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無題シリーズ

無題4

作者: 中原恵一

どうしてこんな作品を書いてしまったのかが分からない。

それは、まったくもって突然、私は「堅あげポテト」が喉に突き刺さったせいで正常な声を失った。


 友達と一緒に公園にピクニックに来ていた折――、

もとよりその名の通り堅い、ということを売りにしている堅あげポテトは私の大好物だったが、その大好物を食べている最中友達が話しかけてきたせいで、私はあまり噛み砕かないまま比較的大きな塊を飲み込んでしまった。


 結果――それはいとも容易く私の咽喉を突き破り、声帯に回復できないほどの致命的なダメージを与えた。

 男性なら喉仏のあるあたりから溢れだす血をただ呆然と、指で触って取ってみたときの感触は忘れない。まるで赤いボールペンが割れてインクが飛び出したときのように、滴る血は鮮やかな赤色をしていた。


 救急車を呼んで、私はすぐさま病院に搬送された。

 手術することになったが、あの時の友達の顔が忘れられない。

 最初は気の毒そうな顔をしていたが、状況を医師に伝えようとしたところで、今にも吹き出しそうな、笑いを必死でこらえている顔になったのだ。

 

 当然私は憤った。

 だがベッドにくくりつけられて声が出なかったので、その時はどうにもならなかったのだ。

 

しかし彼女のソレはその後始まる大いなる苦難の序章に過ぎなかった。


 手術の結果、私の喉は見事なまでに堅あげポテトが作り出した傷跡のせいで切り刻まれ、外からの見た目はほぼもとに戻ったものの、あれ以来私の声は以前とは似ても似つかないものになってしまった。

 犬のいびきのような、動物園にいるゴリラのうなり声のようなそんな声しか出なくなってしまったのだ。

 自慢ではないが昔から私は、容姿はそれほどでもなかったが、声が可愛い、と言われてきた。事実放送部に入っていたこともあり、将来はアナウンサーや声優を目指してみようかと考えたこともあった。

 でも唯一のチャームポイントだった私の声はケガによって消えてなくなり、同時に私の夢も跡形もなく崩れ去った。


 ガラガラな声のせいで、今の私は喋るだけで人の笑いを誘う。

 おまけに原因はポテトチップスを飲み込んだせいである。人に説明しようにも、経緯について言及すれば無責任な周囲の人々は失笑を禁じ得ない。

 通っていた高校ではクラスメートや教師、たまに訪れていたフィットネスクラブでの知り合い、そして家では両親や兄弟までも私の敵になった。


私の境遇はこんなにも悲劇であるのに、原因が堅あげポテトであるというただ一点のせいで私の人生は一転して体の悪い喜劇に化けてしまうのだ。


 気が付けば私は幻聴が聞こえるようになった。


 ある日私はいつものように朝食を食べ終わるとバスに乗って学校へ向かっていた。


するとまずバスの車掌が私に向かって「堅あげポテト」と言った。

ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべる彼を無視し、私は一番後ろの席についた。


すると、狭いバスの車内を歩く内に、隣に腰かけていた老婆や他の高校の学生たち、さらには主婦やサラリーマン、私を取り囲むすべての人々が例外なく、横を通り過ぎようとした時に「堅あげポテト」とつぶやくのだ。

私は怖くなって小走りに席について、一人目を瞑っていた。

どうなっているんだろう――。

不審に思って私が耳を澄ますと、周囲の全ての人々の会話が私の喉に突き刺さった堅あげポテトに関するものであるということに気づいてしまった。

車内にいた全員が全員、堅あげポテト、堅あげポテトと半笑いの声で私に向かって当てこすりを始めた。

最早私の耳の中では耳鳴りのように堅あげポテトという単語だけがワンワンと鳴り響き、たまらず私は次の駅で定期を機械に押し当ててバスを飛び出した。


だが、外に出れば大丈夫だろう、と思ったのも甘かった。

学校につくと、すれ違いざまに隣のクラスの男子や普段優しい体育の先生までもみんな「堅あげポテト」の大合唱をはじめるのだ。


このままでは頭が狂ってしまう、でも授業には出なきゃ、そう思った私は教室で席につくと突っ伏したまま耳を塞いだ。

 朝のホームルームが始まればみんな黙るはずだ。

にも関わらず、黙ってじっとしていても、目立たないように息を潜めていたつもりでも、堅あげポテトという声は蝉の鳴き声のようにどこからともなく漏れ出して私の耳に入ってくるのだ。それほどまでに私は何もしなくても注目を集めていた。

授業が始まると今度は教室に入ってきた先生が開口一番に、

「今日は、学校に来る前に堅あげポテトを食べてきたんだ。おいしかったなぁ」

 などと、私の感情を一切無視した前口上を並べ立ててから話し始めるのだ。


もう限界だった。


「ぁあぁああああぁっっあっあああぁっぁぁぁあああああああぁぁぁあああああああああっっっっっっっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


