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8 崩れ落ちゆく世界、そして

今回のシーンのためだけにつけた残酷描写指定とR15がようやく大活躍の回です。

ご注意を。






 屋敷の離れで待機しつつ長旅用の装束に着替えていた少女と従騎士の青年トーマスは不意のガーデニア伯爵の来訪の報せに大きな不安を抱えながらじっとしていた。

 やがて本館からけたたましい爆裂音が次々に鳴り響くに至って、少女はトーマスの制止を振り切って勢い良く駆け出していった。

「お母様! お母様!」

 中庭を通り広い屋敷を走る。通路に炎が溢れてきたが、構わずに突っ切っていく。

 既に先ほどまで聞こえていた派手な音は鳴り止み、屋敷が炎で焼け落ちていく音だけがする。少女の胸に焦燥感が少しずつ少しずつ積もっていく。

「どこ、お母様!」

 平常心などとうに崩れ、ちぐはぐになった頭と体の動きは無駄に大きな消耗となる。炎と煙が満ちつつあるこの場所ではなおさらだ。短い距離ながら騎士としての鍛錬を積んでいるはずの少女は既に息を切らしていた。

「お母様!」

 それでも足はスピードを緩めることはない。胸元で揺れる首飾りが乾いた音を立てている。

 どんどん煙が濃くなっていく。

 ホールへと続く扉が現れ、半ば突き破るように開け放った。

「お母様!」

 かつて来客を迎えるべく荘厳な調度品で整えられていたホールは、今や巨大な竜が暴れまわったかのようにあちこちが破壊されていた。

 その壊れたホールの中央にたくさんの人が集まっており、その付近に3つの焼身死体が転がっていた。

「おや、これはこれはお嬢様ではありませんか」

 その内の一人、ガーデニア伯爵が少女に気づいてにこやかに笑いかけてきた。

「あ……」

 しかし少女は何も聞こえず、何も目に入らなかった。

 心臓の音がひどく大きく聞こえる。肉と脂肪の焼けた臭いがする。

 中央で固まっている人たちの中に少女の捜し求めていた母がいた。

「お……かあ、さま?」

 背から数本の太刀を生やし、胸や腹に突き立てられた二人の親衛隊の太刀によって宙吊りにされている華奢な母。その足元には大きな血溜まりが広がっている。

 母のお気に入りだった白と青のブラウスドレスはあちこちを切り刻まれ、赤い染みを作っている。

 その手は力なく垂れ、娘の声にも何も反応はない。

 光を失った瞳は何も映さず、虚空を見つめるのみ。

 血まみれのその姿であって、しかしその顔と髪には一切の傷がなく、それゆえに一種の背徳的な絵画のようだった。

「ええ、あなたのお母様ですよ。このお顔を御覧なさい、実に美しい。この後首を斬り離して防腐の処置を施し、私の部屋で秘蔵のコレクションとして永遠に愛でられるのです」

 興奮しているのか、嬉々として母の辿る末をその娘に語るガーデニア伯爵は傍目からもはしゃいでいるようだった。

 その手が愛撫するようにミラルダ夫人の顔を優しく撫でる。

 母の太刀は無残にも真っ二つになり、脇に転がっていた。

「…………あ」

 少女の瞳が大きくわななく。

 心臓の音が激しく乱れ、全ての音が遠ざかる。

 その心の中は壊れたように繰り返される言葉で埋め尽くされた。

 分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない。

 いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ。

 かあさまかあさまかあさまかあさまかあさまかあさまかあさまかあさまかあさまかあさまかあさまかあさまかあさまかあさまかあさまかあさまかあさまかあさまかあさま。

 どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして。

 ――ヨクモ。

「ああ、あ……」

 ――ユルサナイ。

「ああああああああああああああああっっっっっっ――――!!」

 そして感情が暴発した。

 真っ白になった頭で少女は飛ぶ。真っ直ぐ、ガーデニア伯爵に向かって。その目と太刀の切っ先はただガーデニア伯爵だけを捉えていた。

 それはまさに稲妻だった。

 瞬間的にこの場にいる誰よりも強大な闘気を迸らせ、それを身に纏って飛んだ少女は音速の域に達していた。いくら超人的な身体能力を誇る騎士といえど、音速の域に達せられるのは決して多くない。それこそ銀盾勲章持ちの英雄たるガードナー侯爵級の領域だ。

