1. イメージの力
この物語は、前編「リーフライツ——君が『生きて』と言ったから」と、後編「ザ・シークレット——最後まで『幸せ』を諦めなかった少年剣士の物語」の二部構成となっています。
後編から読んでも楽しめるように書いたつもりですが、前編から読んでいただくとより物語を理解しやすくなると思います。
これは、最後まで『幸せ』を諦めなかった、そんな少年剣士の物語である。
広い広い世界の真っ只中で、一人、歩みを続ける少年の姿があった。少年の名はリーフ。とある目的を抱えて旅に出たのだが、目的地は彼にも分からなかった。彼は今、指輪から伸びる一筋の光のみを信じて進んでいた。ある人物から託されたそれが、ある一つの地点を指し示しているのは確かだった。
辺りはすっかり暗くなっていたが、もう少しリーフは歩き続けたかった。なぜなら、指輪の光が左右に逸れる頻度が明らかに多くなっていたからだ。これは目的地が近いことを示唆していた。見上げると、夜空を覆い隠すほどの暗闇がリーフの前に聳え立っていた。「果ての壁」。世界を取り囲む巨大な山脈にだいぶ近づいてしまったようだった。
そんな景色を確認して、再び指輪に目を移すと、リーフは指輪から光が伸びなくなっていることに気づいた。誤って機能停止させたわけでは無いようだった。
(ここが目的地、ということなのだろうか)
しかし、そこはリーフの想像よりもずっと殺風景な場所であった。建物も、人の気配も一切無く、周りはありふれた野原ばかりだった。
強いて違和感を挙げるなら、地面が妙に平たいくらいだった。
(何かの模様が描かれているようにも見えるけど……暗くてよく分からないな)
そんなことを考えていると、不意に指輪が点滅を始めた。
(ここで何かしろってことか?)
そう思ったリーフは指輪を弄ってみると、それは突然強く輝き始め、地面から光る煙のようなものが溢れ出してきた。
(何だ!?)
リーフは咄嗟に身構えたが、逃げる間もなく煙に包み込まれてしまった。周りが光に覆われ、目を開けていられなくなると、世界が無限に引き伸ばされていくような感覚に襲われた。
……それから数秒後、状況を確認しようと目を開こうとすると、眩しさで再び目を覆う羽目になった。遠くからではあるが、何かが強い光を発しているようだった。
リーフは、今度は慎重にその光へ向かってゆっくりと目を開いた。するとそこには、彼にとって到底信じられないような景色が広がっていた。天にまで伸びていきそうな超高層建築群、その奥にはその建築群すら覆う、山のように巨大な樹。何より、それら全てが蛍のように輝いて、蠢いていたのだ。
リーフは数秒の間その景色に心を奪われ、そして我に帰った。いつの間にか口も開けっぱなしになっていたようで、舌先が乾いてしまっていた。
それから彼は周りの状況確認を始めた。リーフは今、輝く街の外の小高い丘の上にいるようで、周りは野原や山や森が見られた。「果ての壁」と思しき黒い帯も遠くに微かに見えた。しかし妙なことに、周りがやけに明るく感じた。始めは街の明かりのせいだと思っていたが、それだけでは無いようだった。
(……草や森がほのかに光を発している?)
しかも、空を見上げると、月が3つもあった。リーフを取り囲むもの全てが、彼の常識を逸脱していた。
リーフは右肘を左手に乗せ、右手を顎に添えて今得た情報を整理してみることにした。
(指輪の導きに従って、光に包まれ、気が付いたら全く違う景色。これと似たような状況には覚えがある。6年前のあの時と同様に、『飛ばされた』ってことだろう。……ここまで激しい変化は初めてだが)
リーフは試しに指輪を少しいじってみたが、これ以上の反応は無かった。
(もう役目を終えたということだろうか)
リーフはひとまず街を目指してみることにした。人に会えればより詳しい状況把握ができると思ったからだ。街には明確な境界があるらしく、ある一線を境に光源が途絶えていた。その境界からは道路のようなものが伸び、比較的リーフの近くを通っていたため、彼はまず、道路に乗り、それに沿って街へ向かうことにした。道路は継ぎ目のない滑らかな石のようなものでできていて、極上の歩き心地だった。
(人の手で作られた物だとは思うが……一体何をどうしたらこんなものができるんだ?)
