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9 羽休め






「その首飾りの由来、知ってる?」

 それは青年のそんな言葉から始まった。



 ☆☆☆☆☆



 その首飾りはね、二千年もの昔にある細工師の男が幼馴染の女性に贈ったものなんだよ。

 舞台は西のアスリア大陸にあるポルメニア国。その地方の領の村に男と女性は仲良く遊びながら過ごしていたんだ。

 女性は村一番の美人でね、成長するにつれそれは益々磨きがかかっていった。やがて噂を聞きつけた近くの町からも見にくる人がいるほどだった。

 男は手先が器用な人で、趣味で細工物を作るようになってからできた装飾品は主に幼馴染の女性に贈っていたんだ。最初は子供のお遊び程度のひどい出来だったけれど、女性もまた喜んで受け取っていたんだよ。まあそこにお互い親愛の情はあっても恋慕の情はなかったみたいだけど。

 やがて男は村の工房に入り、鋳造の仕事をしながら細工物を作っていた。後に一人前の職人として細工師になる。それこそ細工が恋人って言われるくらい毎日毎日工房にこもって、遊びもせずに生活のほとんどを捧げていたそうだよ。それこそ村人達から変わり者の偏屈って言われるくらいに。

 そして女性はある日、村の近くを通った王子に見初められて王家に嫁ぐことになった。女性も喜んで愛妾として王宮で暮らすようになるんだ。

 王子はすぐに国王になって、女性はやがてその美貌で国王のとびきりの寵愛を受ける一番の愛妾になった。それこそ王妃をないがしろにするくらいにね。

 女性は村とは雲泥の差の暮らしに溺れた。毎日贅沢して国王に高価なものをねだっては色々な物を貢いでもらっていたんだって。その中でも特に熱心だったのが装飾品の収集だね。宝石と細工物には目がなかったらしいよ。

 女性に手に入らない物はなかった。女性は自分の美貌こそが一番の武器だと知っていたから、美貌を保ち続ける努力だけは怠らなかった。時には怪しい商人の勧める高価な薬とやらにも手を出したりもした。国費を浪費し続ける女性に、それでも国王は全てを許して好きにさせていた。これもひとえに女性の虜にされていたせいかな。

 ある年のある日、女性の誕生日が近くなると女性は国中の貴族達に有名な一流細工師の装飾品だけを要求した。プレゼントを装飾品に決めてそれぞれがどんな粋を凝らした物が出てくるかを比べて楽しもうとしてたんだろうね。

 女性に気に入られれば、それはそのまま寵愛している国王陛下のご機嫌取りにも繋がっていい印象を与えられる。当時はもう大騒ぎだったそうだよ。

 そして、その職人の中にたった一人だけ無名の細工師がいた。そう。女性の幼馴染の男だよ。

 女性は成長した幼馴染がどんな素晴らしい物を贈ってくれるのかとても楽しみにしていたそうだよ。一流の細工師達までとは言わないものの、国王の寵愛を一身に受ける自分にさぞ相応しい一品を作ってくれるに違いないと。

 あ、君は実物見ちゃってるから分かると思うけど、そうだね。その首飾りは宝石こそ珍しい物ではあるけれど、細工自体は取り立てて華美とは言えないね。言ってしまえば地味だ。ちょっとした街ならすぐに埋もれてしまうくらいに。

 女性の誕生日になって、国中から一斉に豪華絢爛な装飾品が次々に贈られてきた。贅を競った装飾品の中、幼馴染が贈ってきたのは完全に期待を裏切られた素っ気無い首飾り一つ。

 女性は激怒したよ。そりゃあもうひどい有様だったそうだ。

 で、激怒した女性は幼馴染に首飾りを突っ返した挙句に絶縁を叩きつけて、一切の交流を絶ったそうだ。もちろん国王陛下のお気に入りの不興を盛大に買った男は周りからも避けられ、仕事を干されてしまった。けど男はそれでも変わらず、平気な顔をして日々細工物に向き合って貧しい生活をしていったんだって。いやぁ、この話聞くたびに格好いい職人魂を感じるよ。これぞ頑固職人、仕事一徹、男の道ってね。あ、君にはちょっとこのロマンは分かんないかな。あはは。

 そしてますます贅沢な日々を暮らす女性だったけど、ある日顔に大火傷を負ってしまい、その美貌は見るも無残に失われてしまったんだ。

 これにはいくつか諸説あってね、当時女性の浪費癖に国が傾くのを危惧した大臣が命をかけて一計を案じた説とかまことしやかに囁かれたそうだよ。

 で、手厚い治療を受けて一命を取り留めたものの、その美貌は戻る事はなかった。神官の癒しでもダメだったそうだから、本当にひどかったんだろうね。

 女性は国王から見向きもされなくなって、結局は追放されてしまった。

 ん? そうだね、確かにアスリア連合国の第一アスリア国には代々伝わる巨人の秘宝の一つ、酒樽がある。あれなら女性も完治しただろうけど……何故与えられなかったのかは伝わっていないんだ。王同士の不仲説、財政難説、王妃陰謀説と諸説あるけれど。うーん、元々あれは使う人の命を、王の命を削るっていう伝説があるから使うまでの価値がないと判断されたのかもしれないね。

