エピローグ 星に抱かれて
それから、数日の時が経った。リーフはヴィジーニエの刑務所の面会室を訪れ、そこである人物を待っていた。透明な板で仕切られた部屋の奥の扉から、刑務官と共にナルブが入ってきた。
「先生……」
それを見たリーフはそう言って一礼した。
「ははは……もう先生ではないのですが……それにしても、こんなに早く会いにきてくださるとは思いませんでした」
「諸々の後始末に一段落つきまして。グラウたちよりも一足先に様子を伺おうかなと思った次第です。それで……どうですか? 刑務所での暮らしは。実は、差し入れを持ってきてたんですけど、食べ物は送れないって今知ったんですよね」
「お気遣いいただかなくても大丈夫ですよ。ちょっとしたものならここでも自費で購入できますし、テレビや本といった娯楽も揃っています。それに……トリフォさんやアシナスさんにも気にかけてもらっています。——フリッツさんはまだよく分からないところがありますが——事情を知っている人が近くにいるというのは、精神的にだいぶ助かるものですよ。
……それより、リーフさんたちの方はどうなったんですか? 私はあの後すぐに刑務所に送られましたが、皆さんに関する情報がまだ回ってきていなかったので……」
「……俺と、ネルを始めとする、俺に協力してくれた人たちは、今回の事件の真実を口外しない代わりに、これまでの違法行為を全て見逃してもらえることになりました。……『揺籠』は今回の教会内部の混乱で連休が明けてからも休校状態が続いていましたが……最近になって再開の目処が立って、グラウとファーは以前と同じ様にそこに通えることになったようです。ネルも彼らと一緒に通い続けることを決めました。もう俺たちが『揺籠』に来た目的は果たされましたが……彼らと一緒に、いろんなことを学び直したいと言っていました。
……ペーデとゼラはアグリトゥーラに帰りました。4年もほったらかしにしていたので、家も畑も荒れ放題になってるだろうと言っていましたが、その辺りは教会の支援を受けられるようになったそうです。近いうちにまた二人の様子を見に行こうとファーたちと決めていました。
……そして俺は……フォラシアに帰ろうかとも思ってたんですけど、やっぱりこのヴィジーニエに暮らしたいと思います」
「今までの様に、ネルさんと一緒に暮らすということですか?」
「いえ……まあ、今後のネルさんとの関係はこれから相談しようと思ってたんですけど、『大樹の揺籠』地区の中の住宅を教会から提供してもらったので、今後はそこに住むことになると思います。当面は経済的な援助もしてもらえることになりました」
「なるほど……教会からの慰謝料……または口止め料といったところですか」
「それから、まだ未確定事項なので今詳細を述べるのは控えさせていただきますが……教会からいい『就職先』を斡旋していただけまして。ゆくゆくはそっちの方で生計を立てていくことになりそうです」
「ほう、教会から……というのは気になりますが……まあ、分かりました。とにかく、順調にことが運んでいるようで安心しました。……リーフさん、あとひとつだけ、お聴きしたいことがあるのですが」
「……なんでしょうか?」
「ミュオは……見つかりましたか?」
「……いえ。記憶が戻って、以前よりもずっと『視える』範囲が広がった気はするのですが……」
「……そうですか」
「……でも、これはただの勘なんですけど、何かがもう少しだけ噛み合えば、掴めそうな気がするんです。だから……」
「リーフさん。……ありがとうございます。ですが、私はもう、あなたが前に進む邪魔をしたくありません」
「邪魔だなんてそんな……」
「いいんです。きっと……ミュオはまだ私に会いたくないということなのでしょう。私をこれ以上、甘やかしてはいけない、と……ならば、私はこれからも、私の勤めを果たし続けるだけです。まだ、私が迷惑をかけた方々への謝罪も済んでいませんし……」
