4話・あたしよりも劣っている
あたしの父はとても立派な人だった。
多くの人に慕われ、信頼され、尊敬されていて、あたしはそんな父のことが大好きだった。
だけど、思うところがないわけではない。
母親は、あたしの物心がついた頃には既にいなかった。
事故だったらしい。
信号を守って横断歩道を渡っていた母は、暴走した自動運転の車によって命を奪われた。
車に乗っていた人たちも、全員亡くなったらしい。
自動運転が広く普及し、社会に受け入れられていた当時、10年ぶりに発生した交通事故と呼ばれるものに世間は大きく驚いた。
やがてその驚きは関心となり、事故の責任の所在について、多くの人が関心を持つことになる。
そして組まれた第三者委員会。
公表した彼らの調査結果は、全ての責任が母にあるというものだった。
要約すれば、過去10年事故を起こしてこなかったシステムが今回に限って不具合を起こしたとは考えられない。母が、そのシステムですら対応できない行動をしたせいで起こった事故だ、ということだった。そう広く知らしめた。
父はそんな訳がないと、事故を起こした車の車載カメラ映像や、防犯カメラ映像の提出を求めたが、それらは全て断られた。
権力に負けたのだ。
世界中で普及している自動運転のシステムに欠陥があることを認めてはならない。
我が国の誇るトップクラスの技術を有する会社を否定してはならない。
国益に繋がる問題だった。
所詮、彼らは名ばかりの第三者委員会だったのだ。
その果てに母は、自動運転のシステムを凌駕する狂人というレッテルを貼られる事になる。
全国からこの世のものとは思えない誹謗中傷をされた。
父が営業職を離れたのはこの時期だったそうだ。
彼はそれから家にこもり、独学で人工知能の開発に人生をかける事になる。
二度と母のような悲劇を起こさないために、母の名誉のために、そして、──母を侮辱した奴らに、この国の奴らを見返すため。彼はまるで何かに取り憑かれたかのように机に向かい続けた。
やがて、彼の発明は世界を変える事になる。
かつての自動運転システムの比ではないほど、圧倒的なレベルで世界が変わった。文明が変わった。
そんな父の後ろには、いつの間にか大勢の人たちがいた。
はたから見ると成功者とも呼べる状況。
それでも彼の目は、いつもどこか遠いところを見ていた。
「……ねぇ、お父さん。あたしがお父さんと最後に目を合わせて話したのはいつだっけ? 」
そんな悲しいつぶやきは、ついぞ父に届くことはなかった。
隣で目を閉じて眠っているひーの頬に触れて、あたしは眠りについた。
これは1年前の記憶。
私たちの旅がはじまった夜のお話。
◯●◯
学校から離れたあたしたちは、かつて水族館があった場所に来ていた。
楽園の名をつけられた施設には、水族館のほか、グランピング施設や観覧車まであった。
文明が発展するにつれて浮上してきた環境問題。この施設は特に、河川の保全に力を入れていた施設だった。
学校からここまでは一日もあれば余裕で到着できる距離だったが、道中、大型ショッピングモールの跡地を探索していたら、気がつけば3日が経っていた。
さすがに寄り道をし過ぎただろうか。
隣に目をやるとヒナタがいる。
彼女は、モールから拝借したものだろうか、インスタントカメラを手に、鼻息を荒くしていた。
なかなかニッチなものを見つけたな、と思う。
あたしたちが生まれる数百年前からあるというインスタントカメラ。
現像された写真のレトロな感じが好きな人にはたまらないようで、戦争が起こるまでは根強い人気のあるものではあった。
そんなものの何がいいのか、あたしにはさっぱり分からない。
あたしの背負っているリュックの中には、触れただけで使用者の思考を読み取り、理想の写真を撮って加工までしてくれる【クァビマ】シリーズのカメラがある。
