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「エレベーターを降りたら、さっきの女の人がいて」
マグカップの中身がいつの間にか冷めきったころ、ようやく陽斗くんは口を開いた。
コーヒーではなく、こういう時は何か甘いものの方がいいのだろうか?ココアはうちにあったっけ?なんて何か温かいものを入れ直そうと立ち上がったときだった。
立ち上がったままの姿勢だったからソファーに座る陽斗くんのつむじが見えた。カップに視線を落としたままの彼とは視線は合わない。
下手に動かない方がいいだろうかと、どうするべきか悩み、そのまま話を聞いた。
「手紙読んでくれましたかって聞かれて、ファンの子だなって思ったんだけど手に包丁があって」
グループ結成時に住み始めたこのマンションは、いわゆる芸能人ご用達とかの高級マンションではないものの、事務所社長の親族が管理しているらしく、特殊な防犯システムが組まれている。
メジャーデビューし、周りが騒ぎ出したこともあって別のマンションに引っ越すという話も出たが、このままで十分じゃないかと結論に達し今のところ引っ越す予定はなかったが、それも考え直さなければいけないかもしれない。
特殊な防犯システムというのは俺たちが住むにあたりつけられた、通常より多い防犯カメラや24時間オンラインセキュリティーシステム。他にも姿は見せないが一階には警備員の人たちも住んでいる。
ただ一般の人も当たり前だが住んでいるわけで、その人に入れてもらったのか勝手について入ってきてしまったのか、そのファンと思われる女の人は陽斗くんの前に現れたのだ。
「一緒に死んでほしい、そう言われて」
ファンにも色々な人がいる。単純に俺たちを応援してくれる人の方が大多数だろうけど、中には厄介な人たちがいることも事実。
その女の人は陽斗くんに心中を迫ったようだ。何か辛いことがあってこの世を去りたい。出来るなら好きな人と一緒にということなのだろうが、そんなこと言われたって迷惑でしかない。
ファンの存在はありがたいものだと重々承知しているから、こんな言い方をしたら本来駄目なのかもしれない。
でもよく知らない相手に一緒に死んでくれと言われて、陽斗くんが了承すると、あの人は本気で思ったのだろうか?
結果揉み合いの末があれだ。
あの人は陽斗くんを殺しにやってきたのだ。だったら正当防衛も認められるのでは、そう一瞬頭をよぎるも、やはりそれは今後の仕事に影響が出る、そう思った。
「あの人、本当に死んじゃった、の?」
とても小さい声だったが、二人しかいないこの部屋で、その声ははっきりと聞こえた。
「うん。脈がなかった」
うそだ。
かすかだが皮膚の下で何かが動いている気配はあった。
「僕が殺した――」
「ちがうよ、あの人が陽斗くんを襲いに来たとき、ころんじゃったから包丁が刺さっちゃったんだよ」
それが事実かはわからない。もしかしたら陽斗くんが包丁を取り上げようとしてもみ合いになり、どちらかが体制を崩したことにより刺さったのかもしれない。でも陽斗くんに殺意がない以上あれは事故だ。
「そうじゃない!僕が、突き飛ばして頭、打ったから転んで、その後また倒れたから、包丁……」
エレベーターを出てすぐのところにアンティーク風のチェストが置かれている。
一体何のためにあるのか不明だが、おそらくはただの飾りか鍵を出す為か、エレベーターを待つ間の荷物置きとして置かれているのだろう。他に頭を打つような物はない。チョコレート色のそのチェストもあとで拭いておこう。色味的に血が付いていたとしても気づきにくいだろうと証拠隠ぺいのタスクリストを追加する。
頭を打った後ふらつきながらその人は立ったのだろう。でも脳震盪でも起こしていたのか、再び転倒。その時に持っていた包丁で腹部を刺した。やっぱり陽斗くんは殺してなんかいない。そう俺の中で結論ついた。