「そうですか……でも、何か困ったことがあったら、遠慮せず言ってください」
「正直、一人の大人として未成年のあなたに頼るようなことはしたくないのですが……分かりました」
「今日はこれからネルと約束していたことがあるので、もう、お暇させていただきます。……今度ここを訪れる時は、グラウたちも連れてきますね。それでは、どうかお元気で」
リーフはそう言って面会室を後にした。
「……本当に、何も話さなくてよかったんですか? ミュオさん」
「……はい。私が考えていたことそのまま兄さんに言い当てられた時は思わず声に出てしまいそうになりましたが」
リーフの髪の中の、小さなミュオが言った。
「さすが兄妹ですね」
「少し、意地悪が過ぎたでしょうか?」
「さあ、俺が口を挟むことでもないと思いますが……時に厳しくするのもまた愛であると俺は思います」
「……まあ、さっきの様子を見る限りはちゃんと反省している様で安心しました。もし、兄が迷惑をかけた人たちに謝罪をする時がきたら、その時は私も兄に付き添おうと思います」
「もしまた現世に戻りたくなったら、いつでも俺に言ってください。俺の意識がある間は、空にいる時でも俺とやりとりできるようになりましたから」
「ありがとうございます、リーフさん」
そして、ところは大きく変わってフォラシアのゾンヌ村——リーフがエピセンティアへと旅立ったこの村のはずれに、釣り竿を持って森の中を歩く若い二人の男女の姿があった。
「……君の気まぐれはいつものことだから、ここまで黙ってついてきたけどさ……そろそろ教えてくれない? どうして急に『釣りに行こう』言い出したの?」
男は前を歩く女に言った。
「まだ分からないの? はぁー、鈍感。こりゃ先が思いやられるなー」
「少しはそっちから歩み寄ろうって思わないわけ?」
「……さ、着いたよ」
二人は森の中の静かな池に到着した。
「話聞いてよ……ってこの場所……」
「そう、私たちが初めてリーフと話をした場所」
女の名はエリサ。男の名はハンス。リーフがゾンヌ村に流れ着いた際に、彼のために動いた二人だった。
「……ひとまず、どこか落ち着けるところを探そうか」
「それならいい場所知ってる。こっち」
エリサはハンスを池のそばの倒木へ案内した。それから二人は池に釣り糸を垂らして話を始めた。
「……リーフのことが恋しくなったの?」
ハンスが言った。
「まあ、そんなところ。あれからもう、3ヶ月近く経つけど……リーフが、村を出ていくって言った時、ああして送り出すこと以外に、他にいい方法があったんじゃないかって思って……」
「……まあ、そうだね……でも、リーフがあの時見せた雷と、不思議な力……とても俺たちの手に負える問題じゃなかった。それに、リーフ自身が真実を知りたがってた。その事はあの時散々話し合って納得してたはずだろ? どうして今になって……」
「実は……昨晩、夢を見てさ」
「夢?」
「リーフがひょっこり帰ってくる夢。『やあ、ただいま』って言いながら彼が帰って来たから、私は嬉しくて、リーフを抱きしめて出迎えると、彼は少し照れくさそうに抱きしめ返して……それから村のみんなを巻き込んでリーフの無事をお祝いした。
……でも、今朝起きて、全部幻だったってことが分かって……何だか、どうしようもなく、切なくなっちゃって……」
項垂れながら話すエリサを見て、ハンスは釣竿を置き、彼女の肩に手を回した。
「まあ……無理もないよ。リーフがこの村にいたのは3ヶ月だけだったけど……凄まじい出会いだったからね。俺もあいつがいなくて寂しい」
「リーフ、今頃何してるんだろ……また、血みどろの戦いに飛び込んだりしてないといいけど……」
