日食と行方不明者
隼馬、慶介、美沙の並びで長イスに座り、テーブルを挟んで松倉の語りに耳を傾ける。
「まずは湯田の伝説から。
975年8月10日、むかしの暦では天延3年7月1日に、この地で部分日食があったそうです。その日食がピークに達した際、湯田村の村人が異界へと吸い込まれたのです」
「異界……ですか?」と慶介。
「そうです。村人の人数までは記録にないのですが、かなりの村人が異界に吸い込まれてしまったようです。
異界の地で村人はもののけの姿をした邪神に襲われてしまいます。この邪神を神児といいます。
何人かの村人が神児に殺されてしまうのですが、時をあけずに、死んでしまった村人が蘇ったのです」
「蘇った! すげぇ。邪神といえど神でしょ!」と隼馬。
「ですが、蘇った村人は人の姿を成してはいなく、神児の姿にちかいもののけのような姿になってしまったのです。
これを村人は半神児と呼びました。
村人の中には神児や半神児に立ち向かった者もいましたが、神児と半神児は何度も蘇ったそうです。
神児は半神児に命令をし、また、異界に住まう獣、獣鬼子をしつけて、村人を襲ったのです」
「でも、そこに助けがあった」と美沙。
「その通り。村の若い娘、シシギ姫様が村人を救ったのです。
シシギ姫様の呼び方は時代によって異なっていて、はじめは『シシギ』と呼び捨てだったのですが、次第に『シシギ様』となり、いまは『シシギ姫様』と呼んでいます。
シシギ姫様の生い立ちは不明です。
しかし、シシギ姫様には不思議な力がありました。腰に帯びた刀、異念刀に和賀様を宿らせ、神児、半神児、獣鬼子を斬ったのです」
「異念刀、和賀様? それが宿った……?」
慶介は訝しげな表情を浮かべて、松倉のことばを繰り返した。
松倉はほうじ茶を口に含み、渇きを潤していう。
「ええ、異念刀と和賀様です。
ここで登場するのがさきほどの湯田鬼剣舞です。
駅でご覧になられたように、シシギ姫様の役を務める千里ちゃんのうしろで、鬼のような面をつけて剣舞を踊っていましたでしょう?
この地に伝わる鬼剣舞はほかの地域と若干異なっていて、浄土教と神の信仰を合わせ持っているのです。
そしてまた、その役割もちがいます。
湯田鬼剣舞は異界から帰還するための呪術。
陰陽道で用いられている呪術のひとつでありながら、念仏によって怨霊を正しき往生へ導き、異界が齎す厄災を防ぐのです。
村の先覚者たちが鬼剣舞を独自に改良して行った結果です」
「よくわからんけど、その湯田鬼剣舞がどうなるんです?」と隼馬。
「湯田鬼剣舞の踊り手は、白、青、赤、黒の面をつけていましたでしょう?
あれは陰陽五行説の四季と方位を表すのと同時に、仏教の五大明王でもあるのです。
それが人間の目に見えるかたちでシシギ姫様の前に現れました。
これを和賀様と呼びます。
和賀様の宿った異念刀はシシギ姫様が腰に差している刀の名です。
妖刀、村雨のような。
この異念刀で神児を斬ると、神児の魂はその肉体から解放されて正しき往生へと導かれるのです。
半神児と獣鬼子も同様です」
「無敵の刀というわけですか」と慶介。「村人が倒しても蘇ってしまう神児らを昇天させる力があるなんて。まさしくシシギ姫様は村の英雄だ」
「ハハハ、そうでしょう」
ふと笑ってみせた松倉、はなしを還日祭へと移す。
「それからは年に1度、異界が齎す厄災を防ぐため還日祭が行われるようになりました。
還日祭の名前の由来は異界に吸い込まれた村人を取りもどすことと、日食によって欠けた太陽を取りもどすことです。
毎年、村の若い娘がシシギ姫様の役を務めて、湯田鬼剣舞の踊り手と共に村の中を清めて歩くんです。
聖水で縄を湿らせて、道をなぞっていましたでしょう?