 それを10歳を僅かに越えた小さな少女が体現する。

 その服の下では騎士の証たる黒点が左上腕部に浮かび上がり、そこから無数のツタのような黒い触手が凄まじい勢いで伸び、複雑に絡み合いながらその身体を覆っていった。

 この黒い触手は騎士の力を表すと言われている。絡み具合の緻密さは力の質を、そして規模は力の出力を表すという。

 騎士として正規以上の訓練を受けた目の前の親衛隊ですら体の四分の一も覆うことはない。そして少女のそれは緻密さこそ大雑把ではあるが、体を覆った規模は半分以上。

 少女の激昂に反応できたのはガーデニア伯爵の周りを固める親衛隊でも2人だけだった。いや、2人もというべきか。

 一人は咄嗟に太刀を振るって少女を切り伏せようとするが、その刃は少女を捉えることなく空を切る。

 もう一人は少女と主人たるガーデニア伯爵の間に割り込もうと動くが、少女の音速を越えた突進に伴う衝撃波によって容易く弾かれた。

 ガーデニア伯爵の親衛隊の面々が顔色を変えるも全てが遅すぎる。

 もはや障害はない。

 凶刃と化した少女の太刀がガーデニア伯爵へと迫り――しかし不可視の力の盾に阻まれた。

「ふう。これは危なかったですね」

 止まった少女に目を見張りながらガーデニア伯爵が息をついた。魔法により騎士と同等の反応速度を得た彼は、初撃を使い魔が生み出した盾でかろうじて防いだ上で止まった少女の全身を二つ目の魔法で押さえつけた。