「……あいつは、ここから旅立つ時、絶対俺たちより幸せになるって誓ってくれた。だから、辛いとは思うけど……信じてあげようよ、リーフのこと」
「うん……あれ?」
エリサが水面に妙な影が横切るのを見た直後、池がエリサたちに向かって激しく波立ち、二人は突風に襲われた。
「うっ! 何? 変な風……」
エリサたちが池の周囲を見渡していると、背後からドサッと何かが落ちるような音が聞こえたので、二人はその音が鳴った方へ振り返った。するとそこには、小柄な少年が地面の上で跪いていた。その少年は素早く立ち上がり、片手を上げて二人にこう言った。
「やあ、ただいま。エリサ、ハンス」
「……誰!?」
「え……あっ、そうだ……フェノが体から出てから外見が変わってるんだった……俺だよ、リーフだよ」
「リーフ……? 確かに、雰囲気はどことなく似ているし、その服装はリーフが旅立つ時に着ていたものと一緒な気がするけど……」
「……ここで、俺が死にかけてたところを、エリサとハンスが助けてくれたよね?」
リーフは周囲を見渡して言った。
「……本当に、本当にリーフなの?」
そう言いながら少しずつ近づくエリサに対して、リーフはゆっくりと頷いた。それを見たエリサは目に涙を浮かべながら、飛びつくようにリーフを抱きしめた。
「おかえりなさい、リーフ! よかった、本当によかった……!」
「わっ、そんなに心配させちゃったかな。これでも早めに帰れた方だと思うけど……」
「当たり前でしょ!」
「まさか予知夢だったとはね……おかえり、リーフ」
ハンスも横からリーフを抱きしめて迎えた。
「ここに帰って来たってことは、『目的』は果たせたの?」
「うん、でも、何から説明すればいいか……」
〈リーフ、はしゃぎ過ぎ〉
その時、霊力でできた大きな鳥に乗って空からネルが降りて来た。ネルが地面に降りると、鳥は忽ちその姿を消した。
「空から綺麗なおねーさんが!? え? え? 手品?」
エリサは目を丸くしてネルをジロジロ見つめた。
〈ごめんごめん。二人の驚く反応を見てみたくてさ〉
リーフはネルに言った。
「?……リーフ、今何を?」
ハンスはリーフに尋ねた。
「あ、そうだ」〈ネル、翻訳機を起動して〉
それを聴いたネルは首に下げた霊器に霊力を込めて、起動した。——これはフリッツを含む、フォラシアで活動していたアシナス一派が用いていた霊器だ。リーフは事前に教会からこれを支給してもらっていた。
「初めまして、エリサさん、ハンスさん。ネルと申します。リーフからあなたたちのことは何度か聴いていました。お会いできて嬉しいです」
ネルは二人にお辞儀をして言った。
「リーフ、もしかして、あの人……カノジョ?」
エリサは小声でリーフに尋ねた。
「……いや。でも、向こうでとてもお世話になった人だよ。だから、二人に合わせたくて連れて来たんだ」
「ふーん……初めましてネルさん! リーフを助けてくれたそうで……ほんっとうにありがとうございます!」
エリサはネルの手を握って、上下にぶんぶんと振りながら言った。
「いえ、そんなにお礼を言われるほどでは……」
「髪と目の色、とても綺麗ですね! まるでお花みたい!」
「ど、どうも……」
「落ち着きのないやつですみません。でも、リーフの恩人なら喜んで歓迎しますよ。……リーフ、聴きたい事は山ほどあるけど、今は早く村に戻ろう。リーフが帰って来たことをみんなにも知らせてあげないと」
ハンスがリーフに言った。
「いや……ちょっと待って」
「どうかしたの?」
「その……向こうで経験した出来事が、途方途轍もないものばかりでさ……だから、先に二人に全部話しておきたいんだ」
「先に俺たちに? 他の人たちだと信じてもらえないって思ってるの?」
「それもあるけど……もしかしたら、この世界に混乱を巻き起こしてしまうかもしれないから」