街へ近づくと、それは巨大な壁で囲われていることが分かった。しかし、その壁までまだ距離があるというのに別の人工物がリーフの行手を塞いだ。簡易的な門が道路を横断し、その傍に小さな四角い小屋があった。それらのさらに両側はリーフの背の3倍くらいの高さのある柵が延々と続いていた。少なくとも、この方面から街に入る時はここを通ることになっているようだった。
(関所のようなものだろうか)
リーフが様子を見ていると、小屋の中から人が出て来た。
「君、ここを通りたいのかい? 間も無くここは明日の朝まで閉鎖されるが……!? 止まれ! そこを動くな!」
男は突然腰に身につけていた道具を取り出し、リーフの方へ向けた。短い円筒に取っ手がついたような形状で、円筒の穴がリーフに向けられていた。
「君が腰につけているのは、剣だな?」
男が言った。
(自分が武器を持っていたせいで警戒されたようだ。とすると、彼が今俺に向けているのも武器の類だろうか? やけに小型ではあるが、近寄るのを拒んでいて、弩を使うときのような構えをしているから、飛び道具かもしれないな)
リーフは男の言葉に従い、止まってゆっくり頷いた。
「このヴィジーニエには許可されていない武装を持ち込むことはできない。失礼だが、武装携行許可証、通行許可証、身分証は持っているか?」
(ヴィジーニエというのはこの街の名前か?)「えーと、ミブンショ……って何ですか?」
リーフが言った。
「悪いが、身分証すらないのであれば、ここで武装を全て破棄したとしても街には入れない」
「じゃあ、どうすれば入れてもらえるんですか?」
「君の住む自治体の役所で諸々の手続きを済ませればいい。さあ、早急にお帰りいただこうか」
「わ、わかりました……」
リーフは駆け足でその場を離れた。聞きなれない言葉が多かったが、今の自分ではどう頑張ってもあそこを通るのは許されない気がした。しかし……ここまできて簡単には諦められなかった。関所の突破程度なら、リーフには何度か経験があった。
(ここまで広い街なら、どこかに警備の穴があるはずだ)
リーフは関所の人間に注意しつつ、柵の周りを歩いてみることにした。柵は粗い丈夫な網でできているようだった。
(これなら上って越えるのも破壊するのも簡単そうだ)
関所からは十分離れていた。付近に監視の気配も無かった。そこでリーフは、試しに柵を乗り越えてみることにした。……しかし、リーフが柵に手を触れたその瞬間、全身に痺れるような刺激が走り、体の力が抜け、たまらず網から手を離してその場にへたり込んでしまった。何事かと考えようとしたのも束の間、リーフの目は、街を囲む壁の上端から、一つの光が飛び出すのを捉えた。その光は1秒も立たないうちに、柵の向こう側、リーフのすぐそばの小石にぶつかり、小石を破裂させた。破片が顔に当たり、リーフは少し痛みを感じた。
「さっきから周りを彷徨くそこのお前!」
その時街の方から声が響いて来た。よく見ると先程光が飛び出した辺りに小さな人影があった。
(すごい声量だな……)
「今のは威嚇射撃だ! まだ柵に近寄るようなら次は当てる。嫌なら早々に立ち去れ!」
リーフはこの時、長いこと捕捉されていた上に攻撃が飛んできていたことにようやく気づいた。柵の内側は障害物がなく、攻撃の射程も弾速も弩をはるかに上回っているように感じた。
(……弾くのも難しいか。いや、そもそもこの不思議な柵の突破方法すら分からないんじゃ、勝ち目は無いな)
そう思ったリーフは言われた通り、柵を離れて逃げることにした。ここまで手も足も出ないのは久しぶりな気がした。
(この地方には俺の知らない強力な武器や装備がたくさんあるのかもしれない。今後はもっと慎重に動いたほうがよさそうだ)
リーフは大人しく街の周辺を歩き回って調べてみることにした。しばらく歩くと、リーフは人が歩いた痕跡を見つけた。それも一人ではなかった。なぜこんな辺鄙な場所でとも思ったが、まずは痕跡を辿ってみることにした。
痕跡を辿ると、人工物が点在する集落のような場所にたどり着いた。しかし集落と呼ぶにはあまりに無造作で粗末な雰囲気であった。建物は周りにあるような木や葉を雑に組み上げたようなものばかりで、臭いもひどかった。人が住んでいるのか疑いたくなるほどだったが、いくつかの建物から人の腕や足が飛び出していたことから、ここに寝泊まりする人間がいるのは確かなようだった。
(この辺りに見える構造物全てに人がいるのだとしたら、中々の規模だ。……あれだけ立派な街がすぐそばにあるというのに、どうしてこんなところに?)
