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6 遠い記憶

 遠くから獣の遠吠えやフクロウらしき鳴き声が聞こえてくる。

 深夜の月明かりが淡く照らし出す街道。そこから少し離れた雑木林にあった大岩の側で少女は休んでいた。

 火も起こさず、一人膝を抱えて顔を埋める少女。

 ようやく鬱陶しい余計な邪魔者がいなくなってスッキリするはずが、胸はより重苦しくなり、頭は鉛を詰め込んだように鈍くなって考える事も億劫だ。

 どうしてこうなるのか。

”――もう、付いてこないで”

 そう。確かに少女は青年に言い残して振り切った。多少痛めつけてしまったしもう追ってくることもないだろう。

 これでいいに決まってる。

 敵に斬られた左肩が少し熱い。

 街からの追跡の魔術も十分距離をとったし、もう届かないはず。

 風が冷たい。ああ、そういえば火がなかった。えっと、火打石は荷物の中だっけ。

 ああ、どうしてこう体が重いの。

 あった。そう、これで燃えやすいものを集めて、種火を作って火を起こすんだ。ええと、確か。

”貸してごらん。火打石はね、こうして使うんだよ”

 ――――。

 ……どうして。

 どうして今あんな男の事を思い出すの……。

 少女は手の中にある火打石をじっと見つめる。火打石だけではない。寝床の作り方や獣の捌き方に風と星の読み方も。

 一緒にいた間は色々な事をあの男は話していた。

 少女の体から力が抜けて背中の大岩にそのままもたれかかる。

 火打石は地面に転がった。

 少女の意識が薄れて行く。考えを放棄してうつらうつらと睡魔に身を委ねる。

 夢へと沈んでいくその最中に一つ思った事は。

「ああ、そういえば私、初めて一人で夜を過ごすのね……」

 少女は遠い夢へと沈んでいく。

 そう。

 まだ明るい家があった頃に。



 ★★★☆☆



 そこは静養の地だった。

 フィーラル大陸の西側にある海に面した中小国家の一つの王国。そこが始まりの地。

 広い土地に広い海。背後には人の手の入った大きな森が静かに佇み、街の雑音や大勢の人が生み出す煩わさのない静かな土地だった。王国の各勢力拠点の内側にあるので凶暴なモンスターも少なく、襲撃もそうそうない。

 貴族のための安全な土地として管理され、少女とその母はその一区である更に人気の全くない森の奥深くに屋敷を構えていた。父は王都で総騎士団長を務めているが、母は体が弱いためこうして遠く静かな地で療養生活を余儀なくされていた。

 春が過ぎ、じきに夏へと移ろう季節の中、屋敷から離れた森の中に少女と笑顔の青年がいた。

 青年は17歳で、少女より5つ年上だった。名をトーマス・エリソンと言う。付き合いが長いのだろう。少女とトーマス青年の間に流れる空気は陽だまりのように温かく、緩やかだった。そこには心の垣根などまったく見えない。

「お嬢様、走りこみお疲れ様です。随分と脚力は伸びましたね。もう騎士試験のグラスパンサーも楽に追い抜けることでしょう」

「はぁ……はぁ……でも、トーマスには、全然、はぁ、追いつけないじゃない」

 お嬢様と呼ばれた少女は息を切らせながらそう唇を尖らせる。

 身軽で動きやすいような上等の白いシャツとスラックスを身につけ、清潔感を出しつつ清楚な気品のあるその格好。その姿はいまだ女性の色を出しておらず、まだまだ活発な子供を思わせる。

「僕はこれでも従騎士エスクワイア……お嬢様のお父上様から住み込みで勉強や修行をさせて頂いてる身ですので。平民にも関わらず厚遇されている身としては、騎士として並以上の結果を出さねばご主人様に申し訳が立ちません」

 要は、将来性を買って君を保護しつつ手間暇かけて育てているのだから、成長したら投資した分はしっかり働いて恩を返してくれよという事だ。

 こうやって幼少の時に偉い人の家に引き取られてゆくゆくは側近や子飼いの部下へ、という事は珍しくない。最も貴族同士の間で行われる事が多いのだが。

 トーマスはその騎士の力を見出され、少女の家で小姓ペイジを数年勤め上げた後に従騎士となっていた。本来ならば従騎士となってからは主たる少女の父に付いていかなければならないのだが、今は特別に少女とその母の身の回りの世話とこうして少女の遊び相手、もとい教育をするために主から離れていた。