「世界に混乱……? な、なんだか聴くのが怖くなって来たんだけど……」
「そんなに身構えなくても大丈夫だよ。これから世界が終わるとかそういう話じゃないから」
「そう言われても……まあいいか。大人しく話聴くよ」
4人が池のほとりに腰掛けると、リーフはエリサとハンスに、ゾンヌ村を旅立ってから今までのこと掻い摘んで話した。
「ええと、つまり……リーフはちょっと特殊な生まれ方をした人間で……さらに、その国の神様みたいな人を自分の体の中に入れて逃げていたから、狙われ続けていたってこと? う〜ん……」
「なんて言うか……同じ時代の話をしてるとは思えないね……」
エリサとハンスは頭を抱えながら言った。
「じゃあ、前にリーフが見せた不思議な雷も、リーフの霊力だったってこと?」
エリサがリーフに尋ねた。
「そう。正確には、俺が取り込んだフェノの力だったみたいだけどね」
「……そんな別世界にたった一人で乗り込んで、よく戦い抜いたよね」
「今回は、仲間に恵まれたのが大きかった」
そう言ってリーフはネルの方をチラリとみた。
「……それでも大変ではあったけど、頑張った甲斐はあったよ。もうこれで、みんなに迷惑をかけることもない」
「そっか……! じゃあ、みんなで盛大にお祝いしないとね! ……あ、でも、さっき『世界に混乱が……』とか言ってたけど、このことって村のみんなに教えちゃダメなの?」
エリサは立ち上がりながら言った。
「ヴィジーニエの存在はまだフォラシアの人たちに広めたくないな……霊力を抜きにしても、ヴィジーニエの技術力はファラシアを大きく上回ってるんだ。それこそ、世の理を変えてしまうくらいに。今は転移装置での行き来に制限されているとはいえ、不用意にそのことを広めてしまえば、フォラシアにいらぬ混乱を招いてしまうかもしれない」
「あー、変な希望を抱いたり、変に恐れたりする人がたくさん出てくるかもしれないってことね。確かに、村の大人たちには黙ってたほうがいいかも」
「みんなには無事に生まれ故郷を見つけられたってこととだけ伝えて、あとは……生き別れの家族と再会できたってことにしようかな」
エリサとハンスはその後、リーフとネルをゾンヌ村の広場へと案内した。そしてエリサは息を思いっきり吸い込んだ後、村中に向けてこう叫んだ。
「みんなー! リーフが帰って来たぞー!!」
エリサがそう叫ぶと、周りにいた者だけでなく、あらゆる家屋や物陰から人がわらわらと集まって来て、あっという間にリーフたちの周りに人だかりができた。
「やあ、みんな、ただいま」
リーフは片手を上げて村人たちに挨拶した。その姿を見た村人たちはお互いに顔を見合わせ始めた。
「……リーフってあんな顔だったけ?」
「エリサがああ言ってるんだから……間違い無いんじゃない? それに、男子三日会わざれば……って言うだろ?」
「いーや、俺は自分の感覚しか信じないね。おいお前、俺と剣で勝負しろ。俺なら太刀筋を見ればわかる」
「なーに達人ぶってんだ!」
リーフが木刀を携えて来た男の挑戦に応え、鮮やかに一本を取ると、無事にリーフとして認めてもらうことができた。その後、リーフの元には村の老若男女が代わる代わる挨拶に来て、仕舞いには胴上げに発展した。
「リーフ……すごく慕われてるんですね」
ネルはリーフを見守りながら言った。
「そうなんですよ。出会ったばかりの頃は、まあ、大変でしたけど……いつの間にかみんな、強くて優しいリーフが大好きになっちゃってましたね」
エリサがそう話していると、ネルの横から若い男たちが近づいて来た。
「……ちょっとそこのおねーさん、綺麗な髪だね。ナンパしてもいい?」
「……は?」
「はい、そこまで。この人に手ェだしたらただじゃ置かないよ。……リーフがね!」
エリサはネルの前で両腕を広げ、男たちを睨みつけながら言った。
