2 二人の野営
いつかどこかの二人 <2>
夜の森にフクロウの鳴き声が澄み渡っている。
夜空を見上げれば深々と凍えるような白光で夜を優しく照らす半月がかかっていた。
森の中で見つけた湖。その畔で少女にくっついてきている青年は焚き火を囲んで少し
遅めの晩御飯をこしらえていた。
「……そろそろいいかな」
青年が焚き火の周りの地面に突き刺してある棒の一つをとる。その先には魚があり、
その焼け具合を見る。
「……うん。よし。ほら、焼けたよ。こっちの木の実のスープももうできるから晩ご飯に
しよう」
程よくやけた魚の串を大きな葉っぱの上に乗せていきながら青年は焚き火の向かい側、
少し離れた所で一人油断なく警戒に目を光らせている少女に手招きした。
木に背中を預けて座り込んでいた少女は一度腰に手をやって太刀の位置を確かめた後、
青年を威嚇しているのだろう、睨みつけながら静かにゆっくりと近づいてきた。いつでも
襲われた時に対応できるように。
「はい。ちょうどいい焼け具合だよ」
「……」
少女は無言で警戒しながら魚のついた棒を受け取り、適当な場所から魚の一部を千切る。
そしてそれをぐいっと青年に突き出してきた。
どうやらお姫様は毒見をせよと仰っているらしい。青年は馴れた様子でそれを取り、
躊躇いなく無造作に自分の口に放り込む。当然何も青年の様子に変化はなかった。即効性
の毒は盛られていない事を確認し、少女はそれでも用心深く、側にたっぷりの水を用意
してからまず小さな一切れを口にする。真剣に何度も租借し、何も変わった味はしない事
を確認して、ようやく安心したのか魚にかぶりついた。
青年が少女についてくるようになってかれこれ1ヶ月。少女は未だに警戒むき出しで
青年と過ごしていた。
青年はそんな少女の様子に頓着する事なく、鼻歌を歌いながら焚き火にかけてある鍋
からスープを掬う。それを椀によそってまず自分で一口。少しそのままの格好で思案して
いたが、ちょっと不満気に顔をしかめ、袋から細かく刻まれた乾燥した何かの葉っぱを
取り出して鍋にふりかける。それからちょっと鍋をかき混ぜてまた椀にスープを掬う。
一口含んで、今度は満足したのか顔に会心の笑みが浮かんだ。
「できた。ほら、スープだよ」
椀を差し出す。少女は黙ったまま利き腕ではない方の手で椀を受け取った。利き腕は
常に太刀を抜けるよう自由にしている。
「どうかな?」
「……」
少女はほんのわずかに口をへの字にした。が、すぐに元の済ました表情で椀を一気に
空にした。
「む。その様子だと少し味が濃いかったかな? ここ数週間で色々味を変えてみたけれ
ど、やっぱり君は薄味の方が好みなんだ?」
「……ええ」
「そっかそっか。憶えておくよ」
「別に憶えなくていい」
「ああ、冷たいお人。よよよ」
「気持ち悪い。やめろ」
ハンカチ片手に崩れ落ちる青年に見向きもせず突き放す少女。そんな彼女は用意された
魚の串の半分、鍋の三分の一程度をお腹に収めて箸を置いた。魚はキッチリ骨を抜いて
食べているあたり、結構几帳面な性格かもしれない。
それから少女はおもむろに立ち上がり、空になった鍋と椀を片手に湖まで歩いていった。
洗って青年に返すつもりなのだ。
「やれやれ。こーいうところはけっこう可愛いんだけどな」
少女にバレないよう、青年はこっそり口元を手で隠して微笑む。
少女は変に借りを作りたくないらしい。青年は「本当に勝手についてきている人間に
対してなんとも思ってないのなら、別に全部自分に押し付けてもいいだろうに」と思う
が、そうしない少女の事は口にはしないが結構好ましく思っていた。
根はすっごく素直で正直で真っ直ぐなのだろう。青年はそう思っている。
食事の後片付けも済んだので、木の葉を集めて寝床を整える。
くちゅん、と可愛らしいくしゃみがした。
青年が顔を上げる。当然、くしゃみは青年のものではない。となると、ここには後一人
しか容疑者はいないわけで。
「……ほら。僕はこっちに行くからもう少し焚き火の近くにおいで。風邪ひくよ」
青年が数歩、焚き火から遠ざかる。すると少女は青年を値踏みするように睥睨した後、
そろりそろりと焚き火へ近づいた。なお、その間も太刀を手放そうとしなかった。
それから静かに目を閉じて横になる。
なお、青年は眠っている少女に近づこうとはしなかった。以前、一度眠っている少女の
毛布をかけなおそうと近づいた事があったが、その時はいきなり太刀で斬りかかられた。
無論、青年は少女の太刀を避ける事も受ける事もできなかったので、本来はバッサリ斬ら
れてそこでジ・エンドのはずだったが、幸い太刀は近くの大木の幹に引っかかり、ギリ
ギリで服一枚ですんだ。
それから青年は二度と眠っている少女に不用意に近づくまいと心に決めた。さすがに
命あってのものだねである。
一人寝ずの番となった青年は焚き火に新たな枯れ木をくべ、少女の寝顔を見る。
「やーれやれ。これは持久戦かなぁ。うん、なんだか故郷の近所にいた野良猫を思い出す
よ。あの子も中々なついてくれなかったし」
それでも青年はどこか楽しそうに、また一本の枝を火に放る。
少女の首には飾りがある。よほど大切なものなのだろう。少女はその首飾りを扱う時
だけは年相応の表情を覗かせる。
青年にとってはその首飾りこそが少女につきまとう理由。首飾りは結構な値打ち物。
なんとかして少女と交渉して首飾りを手に入れたいというのが少女に話した青年の主張
だった。
ふと青年が少女を見ると、彼女はまるで何かに縋るようにしっかりと首飾りを胸に抱え
こんでいた。それを見てしまった青年は一度困ったように頬をかき、それから何事も
なかったように夜空を見上げた。
今夜は雲もなく、降るような星空だった。
了