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嵐の前の静けさ、あるいは最終決戦前

【魄話理論会】のボスは狼狽えていた。

街中にばら蒔いた装飾品、武器、生活用品。

そこに仕込まれていたのは、モンスターの凶暴性を引き上げる獣性転写症候群の因子だった。


彼の狙いは、そのモンスターたちを理論会が討伐することによって信頼を得て、かつモンスターの危険性を知らしめるというもの。


マッチポンプの極みともいえる作戦だが、妨害出来るすべはない。予定では今頃彼の手駒である理論会の手下達が、モンスターを打ち倒していたはずだった。


しかし。


「くそっ、アグニール共め……っ!!!」


ガンッと拳を机に叩き落とし、苛立ちを抑えるように各地の監視カメラ映像を見ていた。


そこには暴走したモンスター達を気絶させ、人々の逃げ場を作っているアグニールとその仲間たちの姿があった。

驚くべきはその対処能力の早さだろう。


暴走開始して三時間足らずでほとんどのモンスターを気絶させていた。ネットではモンスター被害を訴えるものよりも、アグニール達を称える声が多く上がっている。


ボスの思惑とは大きく外れていた。


「作戦の前倒しをするしかないな……今回は貴様の勝ちだ、アグニール。だが」


彼の首元でうねうねと蠢く紋様。

獣性転写症候群に感染した証であるそれは、生き物のように宿主の生命を吸い取っていく。


いずれは死に至るだろう。


しかしそれこそが、ボスの狙いだった。

恐らくこのまま行けば、明日にでもできるだろう。未知なるモンスターへの生まれ変わりが。


「散々私をコケにしたんだ、すぐにでも償ってもらうぞ。明日がお前の命日だ。そのためなら──私は人間をやめるぞ、アグニールウゥ!!!」


目を血走らせながら彼は言う。

最終決戦は、すぐそばまで迫っていた。




───☆



街の騒乱は収まった。

それもアグニ達の手によって、死者を出すことなく鎮圧をすることが出来た。負傷者は大勢いるが、暴走したモンスター達は保護施設に預けられているらしい。


ニュースでは幾度となく、謎のモンスターが大勢の人々を救ったことが報道されている。


これで奴の目論見は潰せただろう。

戦力としても、操られるはずのアグニが味方としてこちらにいる限り、負けることはない……はずだ。


問題は理論会の動きが読めないこと。

本来のストーリーとは大きく外れたために、ボスの動きが分からない。奴は脆弱な人間をモンスターよりも上の存在にする、という目的で動いている。


ならば、何かしらして来そうではあるが……読めないんだよな、本当に。

ストーリーでは、三章に登場する操られたアグニ&ボスの手下達&ボスVS主人公とそのパートナーという面子だった。


ボス自体に戦闘能力はなく、アグニを操って攻撃してくるのが特徴だったが、はてさてどうなるか。

動きが分からない以上、こちらが受け身にならざるを得ない。


だが俺の予感が──明日、全て決まる気がしてならないのだ。


「ねぇ……メル……?」


「んきゅ?」

(ん、どうした?)


思考を巡らせている俺に、嬉しそうな顔のアグニが近寄ってきた。モンスターの鎮圧を終えた後であり、頬を赤らめて熱い息を吐いている。


首にある俺の付けたマーキング跡が、やけに色っぽく見えた。今回の作戦に協力して貰うためにアグニのお願いを聞いたら「私にもマーキング……して?」と言われてしまったのだ。


まぁ、ご主人様のためなら何でもするつもりだから、むしろその程度で協力してくれたのはありがたかった。


「……フォスのこと、許してくれてありがとう」


「きゅあ」

(なんだ、そのことか。許すも何も、無理やり暴れさせられてたようなもんだろ?仕方ないよ。お礼はたっぷり諸悪の根源にするつもりだしな)


「んふ、私も頑張る……ね。あと、一つお願いがあるんだけど……いい?」


「きゅーきゅきゅ」

(もちろん。なんでも聞くよ)


「今、何でもするって言ったよね?」


……待て。

何か、今とても大事な選択をした気がする。一瞬寒気がしたんだが。

だがアグニの表情は特に変わっていない……ま、まぁいいか。


「きゅう」

(お、お手柔らかに頼む)


「ん……この戦いが終わったら──ふふ。楽しみに、しててね」


その言葉を最後に、アグニはふわりと踵を返した。揺れる尻尾と、焔の残り香だけがその場に残る。

もしかして、今のって「そっちの意味」も含んでたりするんだろうか?俺はご主人様一筋だから答えられないんだが。


でもアグニって元少女だし、多分そういう知識なさそう。俺の心配は杞憂で終わりそうだ。


……そう、自分に言い聞かせながら、俺は深く息を吐いた。


『ま、今は休める時に休まないとな』


街の応急処置はほぼ終わっている。

暴走していたモンスター達は保護施設へ運ばれ、獣性転写症候群の影響を受けた装飾品や生活用品も、回収と封鎖が進められている。


いずれかの組織が正体を表すのも時間の問題だろう。


一見すれば、完全な勝利だ。

だが、それが一番危険に感じるのは考えすぎだろうか?