それを自慢げに見せびらかしたくなるが、そうすると、普通に怒られる気がするのでやめておく。
時刻は昼の12時頃。季節的に暑いことはないが、太陽の眩しさが鬱陶しい。
水族館の方に指を向け、ヒナタに声をかける
「太陽の光は好きじゃない。そろそろ入ろ? 」
「そんな吸血鬼みたいな事言わないで? 」
冗談を言いながら、あたしたちは水族館の入り口へ向かった。
かつて自動ドアだったものは、電気が通っておらず、動かない。学校と違ってガラスの扉が割れていなかったので、大人しく手で横にずらす。
両開きの扉は、片方を動かせばもう片方も自然に開く仕組みだ。
そこから中へと足を踏み入れた瞬間、違和感を感じた。
「なに、これ? 」
「まぁ、そうなるわな」
入り口で立ち止まったヒナタを置いて、あたしは奥へ進む。
床、壁、天井、言ってしまえば空中にまでも、大量の虫が蠢いていた。
湿度と餌となるものがあれば、虫は湧くものだ。
国が滅んでも、人は減っても、他の動植物が減ろうとも、虫だけは別だった。
振り向くと、ヒナタはまだ足を踏み入れられずにいる。
あたしはため息をつき、リュックから手のひらサイズの直方体を取り出した。
それに指を触れつつ、彼女の元へ向かう。
「虫、苦手? 」
「いや、好きではない程度です。ただ、数がね……」
彼女の手を握り、直方体の【クァビマ】を起動させて渡す。
瞬間、鈴のような音が鳴り響いた。
あたしたちの周りから虫が不自然なほどいなくなる。
「忌避の【クァビマ】だよ。忌避したい存在を思い浮かべながら起動させると、向こうからあたしたちのことを避けてくれるの」
「魔法じゃん! 」
「魔法かもね」
目を輝かせるヒナタに直方体を渡すと、まるで新しいオモチャを与えられた子どものような表情になった。
その手を握り、入り口の左奥へ進む。
ここはかつて、世界中の淡水魚のみを展示していた国内有数の水族館だった。
本来は右手奥にあるエレベーターで上まで上がり、近辺の河川をイメージした展示を見ながら下りてくるのが正規ルートらしいが、エレベーターが使えない今はそういうわけにはいかない。
上の階が河川の上流、下の階につれて下流に生息している生体を展示しているらしく、絶対にその正規ルートの方が楽しめそうな気がするが仕方がない。
まぁ、そもそも今は楽しむとかそういう次元の話でなくなっているだろうが。
どこかの水槽から漏れたものだろうか、床に水たまりが目立ちはじめた。
進むにつれて、足元のぴちゃぴちゃという音が大きくなっていく。
虫の糞やカビなどの汚れによって、とっくの前に意味をなくしたパネル展示を横目に通路を歩いた。
薄暗い通路を進み、やがて大きなガラスの壁が目に入る。
巨大水槽の成れの果て。
かつては水中の断面を切り取ったように見ることができたそれも、今はあたしたちの膝下ほどの水位しか残っていない。
当然、ガラスの向こうに魚はいない。
確認できたのは夥しい虫だけだった。
あたしたちが近づくと、忌避の【クァビマ】はガラスを隔てても効果があるようで、まるで埃を払うかのように虫が散っていく。
海を割った聖人と比べ、なんと醜いことだろうか。
それでも、透明の壁は匂いは防げないのだろうか、湿度の高い悪臭が鼻をつく。
腐臭や死臭を通り過ぎた独特の匂いに鼻をつまみながら、通路の奥の方へ視線を向けた。
光が届かない通路は暗闇に包まれていて、先に何があるのかは分からない。
リュックの横ポケットに入れていた棒状の【クァビマ】を取り出して、先端に眩い光を灯した。
「この機械もそうだけど、くぁびま? ってやつは凄いね」
ヒナタは手に持たせた忌避の【クァビマ】を握りながら、あたしが右手に持っている灯火の【クァビマ】を見つめる。
青みがかった銀色のそれは、あたしの生体電気のみで発光し、光の強さや熱さまで思い通りに制御できる。
だから──、
