第六夜 高い塀の家2
大理石のアプローチを渡り切り、玄関の前に立った時、菖蒲は思わず蒼馬に声をかけた。
「あの……車は返したしもういいんじゃ……?」
先ほどからやけに虫の聲が五月蠅い。
それなのにジージーと耳障りな虫たちの姿は見えなかった。
何かが自分を嘲笑っている気がする。
「駄目だよ。ちゃんと受け取ってもらわないと。宅配だって受取人のサインがいるだろう?」
「でも……この家、凄く危ない感じがするんです……」
「へぇ……」
そう言って菖蒲の顔を覗き込む蒼馬の顔に表情は無い。
深い闇のような眼は弧を描き、奈落の淵のような唇も薄笑みを浮かべている。
それなのに、その表情に相応しい名前が見つからず菖蒲はごくりと息を呑んだ。
その時だった。
ガチャリと音がして、戸が開く。
暖かい暖色の光が戸の隙間から漏れ出して、穏やかそうな男性が顔を出した。
「夜分に失礼します」
蒼馬が笑顔で言うと、相手の男性も笑顔を見せた。
「いえいえ。こちらこそお手数をおかけして申し訳ありませんでした。どうぞ。中で飲み物でも」
和やかかつ、紳士的な振る舞いに菖蒲は胸を撫でおろす。
いつの間にか虫の音も聞こえなくなっていた。
そうだよね……
曰く付きの車の持ち主でも、曰くの原因が持ち主とは限らないよね……
菖蒲が頭を下げて玄関に入ると、男性は菖蒲の姿を見て目を丸くした。
そうだった……
菖蒲は自分の恰好を思い出してスッと蒼馬の陰に身を隠す。
しかし蒼馬は何かを思いついたような顔をして、菖蒲の肩に手を回すと自分の隣に立たせて言った。
「可愛いでしょう? それなのに本人は恥ずかしがるんです。しっかり見てあげてください」
カーッと耳が熱くなる。
見ないでぇえええ……!
そう叫ぶことも出来ずに固まっていると、相手の男性は両手を顔の前で振って困ったように笑った。
「ご勘弁を! 妻に怒られてしまいます……それに私もキリスト教徒でして……」
「そうですかー?」
蒼馬はそう言って肩から手を離した。
よかった……
いい人そうだ……
そう思って菖蒲が安堵していると、男性はリビングに二人を案内した。
ついて行こうとすると、不意に蒼馬が菖蒲の手を握った。
思わずドキリ……と心臓が跳ねる。
菖蒲が振り返ると、蒼馬は耳元に唇を近づけてそっと囁いた。
「あの男を信用するな……命令だ」
その優雅な振る舞いと美しい顔のせいか、はたまた不吉な言葉のせいか、菖蒲の背筋に電気が走る。
痺れて動けない菖蒲を残し、蒼馬はクスリと微笑むと、リビングの方に歩いて行った。