 少女は今にも太刀を突き立てようとする姿のまま身動きがとれなくなっている。

 その伸ばした太刀の切っ先は今なおガーデニア伯爵の目の前で小さく揺れていた。

 ――よくも、お母様を。

「む?」

 少女の体が小刻みに揺れる。

 押さえつけている不可視の力の拘束が軋みだす。

 少女の瞳には激しい炎が燃え盛っていた。

 ――お母様を返せ。

「な、な――に」

 それに対してガーデニア伯爵の顔に驚愕と焦燥が少しずつ表れる。

 少女の抵抗する力が跳ね上がり、ガーデニア伯爵は押さえつけている力を限界まで振り絞るも、それを一蹴するかのように更に少女の抵抗は加速度的に激しくなっていく。

「お母様から手を放せ――!」

 遂に少女の力が不可視の力を上回り、太刀が僅かに押し進む。

 その切っ先がガーデニア伯爵の右目へと埋まってゆき、腕を伸ばしきった所で止まった。

「イッ、ガアアアアアアアアアアアアア!!」

 喉から振り絞るような悲鳴がホールに満ちる。

 少女を拘束する不可視の力が途端に消え、次の瞬間にガーデニア伯爵を中心とした不可視の力が無秩序に爆発する。

 少女は太刀を握り締めたまま吹き飛ばされ、周りの親衛隊もまた弾かれた。

 その衝撃で少女の母も床に投げ出される。

「小娘ぇ……よくも、よくもこの私の目を……!」

 悪鬼の形相と化したガーデニア伯爵は右目を押さえ、残った左目で少女を睨み付ける。抑えた右手から一筋の血が垂れていった。

「許さん、許さんぞ……」

 激痛に体が縛られ、動けないガーデニア伯爵の手が激しく床を掻きむしる。

 一方少女は強く打った体をおして立ち上がる。そして太刀の先端に付いた血と眼球のゼラチンを見て再びペタンと座り込んだ。

「あ……わた、し?」

 力なく呟き、手の中の太刀とうずくまるガーデニア伯爵とを何度も視線を往復する。その少女の姿には先ほどまでの激情と熱はなかった。

「ころしてやる……!」

 届いてきた呪詛に少女はビクッと小さく体を震わせる。

 慌ててガーデニア伯爵へと駆け寄る親衛隊の面々。そして親衛隊の2人が少女を拘束せんと警戒しつつ歩み寄って来る。

 少女はそれをただ呆けたように見上げるだけで動こうとしない。既に身体を半分以上覆っていた黒い触手の紋様は収まり、黒点も消えていた。

 抵抗の様子を見せない少女に暗い笑みを浮かべるガーデニア伯爵。自分が受けた激痛をどう返してやろうと思いふけろうとした時、少女の後ろから一つの影が颯爽と飛び出してきた。

「お嬢様、立って!」

 影は少女に向けて叫び、少女の前にいた親衛隊へと襲い掛かる。勢いのまま抜刀した斬撃は、慌てて太刀を構えた親衛隊2人を力任せに押し飛ばした。

 壮年の騎士であり実力を認められて選ばれた名誉ある親衛隊2人は、見た目未だ若い青年の一撃に咄嗟に抗うも力負けした上でホールの壁へと叩きつけられた。

 それを見たガーデニア伯爵周りの親衛隊らの空気が張り詰める。いかに少女の母との戦闘で疲弊していたとしても、目の前の青年の力量は侮ってかかるべきではないと認知された。

「トー……マス」

「立って、逃げろ!」

 鬼気迫る顔で親衛隊と切り結ぶのは少女を追ってきた従騎士の青年トーマスだった。

 トーマスは更にガーデニア伯爵へと踊りかかり、しかし残る6人の親衛隊に阻まれる。

 自分に注意を引き付けるべく執拗にガーデニア伯爵を狙い続けるトーマスに親衛隊は完全に翻弄されていた。

 上段からの親衛隊の斬撃を受け流しつつ、その隙を突こうと背後から迫る二人の刃を軽やかなステップで回避。決して足を止めることなく次々と激しい攻撃を繰り出しては、少女へと向かおうとする者の動きを封殺し、或いは牽制も兼ねてガーデニア伯爵をその殺傷圏内に捉えようと肉薄する。

 暴風と化したトーマスはたった一人、小さな妹のように思う少女をその背にかばって薄氷の死線にとどまり続けた。

「逃げるんだ!」

 次第に血に濡れていくトーマスの怒声に少女は一度身をすくめ、それからのろのろと体を起こす。

 血涙を流してうずくまっているガーデニア伯爵、8人の騎士相手に一歩も引かない鬼神のごとき奮戦をみせるトーマス、そして最後に何も映さない瞳で床に投げ出されている母を一度見渡し……背を向けて外へと駆け出した。

 煙に巻かれたホールを出ようと扉をくぐった時、後ろから雷鳴の如き叫びが少女を貫いた。

「逃がすな! 生死は問わん! あの小娘を私の前に引きずり出してこい! 絶対に逃がすな!! 必ず殺してやるぞ小娘がっ!!」

 死と炎と呪いと家族とが残された屋敷を後に、少女はひたすらに足を動かした。

 未だ耳に残るのはトーマスの「逃げろ」という声。そして鬼面となって背にまとわりつくガーデニア伯爵の不吉な死の宣告に心の内で耳を防ぎながらただひたすらに逃げ出した。


 走る。

 ――逃がすな!

 走る。

 その声が耳の奥にこびりついて離れない。

 ――私の前に引きずり出してこい!

 走る。

 いつまでも、いつまでも彼の声が付いてくる。

 ――必ず殺してやるぞ小娘がっ!!

