7 炎の序章
パトロクロス・ガードナー侯爵が屋敷を去って更に1年ほど過ぎた頃、少女が暮らしている静かな森の屋敷の外ではハッキリと嵐の様相を見せていた。
今や国は二つに分かれつつあった。
一つは国王派。先代国王が逝去した際に直系の王族がいなかったために声がかかった傍系の王族。気弱な彼は周りを伺いながら少女の父や宰相たちに支えられて政治を行ってきた。
もう一つは大公派。近年に頭角を現した若き野心家で、現国王より一つ血統は劣るものの同じく先代国王の傍系の王族。この国唯一の大公であり、その位は王に準じる。彼は強引な手法でもって更なる権力と富を貪欲にかき集め、敵対する者には一切の容赦なく苛烈に追い詰め滅ぼす。やがて己こそが国王に相応しいと辺りをはばかることなく放言しだし、現国王に退位を迫った。
大公は私兵の騎士団を以って挙兵し、王国の大半の諸侯の騎士団をも味方に引き込んで王都へと向かった。
王国総騎士団長たる少女の父はこれを反乱として王都の全軍全騎士団及び国王に従う諸侯の騎士団を以って大公を迎え撃つ。
かくして王国は内戦へと入る。
集った軍勢を見ればやや国王派が劣勢ではあったものの、趨勢としては五分五分と言える状況。戦の天秤はどちらに傾いてもおかしくはなかった。
そして、両軍は太陽が中天へと差し掛かった頃に激突。
決着はその日のうちについた。
☆☆☆☆☆
「……そうですか。分かりました」
少女とその母と使用人が暮らす王都外れの森の屋敷。
主人の留守を預かる少女の母たる夫人は部屋で神妙な表情をしたままお抱え魔導士の報告を受け取った。大地には『地脈』と呼ばれる、血管のように流れるエネルギーの奔流がある。いくらか条件は付くものの魔導士はこれを使い、世界各地で絵と文字を使ったメッセージのやり取りを素早く行える。
夫人が受け取ったのは王都からのメッセージだった。
「奥様……」
「ムーラ。執事にすぐに屋敷中の人を集めるよう伝えてください」
「かしこまりました」
侍従長のムーラが即座に頷く。王都のすぐ近くで大公と国王の軍勢が布陣しているのは屋敷の人間の知る所である。この緊急事態に各自いつ召集がかかっても集えるように備えていた。
夫人の様子からムーラは戦の結果を察した。
「国王陛下が己の身の安全と引き換えに総騎士団長である我が夫マイケルを売ったとの事です」
「なっ……」
「マイケルは中盤に近衛騎士団を率いて出陣し、その背を国王及び内通していた一部の諸侯の騎士団に討たれました。王宮騎士団は敵に囲まれた末に壊走。王都は抵抗する事無く開門し大公を迎え入れ、陥落しました」
静かに淡々と続くあまりの内容にムーラは絶句し、血の気が引く。
現在国王は大公の手により玉座から引き摺り下ろされ、塔へと幽閉されていた。
「ムーラは執事と共に使用人を全て連れてここから逃げなさい。もはや私達は支配者に弓引く反逆者の残党です。軍部最高責任者に関係するここにはすぐにでも大公の手が伸び、制圧されるでしょう。その前に皆を逃がさねばなりません。希望者がいれば屋敷の金品の持ち出しは好きにして構いません」
少女の母はそう言ったが、ムーラは金品に目がくらむ暇があれば一刻も早く屋敷を逃げ出したほうが懸命であると思った。
そしてその考えは正しかった。
それはムーラの想像以上に悪い形となって屋敷へと現れた。
夫人が召集をかけようと動き出そうとした時、屋敷の庭で甲高い悲鳴と歪な轟音が上がった。続いて荒々しく開かれる屋敷の扉。招かれざる客達は乱暴な靴音を響かせ、屋敷へと押し入ってきた。
入ってきたのは10人程度。その固まった集団の中から一人の男が進み出る。男は中年に入るところだろうか。中肉中背でどこか冴えない風貌だった。更に男の周りが物々しい戦姿で身を固めているのに対して男は一人だけ優雅な貴族服で、明らかに浮いていた。
