5 争い
2012/02/28 一文修正。
夜の街を一陣の風が切り裂く。
「……っ」
小さな少女は腰を落として首を切り裂きにきた刃をかわす。
目の前の黒装束の人間は沈んだ少女を蹴り上げようとするも、少女は地を蹴って既に間合いから離れていた。
一足で軽々と50メートルほどの距離を稼いだ少女は、すぐさま手の太刀を右手に振るう。そこには二人目の黒装束が待ち構えており、今まさに短剣を振り落とそうとしていた所だった。
「やっ!!」
着地後の不安定な姿勢のまま裂帛の気合と共に太刀が弧を描き、短剣ごと二人目の襲撃者を斬り裂き、わずかに吹き飛ばした。
硬い手ごたえに少女の太刀を持つ右手が痺れで震える。岩をも割る一撃はしかし、普通の人間ならばトマトを切るように胴を真っ二つにされるところが、胸を深く切り裂かれて激しく出血するにとどまった。
「やはり闘気による肉体硬化を習得済みのレベルね」
少女が内心舌打ちをする。騎士として相当の訓練を積んでいる証だ。そこらのチンピラ騎士程度どころか、下手な正規の王宮騎士程度には使える相手ということになる。
しかし、と少女は思い直した。襲われる心当たりを考えればそれも当然だから。
「さすがに気弾といった闘技まで使える相手だとは思いたくないわね」
一息吐いて少女は一度頭を振った。暴れる心臓を、手の中の汗を、叫びだしそうな心を力ずくで押さえつける。
そうして自らの思考を一本に絞る。他の雑音は全て耳を塞いで切り捨てた。
「余計な考えは邪魔。そう、私はただ敵を斬るだけでいい。敵を、斬る、だけ」
そう冷えていく心の中でつぶやいた。
少女の前には三人の敵。全て騎士だ。魔導士はいない。一人は今しがた戦闘不能にした。残るは二人。
左肩が熱を持ってくる。先ほど三人の連携をかわしきれずに一太刀浴びせられたとき少々肉を切られてしまった。幸い毒はなかったようだ。
三人という数には始め強い危機を覚えたが、一人でも潰してしまった今はなんとかなるであろうと心算をつける。
少女は乱れた呼吸を整えて再び太刀を握りなおした。
吐いた息は静かに街に溶けて消えていった。
★★★★★
金属音を頼りに青年が駆けつけたのは真夜中の街外れの開けた広場。その入り口に立って青年は足を止めた。そこにはおよそ一般人の立ち入ることのできない光景が広がっていた。
昼間に太陽の光を蓄積した大量の『光石』が太陽の沈んだ世界をわずかに辺りを照らしている。そんな夜闇の中で目にも止まらぬという言葉通りの世界が青年の目の前で繰り広げられている。
そこには青年の探していた少女の姿と、その争っている相手である黒装束の人間が2人おり、彼らは縦横無尽に広場を駆け回っていた。
かろうじて一度捕らえた少女の姿は、彼女が一度地を蹴っただけで再びその姿を見失う。また、一度太刀を振るうと腕自体があまりの速さに見えなくなってしまう。完全に目が追いついていない。
例えこれが昼間であったとしても青年の目に少女らの姿を捉えるのは絶望的であっただろう。
「これが、騎士同士の戦い……」
青年は目を奪われる。胸の呼び子を吹く事すら忘れていた。
――『騎士』とは超人的な力を持つ者のことである。
世界の各地には『スポット』と呼ばれる龍脈の吹き溜まり場、霊穴が存在する。主に国で管理されているこの場所で最長で三昼夜ほど気を浴び続けると、人によっては『声』が聞こえるという。この声が聞こえた者は騎士の資質が開花される。
『声』が聞こえた後の数日は体全体が熱を帯び、非常に衰弱する。人によっては死に至る。年齢によって死亡率は変わり、六歳未満はほぼ100%の致死率を誇る。この衰弱を乗り越えた者は身体能力の成長限界及び成長速度が遥かに上がり、また闘気を操る事も可能になる。
そして黒点の痣が身体のどこかに現れる。これは『気脈点』と呼ばれ、騎士の証となる。
貴重な騎士の資質を得た者が一ヶ月身体を鍛えれば人間の身体能力の限界を簡単に突破し、更に一年鍛えれば超人とも言える力を持てるだろう。
その上で、厳密な意味での騎士とは次の条件を満たしたものが呼ばれる。
一つ。風より速く大地を駆け、グラスパンサーを越える脚力を持つ。グラスパンサーは時速200km即ち秒速55mで草原を駆ける魔物である。
