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訪問 2

 フリッチュ家の執事は、突然の訪問者に対して困惑せざるを得なかった。家の主人が未だに帰宅していないうえ、ここ最近は忙しいらしく後どれぐらいで帰宅するのか分かっていない。そのため、カナリスに対して陸軍司令部に向かうようさり気なく促した。だが、


「すれ違いになる可能性もある、こちらで待たせてもらえないだろうか」


 と言われてしまえば、その願いを聞かざるを得なかった。


 来客室に案内されるカナリスの姿を見たヴァルザーは、慌てて敬礼をした。海軍の軍服には慣れておらず、どれだけの地位の人物なのか最初判断がつかなかったのである。


「君が例の敬礼の下手なヤンキーか、…国防軍情報部長のヴィルヘルム・カナリスだ」


「失礼しました、グスタフ・ヴァルザー特務中尉です」


「いや、こちらこそ急にお邪魔するような形になって申し訳ない。…ふむ、良かったら総司令官が戻ってくるまでお相手していただけないか」


 情報部長の提案に、ヴァルザーは慎重にならざるを得なかった。彼を見てすぐに隙のない人物と評価していた。下手な事をすれば、自分自身だけでなく保護者になってくれたフリッチュに対しても迷惑がかかるかもしれないと思ったのだ。


 だがその場で断る理由が見当たらず、結局のところその提案に従うしかなかったのも事実である。


「フリドーリヒ少佐のことはご存知で?」


「あぁ、彼は私の部下だ。すでに君の噂は聞いている」


 彼の事を敬礼の下手なヤンキーと表現したのは2人目であった。どうやら、少佐はこの上司に自分の事を色々と報告しているらしい。そう思うと、必要以上に構えなければならなかった。


「アメリカのどこにいたのかね」


「…カリフォルニアです」


 もちろん嘘である。フリッチュとの相談で、彼はカリフォルニアにいたことにした。どういう場所なのかは見当がつかないが、統一性がなければ怪しまれる恐れがあったので、ドイツに帰国するドイツ系アメリカ人の中での出身が少ない地域を選んだのである。


 すると突然、カナリスはドイツ語とは別の言語で彼に話しかけた。英語とも異なる初めて聞く言葉である。だが、ヴァルザーは幸いなことにその言葉を理解することが出来た。何故だか分からないが、こちらの世界の言葉はどの言語でも理解することができ、さらに読み書きもスムーズに可能であった。


 彼の質問に、ヴァルザーは注意深く答えた。カナリスは特に表情を変えることはしないが関心はしているようであった。


「ほぅ、スペイン語を知っているか。流石はカリフォルニア出身だな」


 ヴァルザーはこのように感心するカナリスの心を読もうとした。何かを企んでスペイン語なるものをいきなり用いたのである。何かしらの理由があるはずであった。


「提督はアメリカにいたことが…?」


「いや、アメリカ合衆国には行ったことは無い。南米のチリならあるが…あれは戦争中だったからな」


 そのチリでの出来事こそ、カナリスのスパイとしての始まりの地であった。チリで彼の乗っていた軍艦がイギリスの軍艦との戦いに敗れ、乗員はチリの収容所に送り込まれた。彼はそこで脱走に成功し、チリ人に成りすましてアンデス山脈を超えアルゼンチンに入り、イギリス船で中立国を経てドイツへ帰国したのである。この行動が上層部にスパイとしての素質があると評価され、彼のスパイ人生が始まったのである。


 何かを思い出したように彼はヴァルザーの質問に答えたが、その思い出話をするようなことは絶対にありえないことである。


 このギクシャクした微妙な会見は、しばらくして解消された。


 フリッチュが帰宅したのである。彼は執事からカナリス提督の訪問を知らせ聞くとすぐに応接室に向かい、そこでカナリスとヴァルザーの姿を見てやや焦りを感じた。


「提督、待たせて申し訳ない。…ヴァルザー特務中尉とは何を」


「いえ、他愛のない話です。閣下、こちらこそ突然の訪問に失礼致しました。急に知らせたいことがありまして」


 カナリスがヴァルザーと何を話したか気になるところであったが、それは後で彼に聞けば分かることだ。まずは情報部からの情報を聞くことが優先であった。


「2つあります。1つ目はナチス政権の首脳部たちの動きがやや慌ただしくなってることです」


「慌ただしく?」


 カナリスは何故かその話をヴァルザーがいるなかでしていた。フリッチュが退席させるよう言うよりも早く、カナリスがその情報について喋りだしたのである。何かしらの意図によってそうしたのだろう。


「ええ、各国の大使館に訪問する機会が増えてます。…盗聴を試みましたが、失敗しました」


 フリッチュはナチスがどのように外交政策を行うのか知りたがっていた。今のところ各国とは協調と対抗を上手く使い分けている状態であったが、それではヒトラーの意向が掴めないのであった。であれば、この出来事は協調へと傾く可能性も示唆される。


「甘いですぞ、閣下」


 カナリスはそう考える陸軍総司令官に警告した。フリッチュは決して言葉にしていなかったが、表情から読み取ったのであろう。


「甘いとは?」


「…何かしらの強硬策を行うかもしれません。そのための根回しかと」


「…強硬策とは?」


「それに関してはまだ掴めておりませんが…警戒はしておくべきでしょう」


 カナリスは有能な人材である。ただ情報を提供するのでなく、解析に関しても優秀さを示す能力を有していた。


「警戒…軍を使う可能性か…。では以前から言っているスペインの内戦の恐れが強まってきたということか」


「果たしてそれだけでしょうか?そうであれば以前よりスペインとイタリアの各大使館に訪問する回数が非常に増えるでしょうが、今回は違いますぞ」


 カナリスが指摘しているのは、以前から囁かれているスペインの情勢とは異なる可能性であった。


「特に増えているのはイギリス、そしてベルギーです」


 ベルギー…?フランスではないのかと思うフリッチュだが、カナリスはさらに続けた。


「もしかしたらフランスと多少の事を構える可能性があります。…西で何かが起きるかもしれません」 


「ま、まさか…」


「そう、ラインラントです」

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