「おっと……それはどんな貴族令嬢に手を出すよりおっかねえな」
男たちはそう言って笑いながら去っていった。
「……ありがとうございます」
ネルはエリサにペコリとお辞儀をした。
「いえいえ」
その後、急遽広場で宴会を開くことが決定した。村人たちとリーフが料理を準備して、会場を設営すると、彼らは夕食を楽しみ始めた。
「ふぅ〜。やっと解放された」
先ほどまで村人たちと挨拶を続けていたリーフが、息をつきながらエリサたちの元へ戻って来た。
「いよっ、人気者」
エリサは囃すように言った。
「ネル、フォラシアの料理はどう? ヴィジーニエと比べたらどうしても味は劣ると思うけど……」
リーフはネルに尋ねた。
「いや、素朴ではあるけど、滋養にあふれる感じがして美味しい」
「それはよかった。……ところで、エリサ、ハンス。この3ヶ月の間に何かいいことでもあった?」
「ん? あ、もしかしてもうみんなから聞いちゃった?」
「いや、どうやらみんな二人に気を遣ってるみたいで……まだ詳細は聴いてない」
「ふ〜ん、そうかそうか、それなら……言ってやりな! ハンス!」
「はいはい……実は、俺たち結婚したんだ。式もこの間挙げたばかりだ」
「おー! おめでとう! いつかそうなるんじゃないかとは思ってたけど! どっちから申し込んだの? やっぱりハンスから?」
リーフはハンスに顔を近づけながら言った。
「わっ、グイグイ来るね……リーフってこの手の話題にそんな積極的になる人だったっけ?」
「いいから、どっちからどんなふうに申し込んだの!?」
「お、俺の方からだよ。……布を重ねて花みたいに仕立てた髪飾りを作って、エリサに渡したんだ。それから……ええと……『君と一緒に幸せを追い求めたい』って……」
「ふんふん、それに対してエリサはっ!?」
「ま、まあ、ハンスが捨てられた子犬みたいな目で惨めったらしくそう言うもんだからさ、これ以上見苦しいもの見せられるくらいだったら、結婚してあげないでもないことに吝かでないこともなくはないかなってね」
「? 翻訳機の故障……?」
「大丈夫。エリサが変なこと言ってるだけだから」
リーフはネルに小声で言った。
「嘘はよくないな、エリサ。あの時君は顔を真っ赤にしながら裏返った声で『ひゃいっ』って言って頷いてただろ」
ハンスが言った。
「あ、あれはハンスが急に恥ずかしいこと言うから笑いを堪えるのに必死だったの!」
「今は言い訳に必死に見えるけどね。君の方がよっぽど恥ずかしいことしてると思わない?」
「何を、生意気な〜!?」
エリサとハンスは互いに睨み合いを始めた。
「仲良しみたいだね」
ネルは小声でリーフに言った。
「ははは、どうやら、『幸せ対決』は引き分けみたいだね」
リーフがそう言うと、エリサとハンスは、リーフの方に向き直った。
「そうかな? リーフには及ばない気がするけど」
「そんなことないよ。離れ離れになっても、俺たちはめげずに自分の幸せを追求し続けた。だから、今日という素晴らしい日を迎えることができたと俺は思ってる」
「そっか……そうかもね」
「さて、……そろそろ俺たちは、こっそりお暇させてもらおうかな。このままだといつまで経っても帰らせてもらえそうにないし」
「え、行っちゃうの? ……っていうか、まだちゃんと聴いてなかったけど、リーフはやっぱり、これからヴィジーニエで暮らしていくつもりなの?」
「うん。俺は結局、向こうで生まれた存在だったわけだし……友達もたくさんできたからね。だけど、今後はゾンヌ村にもちょくちょく顔を出すつもり。だから、寂しがる必要はないよ」
「そう……でも、もう暗いし、せめて今夜だけでも泊まっていったら?」
「実は……まだ向こうでの事件の後処理が完全に終わってなくてさ。今日中には戻らないといけないんだ。大丈夫、今は便利な移動手段があるから」