 話を戻すね。女性は他に行く当てもなく泣く泣く生まれた村へと戻ってきた。帰ってきた娘を両親もまた追い出したそうだ。国王陛下に嫌われた厄介の種なんて御免だってね。今までずっと女性が王宮にいた頃はいい思いをしていたのにね。

 けど、そんな彼女を黙って受け入れたのが幼馴染の細工師の男だった。

 女性が途方に暮れていた時に男に声をかけられて、手酷く扱った過去もどこ吹く風と「なにをしている、とっとと入れ」と言って半ば無理矢理連れ帰ったって。

 元愛妾の女性を純粋に心配して家に置いた幼馴染の男は、再び村人から白い目で見られて村八分にされてしまったけれど、やっぱり黙々と細工に没頭する毎日で気にすることはなかった。逆に女性が居心地悪そうに何度も問答を繰り返していたくらいだった。

 最後に女性はこれまでの行いを悔いて泣きはらした。そして女性と男はまた昔の幼い頃のように暮らし始め、女性はかつて男につき返したプレゼントの首飾りを残る一生の間ずっと身に付けて男の傍で静かに支えながら過ごしましたとさ。

 これでこのお話はお終い。



 ☆☆☆☆☆



「そして現ポルメニア国の国王はこの女性の血筋の子孫なんだよ。すっごいでしょー」

「あれ? 話に子供なんて出てきた?」

「あ……ん、ごめんごめん。飛ばしちゃったか。あのね、実は女性の王宮時代に王子と王女が生まれてたんだ。二人は王族として女性から取り上げられて王宮に残された後、王子が2代後に王になったんだよ」

「そう……王族なら仕方ないわね。でも私なら子供と引き離されたらすごく悲しい。あ、でも好きな人っていうわけでもなかったのかな。うーん」

 根本的に箱入り娘で、まだ恋に夢見がちな13歳の少女の感想に青年がこっそり口の中で呟く。

「うーん、若いね。可愛いなぁ」

 ロリコンではない、と思う。念のため。


 焚き火の中で木の枝が大きく爆ぜる音がした。

 現在青年と少女の二人は山中行軍中。岩石の転がる道なき道をひたすら登った先には高原が広がっていた。なだらかな斜面には草花が一面に広がっており、高所故の気温の低さもあっていまだ所々雪が残っている。じきに陽が沈もうとしているので、二人は適当な場所で辺りが暗くなる前に野宿の準備を始めた。

 そして今、夕日を眺めながら焚き火を囲んでいる。

 目の前には2mを越す巨大ウサギを解体した肉の一部と毛皮と角がある。移動中に襲い掛かってきたところを返り討ちにしたC級モンスター『ヴォーパルラビット』である。

 前頭部にある角と凶悪な切れ味を誇る門歯は一般人を一撃で真っ二つにする。オマケに剛毛の毛皮は刃が通りにくいわ、発達した後脚による跳躍力は凄まじくその巨体で50mを一瞬で詰めるわで、正規の訓練を受けていない騎士なら手ごわいことこの上ない。

 少女はその相手をなんとか2撃目で屠った。突進のタイミングを見切り、直進しかできないそれに横から衝撃を当てて転がした所で柔らかい腹を斬った。

 幸い近くに流れる小さな水場があったのでバラして血を洗い流し、持てない分は山の住人に食われるにまかせた。

 この世界には社会に害を及ぼす影響度としてランクが存在する。無害なFランクから世界滅亡レベルの3A+までの9段階。C級は正規騎士レベル。魔獣の中でも手ごわいランクで、もはや超人の身体能力を誇る騎士でしか相手ができない。

 故に基本的にC級モンスターが出てくる所は何の力も無い一般人が寄り付くことはない。だからここまでの道中では青年と少女以外まったく人の姿を見かけなかった。

「まだ焼けるまで時間かかりそうだな」

 青年が火の調節をしながら言った。

 肉が炙られ、脂が音を立てて地面に落ちる。平らな石の台の上には途中で採ってきた香草と果物が並んでいた。

 一方少女は火を眺めながら、やや緊張しながらとある悩み事に没頭していた。

「な、名前を改めて聞くにはどうやって切り出したらいいんだろう」

 ……えーと。

 はい。過去に遡ってみると、一度青年は少女に自己紹介をして名前を告げていた。が、少女はスルー。青年の名前を左から右へと流し、自分の名前を教える事もなかった。この事からも、二人が出会ってからずっと少女の青年に対する扱いの程が知れよう。