一つ。その拳は岩を割り、木の幹を打ち砕く。
一つ。その認識・反射・処理速度は1秒の間に平行して5作業を行える。
資質を有するものでもこれらの条件を満たす騎士となるには生半可な努力では足りず、一般人を越える力を持ちつつも騎士になれるだけの力がない者は準騎士と呼ばれる。
青年は意を決して広場に踏み込んで行く。争いに巻き込まれないように注意はしているが、騎士同士の戦闘範囲は広場一帯を含むであろうため、正直青年にとっての安全圏など無いに等しい。
たった一足飛びで瞬きする間に広場の端から端へと動くのが騎士なのだ。気が付いた時には目の前に現れ、切り捨てられるのも一瞬だろう。
黒装束からスローイングダガーが一本放たれた。投擲用の黒塗りの刃は闇にまぎれてまっすぐに飛んで行く。
少女は見た。その狙いの先に呑気に間抜け面で棒立ちになっている青年がいるのを。
「――」
少女の足が動き、青年の側まで飛び寄って右手が閃く。
スローイングダガーは青年の目の前で弾かれ、明後日の方向へと飛んでいった。
「え?」
少女が自分の右手を見て呟いた。
信じられない。少女の顔にはそうありありと書かれていた。
少女はすぐに目を険しくし、不機嫌そうに眉を寄せる。
「……邪魔」
「う、うわわっちゃっ!?」
一瞥だにせず、あたふたと四つんばいで逃げ回ろうとする青年の首根っこを引っつかんで広場端のゴミ溜まりの中にポイ棄てする。
次の瞬間、青年の頭があった場所に刃が走った。
「く」
横薙ぎの短剣を、下から掬い上げるように切り上げた太刀で逸らす。短剣を弾かれた黒装束の人影は上体が泳ぎ、次の瞬間少女の太刀がその胸を貫いた。
肉を貫く感触が腕に伝わる。少女はそれに眉一つ動かさずにすぐさま引き抜く。派手に吹き出した血が少し少女にかかり、広場に新しい血の匂いが広がった。
警戒したままバックステップで距離をとる。黒装束はそのまま倒れ、血溜りができていった。
「あとはあなた一人」
残った一人に少女が太刀を向ける。その鮮血滴る刀身には刃こぼれ一つなかった。
最後に残った黒装束は戦意を衰えさせず、しかし黙って少女を向いている。しかしやがて倒れている二人を連れてこの場から離脱していった。
少女はそれを見送り、太刀を鞘に納めて未だ座り込んでいる青年の元へとゆっくり歩いていく。
「……いやー、狙われてるのって本当だったんだね」
「最初に言った」
「ううーん。いや、確かにそうなんだけどね」
青年が少女につきまとって早2ヶ月になろうとするが、少女が血なまぐさい戦いをしている所を初めて目の当たりにしたのだ。
「これで分かったでしょう。今回はかすり傷もなかったようだけど……」
うっすらと光石の明かりが照らす夜闇の中、後ろ手を突いて座りこんでいる青年を見下ろす少女の瞳がただただ告げる。
いつかの言葉を。無機質に。冷ややかに。
――あなた、死ぬわよ。
青年はそんな少女の瞳を見て恐怖に慄くかと思いきや、逆に真っ向から少女を見つめ
してきた。
「ま、なんとかなるんじゃないかな。ほら、今日だって無事だったんだし」
「ふざけないで」
笑顔で手をひらひらと振る青年に少女の声色が一つ下がる。
雲に隠れていた月が顔をだし、更なる明かりが辺りを照らす。月光に照らされた少女は黒装束と己の血で彩られていた。
そっと少女は自分の胸元にある首飾りに手をやり、持ち上げてみせる。
「ねえ……そんなにこの首飾りが欲しいの?」
「もちろん!」
即答だった。
その返答に少女の目がわずかに細まる。
「自分の命を失うかもしれないのに?」
更にもう一つ、少女の声色が下がる。青年はしかし、それに気づいていないのか明るい調子のままだ。
「それは嫌だなぁ。けど、きっと大丈夫さ!」
「そう。なら、」
ふと青年は硬く冷たい何かが首に当たるのを感じた。
「ここであなたを殺してみましょうか」
いつの間にか少女は抜刀し、片手で持った太刀を青年の首に当てていた。
40㎏を超える太刀をその細腕で支えていてもなお、騎士たる少女の腕は微塵も揺れていない。
青年が座ったまま見上げるとそこには能面のように表情の抜け落ちた少女の顔がある。そこからは一切の感情を読み取れない。
「……それは困ったなぁ」
