第三話 子供の時の初恋の結末
私が王都に戻ってきたのは、秋も深まった頃。
婦人は「良かったわねぇ!」と泣きながら見送ってくれた。
あなたのせいです、とは言えなかった。悪意が全くないので責める気にもなれない。
父は「おかえり」と言いながら、どこか楽しそうだった。
「お父様、経緯を説明してください」
私は着替える間もなく書斎に乗り込んだ。
「うん、実はな、ラルシェンと縁談をまとめた時に、実はもう一件、同時に王太子殿下からのお申し込みがあったんだよ」
「……なんですか、それ」
「名前がね、二人とも『ラル』まで同じだろ」
私は固まった。
「……まさか」
「ラルシェン・バーネット子爵令息と、ラルフリード・フォン・クレスト王太子殿下。どちらも『ラル』。返事を出した時に、ちょっと……間違えた」
「ちょっと間違えたって」
「まぁ、ちょっとね」
父は視線を逸らした。
そうだ、父はこういううっかりな人だから、そんな父を放っとけない、しっかり者の母が押しかけ女房のように結婚したんだった。
「それで、今回の件で改めて殿下が『縁談を進めたい』とおっしゃって」
「なぜ」
「わからん。でも断る理由もないだろう」
断る理由がないから王太子と婚約するのか。この父は本当に……。
「私に聞かないんですか。当事者の意見を」
「お前が嫌なら断るか?」
「…………」
王太子との婚約。まったく想像していなかった未来。
でも、正直に言えば、断る理由も、すぐには思いつかなかった。
ラルシェンへの恋は終わった。
スローライフは楽しかったが、一生北の辺境で野菜を育て続けるのが理想の未来かというと、それも違う気がしていた。
「……一度お会いしてから、判断してもよいですか」
「もちろんだとも」
お茶会の席と言う名の顔合わせで、王太子ラルフリード・フォン・クレスト殿下にお会いした。
二十三歳。
薄い金髪に灰青色の瞳。
表情の動きが少なく、最初は取っつきにくそうに見えたが、話してみると穏やかで、聡明で、皮肉を言う時にだけ口の端が少し上がった。
挨拶と当たり障りのない会話を交わした後、殿下は言った。
「……不思議そうな顔をしているね」
「申し訳ありません」
「構いません。聞きたいことがあるのだろう」
「では一つだけ。なぜ私なのですか」
殿下はほんの少し間を置いた。
「覚えていないか。子供の頃、茶会で何度か会ったことがあることを」
茶会。子供の頃。
「……どなたかの、お茶会でしょうか」
「侯爵家と伯爵家で一度ずつ。王宮でも一度」
私はゆっくりと記憶を探った。
子供の頃の茶会。そこで会った男の子。
隣に座って、お菓子の話をして——
「待ってください」
私はそっと手を上げた。
「その茶会の席で、ひょっとして私たちはお会いしてましたか……?」
「あなたが転んだ時に手を貸して、泥のついたドレスを見て笑ったことを、だいぶ後で謝った」
心臓が、ずきりと痛んだ。
転んだ時に手を貸してくれた男の子。
泥のついたドレスを笑って、でも後でこっそり「笑ってごめんなさい」と言いにきた男の子。
あの子の名前は——
「ラル?」
私は呟いた。
「そう。子供の頃、その愛称で呼んでくれたね」
私の頭の中で、ゆっくりとパズルのピースが組み直されていった。
あの茶会の記憶。
隣にいた男の子。
転んだ私に手を差し伸べた小さな手。
名前を尋ねた私に『ラル』と名乗った男の子。
私はずっと、あの子がラルシェン・バーネットだと思っていた。
ラルシェンがあの時に出会った、初恋の相手で、その相手が婚約者だと思っていた。
だから記憶の中の彼と、目の前の彼を重ね合わせて、愛情だと思っていた。
でも。
違ったのか。
私がずっと初恋だと思っていたあの子は、今目の前に王太子ラルフリードだったなんて。
「フローラ嬢」
殿下が、穏やかな声で言った。
「あの後すぐに婚約を申し込んだけれど、子爵令息と婚約したと知って驚いた」
「も、申し訳ありません……」
私は必死に頭を整理しようとした。
混乱している。
ひどく混乱している。
でも同時に、胸の奥に何かが広がっていくのを感じた。
あの穴を、ゆっくりと埋めていくような何かが。
「けれど今回、事情を知ってもなお、私はこの縁談を続けたいと思った」
「……なぜですか」
「初恋だったからです」
あまりにもまっすぐで、フローラは一瞬息を忘れた。
「……私、母に似てしっかりしているつもりだったのです」
「ええ」
「でも、案外そうでもなかったみたいです」
「それは?」
「愛称だけで初恋の人を取り違えて、長いこと思い込んでいましたから」
そう言うと、彼はとうとう声を立てて笑った。
つられて笑ってしまう。
父をうっかりな人。なんて思っていたけれど、ちゃっかりその血は私に流れていた。
「では。順序があべこべになってしまったけれど——」
彼は静かにカップを置いて、まっすぐ私を見た。
「ちゃんと初恋同士、もう一度最初から始めないか、と言ったら……聞いてもらえないだろうか」
私はしばらく考えてから、窓の向こうの白い庭を見た。
子供の頃の初恋を美化してしまい、実は別の人だったなんて。
婚約者だと思っていた人への気持ちが、実は別の誰かへの記憶と混ざり合っていたのだとわかった。
それは少し、悲しいことかもしれない。
でも同時に、何かとても大切なものを取り戻したような気持ちでもあった。
「フローラ嬢」
殿下の声がした。
彼は少しだけ口の端を上げて——あの、皮肉な時の顔で——言った。
「また転びそうな顔をしている」
「……殿下は相変わらず失礼なことを言いますね」
「今度は笑わない」
「本当でしょうか」
「手を取ってくれれば、証明できるけど?」
差し出されたその手を見て、思い出した。
雨上がりの庭で、転んだ自分を引き起こしてくれた、小さな手のぬくもりを。
私はその手を取った。今度こそ、間違えずに。
ちゃんと最初から始まる、私の初恋の話。
——父の「娘はやらん(一度言ってみたかった)」から始まったこの物語が、こんな形で幕を開けることになるとは、あの頃の私には想像もできなかった。
でもまあ、子供の時の初恋の結末なんて、こんなものなのかもしれない。
少なくとも、私の初恋はそうだった。
最後までお付き合いありがとうございました。
みなさんの初恋はどんなでしたか?私は6歳の時、祖母のお友達のお孫さんでした!!(無駄知識)
初恋のことを思い出したら、ブックマーク、★★★★★、リアクション、よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ




