訪問
フリードリヒ少佐と出会ってからもう1週間が経っていた。あの時の会話に少佐は何か答えを得たのか活動しているようだが、ヴァルザーはその内容を把握出来ずにいた。気になってクルト中佐に相談を持ち掛けたが、
「あいつのする事は知らないが、悪い事ではないはずだ」
と言って取り合わなかった。含み笑いをしていたので、何か嫌な予感は感じている。もしあちらの世界であれば、多少の交渉(脅迫とも言う)をもって追及をしたいところであったが、一応命の恩人である人物に対してそのような態度を取ることは憚れたのである。
さて後方勤務のヴァルザー特務中尉の仕事は、それなりに量が多い。最初のうちは小手調べという形で少しずつ仕事の量が回されていたが、1か月もするとその量は圧倒的に増加していった。中佐にその事を話すと
「期待されているのだろうよ」
と笑っていたが、どうも人材不足でお鉢が回ってきたようにしか思えない。陸軍では、有能な人物から前線に行くことを志望するために後方勤務の人材に事欠いていた。そのような人材が集まる中で、ヴァルザー中尉はその高い能力を遺憾なく発揮し、わずか1か月もしないうちにその能力が評価され彼の仕事量は同僚の倍になるのに時間はそうかからなかった。
ただ、書類を扱う事は以前の世界でも非常に多かったのだ。もともと魔族は口頭で全てのやり取りをしていたが、それではどうしても誤解が生じ問題になることが多々あった。そこで人間側と大規模な戦争に入る直前、彼は魔王軍の改革に乗り出してそのような制度を改めたのである。
一部の魔族、というよりほとんどの魔族が表立って不満を述べた。果断速攻が持ち味だと言わんばかりに、魔王ヴァサーゴの改革に反発したのである。だが、彼はその不満をすでに予想済みであり、その不満の先頭に立っていた有力魔族の族長をあっという間に処理したのであった。
これには他の魔族も恐れ入るしかなかった。彼に逆らった場合の結果を思い知らされたのである。
こうして軍制改革を行った結果、彼の机には多くの決裁書類が積み重ねられることになった。最初のうちはあまりの量に不満をこぼしたが、側近のグレーズに説得と激励を受け否応なしにその書類に対応せざるを得なかったのだ。
だが、彼はそのまま承認だけするようなことはほとんど無かった。些細な事にも担当者に質問をし、問題があると判断すれば是正するよう指示したのである。その結果、短絡的な考えを占めていた魔王軍の改革は成功し、戦略的にも戦術的にも有能な人材を揃えることに成功したのであった。
さらに教育の充実も求められるようになった結果、それまでは人類の1/5程度であった識字率が急上昇し、国家全体の繁栄をもたらす事につながったのである。
もっともその結果、人間たちの国家は魔族の国をより一層恐怖を感じ、戦争が激化してしまったという反動もあったが。
言ってしまえば、彼は戦略家であったといえよう。だからこそ、後方での仕事に関して馬鹿にするようなことは無かったし、むしろそちらこそ重要視したのである。彼の保護者であるフリッチュは思いもかけずに掘り出し物を手に入れたのだ。
であれば、近い将来にはフリッチュは彼を副官に任命したいと思うようなっている。現在の副官もある程度の評価はしているが、まだまだ不十分な人材と感じていた。もっと多くの経験を得ることをしなければ、彼はただの将兵でしかないと判断していたのだ。それに比べ、ヴァルザーは元々は国を統治していた男だ。経験も能力も豊かな人材を、ただの後方勤務にしておくのはドイツ国防軍にとっても大損であると思っており、時折親しい人間に彼を近くに置きたいものだとこぼしていたのである。
これに反対したのが、彼をよく支えていたベック参謀総長であった。
ベックは初志貫徹の男である。彼はドイツ国防軍の中でナチスの方針に一番逆らっている男であり、直言を避けるようなことはしない人物であった。そのため、何かがあれば
「ナチスめ!ヒトラーの伍長野郎が!ブロンベルクの大馬鹿野郎!」
と大きな声で不満を述べていた。その男をフリッチュは信頼していたはこれまでも述べているが、その信頼する参謀総長がヴァルザーを近くに置くことに反対した理由はいくつかあった。
1つはヴァルザー自身の有能さを評価しつつも、やはり人間ではないという不気味さを感じていたところであった。そういうところでは妙に普通の人間らしい判断である。
2つ目は、フリッチュの周りを全てナチス中立派でそろえてしまった場合に、もし粛清などが起こるようであれば歯止めする人材が不足する可能性であった。彼の指摘はもっともで、先のナチス突撃隊の粛清のようなことが国防軍でも起きないとは言えないのである。
3つ目は、縁故採用をすることで国防軍でのフリッチュの信頼が低下することを恐れていたからであった。大したことでは無くても、不満を述べる将校が増えてしまう事は避けるべきだと指摘したのだ。
その判断はフリッチュを説得させることに成功し、現在副官になることはあり得ない事であった。しかし、後方勤務ゆえに獲得できる情報をフリッチュには伝えるよう、ベックはこれとは別にヴァルザーに頼んでいた。
今のヴァルザー中尉の自宅はフリッチュ家の1室となっている。今日も仕事を終え、その手に入れた情報の解析をも済んでいた。ここのところ、陸軍総司令官は帰りが遅くなる事が多く、フリッチュの帰宅を待たなければならない立場であった。
そんな中、1室にチャイムが響き渡った。フリッチュがこのチャイムを鳴らすことはあり得ず、来客であることを彼は悟った。フリッチュ家の執事が慌てて応対しに行っているようである。
来客者は執事にこう名乗っていた。
「国防軍情報部長のヴィルヘルム・カナリスだ。夜分恐れ多いが、陸軍総司令官殿に至急お会いしたい」