「まだ17歳と若輩の身ですが、僕の騎士としての力はもう王国トップクラスの王宮騎士と戦っても引けを取らないと自負しております。さすがに世界四大騎士団には至らないとは思いますがね。まだまだ騎士として目覚めて2年程度のお嬢様に背を追いつかせるわけにはいきませんよ」

「ちぇっ……今日こそはその生意気な鼻を明かしてやろうと思ってたのに」

「それはそれは。では次回のお楽しみにとっておきましょうか。お嬢様、頑張ってくださいね」

「ふんだ!」

 貴族は優先的に騎士の資質を開花する儀式に参加させる傾向がある。

 過去に死ぬ危険のある騎士となるのは奴隷達や下層民にまかせ、支配者たる貴族達は騎士となるのを嫌がって一切騎士にならない時代があったが、貴族達の支配に嫌気がさした奴隷騎士達が蜂起して貴族達を一掃した事があった。これは単純に支配される側が持つ武力が支配する側を上回り、力のバランスが崩壊したのが原因だった。

 そのため貴族達もまた支配するために騎士となって力を持ち続ける必要があった。

 6歳未満は騎士の資質を開花させた時にほぼ確実に死に至るため、15歳程度で騎士の儀式を受けさせていた。このくらいの年齢になると例え騎士の力を発現させたとしても、その際の衰弱による死亡率はぐんと下がる。20歳にもなれば死ぬ事は滅多にないだろう。

 なお、騎士の地力と騎士の力を開花させた年齢は比例する傾向にある事が既に分かっている。低い年齢で騎士の儀式を受ける程、開花した後の成長限界は高くなるらしい。無論これは一概にはそうと言えずに、あくまで力が強くなる騎士の数が上の年齢よりは多いという程度である。

 少女の家は代々騎士の家系であり、子供を多くもうけて必ず一人は騎士を輩出していた。そして家の伝統として子供は10歳で騎士の儀式を受けさせていた。ひとえに強力な騎士を育てるためである。

 幸いにも、少女は第一子ながらも高い死亡率を跳ね除けて騎士として生き残った。そして今はこうして正式に騎士になるべく修行を続けていた。

「そうそう。昨夜お嬢様が就寝なされた後に地脈で連絡があったのですが、今日ご主人様と一緒にガードナー侯がいらっしゃるそうですよ。なんでもここのずっと南にある南フィーラル大陸のタロウル帝国からの帰りに寄っていかれるそうです。いや、一週間ほどで大陸間を移動するとはロック鳥の機動力はすごいですね」

「お父様とパトロクロス様が! それ本当!?」

「ええ。ですから今日は少し早めに切り上げてお嬢様は身支度をなさったほうがよろしいかと」

「やったあ!」

 諸手を挙げながら辺りを飛び跳ね、全身で喜びを表現する少女に青年は笑みをこらえるのに必死だった。

 パトロクロス・ガードナー侯爵はここより遥か西の地、西のアスリア大陸にある世界有数の超大国アスリア連合国のエディット国オーレント領を治める30前の若き貴族だ。騎士繋がりで少女の父とは個人的に長い親交を続けており、今もこうして折に触れては直接足を運んでくるほどだ。無論、国は違えど社会的地位はガードナー侯が圧倒的に上である。

 更にガードナー候は騎士としても有名だ。アスリア連合国でも有数の力を誇り、世界に100人いるかいないかであろう『音越えの騎士ソニックナイト』なのだ。彼が振るう太刀は真空波や衝撃波を生み出し、その斬撃は雷もかくやという。

 なにより、一国を脅かす力を持つとされるA級モンスター討伐参加者という事で英雄たる銀盾の勲章保持者でもある。

「はいはい。お嬢様落ち着いてください。今度ガードナー侯が来た時には立派なレディの姿を見せるんでしょう?」

「う、そ、そうね。そうだったわ」

 前回の1年ほど前にパトロクロス・ガードナー侯が少女の屋敷を訪れた時、彼は少女には美味しい焼き菓子を、少女の母には花束をプレゼントしていた。

 その当時までは満面の笑顔で喜んで焼き菓子を受け取っていたのだが、少し早めのお年頃になりつつある少女には何か思うものがあったらしく。無論焼き菓子も嬉しかったのだが、このままではいけないと正体不明の焦燥に駆られた少女は次回は母と同じものにしてほしいとおねだりしていた。