「――っ!」

 どれだけ走ったのだろう。駆け上っていった先のもはや道無き森の中で少女は息を切らせて足を止めた。未だ森を抜けていないことからさほど離れたわけではないようだ。

「お母様……トーマス」

 震える手で太刀を拭い、納刀する。そのまま両腕で自らの体を抱き、膝から崩れ落ちた。

「ぅっく……いやぁ」

 歯の鳴る音がする。

 生まれてから今までの13年と少しを病弱な母と一緒に静かに暮らしていた少女。両親とトーマスと侍従長で祖母のようなムーラと屋敷の使用人のみんなと優しく過ごした日々。そんな少女にとってこのわずかな間に襲い掛かってきた現実は悪夢としか言えなかった。

 もはや帰る家もなく、傍には誰もいない。

「どうしよう……」

 鈍くなった頭でふと考える。

 トーマスに叱咤されるままに逃げ出したのはいいが、これからどうすべきなのか。どこに行くべきなのか。

 少女は自分の家の中とこの近場の森しか知らない。ほとんどろくに町や村にも行ったことがない。外界はほぼ全て本と人の話の中のものでしかなかった。

 着の身着のままで旅装束といくつかの装飾品、そして太刀を一振りぶら下げて飛び出しただけの少女は今初めて広い世界で一人ぼっちという名の恐怖を覚えていた。

 母の事は無意識に考えようとしなかった。あれは幼い心には重過ぎる光景だ。思い出してしまえば自分を見失い、潰れてしまいかねない。だから少女はこれからの事だけを考える。

 もはや既に少女という小さな杯に注がれた悪夢の真っ赤なワインはその縁まで満たしていた。

 そこへ、更なる小さな揺れが加わる。

「お。またまた生き残り見ーっけ」

 声のした方に座り込んだままの少女が慌てて顔を向けると、そこには鎖を編んで作られるチェインメイルを纏った3人の大人の男達がいた。

「……え?」

 彼らを見た瞬間、少女の頭が真っ白になった。

「なあ、こんな小さな娘だぞ。見逃してやれないか?」

「お前、それを隊長に言ってみるか? ブチ殺されるぞ」

「これも仕事仕事。見逃したのがバレたら俺まで罰っせられるだろうが。そんなのはヤだぜ」

 恐らくはガーデニア伯爵が屋敷の人間を討ちもらすまいと敷いた包囲網の内に放たれた猟犬用の騎士であろう。今回の戦で敗者となった国王派を狩っていく彼らは無論少女にとって命を脅かす敵だ。

 しかし少女の心を張り裂いたのはそんな事ではない。

「ああ、そうか。ここでこの容姿、この年頃の女の子と言ったら……今回の索敵でも最重要のターゲットの一人しかいないじゃないか」

「ん? どーいう事だよ?」

「お前、覚えてないのか……この子は総騎士団長の娘の可能性が高い。娘と妻と従騎士の青年の3人は要注意だと索敵に出る前に教えられただろう」

「あー。なるほど。そういやそんな話だっけか。確か報奨金もがっぽりもらえるんだっけ。ん。となるとますますコレを逃がすわけにはいかねーな。見つけたらどうするんだっけ?」

「妻と従騎士は騎士なので見つけ次第報告し足止め。従騎士は殺しても良い。娘は……騎士の可能性があるが、騎士でなければその場で捕縛。もし騎士なら……可能なら生け捕りで、無理なら斬り捨てても構わないそうだ。その3人以外は全てその場で処分」

「そういうことだ。ああ、まったくクソッタレな巡り合わせだ。他の2組はスカ引いたな。すまんがお嬢ちゃん、死んだ後、邪霊騎士スペクターナイトになって化けてでてくれるなよ」

 少女は応えない。ただ無表情で一点を凝視し続けたままだ。

「んで……使い魔がいないから魔導士ってことはないか。となると騎士なのか? 『気脈点(黒点)』は服の下にでもあるのかね」

「服全部ひっぺがすか?」

「お前、まさか童女趣味――」

 当人を目の前にじゃれ合いだした三人の男を前に、少女は虚ろな顔で呟いた。

「……どう、して?」

 初めて見せた少女の反応に男達が一様に顔を見合わせる。

「どうして、って……なにが?」

「ん? ああ、何を見てるかと思ったら、コレか」

「あー。そういやすっかり放置してたな、忘れてた」

 ゴロン、と。

 彼らの一人が携えていた太刀の先にはナニカ大きな塊が突き刺さっていた。それを男は無造作に放り出し、それは少女の前まで転がっていった。

 大好きなおばあちゃんみたいな人――ムーラの、頭だった。

「ムー……ラ、え? うそ、ムーラ? なんで、どうして……?」

 手を伸ばす。

 触れたムーラの顔はまだわずかに温かかった。

 歯を食いしばり、悪鬼をにらみつけるが如き形相は少女をして初めて見るものだった。

 少女がイタズラした時も、厨房でつまみ食いをした時も、ムーラは目を釣り上げて怒った顔を見せて少女は涙目で震え上がり謝ったが、今のその張り付いた顔は今までのどの顔よりも恐ろしかった。