リーフはそう言うと、ネルとエリサとハンスを連れてこっそり広場を抜け出し、人気のないところへ移動した。
〈来てくれ、フェノ〉
リーフは片手を空へ伸ばし、フェノを召喚した。
「わっ! 前のリーフ?」
「もしかして……さっきのリーフの話に出て来た……」
フェノはエリサとハンスがジロジロ見ているのに気づくと、彼は二人に対してペコリとお辞儀をしてからネルの方を向いた。
〈ネル、君に施した霊力漏洩防止フィールドはうまく機能しているか?〉
〈はい。気分も問題ありません〉
〈フェノ、あの鳥また出してくれる?〉
リーフが言った。
〈了解だ〉
フェノは創造術で巨大な鳥を作り上げ、操縦可能にする術式を組み上げると、早々に空へ帰っていった。
「リーフ……いったい何をしたの?」
エリサが尋ねた。
「やっぱり、見た目を調節してあげないと二人には見えないか。今、フェノに帰りの乗り物を作ってもらったんだ。最初、ネルが空から降りて来たの見てたよね?」
「空飛ぶ乗り物ってこと? 霊力ってなんでもできるんだね〜」
「というわけで……またしばしのお別れだ。二人の元気な姿が見れてよかった」
「俺たちもだよ」
リーフ、ハンス、エリサはお互いに抱きしめ合った。
「……料理、ごちそうさまでした」
ネルはお辞儀をしながら言った。
「ネルさん、リーフのこと、どうかこれからもよろしくお願いします」
エリサの言葉にネルは頷いて返した。
「今度、二人に他の友達も紹介するよ。いや、なんならヴィジーニエを案内してあげてもいいな」
リーフはエリサたちに言った。
「おお、それは楽しみ」
「それじゃ、また、近いうちに」
「うん、またね」
リーフとネルが鳥に乗って飛び上がった。エリサとハンスはその勢いにやや怯んだ後、二人が見えなくなるまで手を振って見送った。
リーフとネルが上空に上がると、満点の星空が二人を迎えた。
「きれい……」
ネルは首を持ち上げて、思わずその言葉を漏らしたようだった。
「ここはエピセンティアと違って地上が霊力の光に覆われていないから、その分星の輝きが際立つのかもね」
「この辺りでは月は一つしか見えないんだね」
「そうだね。フェノと戦った月の上からでも、そのさらに上に月が見えた。あの月だけは、フォラシアでも見えるくらい、高いところにあるということなのかな?」
リーフはそう言ってしばらく月を眺めた後、横からネルの顔を見た。顔を覆う髪は全て風で流され、金色の瞳が月に照らされて輝いていた。
「……? リーフ、どうかした?」
そんなリーフの様子に気づいたネルが彼に尋ねた。
「ネル、その、今君に伝えたいことがあって、もうどんな内容かは『視えて』いるだろうから、結論だけ言うけど……」
「……いや、まだ『視て』ない」
ネルはリーフから目を逸らして言った。
「え、それって……」
「今は視ないであげるから。だから、リーフの言葉を聴かせてほしい」
「……分かった。……実は、教会から『デウス補佐官に就いてくれないか』っていう申し出があったんだ」
「デウス補佐官?」
「その名の通り、デウスの手伝いをする人ってこと。場合によっては、デウスと同等の権限を持つこともあるみたい」
「デウス様と同等…… それって、リーフが『影のデウス』になるってこと?」
「うん、そういうことになる思う。……結局、デウスの仕事はフェノが続けることになったっていうのは聞いたよね? フェノは自身のタレンタムのおかげで半永久的に活動できるみたいだから、教会には俺の力が必須ってわけでもないんだけど、今回の事件で月の落下を阻止した俺の働きが評価された、っていう建前だった。
……まあ、本音は、またフェノが暴走した時の保険にするため、あるいはフェノを召喚物として制御できる俺を監視するために、教会の目の届くところに俺を置いておきたいってところだろうね」
