手にすることができるだろう。それが彼が描いた青写真であった。
軍の一部では、連合国各国の反対を押し切ってまで再進駐をすべきという者もいた。大佐もその1人であったが、あくまでも少数派である。先日、フランス陸軍首脳部のペタン元帥に上奏した者がいたが、追い返されてしまったという。
そこで先日、元部下でありながら主流派から離れたある将校に、わざわざフランス領モロッコにまで赴いて自分の意見を述べたが、聞く耳すら持たれなかったのである。
「ちっ、あのノッポめ」
彼はしつこく自分の意見に同調してもらおうとしたがまったく相手にされず、賄賂を示唆したものの逆に威圧されてしまい、行きの意気揚々とした姿からは一転青ざめて帰還してきたのである。
陰で一部の部下から「新兵の初戦」と噂されたこの行動から、数日経っているが気分は相変わらず腫れていなかった。
「ったく、最悪の目覚めだ。色々考え事が多くて困る…まぁいい。ド・ゴールなんて奴はどうせ出世しないさ。きっとそうだ、もっといい奴がいるに違いない」
そう都合よく考えていると、荒々しく電話のベルの音が鳴り響いた。
「ちっ、なんだよ、今日は土曜日だろ。よほどのことがなければ、電話してくるなってんだ!朝っぱらから」
不愉快なことが重なっているなかで、大事な休日の朝から電話がかかってくることに独り言で毒つきながら、大佐は電話を受け取った。
「…なんだ、こんな朝っぱらから?」
怒りを必死にこらえながら受け応えする彼の耳元で、部下が興奮した大きな声で返してきた。
「た、た、大佐!たいへんです!」
「なんなんだ、いったい何があったんだ、私はこれから出かける予定なんだ」
「それどころじゃないんです!」
「私の休日を冒涜するのかね、君は」
「ち、ち、ちがうんです!」
「何が違うのかね」
「ド、ドイツ軍がラインラントに!ライン川を渡ってきました!!!」
こうして大佐の休日の計画は全てがパーとなったのである。