 そして悲しかった。

「なんだ、親しいヤツだったか」

「悪いな。さっき集団で逃げようとしていた所を見つけたんでな。キッチリ皆殺しにさせてもらった」

 少女がぼんやりと男を見上げる。

「みなごろし……? みんな?」

 少女はムーラの首を一心に掻きよせ、胸に抱く。切断面からポタリと垂れてきた血が服に小さな染みをつくった。

「あ……ああ、あ」

「安心しろ。いたぶる趣味はないんでな。命乞いするやつが多くて喧しかったが、サクっと一太刀で皆の首を切り落としてやった。泣いて小便垂らしながら懇願された時は俺の繊細な良心が痛んだね」

「でも、若い女の悲鳴はなかなかにクルものがあったよなぁ。正直興奮したぜ」

「お前らは自重しろ」

 それが限界だった。

「いや、ああ、ああああああああ――」

 ――ミンナ、死ンダ。

 今まで過ごした屋敷の皆が。

 優しくしてくれた、屋敷の皆が。

 ――お嬢様、おはようございます。

 ――お嬢様見てください。立派なバラが庭園に咲いたんですよ。

 ――今日はお嬢様の好きなシチューですよ。ちょっぴり内緒でお味見はいかがです。

 ――お嬢様、またトーマス様と喧嘩なさったのですか。男の子は意地悪ですよね。

 ――お嬢様も背が伸びましたね。次はレディに相応しいドレスを縫いましょうか。

 ――お嬢様。また転んだのですか。ほんとお転婆さんですね。ほら見せてください。

 ――お嬢様。火傷しませんでしたか? 紅茶をこぼして、そそっかしいままですね。

 ――お嬢様。

 ――お嬢様。

 ――お嬢様。

 ――お嬢様――

「ああ、うああああああああああああ」

 真っ赤な悪夢が杯からあふれ出す。

 それは次々にこぼれおち、猛毒となって少女を犯し尽くした。

「ああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーー!!」

 天を仰いだ少女の喉の奥から振り絞った悲鳴が森を揺らす。

 少女はその胸に幸せだった日々の終わりを抱きしめ、絶望する。

 その声はどこまでも悲哀に満ちていた。

 そこへ、


 ――くすくすくす。面白そうな子みーつけたっ――


 突然どこからか少女の耳に楽しげな女性の声が届いた。

 しかしどこにも姿はなく、男達は聞こえなかったのか何の反応もしない。

 そして生首を抱いた少女はただ壊れたように慟哭するだけ。

 そんな少女にただ一度だけ、ふわりと何者かが背中から優しく抱きしめるような感触がして、消えた。

「っち、耳が壊れるかと思ったぞ。うっせーな、このガキ」

「あーあ。壊れた」

「まあ、この方が生け捕る分には楽か。おい、連れていくぞ」

「仕方ないな……お嬢ちゃん、手の中のものは捨てるぞ。少し眠ってるといい」

 男の一人が少女に歩み寄り、手をかけようとしたその時。

 森の彼方から拳ほどの二つの石が凄まじい勢いで飛んできた。

 それは一つは外れ、もう一つが少女に手を出そうとしていた男の片腕に当たり――そのまま腕を真ん中から爆発するように吹き飛ばした。見ると飛び去った石を受け止めた木の太い幹が半分以上抉れていた。