「でも、焼き菓子は美味しかったなぁ……」

「お嬢様。ヨダレを垂らして指をくわえないように」

「よ、ヨダレなんて垂らしてないし、指だってくわえてなんかないわよっ! トーマスったら失礼ねっ!!」

「そんなにお菓子がよかったのでしたらやはり撤回してはいかがでしょう」

 クスクスと微笑みながら悪魔の誘惑をするトーマス。

「………………その提案は必要ないわ。私はレディなんだから」

 随分と長い間だった。

「ではしっかりと猫をかぶってくださいね」

「トーマスのいじわる! キライっ!」

「いえいえ。これも愛情表現ですよ。そう、男の子は好きな女の子をいじめたくなる心理というやつです」

「……えっ? と、トーマス?」

 途端に頬を染めて挙動がぎこちなくなる少女。

 母の事情でほとんど隔離されて軟禁に近い状態で育った少女。その彼女にとって身近な年の近い異性としてはトーマスしかいない。それが物心つく前から兄のように過ごしていたとしても。

 トーマスは動揺する可愛らしい少女を満足そうに眺め、満面の笑顔で一つ頷く。

「さあ。では刃引きの太刀を使って手合わせを始めましょう。今日は時間いっぱい鍛えますよ。たっぷり地面に転がして差し上げますのでガードナー侯に泥だらけのお顔を見せたくなかったら頑張ってくださいね」

「トーマスなんて大っっ嫌いー!」

 麗かなお昼前の森の中に小さなレディの絶叫がこだました。


「あなた、お帰りなさい。お勤めご苦労さまでした」

「うむ。お前も変わりないようで良かった。明日にはまた一週間ほど屋敷を空けねばならんが、今日はゆっくりしていくつもりだ。

 それで先に知らせたが、今日はパトロクロス卿にお越し頂いておる」

「ご無沙汰しておりました。ご健勝のようでなによりです、ミラルダ夫人」

「まぁまぁよくぞいらしてくれました、パトロクロス様」

 屋敷の使用人12人一同が脇に控える中、少女の母であるミラルダが屋敷前の花が咲き乱れる庭園で出迎えたのは屋敷の主人で自らの夫であるマイケルとその客人のパトロクロス・ガードナー侯爵だった。

 ミラルダは体が弱いため外に出ることが少なく、病的なまでの色白さとその華奢な姿から30前だというにも関わらず未だ20歳と言われても信じてしまうほどであった。

 一方、屋敷の主たる少女の父のマイケルは口ヒゲを小さく蓄えがっしりとした体つきの壮年の男性だ。騎士として鍛えているその姿は重厚で、一国の総騎士団長としての威厳が伺える。

 そしてパトロクロス・ガードナー侯爵。20代後半へとさしかかり、壮年期に入ったばかりの彼は常に微笑みを浮かべる穏やかな好男性といった印象だ。体つきはマイケルと違ってスマートでありつつ、背筋は決して曲がらずに彼が軍人である事を示している。

 主人と夫人と客人とでそれぞれ挨拶と抱擁を交わす。

「これは奥様への贈り物です」

「まぁ、なんて綺麗な白百合ですこと。ありがとうございます、ガードナー様。とても気に入りましたわ」

 白百合を中心として赤バラと白いカスミソウでまとめられた花束を手ずから受け取り、微笑むその姿はまるで童女のようだ。

 ガードナー候がふと辺りを見渡す。探しているのは小さなお姫様だ。

「ところで、あの子は……?」

「ふふ。もうじきに姿を見せるでしょう。あの娘ったら先ほどまで慌てて屋敷を走り回ってて……」

 そこへ燕尾服を来た初老の男性が夫人の後ろでそっと耳打ちをした。

「ああ、もう来るそうですわ」

 その言葉が終わったその時、夫人の後ろの屋敷の扉が開く。そこからは明るいオレンジ色のワンピースドレスで着飾った少女が楚々と顔を出してやって来る。

 後ろには黒の正装で身を包んだトーマスがいつもの明るい調子を仕舞いこんだ神妙な顔で付き従っている。むしろ緊張しているともいえる。なにしろトーマスにとってもガードナー侯爵は尊敬すべき英雄であり、遥か高みの人物なのだから。

