弱点
『ついに始まったか』
何となく起きそうな予感はあったが、まさか的中するとは思わなかった。
昨日の焼き増しのように街中で暴れ回るモンスターは、昨日現れた個体よりも圧倒的に強そうな風格を感じる。
一体どこからやって来たのか、身体に埋め込まれている注射器やなにかの装置を見れば、一目瞭然だ。
「きゃぁぁぁあああ!!!!」
「おかーさん……おとーさん……どこ?」
劈く悲鳴。
子供の泣き声。
誰かの怒声。
助けようとする人達はいない。皆逃げるので精一杯だ。
昨日の一件でモンスターを保護施設に預ける人間が増えたためか、人間を守ろうとするモンスターは数少ない。
これから始まるのは、ただの蹂躙だ。
まぁ、だからこそ。
『俺“たち”がいるんだけどな』
その言葉と同時に、足元のアスファルトがぐにゃりと歪んだ。正確には、俺の影からにゅるりと現れた大小様々な触手によって、地面が歪む。
焔を付与することで、不可侵のまま相手に攻撃を当てることができる。その威力は絶大だ。
焔を纏った触手が、地面を這う。音もなく、しかし確実に。
放つ矛先は、目の前で襲われている逃げ遅れた人たちを庇うために。
「──ッ!」
異形のモンスターがこちらに気付いた瞬間には、もう遅い。
振り上げられた前脚よりも先に、触手がその胴を絡め取った。
【異相触肢】
焔属性付与──不可侵による接触妨害。
見ることは出来ても触れることが出来ない触手は、すぐさまモンスターを灼いた。
「ギ、ギィィィィッ!!?」
焔は肉体ではなく、存在そのものを舐めるように侵食していく。
暴走した感情。注射器によって無理やり引き上げられた進化衝動。それらを丸ごと炙るように。
ま、別にそんな効果はないんだが。
「……んきゅ」
小さく息を吐く。
力は必要最小限。殺すためじゃなく、止めるためだからだ。
モンスターの動きが鈍り、次第に崩れ落ちる。
焔を解除すると同時に、触手は霧散するように影へと戻った。嘆息とともに、モウガン達が派手にやり合っている音が聞こえてくる。
どうやら存分に暴れているらしい。各々に小型に分裂させた触手を忍ばせているため、ある程度の動きは把握している。
『ん、あれは……』
その向こう。
瓦礫の影に、震える人影が見えた。
「……た、助け……」
崩れた看板の下敷きになりかけている中年の男。
足を挟まれて動けない様子だ。優しそうな顔は恐怖で歪み、痛みと絶望で涙を流している。
……くそっ、無関係な市民を巻き込みやがって。
俺は身体を伸ばし、粘液を流し込んだ。
【構造再設計】による、局所補強と負荷の分散だ。
「な……なんだ、これは……?」
痛みが消えていく感覚に驚いている男を尻目に、看板を持ち上げた。モンスターの言葉が分かる人間は殆どいないが、どうやら俺の意図を察したらしい。
男は這うようにして抜け出し、そのまま転げるように離れた。
「ありがとう……ありがとう……!」
礼を言われるのは慣れていない。
だから、返事は一言でいい。
「……んきゅ」
素っ気ないかもしれないが、命の方が大事だ。きっと他にも逃げ遅れた人間がいるはずであり、流石に一々反応する訳にはいかない。
少しの気恥ずかしさと申し訳なさを抱えながら、逃げ遅れた人々を見つけ次第助けていく。案の定一人や二人じゃなかった。
倒壊したコンビニの中。
横転したバスの陰。
割れた窓の向こうで、息を殺して震える家族。
モンスターの咆哮が近づくたび、空気がびくりと跳ねる。
人間たちは声を出せず、ただ祈るように身を縮めていた。
……分かってはいたが、守る対象が多すぎる。
『ちっ!』
舌打ちの代わりに、粘液が地面へと滲んだ。
【高等粘液制御】によって俺の足元から広がった影が、薄く、しかし確実に街路を覆っていく。
見た目はただの濡れたアスファルト。
だがその実態は、衝撃を吸収し、熱を遮断し、踏み抜こうとすれば逆に絡め取る緩衝層だ。
次の瞬間。
ドォンッ!!
