第二十六夜 高い塀の家 ⇆ 遊園血17
パシィィンッ……と乾いた音が響いた。
蒼馬は冷たい微笑を浮かべて、少し赤くなった頬に爪先を掻くように這わせながら菖蒲を見つめた。
ゾッとするような虚ろな微笑みに、菖蒲は思わず震えたが、それでも堪えきれずに叫んだ。
「お兄さんなんでしょ……? いったい何がおかしいんですか……?」
「ずる……」
「え?」
蒼馬は虚空を見上げて思い出すように言った。
「ずる……って、顔が落ちた時の効果音とか?」
「うっ……⁉」
思わず後ずさりする菖蒲に、蒼馬は手を伸ばす。
この人は……
「触らないでください……!」
「何を怒ってるの?」
この人は……
「そういう話じゃありません……」
「どういう話?」
この人は……
「あなたは……」
《《コワレテイル》》……
菖蒲は蒼馬を真っすぐ見つめた。
怯えた菖蒲の目には、困ったように笑みを浮かべて首を傾げる蒼馬が、はっきりと映っていた。
「あなたは……」
そう言って開いた菖蒲の口を、ごつごつとした大きな手が塞いだ。
心臓が跳ね、恐怖に慄きながら振り返ると、そこには口や鼻から血の筋を幾重にも流した一真が立っていた。
「悪いがそのくらいにしといてやってくれ……」
自分に向けられたその言葉の意味が理解できず、菖蒲は返事はせずに声をかけた。
「一真さん……? 無事なんですか……? でも、さっき口から上が……」
「ズルって地面に落ちてたね」
性懲りもなく笑って言う蒼馬に悪気はない。
悪気以前に、きっと心が存在しないのだ。
菖蒲は蒼馬を無視して、一真の傷を確かめようと手を伸ばした。
「触るな……」
低い声と共にその手を払い、一真は菖蒲のそばを通り過ぎ、蒼馬の隣に立って片方の鼻腔を親指で押さえながら言った。
「青い方は無理だ。全員気づく間もなく死ぬだろう」
ふん……と鼻に溜まった血を地面に飛ばし、一真は顔の血を拭おうとする。
蒼馬は胸ポケットのハンカチーフを手に取ると。そんな一真の顔に手を伸ばして血を拭った。
「なかなかの傑作だったよ? 音が最高だった」
「うるせえよ。それは狙ってねえ」
「狙わずやったなら、神の奇跡だね」
「こんな地獄に神がいるかよ……」
そう言って互いの顔を見やりニヤリと笑い合う兄弟を見ながら、ポツンと取り残されて立ち竦む菖蒲の手を安藤茉莉亜がそっと握った。
「お姉ちゃん、独りぼっちだね? 茉莉亜と一緒だぁ……?」
邪悪な笑みを浮かべる少女の顔を見て、菖蒲は思わずその手を払いのけた。
「一緒じゃない……わたしは、一緒なんかじゃない……」
「でも、寂しいって思ったでしょ? 独りぼっちだからだよ? ふふふふふふふふふ」
通路に反響して無数に増えた少女の声が、菖蒲の神経を蹂躙する。
気が狂いそうな状況に耐えかねて、とうとう菖蒲は大声で叫んでいった。
「うるさい……! 少し黙ってよ!」
その時だった。
まるでその声が錆びて腐った金具にトドメでも刺してしまったかのように、ここまで歩いてきた通路の天井から、何枚もの鉄格子が下りていく。
がしゃぁん……がしゃぁん……と鳴り響く落下音と衝撃が、さらなる鉄格子の落下を生み、遥か入口のあたりまで退路が閉ざされてしまったのが理解できた。
「あーあ。お姉ちゃんって本当に運が悪いね?」
見ると少女は、子ども用の背丈が低い通路の前に立って手を振っていた。
「またね」
そう言い残し、少女は《《お仕置きトンネル》》の奥へと姿を消してしまった。