「そんなにしっかり見つめない方がいいよ。あたしの気まぐれでヒナタの目、潰せるから」
「気まぐれで潰さないで!?」
冗談めかして言ったが事実ではあった。
何かのはずみで光を強くした瞬間、【クァビマ】を直視されていようものなら、失明はまだしも目は痛むだろう。
左手を差し出すと彼女はその手を握ってくれた。
あたしたちはそのまま暗闇に包まれた通路を進んだ。
暗くて何も見えないが、何か不穏なものは感じる。
暑くもないし、寒くもない。なのに、なぜだか不快感が拭えない。
今の服装が合っていないような気さえする。
例えるなら、じめっとした秋の暑さのような不快感。
さらに奥に進むにつれて、匂いもキツくなっていく。
カビか、腐臭か、それとも別の何かなのかは分からない。
床の水が足に跳ねて、それがますます不快感を増していく。
湿地帯の水は泥水だと分かり切っている。もちろんそれ以外にもあるだろうが、ここの水よりかはマシだろう。
得体の知れない水が直接肌に触れるのは、やはり強い抵抗がある。
いくつかの角を曲がり、短いスロープを上った辺りで周囲の雰囲気が変わった。
暗い通路に光が差している。
それは薄く開いた扉から漏れているものだった。
『関係者以外立ち入り禁止』の扉を前に、あたしは立ち止まる。
「ここにサキちゃんの探し物があるの? 」
「多分ね。ここはあたしの父さんが援助をしていた施設だったから、近くに来たついでによった感じだったけど」
ここに来た目的。それは、父があたしのために何かを遺している気がしたからだ。
確証があるわけではない。
ただ、そう思った。そう思いたかった。そう信じたかった。
ただ、それだけ。
扉の方へ目を向ける。
光が漏れている。だが、それは外の日光ではない。明らかに人工的な光だった。
電気など通っているはずがないこの時代には、不釣り合いな光量。
このような光景を生み出せるのは【クァビマ】シリーズを置いて他にはない。
扉に手をかけて、重い扉をゆっくり開く。
真っ暗な通路が一気に照られた。
かつてこの施設が多くの人でにぎわっていた時ですら、ここまでの明るさは水族館であることを加味しても無かっただろう。
暗闇に慣れていた目には、その光は眩しすぎる。
目が眩み、足元がふらついた。
ヒナタに背中を支えられ、背後に彼女を感じながら光の中へと足を進める。
人がぎりぎりすれ違えるくらいの狭い通路。
光は天井からだけでなく、壁や床からも生じているようで、影が一切できない不思議な空間。
あたしたちは、どちらからともなく無意識に手を握り合っていた。
突き当たりを右に曲がると、新たな扉が目に入る。
その扉も少し開いており、おそるおそる手をかけた。
「……なに、これ? 」
横からヒナタの間抜けな声が聞こえた。
普段なら馬鹿にしていただろうが、今はそんな気分になれなかった。
扉を開けると、そこには荒れ果てた部屋が広がっていた。
床には書類が散らばり、棚や机が倒されている。
何者かがこの部屋を漁ったのは間違いない。
その者が、何をどこまで知っていてこの行動をしたのかはわからない。
だけど、
「──探そうか」
「え? 」
困惑したヒナタの声を無視して、あたしは書類をどかし、倒れた机の引き出しを開ける。
「探すって何を? どんな物を? 」
「知らない」
「せめて大きさとか、色とか形は分かったりしないの? 」
「分からない」
「……え、もしかして、本当に何も分かんなかったりするの」
「そうだよ。でも大丈夫、見たら分かるから」
「えぇ……そんな適当な…… 」
戸惑いながらも書類をかきわけ始める彼女を見て、つい頬が緩んだ。
何だかんだ言ってもお人好しのヒナタ。それは一年前のひーの頃から変わらない。
あたしはそんな、優しくて、可愛くて、頑張り屋で、あたしの後ろから付いてくる、まるで刷り込みをされたヒナのような、■■■■■■■■■■■彼女が好きだったのだ。
