ウォーミングアップ
まずは軽めにいきましょう。
事件の発端は、夏期休暇に入ってすぐの事。
「イツキー、今暇? そうよね暇よね。暇だって言いなさい?」
突然の、双子の姉、イチの来襲だった。いつものように女王様然として、ノックもせずに俺の部屋へずかずかと踏み込んだ。あのな、双子と言えどもいい加減弁えてくれないか? 親しき仲にも礼儀あり、って言葉を知らんのか!
「ひ、暇だけど?」
なーんて、言える訳がない。
この世に強者と弱者がいるとするなら、それは丁度こんな感じなのだろう。
「それで、何?」
「これ。」
そう言って渡してきたのは、一枚の紙。その一枚以外にも、イチが紙束なるものを小脇に抱えていた。
「これを俺にどうしろと?」
「読めば良いのよ。校正ヨロシク、文学部!」
「何言って‥‥‥世に出る訳でもあるまいに。」
「出すから頼んでるんでしょ!」
「へぇ、出すんだー‥‥‥って、えええぇぇ! イチがー!?」
「良いから黙って読みなさい下僕。」
「すいませんでした。」
俺の双子の姉、イチは、学生でありながら、【自称】推理作家。作品が世に出てないから自称。
だが豪語するだけあって、そのロジック構築力には、目を見張るものがある。今まで書いては捨て書いては捨てを繰り返していたというのに、何故か突然今になって世に出すと言う。イチの行動は訳が解らない。
「は、や、く!」
「わ、解ったってば。」
「探偵さん、早く!」
「解ったから引っ張らないでくれよ、マリー。」
私は探偵さんの手を引く。現場は既に警察が調べた後で、やって来た私達が捜査の邪魔をされることはない‥‥‥はず。
「警察は自殺って言ってるわ。でも、私どうしても納得が行かないの。」
「犯人は絞り込めているのかい?」
「それは解らないわ。だって警察は何も教えてくれないんだもの!」
思わず声を荒げると、「まあ、そうだろうね」と探偵さんは呟いた。
「探偵さん、お願い。」
私は逸る気持ちを押さえ付け、探偵さんに懇願する。
「いいかい、マリー。私が出来るのは君の友達が自殺かそうでないかを明らかにする所までだ。犯人を裁くのは、私の本分ではないからね。」
「はい‥‥‥。」
「ちょっと待て。」
「何?」
「この【マリー】が語り手?」
「そうなるわね。」
「‥‥‥。」
「教えないわよ。手掛かりは全て、この中にあるのだから。」
まあそう簡単に答えるイチじゃないな。俺はさっさと諦めて、続きを読む事にする。
「発見されたのはいつだろう?」
「三日前くらいよ。」
今私の目の前にあるのは、事件現場を閉ざしている扉。警察の調査の後、鍵は掛けていない。
「あまり聞きたくはないが‥‥‥遺体は見たのかな?」
「私が一番最初に見たんだって。」
「第一発見者だったのかい?」
その言葉の返答に、首を縦に振った。当日見た事を思い出そうとする。
「首を吊っていて‥‥‥私怖かったからすぐに目を逸らしてしまったわ。」
「ではそんなに見ては居ないんだね。その日はどうしてここへ?」
「一緒に遊ぶ約束をしていたの。」
電話を貰ったのが、事件が起こる二時間位前だった気がする。
「時間通りに来たけど、いつもみたいに出迎えてくれなかったから、変だな、って思って‥‥‥勝手に上がらせて貰ったの。そうしたら‥‥‥。」
「成程、状況は解ったよ。さて、部屋の中を調べようか。何か出てくると良いんだが‥‥‥。」
そう言って、探偵さんは周囲を見回した。
「片付けられたりなどは?」
「そのままよ。」
私は天井から垂らされ、先が輪状になったロープが目に留まる。かなり高い位置にあり、手が届かない。その様子を見た探偵さんは、私の脇を抱えて持ち上げた。が、それでも届かない。
「君が納得行かない理由は良く理解できる。」
「そ、それじゃあ!」
「まだ断定は出来ないけれどね。鍵は掛かって居なかったのだろう?」
「ううん、掛かっていたわ。」
「窓もかい?」
「そうよ。だから警察は自殺だと思ったみたい。」
「み、密室‥‥‥?」
あろうことか密室だと?
これじゃ出入り出来ないじゃないか!
