邂逅
……終わった、か。
最後の暴走個体が影の中へと沈む。
焔を抜いた触手が霧散し、アスファルトに残っていた熱も、ゆっくりと冷めていった。
周囲を見渡す。
まだ街のあちこちにモンスターの気配は残っているが、この一角はひとまず沈静化したはずだ。
『……はぁ』
正直、きつい。
人間を庇いながら、暴走個体を無力化して、仲間の動きも把握して──頭が休まる暇がない。
新人の頃、残業覚悟でデスクに向かい合っていた辛さを思い出した。
うっ、トラウマが……よそう。
今の俺は可愛いスライム系美少女である。
『でも少しだけ、休ませて欲しいな……』
そう思った、その瞬間だった。
──ぞわり。
背中を冷たい氷で撫でられるような悪寒。
周囲から、突如として殺気が湧き上がる。
複数。
しかも、どれも相当強い。
だが、それ以上に気味が悪いのは。
『……なんだ、この感覚』
人の気配と、モンスターの気配。
本来なら決して混ざらないはずの二つが、同時に存在している。
『……ちっ、来やがった』
攻撃されそうになり、影が反射的に蠢いた。
不可侵へ移行する前段階、粘液が地面に薄く広がる。
次の瞬間──空気が裂けた。
『……っ!?』
衝撃。
不可侵が間に合わなかった。
肩を掠める一撃。粘液が飛び、身体が横へ弾き飛ばされる。
物理攻撃は進化した【全方位衝撃無効】によって効かない。だがくそ位相の【感覚倍増】によって、痛みは必要以上に感じてしまう。
HPは減ってないのに、全身が悲鳴をあげている感覚だ。
これもう新手のバグだろ。修正しろよ運営。
そんな文句が零れるくらいには、人生で経験したことがない痛みが走っていた。
ハッキリ言おう、痛すぎて泣きそうだ。
俺が元おっさんだから耐えられた。おっさんじゃなければ耐えられなかった……なんだよクソゲーじゃねぇか!
『いっ、てぇ……くそ、な、んだ今の』
痛みで歪む視界を必死に開き、着地と同時に距離を取る。
視線の先。そこにソレは立っていた。
人型のフォルムをしているモンスター。
皮膚は硬質化し、筋肉の隆起は異常。
顔は歪み、目は虚ろだが……暴走個体のそれとは決定的に違う。
『……面倒くさそうだなぁおい』
さっきまでのモンスター連中と、決定的に違う。
唸り声をあげることも、感情的に暴れている訳でもない。
ただ単純に俺の命を狙った攻撃だった。
『最初から俺が狙い、か?』
影から触手を伸ばす。
警戒を込めて、数は多め。殺す訳にもいかないため、威力は抑える。とは言ってもある程度のモンスターならば簡単に拘束できるような代物。
の、はずだった。
モンスターは俺の触手が発現したのを見て、警戒を怠らず……そのまま躱してしまった。
『……は?』
焔を付与する前。
不可侵になる前。
その前提を読まれたような動きに、思わず一歩下がる。
『……偶然?いいや、何かおかしい』
次の瞬間、距離を詰めてくる。
速い。無駄がない。
拳が来る。
触手で受けようとするが……受けられない。
『っは!?』
攻撃が、途中で軌道を変えた。
まるで触手の動きを見てから、選択を変えたみたいだ。
モンスターならば直情的に突っ込んでくるはずだが……頭がいいのか?
『……なんだ、この違和感は』
胸の奥に、引っかかるものが生まれる。
『モンスターにしちゃ……考えすぎだろ』
嫌な予感がした。
早期決着を測るために焔を纏わせる。
次は確実にぶち当てて気絶させなければならない。
「……!」
そんな俺の意思を感じ取ったのか、モンスターがわずかに間合いを外した。
焔の届かない位置だ。
不可侵が最大化される距離を、避けている。
『……なんだそれ』
頭の中で、何かが噛み合わない。
なぜ俺の能力を知っている?なぜそこまで知恵が回る?
獣じゃない。
でも、人間でもない。
嫌な予感が確信に変わりつつあった。
『……まさか』
戦闘の最中、視線が滑る。
首。
腕。
胸元。
──ない。
どこにも紋様が、ない。
『……嘘だろ』
一瞬、動きが止まった。
『そこまでするのか、おい』
モンスターなら、必ずある。
進化の痕跡。属性の証。
なのに。
『……お前』
思わず、声が漏れる。
『……元、人間……か?』
その言葉に、相手が──反応した。
ほんの一瞬視線が逸れる。
微かに感じた動揺を隠さず、そのまま突進の攻撃を受けて身体が吹っ飛んだ。
近くの建物に叩き付けられながら、確信の二文字が頭を過ぎる。
『図星かよ……くそ、そこまでするか普通?』
粉塵の向こう。
無言で歩み寄ってくる“元人間”。
瞳に生気はない。しかし人の意志を感じさせる。
どうやら人としての意識を残したままモンスター化しているらしい。
最悪のパターンだ。
元人間なら迂闊に手は出せない。
手加減して勝てる相手じゃないっていうのに……本当に最悪だ。各々に渡している触手にも、未だに多くのモンスターが街中で暴れているのが情報で伝わってきている。
まだまだここで消耗する訳にはいかない。
そう悩んだ矢先、パチパチと拍手の響く音が対峙するモンスターの方向から聞こえてきた。
「──すばらしい」
低く落ち着いた声。
戦場の空気を割り込むように、しかし不思議なほど自然に、その声は響いた。
元人間のモンスターが、ぴたりと動きを止める。命令を受けた犬のように、即座に。
瓦礫の影。
崩れたビルの中腹。
いつの間にか、そこに“人影”が立っていた。
戦闘の余波を一切受けていない。
粉塵の中にありながら、まるで研究室にいるかのような落ち着いた佇まい。
白衣にも似たコート。
整えられた髪。
そして、こちらを値踏みするような、冷たい視線。
何度この声を聞いたことか。
何度この男を倒すと誓ったか。
『……お前か』
周囲の気配が完全に鎮まった。
男の拍手の音と自分の呼吸音だけが、やけに鮮明に聞こえる。
「いやはや、驚いたよ。あの状態から、よく“元人間”だと見抜いた」
一歩、前に出る。
それだけで、場の主導権が完全に向こうへ移ったのが分かった。
かなりまずい展開だ。
「そう、正解だ」
男は口元に、薄く笑みを浮かべる。
「君、なかなか頭がキレるようだな──初めまして」
その視線が、まっすぐ俺を射抜く。
「私の名前はドルマン。君たちが倒すべき“組織”の長だよ」
暴走。
元人間のモンスター。
統率の取れた動き。
そして、都市の動乱。
この全てを計画した最悪のラスボスが、ご丁寧に俺の目の前に登場しやがった。
『元凶が、直々にご登場ってわけか』
影が、俺の足元でざわりと蠢く。
もはや手加減はいらない。こいつだけは死んでも止めなければならないからだ。
フォスを暴走させ、大事で大切でこの世で一番可愛いご主人様を殺させた諸悪の根源が、俺の目の前にいるのだから。
『悪いけどさ』
視線を逸らさず、笑ってやる。
『名刺交換する気分じゃねぇんだわ』
ドルマンは、楽しそうに目を細めた。
「それは残念。では死んでもらおうか、ヒーロー気取りのモンスターよ」