 授業中、何の前触れもなく精神異常者のように――もう既にそうだったのかもしれないが――叫びだした私は、教室のドアを思い切り文字通り蹴倒すと、上履きのまま高校を飛び出してなぜか駅へ向かって半狂乱になりつつも走り出した。


 もう誰も私のことを無視してくれない。

 思春期の自意識過剰もここまで来ると、半ば常軌を逸脱している――というか、もうそういう次元の問題では済まされないまでに問題は深刻なレベルに達していた。


 とにかくあの日、全国ニュースでも取り上げられたのが、私は目に入ったコンビニやスーパーに駆け込むと、般若のような形相で「堅あげポテトッッッ!!!!」と絶叫しながら手当たり次第に店内に陳列されたポテトチップスの袋を引き裂き、床に散乱するポテトチップスを踏みつけながら、暴走を続けた。ちなみに私が手にかけた商品の中には、堅あげポテト以外にもカルビーかっぱえびせんや湖池屋ポテトチップスのりしお・うすしお、さらにはピザポテトやセブンアンドアイホールディングスが製造した廉価のポテトチップスなども含まれていた。


最終的に店員や警察官が私を羽交い絞めにするまで、およそ二時間以上にわたって私は駅周辺の食料品店を荒らしまわった。

被害総額は推定十万円相当。ポテトチップスの単価が精々、高くても百五十円程度であるからして、これはつまり累計六百個以上に及ぶポテトチップスが消費者の口に運ばれることなく破壊されたことを意味している。

これだけでも軽犯罪史上類を見ない、凶悪な犯行であったことがうかがえるかと思う。


 警察は私を手錠にかけてパトカーで連行すると、ポテトチップスなど絶対に手に入らないような冷たい留置所の中に私を放置した。


 終わった――。


 私の人生は終わってしまった。

 アナウンサーになる夢も、声優になってチヤホヤされたいという乙女の妄想も、全て泡のように消えてしまった。

 冷え切った留置所のベッドで眠りにつきながら、私は一人大粒の涙を流した。


 留置所で完全に一人になった私に心配になった家族や友達が面会に来たが、彼らの声は最早届かない。

 なにせ私の耳に入るすべての声はもう、「堅あげポテト」にしか聞こえなくなっていたのだから。私はガラス越しに発狂したように暴れまわり、職員に取り押さえられるのが常だった。


 結局、当局は私への対応に困り果てて、ある男を私の下へ送り込んだ。

 

 ある日彼は突然、私のもとに現れた。


警察庁から特別に派遣された交渉人だった彼は、特殊な任務――すなわち、「私の頭から堅あげポテトに関する固執的な妄想を切り離す」――を課されていた。


彼が抜擢されたのは他でもなく、彼の妻がかつて強盗に大根で撲殺されたという凄惨な過去による。つまり彼こそ、私の心情を誰よりもよく理解するのではないか、という希望的観測によったのだ。


私ははじめ半信半疑だった。

なにせ刑務所にいるすべての職員の言葉が「堅あげポテト」に聞こえるようになっていた私にとって、状況を受け入れる以外の選択肢はなく、とうに諦めていたからだった。


ある日、私は面会室に連れて行かれ、そこで男に出会った。

三十代前半と思われるその男は茶色いコートを着たハードボイルドな出で立ちで、私は不覚にも少しカッコいいと思ってしまった。

 しかし彼もまた大根によって哀しみを背負い、ふろふき大根やけんちん汁に入っている大根を見るだけで吐き気を催すという奇病、あるいはPTSDによる精神疾患と長年戦ってきた人物でもあった。


だが私は、彼が言葉を口にしようとした時、思わず耳朶を両手で覆ってしまいたい衝動に駆られた。


どうせ、彼もきっと、「堅あげポテト」とささやきだすに違いない。


だが次の瞬間、私は驚愕のあまり震えてしまった。

不思議と男の唇から発せられた声は「堅あげポテト」に聞こえなかったのだ。


なぜ、だろう――。

彼の言葉の内容までは思い出せないのだが、温かみを持った言葉だった、ということだけは記憶している。


第一回目の面会は大成功におわり、私は以来彼と話しているときだけ落ち着いて話し合いを進めることができるようになった。

私はそれから彼とリハビリを続け、順調に回復し、一年後には彼と一緒なら社会生活を送ることができるようになった。

相変わらずマスコミは鬱陶しかったし、たまにポテトチップスを見ると「堅あげポテト

……」という囁き声が聞こえてきそうにもなったが、私たちはめげなかった。


 ポテトチップスと大根というよく分からない取り合わせではあったが、私たちは誰よりもお互いをよく理解し合っていた。


そして――私が二十歳になった歳の四月、私は彼からプロポーズを受けて結婚した。


プロポーズの言葉は、彼が第一回目の面会で、憔悴しきった私を前にはじめて口にした言葉と同じ言葉だった。


「俺の大根、食べてみるかい?」


 ――恋に落ちる音、がした。


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