それでもなお、青年には緊張感の欠片も無い。
少女は自分ができっこないと侮られていると思ったのか、わずかに首にかけた刀身を引く。すると首筋に赤い筋ができた。
静寂。
夜闇はまるで生き物のように重さを伴って広場にのしかかる。
やがて沈黙を破ったのは青年だった。
「その首飾りはね」
「……?」
青年が少女から目を離さずに口を開く。そこから紡がれた言葉は静かなものだった。
「その首飾りはね二千年もの昔にある細工師の男が幼馴染の女性に贈ったものなんだよ。二人の逸話は決して有名ではないけれど、一つの愛の形として今も伝わっているんだ。
そのプレシャス・オパールの上にある紋章はその女性が嫁いだ今は断絶した亡き王家のもので、首飾りの周りにある細やかな銀細工にはこっそり持ち主に当てたメッセージがあるんだ。よくよく注意しないと細工の文字には気づかないんだけどね。
メッセージは二つ。『Dear Laura』『I pray for your happiness』。
僕は目が良くてね。その宝石と細工を見てすぐにかの逸話の品だと思ったよ。
面白いとは思わないかな。遥か昔の決して僕らの手が届かない時代の品が逸話と一緒に目の前にあるんだよ。僕らはそれにロマンを感じ、探し求めているんだ」
最後に一つ笑みを浮かべてそう締めくくった。
「そのためなら死んでもいい、と?」
「いやぁさすがに死ぬのは御免だけど、でも命をかけてもいいとは思ってるかな。あ、もちろん君みたいな綺麗な子だって同じくらい大事だよ!」
「……」
青年の首に当てられていた太刀が引かれる。
顔を俯けて無言で佇む少女は唇を強く引き結び、血を吐くようにその口を開いた。
「命をかけるって? こんな首飾り一つに? たった一つしかない、取り返しのつかない命を? 本当にその覚悟があるなら今ここで腕の一本も斬り落としてあげようか?
――命を、そんな軽く言わないで!!」
少女の激昂が広場に響き渡る。同時に青年の横を突風と化した太刀が振り下ろされる。太刀は石畳を割り、激しい土埃を舞い上がらせた。
青年が少女と一緒になってから初めて見た激情だった。
少女は思い出す。少し前に自らの手で貫いた敵の命を。あの生々しい嫌な感触を。
そしてかつて少女が住んでいた家を。母が、大好きだった兄のような彼が血に濡れて冷たくなっていった家を。
少女はこれまでに連ねられた死という名の猛毒を思い出す。
「……っ」
少女の息が乱れ、呼吸に苦しむ。顔はやや青ざめて額にはうっすらと冷たい汗を浮かべていた。
少女の突然の変貌に青年は慌てたように手を伸ばす。しかしそれは少女には届かない。
「触るなッ!!」
片手で青年の胸倉を掴み、持ち上げる。そしてそのまま恐るべき騎士の力で乱暴に石畳へと投げつけた。
受身もとれずに無様に転がされた青年は、広場の端の木にぶつかってようやく止まった。そのあまりの衝撃に目が回り、呼吸すらできなくなった。
「もう、付いてこないで」
荷物を手に取り、青年に一瞥すら向けずに少女は跳ぶ。
その姿は風のようにあっという間に遠ざかり、街壁の外へと消えていった。
★★★★★
街を出てからもひたすらチーターのように西へ街道を駆け続け、小高い丘を越え、少女が気が付いた時には街の姿はとっくに見えなくなっていた。
「……」
夜の無人の街道で少女は振り返り、街のあった方角を向いたまま荒い息を吐き続ける。
「……そうだ。初めからこうすればよかったんだ」
少女の口の端が緩い弧を描く。
「こうすればあのうっとうしい男に付きまとわれずに済んだ。
そう。私は騎士なんだし最初から本気で走ればあいつが追いつけるわけないんだ。
あはは。そっか。なんだ、簡単な事じゃない。どうして今までこうしなかったんだろう」
少女は晴れ晴れすると言わんばかりに笑みがこみ上げてきた。
「これで、私は一人」
呟いた瞬間、さっきまでの街での痛みとは違う何かが少女を襲う。
先ほどまでの苦しみが毒ならば、今のこれは小さな錐の痛み。
少女はしかし、その痛みを瑣末なものとしてすぐに脇に追いやった。
「元々私は一人で行くはずだったのだし、これで良かったんだ。ええ、そうよ」
清清しい満足げな表情を浮かべ、小さな少女はまた歩き出した。
一人で冷たい暗闇の道を。