見る限りほとんどの人間は眠ってしまっていたようだったが、一人だけ座って街の光を眺めている老人がいた。リーフは彼に話を聞いてみることにした。
「すみません、ちょっと色々伺いたいんですけど……」
老人はリーフに見向きもしなかった。まるで何も聞こえていないようだった。
「……街の明かり、綺麗ですよね。どうやったらあそこに入れるんですかね?」
リーフは少し声を大きくして言った。すると、老人はボソボソとぼやくように話し始めた。
「光は……モンスター……求めれば……喰わるるのみ……」
「モンス……? それって……あの〜もしもし?」
老人はリーフの呼びかけには応じず、そのまま彼の寝床と思しき構造物に潜り込んで横になってしまった。リーフがそれ以上声をかけても、いびきしか帰ってこなかった。
(う〜ん。訳わからんな……一応、もう少しこの辺りを調べてみるか)
そう思ったリーフがしばらく歩き回っていると、鈍い音が繰り返し響いてくることに気づいた。
(人を殴る音?)
不穏な気配を感じたリーフは、音のする方へ走った。
「ようやく年貢の納め時だなこのガキ!」
リーフが現場にたどり着くと、二人の男たちが一人の少年を蹴り付けていた。男たちは似たような黒い、かっちりとした服を身につけていた。
「あの〜、何してるんですか?」
リーフは男たちにゆっくりと近づいて話しかけた。
「ああ? なんだチビ。引っ込んでろ」
リーフの頬が思わずぴくりと動いた。彼は身長で人を見る人間は嫌いだった。
「その人が何かしたんですか?」
リーフは怒りを抑えて質問を続けた。
「ああ、こいつは今まで散々俺たちのものを盗み続けて来た悪党でな、ようやく捕まえたんだ」
「でも、だからってそこまで蹴る必要はないんじゃ……死んじゃいますよ?」
「うるせえな……ガキは引っ込んでろ!」
男はリーフの顔面目掛けて殴りかかって来た。リーフは反射的にそれ弾こうとして、自分の顔の前に片手を添えた。しかし、男の拳がリーフの手にぶつかった瞬間、見た目以上の衝撃が襲い掛かり、その結果、リーフの体は突き飛ばされ、暴れるように地面を転がってしまった。
「なんだあいつ。あっさり飛ばされやがった。この感触、まさか『無能』か?」
リーフの飛び具合には彼を殴り飛ばした男自身驚いている様子だった。
(なんとか受け身を取れたから助かったものの……今の力は……?)