「ぎっ、ぎゃああああああああああ!!」

「なっ!?」

「バカな!」

 魔法でも気弾でもなんでもないただの投擲物。だがそのあまりにもありえない威力に男達は信じられないものを見た顔になった。

「IYAAAAAAAAAAAAAA!!」

 地を這うように身を低く沈めたまま、何者かが疾走して来た。

 男達はその姿を確認することなく、閃いた三太刀で絶命する。その顔には驚愕が張り付いたままだ。

 素晴らしく鮮やかな手際だった。

「はぁ……よかった、無事……だった、か」

「……トーマス」

 男達を斬り捨てたのは、屋敷で盾となっていたトーマスだった。

 トーマスは三人の男達が絶命しているのを見てとった後、少女の目の前で木にもたれかかるように座りこんでしまった。

 撒き散らされた血の臭いがひどく濃い。

「トーマスだ……あは、トーマス、トーマスぅ……」

 ムーラの首を放し、少女はおぼつかない足取りでトーマスへと歩み寄る。

 そして気付いた。

 明るくなった表情は、しかしすぐに一転して歪む。

「ひっ」

 右腕が上腕部から断ち切られていた。横腹の切り傷から臓物がわずかにはみ出ていた。胸から肋骨の骨が見えていた。額から右頬がパックリ裂けていた。

 全身が血に濡れ、血の気が失せたその顔には既に死相が濃く浮き出ていた。

「トーマス、トーマス、トーマス!」

「落ち着け。あと、そんなに、揺するな」

 いつもの慇懃な態度は無い。だがこちらが素である事を少女は知っていた。そしてよほどの事がない限りそれを見ることは無いという事も。

 少女はそこに決定的ななにか不吉なものを感じ取ってしまった。

「トーマスは、死なないよね。大丈夫だよね。少し休めば……一緒に逃げれるよね」

 少女の震える手がトーマスの手に重ねられる。重ねた瞬間、トーマスの余りの弱弱しさと冷たさにぞっとした。

「ねえ、トーマス。手当てしなきゃ……近くに血止めに効く葉っぱがあるから。そして、ね、逃げよう」

「放って、おけ」

「……え」

 するりと少女の手の中からトーマスの手が抜け落ちる。

「お前は早く、逃げろ。じきに……追っ手が、来る。

 ここから、近い無法都市群ディスブレスに……いや、西へ。大陸、を渡ってアスリア……連合国のエディット国へ、ガードナー卿の、下へと、身を寄せろ。あの方なら、きっと助けて……くれるに違いない。

 よく聞け。いいか、太陽の、沈む方角へ、向かうんだ。いいな」

「トーマスも一緒に行こう、ねぇ」

「僕の……亡骸は、このまま打ち、捨てたまま、一刻も早く……ここから去るんだ」

「やだ……やだやだやだ」

「すまん。もう、目も見えん……ごめんな、お前を、一人にして……しまって。奥様も、助けられ、なくて。ちく、しょう」

「やだ、やだ、やだ」

 少女はおこりのように震えながら小さく頭を横に振り続ける。

「逃げろ。そし、て生きろ……頼…む」

「……トーマス? ねえ、トーマス?」

「……」

「ちょっと、ねえ、ねえ、ねえトーマスってば。ねえ……」

「……」

「あ……ぁ…………」

 尻餅をついて後退る。そして何かにぶつかった。見ると、三人いた男達の内の一人だった。袈裟懸けに心臓を斬られて盛大に血を吹き出し、死んでいた。近くには残りの二人が。そして年老いた老女ムーラの首も転がっている。

「……」

 ヒヤリとした風が吹き、少女の体を撫でた。

「……」

 今、この世界は静かだった。

 まるで出来の悪い芝居。静かな森の中で周りに血と死者が溢れ、そこで一人生きている自分は死神のようだと少女は思った。

「逃げなきゃ……」

 ポツリと呟いた。

 少女は不思議ともう取り乱す事はなかった。目の前の親しい者の死にも心の内にこみ上げてくるものもなく、揺れる何かもない。まるで森の奥にひっそりと佇む湖畔のようにこの上なく穏やかだ。

 自分はこんなにも冷血な人間だったのだろうかと少女は思いながら、それに戸惑うこともなくゆっくりと静かに立ち上がる。

 もう悲しみも、怒りも、憎しみも、恐怖も、全てが少女の胸の内から離れていった。

 ――必ず殺してやるぞ小娘がっ!!