そして恐らく使い魔であろう小人が男の肩に座っていた。恐るべき速度を誇る騎士の初撃に対抗するためのファミリアは魔導士の証といって言い。
部屋を出て、騒乱の元となったホールの闖入者を視界に収めた少女の母は表情を強張らせる。それがありえない人物だったからだ。
「このようないささか乱暴な来訪となってしまい、申し訳ございません。―――――――夫人」
「ガーデニア伯」
「ええ。お久しゅうございます」
彼は国王派だったはずの伯爵だった。すぐ隣の領主であり、主人とも友誼を結び今回の戦でも盟を結んでいたはずの人物。それが今このタイミングで屋敷に現れた。
王都が陥落してほぼ間を置かないこのタイミングで。
開いたままの屋敷の扉からわずかに覗いた光景に、ホールに集った使用人達は顔色を変えた。庭園は二人の門番の血で彩られ、警護の騎士一人と庭師の男が四肢と胴をバラバラにされてゴミのように捨て置かれていた。
よく見れば入ってきた集団の一人が太刀を抜き放ったままで、そこからは赤い血が滴っている。彼らの仕業である事は明白だ。
友軍とは到底思えぬ敵対行動。
王都は先ほど落ちたばかり。仮に王都陥落の報を受けてすぐ離反したとしても、精々が軍の手綱を締めなおして自領を出たばかりだろう。ここに到着するには時間が足りなすぎる。また、王都にいる大公の軍が遠く離れたこの屋敷に来襲するにはあまりにも早い。
であれば残る可能性としてありえそうなのは……
「始めから内通し、王都陥落後の準備をしていたわけですか。大公軍勝利を前提に既に軍を展開済みですね」
「ご名答」
裏切り者のガーデニア伯爵の乾いた拍手がホールに響く。
夫人の手が固く握り締められる。もはやこの地は包囲されているであろう。更に恐らくは彼の周りにいる人物11人全てが騎士ないし魔導士であろう。この屋敷には従騎士のトーマスを含めても正式な騎士は3人しかいない。しかもその内の一人は既に屋敷前で倒されている。一人の差でも大きく戦力が変わるのが騎士だ。この数の差は抵抗が無意味だと屋敷の人間全てに宣告されている。
皆殺し。
その言葉が夫人に浮かぶ。超人たる騎士に襲われれば普通の力なき人々に逃れる術はない。疾風のように動き、石像を難なく真っ二つにする相手にどうやって逆らいうるというのか。
「私どもはここを含めた王都周辺の半分を制圧せよとの大公閣下の命令を受けています。無論、マイケル総騎士団長の血縁はおろかこの屋敷の関係者全てが対象です」
「ひっ」
一人の若い女性の使用人が堪えきれずに小さい悲鳴をあげる。見れば歯を鳴らし、足が震えている。捕まるにしろこの場で処刑されるにしろ、もはや死かそれに準じる未来しかないと悟ったのだ。
ガーデニア伯爵はそれを一瞥した後、大仰に手を広げて笑顔を浮かべる。
「……おお。どうやら皆さんを無駄に不安にさせてしまったようですね。申し訳ない。
ご安心下さい! 何も私は悪魔ではありません。たった一つの私の希望をきいてもらえれば命までは取らない事をお約束しましょう。
おや、信じていただけないのですか? なんと悲しい事だ! ああ、希望というのは実に簡単なものです。
ミラルダ夫人。いえ、ミラルダ。貴女自身を私のものにしたい。それだけです。
口にするのもお恥ずかしい限りですが、私は以前から貴女に懸想しておりました。その女神のように美しい佇まい、私の心を捕らえて放さない微笑み、可憐な振る舞い。ああ、全てが愛しい。貴女を手に入れた時の事を思えば我が心は少年のように弾み、震えるのです。貴女と閨で愛の言葉を交わす日をどれほど待ち望んだことか。
そう。貴女さえ大人しく私の元へと来て頂ければ、それ以外の者は見逃すとお約束致しましょうぞ」