建物の壁をぶち破って、別の暴走個体が姿を現した。
腕が異様に肥大化した猿型。背中には増設された薬液タンク。
目は血走り、理性は欠片も残っていない。
「ギャアアアアア!!」
振り下ろされた拳が、逃げ遅れた母子へ──。
『っぶねぇな!?』
影から跳ね上がった触手が、拳の軌道を逸らす。
直撃はさせない。
叩きつけられた地面が抉れるだけで、母子の周囲は無傷だ。粘液層が衝撃を吸って、分散しているようだ。
念には念を入れて撒いておいて良かった。
「……っ、ありがとうございます!い、今のうちに!」
母親が子供を抱き上げ、必死に走り出す。
その背中を追うように、別の触手が伸びた。
──【構造再設計】
瓦礫に躓きそうになった瞬間、地面が柔らかく盛り上がり、足を支える。
滑り、転び、それでも痛みに呻くことなく走ることができる。
異変に気づいた母子は俺に再び視線を寄越し、軽く頭を下げたあと、急いで走り去っていった。
よし、守れたな。
だがその代償はすぐにやって来る。
「ギ、ギィ……!」
猿型がこちらを完全に認識した。怒りと憎悪が、まっすぐ俺に向く。
見た目から察するに、可愛らしい姿で愛されているレベル3の“ウッキーモンキー”だろう。
だが、今の姿はまるで別人だ。
『さぁこい!!!』
人間を守る役を引き受けた以上、囮になるのも仕事だ。焔をほんの少しだけ強め、【異相触肢】により擬似的なバリアを形成した。
触手の数を増やし、影が濃くなり、空気が焼ける匂いを帯びる。
「ギィァァァァ!!!!」
『ハァッ!』
拳と触手がぶつかる。
正確には不可侵の触手を手に巻いているため、改造ウッキーモンキーは何もない空間を殴っている感覚だろう。
その瞬間に焔を触手に付与。
「グギっ!?ギャアアアアア!!」
猿型は暴れ、暴れ、やがて膝をついた。
焔は深追いしない。意識を刈り取る直前で止める。
……これ以上、壊す必要はない。彼らも犠牲者だから。
『胸糞悪いな……だが、まだうじゃうじゃいるんだ。細かい調整をしてる暇はない。ごめんな』
放たれたモンスターの数は百を超えているだろう。
数も質も昨日とは段違いだ。だがいずれこうなることを見越して、既に手は打ってある。
問題は“彼女”が上手く遂行してくれることを祈るのみだが……信じる他あるまい。
───☆
ドルマンは高台から、地獄絵図と化した街の風景を眺めていた。それなりに強力なモンスターを投入したつもりだが、やはりアグニール達には敵わないらしい。
……いいや、違う。
先程から見てみるに、どうやらアグニール達を率いているのは例のスライムのようだ。
あの特異個体がたかがスライムに従うとは思えなかったが、独自の進化をしたのだから気に入ったのだろう。他の仲間モンスター達も各地に散らばってモンスターを退治しているようで、組織じみた動きを感じさせた。
「なるほど、作戦の肝は君か。確か名前は、メリュジーヌだったか。いやはや、刑務所を溶かした上に更に邪魔してくるとは──モンスターは私の想定を常に超えてくるようだな。忌々しい限りだ」
統率の取れたモンスターというのは実に厄介である。
ただでさえ人間など比較にならない能力を持つモンスターが、協力して街を守っているのだ。
しかし同時に、ドルマンはメルの弱点を見抜いた。
「ふむ……モンスターに対しての攻撃が甘いな。アグニール達と比べて、かなり控えめの様だ。それに人間に対しても見つけ次第救助している……なるほどな」
敵を倒すのに必要なのは兵力ではなく情報だ。
限られた状況の中で、敵の弱点を見破るという素質。本来であれば決して使わないだろう能力を、都市を牛耳るボスとしての経験が後押ししていた。
それ故に判断も早い。
「それならば……行け、お前たち」
暫しの巡考の末、変異した部下たちをメルに差し向ける。
返答はない。彼らはただドルマンの命令に従い、一斉にメルの元へと駆け出した。
知識や知恵があり、改造したモンスターよりよっぽど強力な元人間。しかもそれが複数。
大勢の民を庇いながら戦うのは、かなりの足枷になることだろう。
「見せてもらおうか、お前の戦い方を」
首元で燻る紋章を搔きながら、ドルマンは冷徹に微笑んだ。彼の歪んだ思想は、既に本人の知らぬうちに矛盾を抱えているのだが、もはや今のドルマンでは気付くことはないだろう。
弱き人間を助けるために、弱き人間を顧みない戦い方をしていることに。




