シシギ姫様
「ええ、あれは還日祭前日に執り行う清めの儀式なんですよ」
桧屋旅館は、民宿にちかい雰囲気のある田舎の旅館だ。
黒光りする太い梁や柱で立派に建てられている。
壁の漆喰や空調設備など何度か増改築を繰り返したようで、旅館の玄関や客室に通じる廊下、慶介たちの宿泊する客室も人の手が行き届き、小奇麗にしてある。
到着したばかりで夕食には時間が早い。
太陽はまだ充分に高い位置にあった。
そこで慶介たち天文部員は、明日の金環日食を綺麗に観察できる場所がないか旅館の人に尋ねるため帳場に向かった。
還日祭のはなしが出たのは、このときである。
「綺麗な女の子が先頭を歩いていましたでしょう?」
女将はにこやかな顔つきでいう。
その手には湯田町の温泉街周辺の地図をデフォルメした観光案内のパンフレットを持っている。
「菅森千里ちゃん。
今回の還日祭でシシギ姫様の役に抜擢されたんですよ。
この町では日食の日に還日祭を行う仕来りがあるんです」
「シシギ姫様……?」
慶介は女将のことばに妙な関心を持った。
捨てようとおもってズボンのポケットに入れていた和紙を取り出した。
『シシギ姫様を追え』
掠れた字で書いてある。
隣で隼馬がタメ口で女将にいう。
「えっ、日食の日に? それ以外の年にはお祭りは皆無?
毎年やるお祭りじゃないんだ。オリンピックみたいに4年に1度って感じ?
おいおい、湯田のちびっ子たちはガッカリだぜ」
すると女将はクスクスと笑いって、
「お祭りといっても神様を祀ったり、収穫に感謝したりする類いのお祭りではないんですよ。
還日祭はむしろ、町に災いが起こるのを防ぐために行うのです」
「シシギ姫様というのは、なんですか?」
慶介が尋ねる。
和紙は捨てずに、ふたたびポケットの中へ仕舞い込んだ。
「シシギ姫様ですか? 私は詳しいことはそれほど存じ上げませんが……、ずっとずっと大昔、湯田町が村だったころ、村に災いが起こったんです。
そのとき村人たちを救ったのがシシギという村の若い娘だった、そうきいています。
それが祭りの行われる発端となった理由で、湯田町に残る伝説なんです。
主人のほうがいま、還日祭の清めの儀式に出ていて、興味がありましたら帰宅次第に説明に上がらせていただきますよ。
私よりも詳しい説明ができますから」
「いいえ、そこまでは」
美沙が申し訳なさそうにいうのを、隼馬が、
「いいんですか!? せっかくだから説明をきかせてもらいます!
旅行の思い出にさせていただきます!
湯田フェス以外にも面白いはなしをききたいし!!」
イエーィ! と、場違いなテンションの高さである。
対して、女将のほうは、夏の暑いこの時期に、それもこれといって避暑地として有名でもない湯田町に訪れた旅行者に多少のおどろきを抱いていた。
町おこしの野外フェス『ユダ☆ロック』が功を奏して来客が増えたと喜んでいた。が、この学生たちは、こんな辺鄙な田舎にまで来て明日の金環日食を観察するのだという。
彼らたちの地元では明日の天気は雨で日食が見られず、そのため旅行をかねての観察なのだと。
女将はガッカリした。
いまの時期、秋の紅葉シーズンにはまだ遠く、温泉目当てに来てくれる客も少ない。
宿泊客のいないときには湯田ダムの人造湖・錦秋湖にある道の駅へパートに出ている。が、これもシーズンオフのため交通量が少なく、生き甲斐に乏しい田舎暮らしに辟易していた。
「それで、この周辺で観察に適した場所や、オススメのポイントはありませんか?」
美沙の質問に、女将は手に持っている観光案内のパンフレットを差し出し、
「温泉街を山の方へ向かって行くと町営の湯田スキー場がありますよ。
この山は桧倉山といって、山頂に三之神社があります。
ここだと空に近いですし、見晴らしもよくお勧めですよ」
「山?」と輝明。ほかの天文部員の顔を見まわして、
「標高はどれくらいですか?」
「500メートル程です。
冬はスキー場ですから、木々のないところを歩いて行けば登りやすいですよ」
「うーん……あんまり登りたくないよなあ。なあ? 虫に刺されるのは御免だ」
輝明は同意を求めるようにいい、部員たちはそれにうなずいた。
すると女将が「それではこちらはどうですか」と、指先でパンフレットの地図を示した。
「湯田ダムにある錦秋湖川尻運動公園の敷地にある野球場です。
ここは野外フェスの会場ですし、ほら、ギターをお持ちでしたよね?
フェスに参加するなら下見するのと合わせて行ってご覧になられるのもいいかも知れませんよ」
「えっ、ダムもあるの? 湯田ダム?」と隼馬はニコニコした顔を浮かべる。
「ダムの湖のことを錦秋湖っていうのか。ああ、見に行きたい気もするけど、結局フェスの前日に行くしなあ」
腕を組んで首を捻る隼馬に、美沙が、
「私は桧倉山の方へ行くわ。
歩きやすいようにスニーカーに履き替えてきたし」
いいながら、慶介に目線を移して、
「慶介はどうするの? よかったら一緒に行かない?
先頭を歩いてくれたら嬉しいんだけど」
「先頭を? 俺が?」
尋ねられた慶介の脳裏には一瞬、列車内で輝明のいったことばが掠めた。
なんとなしに輝明の顔色を窺って見ようかとしたら、それを妨害するかのように隼馬がテンション高く、
「それ、いいね! 俺も2人についてくぜ。
湯田町をあっちこっち探索して行こうぜー!!」
慶介が返事をする前に、事は決まってしまった。
「んじゃ、俺たちは野球場の方に行ってくる」
輝明はほかの天文部員と一緒に野球場へ向かうようだ。
2班に分かれることになり、女将は双方へ観光案内のパンフレットを手渡し、こういった。
「でも明日の金環日食はお昼頃ですし、当旅館の露天風呂からも日食は観察できますよ」