第十三夜 高い塀の家 ⇆ 遊園血4
菖蒲は固まった。
子どもから指を奪うのは論外だ。
たとえ中身が人外の化け物であろうと人の形をしているであろうそれらから、力づくで指を奪うなど有り得ない。
ならば目の前の男はどうだ?
目の前の男は人ではない。
人ではないけれど、何も危害を加えてくる様子はない。
不気味に改札鋏を鳴らして佇んでいるだけ。
先ほどのような殺し屋相手に息一つ乱さない蒼馬なら、いとも簡単に殺してしまうだろう。
どちらを選んでも虐殺。
選べない……
そう言いかけて、菖蒲は口をつぐんだ。
ダメだ……そんなこと言ったら、蒼馬さんは多分子どもを狙う気がする……
「蒼馬さん……」
「なあに?」
菖蒲は肚を括って口を開いた。
それに蒼馬は愉快そうに返事をする。
まるで予定調和のような薄っぺらい声で。
「これからも……わたしの仕事は《《こういうこと》》なんですよね……?」
「まあ、概ねそうだろうね」
「わたしがいないと扉は開かない……」
「そうだね。他に方法が無いわけじゃないけど、概ねそう思っていいよ」
「なら、これからも扉を開くにあたって、条件があります……」
背中のあたりで空気が凍てつくのが分かった。
それでも菖蒲は引き返さない。
売られても、自分の尊厳だけは守り抜く。
たとえ命を失っても……
「聞こうか……その条件っていうのを」
蒼馬が抑揚のない声で言った。
菖蒲は蒼馬の腕を逃れ、真っすぐにその顔を見据えた。
漆黒の瞳はシマエナガ。
否。
シマエナガに擬態した怪物のそれだった。
「殺しは、蒼馬さんに死が迫った時以外禁止です……! それが約束できないなら、今この場所で舌を噛んで死にます……!」
あっかんべーの要領で舌を突き出し、菖蒲はそれに歯を立てる。
蒼馬は顔色一つ変えずにポツリとつぶやいた。
「痛いよ?」
「我慢します……」
「簡単に死ねない」
「努力します……」
「僕が治すかもしれないよ?」
「全力で抵抗します……」
蒼馬の顔つきが何かしらに変化しようとしたその時だった。
「くくく……」
どこからか、押し殺したような乾いた笑い声が響いた。
やがてそれは笑い転げるような大声に変わる。
「はははははは……! おい蒼馬!? それくらいにしておけ! こいつは傑作だ……! くくくくく……」
「か、一真さん……⁉」
「ふふ……僕だけ悪者扱いしないでほしいな。兄さんも楽しんでいただろう?」
「だってよ……こいつの間抜け面……条件があります……って化け物の命の対価が自分の命だ? ぶっ飛びすぎてんだろ……⁉」
全くもって似ていない声真似をする一真に、菖蒲は思わず言い返す。
「だ、だって……! 無一文だし、それくらいしかカードがないんだから仕方ないじゃないですか……⁉」
「体を使うとかは考えなかったのか? 胸にぶら下げた立派なやつはお飾りかよ?」
「なっ……ななな、何言ってんですか……⁉ そ、そんな目で見てたなんて……サイテー! み、見損ないました……!」
「な、なんだと小娘⁉ 言っておくが八木家当主は俺だぞ⁉ お前の体は俺のもんだ……! どんな目で見ようと俺の自由だ!」
「はいはい。そこまでだよお二人さん。あーあ、せっかくの残酷な空気が台無し。意地悪はこれくらいにして、先を急ごうか? 兄さんももう《《馴染んでる》》んでしょ?」
「ふん……気に食わねえがな……とりあえず、目の前の馬鹿をノせる程度には馴染んでる」
「強いの……?」
「ああ。末端とは思えねえ……」
「へぇ……」
蒼馬の目が残忍な弧を描いた。
話の内容がまるで理解できないながらも、菖蒲にも分かることがある。
先ほどから鳴りやまないのだ。
不幸の到来を告げるアナウンスが。
音がする方に目をやると、上半身が巨大に膨れ上がった詰襟の男が、巨大な改札鋏を手にもって邪悪な笑みを浮かべていた。
しつこくしつこく繰り返されるアナウンスに、菖蒲が頭痛を覚え始めた時、蒼馬が静かに口を開いた。
αίμα και σκουριά ως καταλύτης
《血と錆びを触媒に》
φτιάξτε κρέας
《肉を成せ》
Έλα από τις σκιές
《影より来たれ》
την οικογένειά μου από το αίμα
《我が血族》
血の臭いを乗せた錆鉄色の風が渦巻いた気がした。
まるで大気に蔓延る血の粒子がそこに集っているようだった。
やがて蒼馬の影がどろりと暗い水に変わる。
そこから這い上がるようにして、一真の肉体が受肉する。
穢れた血の風でできた一真の身体は、化け物と同じ灰褐色の皮膚をしていた。