「……静かすぎる」


優れたスライムの耳から遠くで聞こえるのは、瓦礫の撤去音と、救護班の声だけ。あれだけの混乱が嘘だったかのように、街は“日常に戻ろうとしている”。


人は安心すると、警戒を解く。

そして、敵はそこを狙ってくるだろう。俺ならそうする。


「あぎゅ?」


メル?と背後から、控えめな声がした。

振り返ると、フォスが少し距離を取って立っている。


視線は落ち着かず、尻尾が小刻みに揺れていた。


「ぎゅ……」


まだ、胸が苦しい。

そんな感情を浮かべ、フォスは俯きがちに俺を見ていた。


きっとまだ俺が許していないと思っているんだろう。


「きゅ」

(まぁ、無理もないか)


フォスは、自分が何をしたかを完全には理解していない。

だが“取り返しがつかないことをした”という感覚だけは、深く刻まれている。


しかも二度もだ。


「ぎゅあぁ……」


また、誰かを傷つけるかもしれない。伝わってくるその言葉に、少しだけ考えてから答える。


「きゅ」

(その可能性は、否定できない)


「っ、ふぎゅ……っ!」


フォスの耳が伏せられる。

形のいい耳がペタンと萎れ、目元にはうっすらと涙も浮かんでいた。


でも俺とモウガンが辛いというのを分かっているからか、必死に泣くのを堪えている。いじらしいその姿に、少し毒気が抜けた。


少し高いフォスの頭を優しく撫でる。


「きゅ、きゅう」

(でもな。だからって、立ち止まる理由にはならない)


そのまま俺は、フォスと額をすり合わせた。


「きゅ」

(もう“一人で背負う”必要はないよ。お前の因縁も、俺の因縁も、全員で背負っていこう)


「……ぎゅ」


フォスの小さな声が、額を離した後も耳に残っていた。


俯いたままのその表情は、少しだけ柔らいでいる。

けれど、安心にはまだ遠い。

罪悪感と恐怖が、深く根を張っているのが分かる。


「きゅ」

(今は、それでいい)


無理に前を向かせる必要はない。

立ち止まっているように見えても、呼吸しているだけで前進だ。


フォスは小さく頷き、モウガンの方へ戻っていった。

その背中を見送りながら、俺はゆっくりと息を吐く。


……今日はもう、動く気分にはなれないな。

主人公との顔合わせもしたし、きっとボスとの最終決戦までに例の件を進めておいてくれるだろう。


だから。


「きゅ」

(今日は、休もう)


自分に言い聞かせるように呟く。


理論会のボスは確実に動く。

それも、遠くない未来に。


だが今この瞬間、街は静かで、仲間は生きている。

それだけで十分だ。


「んぁ〜〜」


気づけば、モウガンがいつの間にか隣に座り込んでいた。

膝を抱えてちょっと伸びをしながら、上目遣いでこちらを見る。


大きな胸の主張が激しい。


「きゅ」

(どうした?)


「……今日は、もう頑張らなくていい日?」


「きゅ」

(そう、だな。頑張ってくれてありがとう)


「そうよね?はーぁ、疲れたぁ……アンタ、私たちのこと働かせすぎなのよ。今日は抱き枕になりなさい」


「きゅえっ?」


モウガンは呆れたようにそういうと、ゆっくりと身体を預けてきた。

モンスターの体温。落ち着いた鼓動。戦場で見せる凶暴さとは程遠い、ただの仲間としての重み。


「アンタ、思ったより小さいのね」


「きゅ、きゅう」

(ち、小さくて悪かったな)


そう返すと、モウガンは鼻で笑った。


「ふふ。別に馬鹿にしてるわけじゃないわよ……こうしてると、ちょうどいいってだけ。ここは都市と違って静かでいいわね」


そのまま、ずしりと体重を預けてくる。

柔らかいが、芯のある重み。

戦場で暴れ回っていたとは思えないほど、静かな呼吸がすぐ隣で聞こえた。


俺は動かず、ただ受け止める。


……悪くない。本当に、静かだ。


嵐の前の静けさかもしれない。

だがそれを考えるのは、今じゃない。


「んきゅ」

(今は息抜きだな)


「そうね」


二人して小さく呟きながら、

俺はこの束の間の平穏に身を委ねた。


明日、全てが決まるとしても。

今日くらいは──何も考えずにいよう。

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