リーフはそう思いながらよろよろと起き上がった。
「おらぁ!」
すると、男たちがリーフに気を取られた隙を狙い、少年がもう一人の男の胸に後ろ蹴りを加えて逃げ出した。蹴られた男はその場に崩れるように倒れた。
「しまっ……おい待てぇ!」
リーフを殴った方の男が慌てて腰から道具を取り出し、少年の方へ向けると、その道具から光る弾丸を何発か打ち出した。
(関所の人が持っていたものとほぼ同じ形だ。やっぱり飛び道具の一種だったか)
弾は全て外れ、あっという間に少年は見えなくなった。ものすごい足の速さだった。
「畜生! まだあんなに動けたとは……お前のせいで!」
男は顔を真っ赤にさせて飛び道具をリーフへ向けた。殺気を感じ取ったリーフはすぐに剣を抜いて構え、できるだけ距離を取った。
「死ね!」
男は3発の弾丸を放った。その内の1発だけ、リーフに当たる軌道を飛んできていた。リーフが弾丸の行き先に剣身を合わせると、甲高い金属音と共に、重い衝撃が彼の両腕に響いた。
(関所の柵の前で見たものより遅かったからかろうじて防げたけど……)
「弾丸を剣で弾いた? 『無能』じゃなかったのか?」
男が少し怯んだ様子を見て、リーフはすかさず反転し、その場から逃げ出した。
「あっ、おい! くっ……ムカつくがあのチビを追いかけても仕方ねぇ」
男は倒れた仲間を担いでどこかへ去って言った。茂みに隠れてその様子を伺っていたリーフは男たちが見えなくなるのを確認すると、再び現場に戻った。少年の後を追いたかったからだ。
(あの少年に会えればこの場所の事とか、あの男たちのこととか、色々話を聴けるかもしれない)
リーフが、少年の走り去っていった方向の地面を調べてみると、できたばかりの痕跡が確認できた。少年のもので間違いなかった。
痕跡を辿ってみると、それは色々な方向に曲がりくねっており、時々立ち止まって潜伏していた形跡もあって、少年がかなり用心深い性格であることが窺えた。
(ん? この茂みの奥、人の気配がする)
慎重に茂みをくぐると、あの少年がいた。カバンの中に手を入れて、中身を確かめている様子だった。どうやらここが少年の拠点で、自然の茂みや、人為的に組んだ木の枝と草でここを隠蔽していたようだった。
「あの〜」
リーフの声を聴いた少年はビクッとして立ち上がった。
「誰だっ! どうしてここが……ん? お前はさっき派手に吹っ飛ばされてた……」
少年は構えていた腕を下した。脅威ではないと思われたようだ。
「驚かせてすみません。俺はリーフと言います。この辺りのこととか聴きたくて、後を追わせてもらいました」
「後を追った? ちゃんと後ろは確認してたんだが……」
「足跡みたいな痕跡を辿ったんですよ。昔よく狩りをしてたんで、そういうのは得意なんです」
「はぁ、わざわざ俺を追うなんてご苦労なことだが、さっさと出てってくれないか。俺は他人に構ってられるほど暇じゃないんだ」
彼はリーフが気を引いたおかげで逃げられたことに少しも恩を感じていないようだった。
「そんなこと言われても、俺、他に当てがないんですよ。何か困り事があるなら手伝いますから、話、聴かせてくれませんか?」
「別にお前に頼むことなんか……」
その時少年のお腹から音が響いた。彼は決まりが悪そうに頭を掻いた。攻め口を見つけたリーフは、その目を輝かせた。
「何か食べ物とってきましょうか!」
「うるせー、別に……いや、話すくらいでもらえるなら悪くはないが……」
「じゃあちょっと待ってて下さいね! すぐ戻るので!」
そう言うとリーフはその場から飛び出していった。
「……変なやつ」
少年の拠点を出たリーフは持っていた短弓に鉉を張り、付近の森へと向かった。ここへ来るまでに動物の気配を何度か感じており、場所の検討はある程度ついていた。
早速リーフは木の枝に鳩のような鳥が止まっているのを発見した。よく育っており、食い出がありそうだった。リーフは矢をつがえた後、気配を殺して、できるだけ背後から弓で狙える距離まで近づいた。彼にとってはこれが一番難しく、神経を使うことであったが、今回は逃げられることなく近づくことができた。
リーフはそのまま弓を引き絞り、矢を放った。矢は弦の音と共にまっすぐ飛び、狙い通り鳥の胴体に命中した。……が、矢は高く、気の抜けた音と共に跳ね返り、くるくる回りながら地面へと落ちた。
(……は?)
リーフが目を丸くしていると、鳥は彼の方へ首を向けて、風を切る音を響かせながら飛び立ち、リーフへ突っ込んできた。矢のような速さだった。
(なっ……!)
リーフが咄嗟に身を躱すと、鳥はリーフの体を掠めて通り過ぎ、地面の木の葉が舞い上がった。そのまま飛び去っていくのかとリーフが思っていたら、鳥はすぐに旋回して再び彼目掛けて突っ込んできた。
(まさかこいつ……俺を狩りに来てる!?)
