6話 憑依
——変なことが起き始めたのは、その頃からだった。
最初は、ただの偶然だと思った。
美咲とふたりで会うことが増えた。
そして逆に、拓海と栞と顔を合わせることは減っていった。
透は気にしないようにしていた。
気にすればするほど、空気が壊れていく気がしたし
壊れていくものを自分の手で確かめるのが怖かった。
そんなとき、美咲は決まって“都合よく”現れた。
「透、今日空いてる?」
「今から行ける? ちょっとだけでも」
——助かる。ありがたい。
透はそう思った。
救われている、とも。
なのに。
その“救われているはずの毎日”に
少しずつ、ズレが混ざり始める。
◇ ◇ ◇
ある日のことだ。
「今日、駅前の店でパスタ食べよ。予約しといた」
美咲がそう言った。
透も頷いた。スマホで店名も見た。確かに予約完了画面も見た。
それなのに。
夕方になって店に行くと、店員が首を傾げた。
「ご予約…入ってないですね」
「え?」
透は固まった。
「いや、予約しました。……ほら、これ」
履歴を見せようとして、スマホを開く。
しかし、そこには何も残っていなかった。
予約完了のメールも通知も履歴も。
最初から存在しなかったみたいに、綺麗さっぱり消えていた。
「ごめん、私がミスったのかも〜」
美咲が笑って流した。
笑って流されたから、透も笑って流した。
——そういうこともある。
予約って、うまくいかないときもある。
そう納得しようとした。
けれど。
納得しようとしている自分の胸の奥に
小さな針みたいな違和感が残った。
◇ ◇ ◇
似たことが続いた。
美咲と約束していた日に限って、連絡が途切れる。
「ごめん、寝てた!」
「ごめん、今気づいた!」
「ごめん、通知来てなかった!」
美咲が謝るたび、透は「大丈夫」と返した。
本当に大丈夫だった。
少なくとも、美咲を疑う理由なんてなかった。
それなのに。
透のスマホからは、メッセージの一部が消えることがあった。
“既読”がつくはずの時間に、つかない。
送ったはずの文章が、送信されていない。
逆に、押した覚えのないスタンプが送られていたりする。
——指が当たっただけか。
自分に言い聞かせた。
でも、その“言い聞かせ”が追いつかない速度で、ズレは増えた。
◇ ◇ ◇
極めつけは、履修登録だった。
春学期の授業。
透は、美咲と同じ授業を取ったはずだった。
同じ教室。
同じ教授。
同じ時間。
一緒に受けよう、と話して
そのためにわざわざ空きコマも合わせた。
なのに。
ある日、教室の前で立ち尽くした。
履修一覧から、その授業が消えている。
「……は?」
透はその場でスマホを何度も更新する。
何度ログインし直しても、ない。
履修登録をした形跡が、ない。
まるで最初から
透だけが“その授業を取っていなかった”かのように。
美咲に連絡すると、返事はすぐ来た。
『え? 透も取ったよね?』
『おかしくない?』
美咲の履修画面には、その授業が存在していた。
透の画面にだけ、ない。
ありえない。
——いや、あるのか。
システムの不具合。
ログインのミス。
登録確定を忘れたとか。
理由を探そうとするほど、頭が冷えていく。
その冷え方が、嫌だった。
冷えるたびに、心臓が強く鳴る。
⸻
そして、SNSもおかしくなった。
美咲のフォローが外れている。
拓海のフォローが外れている。
友人のアカウントが勝手にブロックされている。
気づけば、グループで繋がっていたはずの“輪”が
少しずつ、削られていた。
削られる、というより——
“切り取られていく”感じだ。
社会から。
自分だけ。
少しずつ。
◇ ◇ ◇
その頃から、視界の端に影が走るようになった。
黒い、細い影。
人の足元をすり抜けるような動き。
でも、目を向けると何もいない。
猫かと思った。
この辺りは野良も多い。
けれど、それは猫にしては妙だった。
影は、いつも透から少し離れた場所を走る。
決して近づいてこない。
そして、誰も気づかない。
透だけが、気づく。
透だけが、追ってしまう。
◇ ◇ ◇
夜。夢を見るようになった。
明確な映像ではない。
ただ、匂いがある。
土と、草と、湿った風。
それから——
あたたかい毛。
気配だけで、胸の奥が締めつけられる。
懐かしい、と感じた。
でも同時に、怖かった。
「……なんだよ、これ」
目を覚ますと、枕元が妙に冷えている。
窓が開いているわけでもないのに。
寝汗のはずなのに、背中がぞくりとした。
◇ ◇ ◇
透は、思い出してしまった。
昔、祖母が言っていた言葉。
「狐には気をつけなさい」
「狐は恩も返すけど、執着もする」
「優しい子ほど、憑かれるんよ」
——憑かれる。
その言葉が、頭の中で音を立てた。
透はスマホで調べた。
狐憑き。
憑き物。
憑き物筋。
学術的には迷信。
精神医学的には錯覚やストレス反応。
でも地方の伝承では“ある”とされている現象。
そして、そこに並んでいたのは
“孤立”や“排除”や“家系”といった言葉だった。
透はスマホの光の中で、ひとり呟いた。
「……俺、憑かれてる?」
その呟きが、部屋の壁に吸われた瞬間。
視界の隅で、何かが揺れた。
黒い影が、じっとこちらを見ているような気がした。
透は息を止める。
そして、次の瞬間。
影は、すっと消えた。
まるで——
「気づくな」と言うみたいに。