「どう? 解いてみたくなった? 解いてみたいって言いなさい!」
「校正するんじゃなかったのかよ!」
「それはして貰ってるわよ。精々矛盾が生じていないか見張っておくことね?」
つまり、どちらにせよ俺は意図せずこの「問題」を解く羽目になる、と言うことだ。
「そ、それはもっと早目に言って欲しかったかな‥‥‥。」
「ごめんなさい。あまり関係が無い事だと思って言わなかったの。」
まさか咎められるとは思っていなかった私は、地面を見ながら探偵さんに謝罪する。
「まあそれはいい。で、どうやって鍵を開けたのかな?」
素早く気を取り直した探偵さんが、閉められた鍵の解錠方法を訊いてくる。確か、あの時は。
「このアパルトマンの管理人さんにお願いして開けて貰ったの。」
「ん、知り合いなのかい?」
「知り合いと言うか、私が遊びに来る時、いつも管理人さんの目の前を通るから。」
管理人さんがどうかしたんですか? そう聞きたかったが、探偵さんは何やら剣呑な雰囲気で話し掛けられない。
「‥‥‥そうなると、遺体発見時は管理人も一緒だったのかい?」
「そうよ。警察に連絡を入れたのも管理人さんよ。」
どうやら管理人にも話を聞く必要がありそうだな。そう言った探偵さんは何を考えているのだろう。すごく難しい顔をしていた。
「犯人は管理人なのか?」
その言葉に、イチはニヤリと笑う。
「‥‥‥ま、話が進まないから答えてあげるけど、『これ以上の登場人物は存在しない』わよ。」
それはもう明白ね。と言ったイチは、フーダニット、その犯人を隠すつもりは毛頭無いらしい。
イチはここ最近で一番楽しそうにしている。そりゃそうだ。自分が作った謎が解けずに苛々している俺を見るのが楽しいのだろうから。
「この話で私が問うているのはハウダニットのみよ。」
ハウダニット。その犯行方法。
どうやらイチはこの話のトリックに、余程自信があるようだ。
答えてくれないと思うが、俺はもう一つだけ質問する。
「被害者の事だけど、」
「答えないわ。さっきも言ったけど、マリー同様『全部書いてある』もの。」
「‥‥‥。」
やっぱりな。声には出さず、一人ごちた。
「こんにちは、管理人さん。」
「マリーかい。こんにちは。」
「少しお時間宜しいですか?」
探偵さんは管理人さんに話しかける。管理人さんは特に気にする風もなく「ええ、構いませんよ」と答えた。
「彼女の友人が死亡した件を調べておりまして。」
「ああ、そうでしたか。いや、なんとも痛ましい。」
管理人さんは沈痛な面持ちを浮かべる。あの時何も出来なかった私には、警察を呼ぶことすらも考え付かなかったかもしれない。
「貴方も第一発見者だったそうで。その時の事をお伺いしたいのです。」
「何でしょう?」
「部屋の鍵を開けたのは貴方ですね?」
「ええ、そうです。警察にもお話しした通り、マスターキーで。」
「探偵さん、あの箱の中よ。」
私は壁に備え付けられたキーボックスを指差す。マスターキーしか入っていないので、キーボックスにしてはかなり小さい。
「キーボックスか。見せて頂いても?」
「ええ、どうぞ。」
中を開くとマスターキーが一本のみ。それを探偵さんが取り出す‥‥‥あれ、そう言えば。
「探偵さん待って!」
「え?」
ビーッ、と物凄い音が鳴るキーボックス。管理人さんは慌てて、探偵さんから鍵を取り戻し、キーボックスに戻した。
「鍵を取ると音が鳴るんですよ。防犯用なんですがね。」
「こいつは失礼しました。‥‥‥ん、‥‥‥。」
探偵さんが何かに気付いたのか、少しだけ沈黙を保った。
「探偵さん?」
「音はどの位まで届きます?」
「少なくとも、アパルトマン全体に行き渡るようには設計されています。」
「あの時も確かに鳴ってたわ。」
それを聞いた探偵さんは、それきり口を閉ざしてしまった。
「警察にも訊かれましたが、このキーボックスから鍵を持ち出されたのは後にも先にも一度きりですよ。」
「他の人にも訊いたけど、その日音は一回しか鳴らなかったって。」
「‥‥‥おい。」
「何かしら?」
イチを見るとしたり顔で惚けていた。
「これ、ちゃんと解けるんだろうな?」
疑念を口にすると、イチは鼻で笑う。
「そんな事私が言う必要あるのかしら? 無いわね。少しは自分で考えなさい。」
「大体、文章ここまでしかないけど。」
続きは無いのかと問うが、「そこで終わりよ」とハッキリ告げられてしまった。
「推理可能か? ‥‥‥はっ、問うだけ馬鹿馬鹿しいわね。時間の無駄よ。解答が用意されない推理小説ぅ? そんなもの推理小説とは呼ばないわ。あぁ、用意されていても見せない、っていうなら話は変わるけど。」
「‥‥‥。」
「手掛かりは既に出揃っているわ。管理人がどうやって殺人を犯し、密室を形成したのか暴いてみなさい。」
「マジかよ‥‥‥。」
手掛かりは存外に少ない。これは厄介だ。
‥‥‥え、全然軽くない?
うーん。
ではヒントを少し。
・語り手は「何者」でしょうか?
・扉の鍵を開けたのは「誰」でしたか?
・問われているのは密室の形成方法です。