 だから現状ずっと、少女は青年の事を「あなた」と呼び、青年は少女の事を「君」と呼んでいる。

 だが、最近少女に僅かばかりの心境の変化があり、そういえばお互い名前を知らないと思い至ったわけである。

 少女が名前を聞こうと決意して早3日。少女はなんとなくバツの悪い思いを抱えたまま、未だに切り出すタイミングを掴めずにいた。

 なんというか、つくづく難儀な少女である。

「さりげなく名前を呼んで、間違いを指摘してもらおうか。けど一文字も合ってなかったらどうしよう。

 それとも私から自己紹介して、いっそ正直に謝ってしまおうか」

 表面はすまし顔、けど内心頭を抱えてうんうん唸ってる少女に気づくことのない青年は鼻歌まじりに焚き火に燃料を放り込んでいた。

 そしてふと青年が顔を上げて言った。

「そうそう。さっき燃える物探してたら向こうに大きな雪解け水の泉があったよ」

「ほんとっ!?」

 身を乗り出して目を輝かせる小さな少女に青年はやや驚いて仰け反った。

 少女はそんな青年の顔をみて「あ……」と己の失態に頬をわずかに赤く染める。慌てて乗り出した身を戻し、ごまかす様に一度咳払いをする。

「そ、それで綺麗だった?」

「ああ、うん。そうだね。大丈夫そうだったよ。水もまた補給できたし」

 その言葉に途端にそわそわしだす少女。

「じゃ、じゃあね、ちょっと水浴びしてきても……いい?」

 チラっと上目遣いで青年を窺う少女。

「うん。僕の事は気にせずに行ってくるといいよ!」

 とびきりの笑顔だった。

 そしてあからさまに不自然な明るさだった。

 そんな青年を少女は見つめて、その心の奥に潜むやましさを見抜こうと――

「ありがとう!」

 ――見抜こうともせず、少女は満面の笑顔で手早く用意を済ませて勢い良く奥へと消えていった。

「あ、あれ?」

 一人残された青年は風のように消えた少女に咄嗟に伸ばしかけた行き場のない手を見やる。文字通り、制止する間もなかった。

「ここは怪しむ場面じゃないの……? それか覗かないよう釘をさすとか……」

 青年の中では疑う少女が安心できるよう、108通りの受け答えを一瞬でシミュレートしたのだが、少女にはその上を楽々跳び越していかれた。

「これは……信用されているっ!?」

 背後に雷鳴でも轟かせる勢いで青年は恐れ慄いた。

「く、なんだこの気持ち。まるで泥沼が太陽の光に照らされて一瞬で清水に変わってしまうような感覚……これが聖光?」

 違います。

 そして今、青年の心の中では大会議開催中であった。議題は純真な少女について。

「いいか、絶対に泉に行くんじゃないぞ!」

「そうだ! あんな顔をしてくれたあの子を裏切る事は許されない!」

「ハっ、何いい子ちゃんぶってんだよ。バレなきゃいいんだよ、バレなきゃ」

「正直になっちまえよ。お前らも青い果実を見てみたいんだろ」

「いや、さすがにあの見た目はアウトだろう」

「そもそも僕はあの子をそういう欲情の目で見たことはない!」

「うん。だよねー。確かに可愛い子だとは思うけど、大体なんで君達はそんなに乗り気なの?」

「なぜ、だと? 本当に分からないのか?」

「なぜなら、それは」

「スリルと冒険。男のロマンだからだ――!」

「……!!」

 会議は踊る。いつまでも。


 一方、水浴びにやって来た少女はといえば。

「んー、冷たくて気持ちいい。髪も洗えるし、嬉しい」

 長旅で汗と血と汚れまみれになった旅装束を全て脱ぎすて、爪先からそっと入っていった。

 腰まで水につかり、手で水をすくい上げて腕や体にかけていく。それから飛び込むように泉の中へと身を投げ出した。

 透き通るように綺麗な泉は水の中でも少女の身体を隠そうとしない。

「そういえば、いつの間にか変な痣ができたな……」

 長い髪を丁寧に洗いながら、わずかに眉を寄せる。

 橙色の痣だ。何かの花ようにも見える。気が付いたらわずかにふくらんでいる左胸あたりにできていた。少なくとも屋敷を出る前の旅装束に着替えた時には無かった。

「まあ、じきに消えるでしょう」

 水の滴る腕と手で髪を絞り、またゆったりと水の中へ身体を沈ませた。

 周りに誰もいない静かな泉に時折水が跳ねる音がする。

 そこには魚のように水と戯れる年相応の少女がいた。


 少女が上機嫌で戻ってきた所、青年は何故か精魂尽き果て真っ白になっていた。

「ただいま。どうしたの?」

「おかえり。うん。ところでちょっといいかな。君はもうちょっと男というものについて勉強すべきだと思うんだ」

 よく意味が分からない少女は首をかしげただけだった。



 ☆☆☆☆☆



 翌日は豪雨となり、夜になっても止まなかったため二人は丸一日足止めされる事になった。

 雨の中、二人は冬眠から目覚めた後のクマのほら穴で服を洗ったり道具の手入れをしたりしながら他愛の無い雑談を交わす。

 結局少女は今日もまた名前を聞きそびれていた。







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