「それで、リーフはなんて答えたの?」
「まだ正式に返事はしてないけど、俺はこれを受けようと思ってる。……今までなら、こんな話に興味なんて湧かなかっただろうけど、フェノにまた全てを背負わせるのは悪いと思ったし、それに……今回、俺の『目的』が全て果たされて……なんとなくだけど、『目指したい世界』が俺の中で見えて来たんだ。だから、少しでもそういう気持ちが俺の中にあるなら、今のうちに権力を手にしておくのも悪くないかなって思ってさ」
「目指したい世界って?」
「……この世の誰もが、自分と、自分の生きる世界を、愛せるような世界」
「あ……」
「その実現ために、何をすればいいのかはまだわからないけど……まずは、今回の事件絡みで被害に遭った人たちを助けてあげたいな。あとは、俺がフォラシアで傭兵をやってた時に傷つけた人たちとか……それにひと段落がついたら、今後のフォラシアとエピセンティアの関係もよく考えたいし……何にせよ、今までよりはるかに長くて、険しい道のりになるだろうね」
「でも……それが、リーフの選んだ、新しい『目的』なんだね?」
「うん……それで、なんだけど……よかったら、ネルも、この『目的』を手伝ってくれないかな?」
「え?」
「ほ、ほら、ネルって、便利なタレンタムを持ってるし、君のように信頼できる人がそばにいてくれると何かと都合が……って、違う。そうじゃない、俺が、君に本当に伝えたいことは……」
リーフは、服の袖をぎゅっと強く握ってから、ネルの方を向いた。
「俺は……君のことが好きになってしまったんだ。人に裏切られて、失望して、それでも優しさを捨てきれなかった君のことが。……魂を蝕まれて、死の淵に立たされてもなお、その覚悟を貫き通した君のことが。
……俺は、君との関係を終わらせたくない。もっと、ずっと君と一緒にいたい。だから……ネル、改めて、俺と……付き合ってくれませんか」
ネルはここでようやく、リーフの方に顔を向けた。喜んでるとも、嫌がってるとも取れない、いつも通りの無表情だった。
「リーフは……私よりもリノバさんの方が好きなんじゃないの?」
「な……い、いやいやいや! それは俺の心を視間違えてるよ! あの人に対する感情は、あくまで自分の親に向けるようなもので……俺の君に対する想いは、もっと、何て言うか……」
「ふーん? そう言うなら……また瞳の奥視せて」
ネルはリーフに顔を近づけながら言った。
「え、何で……? それに、そんなことしたらまたあの時みたいに……」
「今回は2回目だし、どこにグロいシーンがあるか大体わかってるから大丈夫。ほら、いいから視せて」
「わ、分かった……」
ネルはリーフの瞳の奥をのぞいた後、しばらく目を瞑って、腕を組み、考え込むような仕草をした。
「……よし、リーフ、ここに座って」
ネルは自分のすぐそばをポンポンと叩きながらリーフに言った。リーフは渋々言われた通りにした。
「えーと、ネル? ……わっ」
ネルは突然、リーフを抱きしめて、頭を撫で始めた。
「ネル、いったい何を……」(って、この感覚……リノバさんみたいな……)
「気分はどう? リーフ……リーフ?」
リーフからは規則正しい呼吸の音しか返ってこなかった。
「寝てる? ……やっぱりまだ子供か。でも……」
ネルは腕の中のリーフを動かして、彼の顔を覗き込んだ。とても安らかな表情をしていた。
「……もう少しだけ、付き合ってみても、いいかな……」
それからさらに数日後の朝。ヴィジーニエの『大樹の揺籠』地区にて。リーフは教会から与えられた新たな自宅で身支度を済ませ、リノバを召喚した。——リーフとフェノの働きにより彼女は研究者として復職していた。それから毎日リーフに召喚してもらっては、新しい体をフルに活用して研究活動に熱中しているようだった——
「おはよー! リーフ。それじゃ、いってきまー……ん? その服……」
