悪い女に引っかかる女
アルマは一般人である。ただモンスターの声が聞けるという、人とはちょっと違った能力を持っただけの一般人だ。
そんな彼女が美モンスターに連れられた先は、路地裏。
人とは違ってモンスターは裏切らないと思っている彼女も、路地裏に連れられた際は少し焦った。もしや美人局か?と。
しかしどうやら違うらしい。
『アルマちゃん、こんなとこまで着いてきてくれてありがとね』
「う、うぇっ!?ぜ、全然大丈夫……です」
『ふふっ、優しいんだね』
優しげな声色で囁かれるアルマ。耳に浸透してくる可愛らしい声に、ドギマギが止まらない。
繋いでいた手を離し、頭にかけていたヴェールを外すモンスター。絹擦れの音ともに隠されていた顔が顕になると、アルマは衝撃を受けた。
見たことのある顔だ。
なんなら今さっき、テレビで思いっきり見た顔である。
アルマの喉が、ひくりと鳴った。
──知っている。というより、知らないはずがない。
その顔は、今まさに世間を賑わせている存在だからだ。良い意味じゃなく、悪い意味で。
「え……え……?」
刑務所を溶かしたという、凶悪なモンスターと目の前のモンスター。その顔がアルマの脳内で完全に一致した。
故に、言葉にならない声が漏れる。
『……そんなに怯えないでよ。俺困っちゃうなぁ』
「そ、そんなこと言われてもっ!」
『あはは、まぁそうだよね』
テレビで見た時よりも柔らかく、可愛らしい顔を歪ませて笑うモンスター。その顔はどう見ても、刑務所を溶かしたという凶暴なモンスターとは思えない。
だが、アルマの足は竦んだままだ。脳が必死に警鐘を鳴らしている。
──都市の防衛システムを破壊。
──数百人規模の被害。
──“七災級に近い危険度”。
ニュースで何度も聞いた単語が、頭の中で反芻される。
「……あ、あの……」
逃げなきゃ。
そう思うのに、声が、視線が、身体が、どうしても彼女から離れなかった。理由は分かっている。
──“声”が、違う。
アルマの耳に届いているその声は、怒りも、悪意も、嘲りも含んでいなかった。あるのは疲労と、諦めと、ほんの少しの不安。
モンスターは嘘をつかない。
その声を聞けるアルマは、目の前のモンスターが人を傷つけるような声をしていないことを知らせてくる。
『……ね。アルマちゃんには、聞こえてるよね?』
モンスターは一歩下がり、距離を取る。
それは、逃げ道を塞がないための動きだった。
まるでいつでも逃げ出していいよ、というように視線を向け、聞くか聞かないかはアルマに任せている。
『俺の声。君に話を聞いて欲しくて、わざわざこんなとこまで連れてきた』
アルマは、ゆっくりと息を吸った。
「……はい」
『そっか、やっぱり聞こえてるんだね──えと、怖い?』
モンスターが苦笑を滲ませてアルマを見つめる。
震えながらも、はっきりと答える。こんなに困っている顔を浮かべているモンスターに怖い、なんて言えなかったから。
「聞こえて、ます。怖く……ない、です」
その瞬間、彼女の表情が僅かに崩れた。
『……そっか』
路地裏の薄暗い光の中で、美モンスターは“救われたみたいな顔”をした。
『なら、自己紹介でもしようかな。俺の名前は──メリュジーヌ。メルって呼んでほしい』
「……メルちゃん、ですね!」
『ちゃん……ま、まぁいいか。それでさ、アルマちゃんにはちょっと話しておきたいんだけど』
ちゃん付けすると微妙そうな顔をするメル。その顔にちょっと微笑みつつ、続きを話そうとしてくれる事に安堵を覚えた。
お人好しが過ぎるかもしれないが、基本的にパートナーがいるモンスターテイマーとはこういうものである。