その陶酔した言葉に使用人達はおろか、ガーデニア伯爵の周りを固める者達も動揺をあらわにした。集った使用人達の視線がミラルダ夫人へと集まる。彼女次第で助かる光明が見えてきたとあって、そのすがるような目は必死だった。
しかし。
「戯れを。あの大公がそんな事を許す事などありえるでしょうか」
当の本人は一笑に付した。
「茶番はこれまでです。あの大公の下した命など簡単に想像が付きます。
『kill them all』これに尽きます。そこには唯一の例外も許されません。
そもそも大公は後世の憂いを完全に絶つ主義。敵にかける情けは一辺たりとてありません。貴方にも大公に逆らえるほどの権限はないでしょうに。仮に独断でしたのならば、貴方もまた大公に討たれるとお分かりでしょう。
人の心で遊ぶのは貴方の悪い癖です。いい加減になさい」
「おや、誓って私は真実しか口にしておりませんよ」
「……」
しばし二人のにらみ合いが続く。
ミラルダ夫人は射抜くような氷の目で。ガーデニア伯爵は人好きのする笑顔で。
やがて沈黙を破ったのはガーデニア伯爵が先だった。
「ふ、ふふふ。あっははははははははは! その通り! 認めましょう、確かに大公閣下からは貴女の仰る通りの命令を賜っております。私程度が命令に背けば一夜で家が取り潰される事でしょう。
――ですが」
ピタリと哄笑が止んだ。
「私が貴女を欲するのは真実でもあります。貴女が手に入るのならば、大公閣下を騙し、我が領地と命を賭けに差し出しても惜しくありません」
それは初めて見る表情だった。
真摯な顔で恭しく一礼したガーデニア伯爵は、真実ミラルダ夫人に恋をする一人の男だった。だがそれは内心では上から弱者を見下し、従える事で愉悦に浸る類のものであったが。
「生憎と私が生涯を共に歩むのは我が夫マイケルただ一人です。我が運命は彼とあり、彼が倒れたのであれば私もまた共に倒れましょう。貴方の手を取ることはありません」
そしてミラルダ夫人はあくまでも毅然とした態度を崩す事無く、彼の想いを絶った。
「我が屋敷の皆さん、今での仕えご苦労でした。我が家は今日ここで炎と共に朽ち果てましょう。皆はすぐにこの場からお逃げなさい」
「残念です、愛しき人よ。ああ実に残念です。我が愛を受け入れてもらえぬとあらば、もはや用はありません」
わっと使用人達が一斉にホールから屋敷の裏口へと逃げ出す。侍従長のムーラは部屋で言い渡された主の最後の命令を果たすそうと使用人全員の退避を見届ける。それからミラルダ夫人の背に一礼をして最後に屋敷を出た。
ミラルダ夫人はただ、彼女らが無事に包囲を抜けられるよう始まりの女神へ祈った。
それと同時に屋敷のホールの上下四方に隠されていた火炎符に発火の魔力が送られ、ガーデニア伯爵は迸る炎の壁に囲まれる。やがて炎は嵐となり、ホール中を渦巻くように吹き荒れて屋敷は炎に包まれた。
炎と熱気と煙とが充満するホールは普通の人ならばものの数分で動けなくなる。しかしこの場にいるミラルダ夫人とガーデニア伯爵及びその周りを固める騎士達は変わらずに泰然としてそこにあった。いや、二者の周りだけがまるで空白地帯のように何者も寄せ付けていなかった。
ガーデニア伯爵が片手を挙げて部下に口を開いた。
「さて、親衛隊の皆さん心しなさい。目の前の彼女はこの国でも稀有な騎士と魔導士の力を併せ持つダブルアビリティですよ。心の臓に病を抱えているため戦闘時間に制限はつくものの、短時間ならばこの国有数の実力者です。気を引き締めてかかるように。
ああ、顔だけは傷つけないように。破った者はこの場で斬首です」
この屋敷三人目の騎士、ミラルダ夫人は太刀を手にとり、魔法で周りの炎を従えて侵入者を抑えるべく正面から迎え撃った。
ごめんなさい。
結局過去編は3つに分けることになりましたorz
次こそ、本当に終わります。