いつもなら召喚後即出勤して帰ってこないリノバだったが、この日ばかりは足を止めてリーフを見た。
「はい、今日から俺もあそこに通えることになったんです。デウス補佐官たるための教養を身につけるという名目で。どうですか?」
リーフはリノバに服を見せるように両腕を広げた。
「いいね〜、白いね〜、輝いてるね〜。うん、とっても似合ってるよ、リーフ!」
リノバはリーフの周りをぐるぐる周りながら言った。リーフははにかむように笑った。
その後、二人は一緒に家の外に出た。
「それでは、いってきます、母さん」
「いってらっしゃい、リーフ。思いっきり楽しんでね!」
リノバはリーフを抱きしめて言った。
それからリーフは駆け足で本校舎地区へ向かった。リーフが校門にたどり着くと、その前でリーフを待つ3つの人影……グラウ、ファー、そしてネルの姿があった。
「“初めまして”皆さん! リーフ・ムンドゥスです! 今日からよろしくお願いします!」
リーフは笑顔で3人に挨拶した。
「あー、ネルからはリーフが『編入』してくるってことだけ聴いてたが……そういう設定で行くのか?」
グラウは困惑した顔で答えた。
「冗談だよ。使用人の『リーフ』とは同名の別人を装うことになるけど……俺の『編入』は教会に認められてるし、そこまで気を使う必要はない」
リーフがグラウに言った。
「それにしても…… リーフ君の制服姿を見てたら……嬉しすぎて泣きそう……」
「ばあっ!」
「わあっ!!」
リーフの髪の中から突然飛び出したソーナに驚き、ファーの涙は引っ込んでしまった。
「おはよー! 少年少女たち!」
「ソーナさん……俺たちがリーフと出会った当初からそこに潜んでいたということですか?」
グラウが言った。
「ま、そゆこと」
「結局、これからもリーフ君と一緒にいることにしたんですか?」
ファーが言った。
「俺は『リノバ母さんみたいに自由に過ごしてくれていい』って言ったんだけど……」
「元々リーフとの生活に不満はなかったからね。これからは平和になりそうだし、あたしはしばらくここでのんびりさせてもらうよ」
リーフに続いてソーナが言った。
「そこでですか?」
どこか腑に落ちないような表情でグラウが言った。
「これからますます賑やかになりそうだね」
ファーが言った。
「……あ、そうそう。俺、みんなと同じグループに入れてもらえることになったから」
リーフが言った。
「え! そうなの!」
「なるほど……教会側からしても、事情を知ってる俺たちと一緒にいてもらった方が都合が良かったんだろうな」
グラウが言った。
「……みんな、いろいろ話したいのは分かるけど、そろそろ講義室に向かわないとまずい」
ネルは腕時計を見ながら言った。
「おっと、もうそんな時間? ……ネル、その……」
リーフはその時、彼女に掛ける言葉に詰まってしまった。数日前の告白の後、ネルからはっきりした返事をもらわないまま今日を迎えてしまっていたからだ。しかし、そんな様子を視た彼女は小さく微笑んでリーフにこう言った。
「……よろしく、これからも」
「!…… うん!」
5人は校門ををくぐり、講義室へと向かい始めた。
「ああ、これからは1日のほぼすべての時間を勉強に使えるんだね! それに、みんなと一緒に講義と実習を受けて、冒険もできるんだね!? うわ〜漲って来た〜!」
リーフはぴょんぴょん飛び跳ねながら言った。
「あはは……やらなきゃいけない課題も多いけどね……」
「まあ、それくらいリーフにはどうってことないんだろう」
ファーとグラウが言った。
こうして、リーフの人生を賭けた戦いは幕を閉じた。幸せに溢れた日常を見事に勝ち取ったリーフ。次は世界の幸福のため、今また歩みを始める。これは、最後まで『幸せ』を諦めなかった、そんな少年剣士の物語である。