「お父様、お帰りなさい。

 そしてようこそパトロクロス卿」

「やあ、――――――嬢。久しぶりだね。元気だったかい?」

「ええ、卿もご機嫌麗しゅうございます」

「1年見ない間にまた大きくなったね。はい、これは君へのプレゼントだよ」

「ありがとうございます。パトロクロス卿」

 少女が練習していた上品な笑顔を浮かべ、紫色とピンク色でまとめられた花束を受け取る。そして憧れの男性から受け取った花束で顔を隠すようにしてにへらとやや締りの無い笑顔になった。

「ちゃんと憶えててくださったんだっ」

 ガードナー侯も嬉しそうな少女を見てこっそり胸をなでおろしていた。何しろ大事な娘さんだ。小さな女の子が果たして本当に喜んでくれるか少々不安だったのだ。

 ふと、ガードナー侯は少女の首にかかっている首飾りに目を留めた。

「おや、その首飾りはお母様から頂いたのかな」

「あっ、はい」

「娘のおねだりに負けてしまいました」

 少女の母が困ったように言うものの、そこには娘への愛情しか感じられなかった。少女もまた大好きな母からもらったプレゼントを大事に大事にしていた。

「そうでしたか。よく似合っておいでですよ」

「……ありがとうございます!」

 内心「褒められた、褒められた!」と舞い上がっている少女は、その後ろでその微笑ましい内心を完璧に見透かして表情にださないよう苦労しているトーマスに気づいていなかった。

「さぁ、立ち話もなんだし、中へ入ろうか。――――――、お前は少し席を外しなさい。まずは三人で話したい事がある。ああ、そう心配せずとも話が終わればすぐに呼ぶと約束するさ。まったく父としては妬けてしまうな」

「ムーラ、トーマス。娘をお願いするわね」

 ムーラと呼ばれた貫禄ある年配の侍従長が前に出る。彼女はこの屋敷最古参の使用人だ。少女とトーマスにとっては屋敷内では母に次いで逆らえない女性であり、その面倒見のよさからもう一人の母と言っても過言ではない。

「かしこまりました、奥様。さぁさ、お嬢様にトーマスや。少しこのばぁやがお相手しますよ」

「分かりましたわ。ではまた後でお話致しましょう、パトロクロス卿。お国のお話を楽しみにしています」

「そうですね。私も楽しみにしていますよ。トーマス君も後で時間があれば手合わせをしようか」

「はっ。光栄でございます」

 三人が屋敷へと入るその背を見送った後、少女は花束を胸に抱きしめた。

 そしてトーマスはそんなすっかり上機嫌な少女の頭をそっと優しく撫でた。またムーラを始め、多くの使用人たちも優しい眼差しで少女を見守っていた。


 ――その深夜。

 屋敷の主の部屋には燭台の明かりにぼんやりと照らされた二人の姿があった。

「娘の騎士の成長はどうだ、トーマス?」

「はい。恐ろしいほど資質がおありです。剣の技術はともかく、身体能力でしたらあと数ヶ月もしたら僕に並ぶでしょう」

「そうか。お前をしてそう言わしめるほどか……お前もその年でその強さは正直末恐ろしいと思っていたが、俺の娘はそれより更に幼い年でそこまでたどり着くか。

 先が楽しみだな」

「僕は早熟なだけでしょう。ですが、そうやすやすと追い抜かれないよう頑張ります」

「うむ。お前には俺より娘についてもらおうと思っている。

 最近、どうにもこの国には乱の兆しがある。王宮がいささかキナ臭い。万一の時にはあれを守ってくれ」

「はっ。一命にかえましても」


 そして、その日が来る。


冒頭の少女と過去話の少女はちゃんと同一人物ですよ。

本当は過去話は1話で済ませるつもりが、何故か2つに分ける事に……12KBってなんだorz

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