 ただガーデニア伯爵の呪いが頭に響く。

「西へ……逃げる」

 トーマスとムーラの瞼をそっと閉じさせる。

 太刀を握り締めて母からもらった首飾りを胸に仕舞い、一人森の中を走り出す。

 太陽はじきに沈もうとし、空には夕闇のグラデーションが広がっていく。生まれて初めての夜が迫って来ようとしていた。

 途中、開けた小高い丘から小さくなった屋敷がかろうじて見えた。

 母のいる屋敷。今までずっと過ごしてきた揺り篭。

 今はもう炎に包まれ、焼け崩れているところだった。

 攻め落とされた屋敷は限界に軋む悲鳴を上げ、一度轟音を森に木霊させてその姿を森に埋めた。

 少女は黙って屋敷に背を向ける。

 それらの光景にも何ら痛痒も覚えず、少女は屋敷から今まで一度たりも涙を流すことはなかった。



 ☆☆☆☆☆



 夢から覚める。

 一人、少女はぼんやりとした頭を振って、空を見上げた。

「……ひどい、夢」

 既に太陽は中天近くまで昇っており、辺りは明るい。背には体を預けていた大岩があった。

 目の前には近くの雑木林から持ってきて小さく積まれた焚き火の材料と種火の元が手付かずのままある。眠る前、結局火をおこしていなかったことを思い出した。

 大きな街に繋がる街道のため、街の騎士達が常日頃からしっかり治安を守っているのだろう。幸い街道近くで寝ている間に獣やモンスターは寄り付かなかったようだ。

「体がだるい」

 夢見が悪かったせいだろうか。体が重く億劫で少女は動く気にならなかった。

 荷物袋から街で補充したばかりの干し肉の塊を少しかじり、二度焼きしたライ麦の小さな黒パンを口の中にいれて唾液でふやかして腹に収めた。それでも固かったので少しばかり少女の顔がしかめられる。

 それからいくらかの雑事を済ませた。既に街道からは頻繁に人が往来している気配が伝わってくる。

「はやく発たないと」

 街で遂にガーデニア伯爵の追っ手に捕捉されてしまった。西へ向かい始めて二ヶ月近くずっとたくさん人のいる町や都市を避けて、時には大きく迂回しながら追っ手に見つからないよう旅をしていた。昨日初めて補給や進路の兼ね合いで交通の要所の大きな街に入る事になったのだが……張っていたのだろう、見事見つかってしまった。急いで離れないと今度は更に大勢の騎士達に囲まれるかもしれない。

 しかし太陽が中天にさしかかっても少女はぼんやりと空を眺めたまま。膝を抱えて動かなかった。

 屋敷が燃えた後、無事にガーデニア伯爵の包囲網を抜け、山のほら穴で夜を過ごそうとしていた時に少女はあの付きまとってきた青年と出会った。

 ずっと無視するようにしていたが、それでも彼はめげずにあれこれと話しかけ、大仰な仕草で気を引こうとしてきた。

 所詮は高価な首飾り目当てなので適当にあしらっていればじきにいなくなるだろうと少女は思っていた。どうせアスリア連合国に入ればそこで旅は終わり別れてしまうのだ。一人旅なんてまったく知らない少女にとっては色々と旅の知識が豊富だったので無料の便利屋扱いでもあったが、それでも余計なお荷物としか思えなかった。

 繰り返される青年の首飾りに対する扱いに知らず知らずストレスを溜め込んでいたのかもしれない。それにいつ寝首をかかれるか分からない、どうしても信用ならない男でもあった。