到底、彼女には面と向かって伝えられない本心を封じ込め、書類の山を漁る。
どれくらい時間が経っただろう。部屋の半分ほど漁り終えたタイミングで、
「……朝顔」
そんな声が聞こえた。
一瞬、心臓が止まったかと思った。
半身で振り返ると、彼女の指さした先に、一輪の朝顔が咲いている。
日光が届かない室内。部屋の隅に、土壌すらない場所で、小さな金属製の箱から、白い朝顔が咲いている。
それは空気に纏わりつくように虚空にツルを伸ばしていた。
根は見当たらない。箱と一体化でもしているかのようだ。
造花かと思ったが、触れるとそれは違うことが分かる。
その柔らかい質感が、生命を感じさせた。
生きている植物。
それを折らないようにして、箱を持ち上げると、引き出しを確認できた。
ヒナタと目を合わせ、頷きあってからそれを開ける。
「え? 」
中には、折りたたまれた紙が入っていた。
父は、このような方法を好まない。
嫌な予感がした。
箱をヒナタに渡して、紙を開ける。
『瀧で待つ』
紙にはそう書かれていた。
その文字を認識した瞬間、血管が裂けるかと思った。
「──チッ! 」
やられた。
先を越された。
丸めた紙を放り捨て、灯りも点けずに足早に施設を出る。
ヒナタも慌てながらついてくる。
「な、なにがあったの? 」
「……先に回収されていた」
「どんなや──」
「だから知らないってば! 」
思わず怒鳴ってしまった。
彼女に軽く謝り、息を整えてから精神を落ち着かせる。
「……、あそこに父さんが何かを置いていてくれたのは間違いない。けど、そこにあるはずのものがなくて、ふざけた置き手紙が入ってた」
あの白い朝顔はその印だ。
間違いない。
だから腹が立っているのだ。
父があたしのために遺してくれていたはずのものを、横取りされていたことに。
リュックから地図の【クァビマ】を取り出して起動させる。
地図が投影されて、目的地に印をつけた。
「元から目指してた場所だったけど、より一層行くべき理由が増えたよ」
かつてこの国の三大都市として数えられた地区に建てられた大型ドーム。
その跡地と周辺を含む、現最大規模のシェルター。
「【瀧】のシェルターに向かい、そこを治めている奴に会いにいく」
目的地にしていた場所だ。そう遠くはない。
順調に行けば、半日もかからない距離だ。
ヒナタは何が何だか理解が追いついていないようだが、時間が惜しい。
詳しいことは、向かいながら話せばいいだろう。
そう考え、あたしは足早に動き出す。
髪が揺れて、白髪が視界の端を横切った。
これから向かう場所を考えれば、あたしの髪は隠した方がいいだろう。
短いポニーテールをフードに入れて、キャップを被った。
「サキちゃんってさ、自分の髪嫌いなの? 」
「え?」
「いや、ごめん。駅のときもそうだったけど、髪を隠したがってるから……」
焦りからか語気が荒くなっていたようだ。
ヒナタの顔が暗くなった。
申し訳ないとは思ったが、今はそれをフォローできる余裕がない。
あえて気づかないフリをした。
「綺麗な髪だと私は思っているけど、サキちゃんはそうじゃないのかなって。せっかく、そんなに綺麗な髪をしてるんだから、見せびらかしてもいいのに」
お気楽な事で。
あたしだって隠したくて隠しているわけではない。
こちらの理由も知らずに適当なことを言う彼女に思わず鼻を鳴らしてしまうところだった。
「……そうだね。考えておくよ」
社交辞令を返して、あたしは前を向く。
(ふざけるなよ)
頭に浮かんだその言葉が、口に出なかったことに酷く安堵した。
あたしは、あたしの中にある歪な感情に嫌気が差す。
それも全部きっと、父のせいだ。
(彼が、あんな選択をしなければ──)
遠い過去の記憶を振り返って、ため息をつく。
やはり、どれだけ思い出しても、父とまともに話した記憶はなかった。




