野外フェスのスタッフ
「あそこに藁葺き屋根の古民家があります、見えますか?」と千里はいい、慶介たちに異界について語り出した。
「湯田に伝わるはなしでは、異界に住まう邪神は私たちの世界が羨ましいようです。邪神たちは私たちの世界を丸写しするようにあらゆるものを異界に取り込みます。
あの藁葺き屋根の古民家は、いまの私たちの世界には存在しません。
あの場所は現在、夏草の茂った空き地になっています。
異界ではなにが残り、なにが消えて行くのかはわかりませんが、邪神は日食の度に私たちの世界を取り込み、異界を更新していくのです」
「新旧入り交じった世界でもあるのか……」
慶介は感慨深そうに藁葺き屋根の古民家を眺めていった。
「ある意味、湯田の歴代の遺産を目の当たりにしているんだな」
すると突然、道路の前方で悲鳴があがった。
古民家から悲鳴のあがった方へ顔を向けた慶介、
「大変だ! 人が襲われている!」
野外フェスのスタッフTシャツを着た2人の人間が半神児らに襲われていた。
前方の十字路の交差点の真ん中。
逃げているのは野外フェスのスタッフ2人組みで、片方が足を負傷していて肩を組んでいる。
これを狙って突進する、闘牛のような鋭い角を頭に生やした神児に頭突きされ、足を引きずっていたほうのスタッフが宙へ撥ね上げられた。
まるで木の枝がくるくると回転するように宙を舞い、アスファルトの地面に、ぐちゃ、と落下して、そのまま動かなくなった。
そしてその体から、さーっ、と鮮血が流れ出て、あっという間に血溜まりができた。
この傍らでもう1人のスタッフは、神児の頭突きを食らって信号機の柱まで弾き飛ばされ、脳震盪を起こしてふらついていることろ、アメンボのように手足の細い半神児に喉を引き裂かれて死んでいる。
半神児の細い腕にはノコギリのようなギザギザの刃が生えていて、真っ赤な血で染まっている。
この光景を慶介たちは道路脇の茂みから目撃し、尾行している半神児と獣鬼子が野外フェスのスタッフに群がるのを茫然と眺めていると、
「助けられませんでした……シシギ姫様の役を果たせずに……」
千里は下唇を噛み、怒りのこもった眼で神児らを睨んだ。
「いまからでも、あのスタッフの敵を討とうぜ! その異念刀でぶった切るんだ!」
隼馬が湧いて出る憤怒を押さえつけていうと、美沙が、
「それは無理よ。あの怪力を見たでしょ? 和賀様の宿った異念刀で神児が倒せるといったって、あれじゃ立ち向かえないわ。数も多いし。
千里さんが剣道の達人とかなら、はなしはちがってくるけど」
「ちくしょう、やられっぱなしかよ」
隼馬は悔しさで歯軋りをした。
隣で千里が、
「私に力がないせいで……ごめんなさい」
道路に横たわる2人のスタッフに向かっていった。
交差点の上では、闘牛のような角を生やした神児が甲高い声を発して、周囲にいる半神児になにかを命令している。
これを慶介は注視して、ハッとおもいだした。
「ここから離れたほうがいい。伝説にもあっただろ?
神児に殺された村人が蘇った、それも神児のような姿で。あのスタッフはいまに蘇るはずだ。おぞましい姿になって。
あいつらはああやって人間を襲い、仲間を増やしているんだ」
蘇ったスタッフに発見されて襲われるなんて冗談じゃない、といって、慶介は、
「あんな奴らが町中に孑孑の如く溢れて、温泉街だって闊歩しているはずだ。悠長に構えている場合じゃない。
奴らから身を守って、もとの世界へ帰還する手段を見つけ、それを一刻も早く実行するべきだ。千里、なにか良い考えはないか?」
「……良い考え、ですか?」
詰め寄られて千里は頭を悩ませた。
交差点の方では命令系統のトップにいる神児が半神児に命令を下し、周囲に目を配っていた。
とそこで、千里は、
「そういえば、秀隆さんが私を保育所へ送ってくれた際に、異界が齎す厄災に備えて物資を配備していると――」
「それはどこに!?」と美沙。
「配備場所を記した地図を渡されました。大丈夫、持っています」
千里は水干の袖から四つに折られた地図を取り出した。
地図をひろげると、湯田町の数箇所に赤色のマジックで印がされていた。
むろん、地図に記載されている文字は異界の文字へと置き換わっていた。が、地図としての地形は把握できる。
慶介は現在地を確かめて、物資が配備している一番近い場所を探すと、
「ここへ向かうにはどの道順が最短ルートなんだ……?」
湯田町に初めて訪れた慶介は道に不案内であるがゆえ、その道順を千里に尋ねた。
すると、隼馬がニヤリと笑みを浮かべ、
「俺のスマホの地図アプリさ、地図データをスマホ本体にダウンロードして圏外でも使えるんだぜ」
GPSは機能しないけれど、現在地と目的地を入力してルートを検索すれば、最短ルートが表示された。
「文字が理解できなくても、検索の手順を指先がおぼえてるもんだぜ」
誇らしげにいい、そのルートを見せた。
所要時間は読めないけれど、道路に赤い線が引かれて表示されたルートである。
「これだけわかれば充分だ。やったな、隼馬」
「ねえ。それよりも、目的地になってるこの場所ってどこなの?」
美沙の質問に、千里は気分の浮かない表情でいった。
「かつて湯田炭鉱のあった場所です。いまは廃鉱になっています……そう、あそこに物資を隠して……」
「廃鉱がどうかしたのか?」
「……いえ、……廃鉱に向かいながら説明します。隼馬さん、道案内を頼めますか?」
「おう、いいぜ。みんな俺についてこい」
隼馬は意気揚々とした態で、交差点にいる神児らに発見されないよう道路脇の茂みの中を進む。
最後尾を行く慶介は、うしろ髪を引かれるおもいで交差点の方を見やった。
大量の血を流した2人のスタッフの体、その手足が痙攣を起こしたようにばたついている。
まるでゾンビのように、半神児として蘇ろうとしていた。
(天文部のみんなは大丈夫なんだろうか……)
慶介は彼らの無事を祈ることしかできない。
茂みの中は空気が淀んでいて蒸し暑く、虫の音もなかった。