 だがそれも昨夜まで。

 追っ手と争った後の昂ぶりもあったのか、青年の軽い言い様に自分でも驚くほど大きな声となり、怒りが噴き出してしまった。

 そして決別代わりに痛めつけ、そのまま青年を置き去りにした。

 街から出て走っている間にずっと少女は思っていた。

 これで解放された。気楽になる。あんな男一人いなくなったところでどうもしない。

 そう思った。

 そう、思っていた。

「……一人きりは、さびしいな」

 胸に去来したのは空虚な穴。

「お父様、お母様、トーマス、ムーラ、みんな……」

 皆いなくなったのだと。一人きりの夜はそれを思い知らされた。

 空を見上げる。そこはいつもと変わらず、憎しみも悲しみも汚れもない清清しいほどの青空に白い雲がゆったりと泳いでいた。

「……行こう」

 もう青年はいない。これからは一人で進むのだと心の整理をつけて立ち上がる。

 そして街道に戻ろうとした。

「ああ、いたいた。やっと見つけた!」

 思わず荷物を取り落とす。立ち止まった足が固まる。

 少女ははじめ幻聴かと思った。

 いるはずがない。もうついて来るはずがない。実際に追っ手を見て、更には自分に理不尽に痛めつけたのだ、さすがに身を引くだろう。

 そう思っていた。

 後ろを振り向くと、そこには荒い息を吐きながら少女に手を振っている青年がいた。

 目を大きく見開いて凝視する少女に青年がにこやかに駆け寄ってくる。

「どう……して」

「騎士が本気で走った時はその強い踏み込みから特徴的な足型が地面に付くからね。間隔は大きいけど、それを探せばなんとか追ってこれたよ。僕の秘密の七特技の一つさ。明け方に街の門が開いてから大分急いだけどねっ」

 得意そうに胸をはり、一指し指を立てる青年。

「ちがう。そうじゃない。昨日私が襲われているのを見たでしょう、そしてあれだけひどい事をしたのに……どうして――!」

「ふっふーん。甘い甘ーい。あんな事じゃ諦めないよ、僕は」

 それはいつか少女が聞いた言葉。思い出せば一緒に歩くようになった時と同じ言葉だった。

「――」

 あまりにも想像の外だったそれを聞いた少女は青年を見上げたまま放心し力が抜ける。そして百面相に陥った。

 戸惑い、怒り、呆れ、苦しみ、怯え、諦め――そしてめぐるましく変わった最後には小さな喜び。

 ストンと落ちてきたそれを少女はあっさりと無防備に受け入れていた。

「……そう」

 少女が目をつむり、空を仰ぐ。

 その手が固く握り締められる。

 その間に少女は何を思ったのだろう。再び顔を戻し、青年を見上げた時にはいつもの冷ややかな眼差しが戻っていた。

「なら、好きにすればいい」

「うんっ、好きにするよ!」

 青年が爪先立ちでくるくると回り、少女はそれに長い溜息をつく。

 だが、そこに前まで見えていた嫌悪の色はない。

置いていくわよ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 未だ回り続けている青年にそう素っ気無く告げて少女は先に進む。その足取りは軽く、わずかにはずんでいた。

 青年は回り続けてややふらふらになりながらもその小さな背中を追っていった。

「……その、ごめんなさい」

「ん?」

「昨夜、あなたを投げ飛ばしてしまって……ごめんなさい」

「ああ、そのことか。別にいいよ。どうやら僕もかなり無神経な事言ってしまったみたいだしね。

 それにほら、僕って頑丈だから! このとおり!」

 何を勘違いしたのか、青年が右腕を上げて力こぶを作ろうとする。が、そこにできたのはどう見ても頼りなさげな盛り上がりだけだった。

「あなた、やっぱりバカでしょう」

「ガーン!」

 心が軽い。少女はそう思った。

 目覚めた時の体のけだるさはもうない。

「あ、言っておくけど首飾りは絶対に渡さないわよ。それとこれとは別だから」

「ああん、い・け・ず」

「……その声はやめて。気持ち悪い」

 少女は再び青年とふたりで西へと歩き始める。

 向かう先には見渡す限りの大地と大空が続いていた。

 どこまでも、どこまでも。







過去編終わり。

わずかな変化を経て、旅はあと1エピソードを挟んでラストへ向かいます。

どうかあと3話ほど+エピローグまでお付き合いください。


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