あれが清めの儀式です。
まあ、もっとも、日食の日にちが正確に割り出せるようになってからは、還日祭は日食のあるときだけに行われるようになりましたし、村も町へと変わりました。
……あ、そうだ。お気付きになりましたか?」
松倉は膝をポンとたたいて慶介たちにいう。
「こんな格好をしていたのも還日祭の清めの儀式を手伝っていたからです。
シシギ姫様による聖水と縄の清めの儀式のほかにも儀式はありまして、当旅館も清められているんですよ。
いまは暗いのでよくわかりませんが明日の朝にでも外に出て見てください。
清められた注連縄が当旅館をぐるりと囲っていますから」
「あっ、それ、さっき見ちゃったかも」
美沙が湯呑み茶碗に手を伸ばしていった。
その隣で慶介、
「なんだかお祭りと呼ぶには結構物騒な感じですね。
けど、シシギ姫様の清めの儀式を行ってからは伝説のようなことは起こっていないんですよね?」
確認、ではないけれど妙な好奇心が湧いたので尋ねてみると、
「えっ、ええ……、大きな騒動は……」
松倉はことばに詰まり、反射的に面を伏せると目が泳いだ。
「まさか、まさかぁ!」と隼馬。「小さな騒動はあったんですか!? めっちゃ気になる!」
身を乗り出して、松倉に問いかけた。
隼馬は学問のほうは成績が芳しくないが、感性の方面はすばらしく、音楽については特に才能があった。
バンドではギターとボーカルをこなし、作曲作詞も行っている。
だれしもが己の才能に幅があるように隼馬は音楽だけでなく、人を看る能力があった。
これは警察官である父の影響であろう。
隼馬は松倉の動揺を見逃さなかった。
「……もう、何十年も前のことです」
松倉はため息を漏らすと観念したような顔つきになり、静かにしゃべりだした。
「1965年11月23日です。
この日、湯田町で部分日食が観測されました。
終わってみれば一瞬の出来事だったそうです。
町民の何人かが行方不明になったんです」
「行方不明?」と慶介。
「ええ、その方たちはいまだに見つかっていません。それに……」
いいかけて、松倉は、その続きをいうべきかどうか悩むように腕を組んで押し黙った。
ややあって、はなしを頭の中で整理して、
「還日祭のあと、何人かが精神のほうを病みましてね。病院に入院したんです」
「いまも、入院しているんですか?」
「いえ。すでに全員、他界しています。
ただ、その方たちが病室で『神児』や『獣鬼子』といい、行方不明者の名前をあげて『半神児になった』と口々にいったそうです」
「マジか、伝説は本当だった!?」
隼馬は興奮の態で松倉のはなしに食いつく。
湯田鬼剣舞や還日祭のはなしより、こちらのほうに興味があるようだ。
そんな隼馬を、慶介は「とりあえず落ち着けって」と声をかける。
そして、松倉へ向き直ると、こころに湧いた妙な好奇心が探求心へと変わっていた。
「それじゃ、伝説が再現されたということですか?
そのときのシシギ姫様は、いまはどうしているんです?」
「シシギ姫様の役を務めた娘も行方不明です。生きていれば70歳程でしょうか。
詳しいことはなにもわかっていません。
当時の警察は、いまでいう集団ヒステリーとして片づけられたそうです。
これが周囲の町や村で話題になったそうですよ。
湯田の伝説を利用した殺人事件ではないかと。
その犯人に行方不明者は殺害され、どこかに埋められたのではないかと。
……真相はもう、闇の中ですけどね」
「精神を病んでいない人で、神児や半神児などという人はいなかったんですか?」
「え? どういう意味です?」
慶介の質問に、松倉は少し驚いた表情できき返した。
慶介は探求心に火がついて、松倉から情報をきき出そうとする。
「湯田の伝説では日食のとき、異界に吸い込まれるんですよね?
で、こちらの世界にもどってきた町民は精神を病んだ。
けれど、全員が全員、精神を病んでしまったのですか?
つまり、もどってきた町民の中には気は確かな人もいたのでは……?」
「さあ……それはどうでしょう?」
松倉は首を捻り、組んでいた腕を解いて湯呑み茶碗へ手を伸ばした。
掴んでみると、湯呑み茶碗にほうじ茶はなく、
「笑っていえることではありませんが、なにかにつけてこの湯田の地ではそういった類いのはなしに事欠きませんよ。
日食の日に行方不明者。まるで神隠しのように忽然と姿を消すんです」
いいながら、松倉はポットを手に取りほうじ茶を注ごうとしたらチョロチョロとした出ず、
「ああ、しまった。飲み過ぎちゃいましたね。
ま、とにかくです、伝説は伝説として、事件は事件として別に考えていますよ。町の人たちは。
けれど、やはり不安なんです。防げるものなら防ぎたい。そのための還日祭なんです。明日は金環日食。何事もなければいいんですが」
ほうじ茶、おかわりしますか? と松倉は慶介たちにいった。
慶介は隼馬と美沙の顔を見、2人とも首を横に振ったので、
「いえ、結構です。ほうじ茶、おいしかったです。
それに、湯田の伝説や還日祭について教えてもらってありがとうございます」
残っていたほうじ茶を飲み干した。
「礼には及びませんよ。ところどろこ端折った説明になりましたし。
伝説や湯田鬼剣舞、還日祭のことをもっと知りたいのでしたら湯田町の歴史民俗資料館を尋ねて見てください。
いろんな物を展示してありますし面白いとおもいます。まあ、湯田で誇れることは少ないですが」
「いいえ、まさか」と美沙。「その資料館はどこにあるんです?」
「湯田貯砂ダムの錦秋湖上流の畔です。えっと、駅の正面の道路を真っ直ぐに行くと橋がありまして、その橋を渡って50メートル程のところにありますよ」
そして松倉は最後、にこりと笑っていう。
「入場料百円です」