異界の知能
気がつけば辺り一面が金環の木漏れ日で溢れており、幻想的な光景がひろがっていた。
「金環日食になって数十分も経つのに……この世界は永遠と日食なのか」
慶介は愕然とつぶやいて、
(だから還日祭なのか……)
いまになって、異界に取り込まれた恐怖が襲ってきた。
「先を急ごう。この世界にいるだけで気がおかしくなってくる」
「そうよ、急ぎましょう」と美沙。「旅館の松倉さんがいってたでしょ? 還日祭のあと精神を病んだ人がいたって。こんなところに1分でも長くいちゃ本当に危険だわ。もとの世界にもどる手段をみつけないと」
「俺たちも狂っちまうぜ」
隼馬もそういって、隠れていた草むらから立ち上がった。
「あの獣鬼子が四つ脚で良かったぜ。2足歩行だったら発見されてたかも知れない。咄嗟に隠れたもんだから頭隠してなんとやらだった。
それに奴は嗅覚も鋭くないようだった」
千里も立ち上がって、筋道を歩き出し、
「獣鬼子は、もとは人間だったときいたことがあります。昔話ですけどね。
異界に適性がなく、半神児や神児の器でないものが獣鬼子になるのだと……」
「俺はどちらも遠慮したい」
慶介は下山する足を大股にして歩き、
「ここは奴らのパラダイスだ。いまの獣鬼子を見ただろ?
切り落としたはずの腕が繋がっていた。いまのうちに治ったのか? この短時間で?
治る怪我じゃないのは明らかだ。けど、傷は癒えていた。松倉さんにきいた伝説でも、神児に立ち向かったが何度も蘇ったといっていた」
「通常はそのようです、いまのように。ですがこの異念刀なら神児たちを倒すことができます。和賀様の宿った異念刀なら。慶介が獣鬼子を斬ったときにはまだ和賀様は宿っていませんでしたからあの獣鬼子は蘇ることができたのでしょう」
「……なるほど」
慶介は、刀で生き物を斬ったとき特殊な興奮状態だったから、
(あんなに血を流したあと、まさか蘇るなんて……そこまで気がまわらなかった)
山頂でのことを思い返しながら、千里の説明に納得した。
桧倉山を下山し、夏草の茂った筋道からようやくアスファルト舗装の道路へ出れば、
「止まってください、あそこにだれかいます」
千里は腰を低くして頭を下げた。
そして夏の期間は閉鎖になっているスキー場の食堂などが入る建物へと慶介たちを誘導し、その外壁に沿って角まで進むと頭をそっと出し、
「あれは先ほどの獣鬼子……、一緒にいるのは半神児のようです」
千里の双眸がその姿を確認した。
スキー場から温泉街へと続く道路の上に2つの影があった。
慶介が腕を斬り撥ねた獣鬼子と、半神児である。
半神児は血が付着したシワだらけの袖のない浴衣を羽織っていて、跣で立っていた。腕の肘の部分から枝分かれして、もうひとつ、腕が伸びていた。片腕に前腕が2つある。
顔にはトンボのような大きな眼があり、鼻から下を胸もとまで垂れたヒゲが覆い、耳は顔の半分もあって頭の両サイドでパタパタと団扇のように動いている。
肌の色は灰色と青を混ぜたような色をしていて、足下にいる獣鬼子と向かい合ってキーキーと甲高い声を発している。なにかをしゃべっているようである
「また意味のわからねえ生き物だぜ。あいつの特技は両腕で20まで数えられることだな」
隼馬が半神児を眺めながらいった。
「静かにしろ隼馬」
慶介は隣にいる隼馬に小声でいい、目を細めて半神児を見やる。
「あんなに大きい耳をしているんだ、気づかれるかもしれない」
すると千里が、慶介たちへ向き直り、
「あの獣鬼子は半神児に飼いならされているようです」
「飼われてるの? 半神児に?」と美沙。
「ええ、そうです。この世界は神児、半神児、獣鬼子が住んでいます。
神児が一番位が高く、次に不完全な姿の半神児、最後に野性的本能で行動する獣鬼子が下位だといわれています。
ただ、獣鬼子は、私たちの世界でいう犬や猫のように野良で自由奔放に生きている存在です。あのように命令をきくようになるまでには躾がなされたのでしょう」
「上位の命令に下位が従う社会なのか? 俺たちの社会と大差ないな」
「その一面は確かに似ているかも知れません……けれど上位も下位も頭のきれは優れていないようです」
「……奴らはバカなのか?」
そういって、慶介は、獣鬼子と半神児のペアへ目を向けた。
立ち止まっていた獣鬼子と半神児がアスファルトの道路を温泉街の方へ向かって歩きはじめた。
千里も、その背中を見て、
「山頂に向かっていた私を見つけた半神児が、獣鬼子に命令したのでしょう。
なんと命令したのはわかりませんが、何れにせよ、獣鬼子はその命令に失敗しました」
「えっ!? それじゃ、こういうことかよ?」と隼馬。「山頂で復活した獣鬼子は、下山してくる途中で俺たちを発見できなくて、半神児に取り逃しましたって報告したのか? 半神児はそれに納得して、再度探索することもしなくて、俺たちが潜むスキー場をあとにしている? 危機管理能力、皆無でしょ」
隼馬はスキー場から立ち去って行く半神児を眺めて、真顔でいった。
「あいつ、バカだぞ」
「結構じゃない。そのほうが私たちに都合がいいわ」
美沙のことばに、隼馬は妙に共感して「それもそうか」とうなずいた。
その傍らで半神児を眺めていた慶介が、千里にいう。
「奴ら温泉街の方へ向かっているようだし、尾行しよう。ここにいてもはじまらない。
尾行しながら昔話をきかせてくれ。神児や湯田のことについて、いろいろと」
「わかりました。では急ぎましょう。半神児を見失います。知能は人間に劣っていますが、身体的能力は神児たちのほうが何倍もありますから」
千里は慶介たちの先頭に立って歩み出した。
夏の空には金環の太陽が昇っている。