メルは何から話そうか悩んでいる様子で、おずおずとアルマの表情を伺っている。
『んー、よし。取り敢えずこの姿を見てもらった方がいいかな』
暫くの思考の後、メルはパチンッと指を鳴らした。
その瞬間、着ていた服がどろりと溶け始める。普通の一般人のような格好から、徐々に肌の露出が激しい服装へと変わっていくのだ。
最初はさすがモンスターだなぁ、と呑気に眺めていたアルマだが、肌色が露出し始めると露骨に狼狽え始めた。
「ふぇっ!?あっ、ちょっ!え、えっちすぎます!!!」
『えぇ?』
考えてもみて欲しい。
黒い布を全身に巻いて至る所が肌が覗き見える格好な上に、フェチ全開の下半身と上から覆うだけの赤いジャケットを着ているのだ。
同性と比べるとあまり露出をしないアルマからすれば、えっち過ぎるに値する格好である。
しかも臍の真ん中にはスライムである事を示す紋様があるのだが……。
「……そ、それってもしかして淫紋ですか?」
『い、いんもん!?そんなものじゃないよ!?』
「ひゃっ!な、なんでもないです!」
と謝るアルマだが、思考の奥底でこんなの絶対淫紋にしか見えないですよ!?と半ギレだった。赤くて臍にある紋様とか、確実に淫紋だろ。
そんな事を考えているアルマの中で、こんな紋様を持ってるメルはとんでもない変態なのではないか?という疑問が湧き上がった。
ついでに、この子のパートナーも凄く変態なのでは?と熱い風評被害はヴェスティにまで及ぶ。
もはや収拾がつかない。
顔を真っ赤にしてパートナーと目の前のメルがえっちなことをしている妄想を始めたあたりで、アルマの頭はパンク寸前。
頬を赤くして一歩下がった、その瞬間だった。
背中に、ひやりとした感触──壁。
「……あ」
逃げ道を確認する間もなく、視界が、影に覆われる。
ドン。
乾いた音と同時に、アルマの耳のすぐ横、石壁に突き立てられた手が目に入った。真正面を向けば、本当に人間とは思えない可愛くて綺麗な顔が間近まで迫っている。
「っ……!」
思わず肩が跳ねる。
心臓が、暴力的なまでに跳ね上がった。
近い。とにかく、近い。
吐息が分かる。
甘くて、ほんのり熱を帯びた“モンスターの息遣い”が、アルマの耳元をくすぐった。
『……ごめん』
囁き声だった。
責めるでも、脅すでもない。
『怖がらせるつもりじゃ、なかったんだけど……』
顔を上げる勇気が出ない。
けれど、視界の端に映る彼女の表情は真剣すぎるほど、真剣で。
『アルマちゃんが、逃げそうだったから』
その言葉に、胸がぎゅっと掴まれる。
「に、逃げ……」
否定しようとして、できなかった。
だって本当は、怖かったから。もしかしたらとんでもなく変態な行為をされるんじゃないかと思ったから。
でも同時に眉を八の字にして、申し訳なさそうな顔を浮かべるメルに──離れたくないと思ってしまった。
彼女は、少しだけ距離を詰める。
額が触れそうなほど近くで、視線が絡む。
『ね、今俺と話してるんだから、他の事考えて欲しくない』
「ふぁい」
ダメだ、顔がいい。
しかも何かいい匂いがする。スライム種だからか、触れている肌の感触が柔らかくて、心地のいい声が耳をくすぐる度に変な声が漏れそうだった。
その後はご想像にお任せするが、思い出す度に顔が赤くなるほど沢山事情を話し込まれたという。
もちろん耳元で。
間違いなくこの日、アルマの性癖の扉はこじ開けられたと言ってもいいだろう。
かくいうメルも、自分の顔の良さを思いきり使った上に、年齢を考えない臭いセリフを吐いていた。
お陰で後から思い出す度に、顔を青くして「きゅっきゅ……」とへこたれる事が何度かあったという。