危険を感じたリーフは弓を手放して剣を抜き、鳥の突撃を受け止めた。剣身と鳥の嘴がぶつかり、火花が散った。とてもあの小さな身体が放つとは思えない衝撃をリーフは剣から感じた。なんとか受け流すことができたが、鳥は攻撃をやめなかった。前後左右、そして上下からリーフへ何度も襲いかかり、リーフがそれを何度も受け流す、という攻防がしばらく続いた。
(……最初は意表を突かれたが、よく見れば単調で直線的な攻撃だ。これなら……)
リーフはそろそろ攻めに転じることにした。
(……ここだ!)
リーフは鳥の突撃に合わせて、速度を乗せた刃をぶつけた。不自然に硬い感触で剣が一瞬止まったが、踏ん張ってそれを押し退けると、鳥の体は斬り裂かれた。斬り裂かれた鳥は慣性にしたがって後方に飛んで、地面にぽとりと落ち、再び飛び上がることはなかった。リーフはほっと息を吐き出したが、気分は良くなかった。
(この辺りの動物はみんなこうなのか? だったら罠は使えないな……)
リーフはナイフを取り出し、獲物に近づいて解体を始めた。勝手はリーフの知る鳥とほとんど同じだった。
(この場所は……俺が今まで暮らして来た世界とはあまりにも違いが多すぎる。剣には多少自信があるつもりだったけど……こんな鳥にすら苦戦する始末だ。……ふう、これじゃあ当初の『目的』を果たすどころか、ここで生きていけるかどうかさえ……)
そんなことを考えていると、リーフは付近の人の気配に気づいた。その方へ目を向けると、木の影からあの少年がひょっこり現れた。鳥と戦っている間に近づかれていたようだ。
「おい、さっきの見てたんだが……」
少年の方からリーフに声をかけて来た。
「ああ、見られてましたか。ここの動物がこんなに凶暴だとは思いませんでした。でも、なんとか約束は果たせそうです。……ちょっと少ないかもですけど」
「……ちょっと手見せてみろ」
「え?」
少年は強引にリーフの左手を掴んで引き寄せ、それを凝視したあと、顔を上げた。
「お前『無能』じゃないだろ? なんでさっき『霊力』使わなかった?」
「レイリョク? 一体なんのことですか?」
少年はリーフのその反応を見て、口を開けたまま数秒固まった。
「い、いやいやいや。霊力を知らずに生きてきた、って教育受けてないとかそう言うレベルの話じゃねーだろ。ありえねーって」
リーフにはそこまで少年が動揺する理由がわからなかったが、自分のことを正直に話してみることにした。
「実は俺、ものすごく遠いところから来たから、この辺りのこと何にも知らないんですよ。その、霊力ってのも含めて」
「ふーん? 掴みどころがない話だが……お前のさっきまでの振る舞いからして、霊力を知らないっていうのはマジみたいだな。なるほど、霊力すら知らない……」
少年は横目でリーフを睨みながら、少し考える仕草をした後、リーフに向き直ってこう言った。
「リーフ、俺が色々教えてやるよ。霊力のこととか、この辺りのこととかな」
「本当!? いいの!?」
リーフは手を組んで少年に近寄った。
「あ、ああ……お、俺もお前に、キョーミ? 湧いたからな。食べ物も融通してやる。実はさっきあいつらから盗ってきてたから、食べ物にはそんなに困ってなかったんだ」
少年は歯切れ悪く言った。
「えええ!? ありがとう! えーと、君! 名前は!?」
リーフはさらに顔を近づけて言った。
「急に馴れ馴れしいな……俺の名前はペーデだ。まあ、一応、よろしく、リーフ」
「よろしく! ペーデ!」
リーフが解体を終えると、二人はペーデの拠点に戻った。ペーデが薪を組んでそれに手を触れると、薪に火がつき、焚き火が出来上がった。
「え、今どうやって火をつけたの? 火打石とか使ってないよね?」
「これが霊力だ。リーフ。霊力っていうのはざっくり言うと、願いを叶える力だ。俺は今、薪に触れて火がつくように願った。だから火が付いた」
「な、なんて便利な……」
「そう、便利なんだ。これがないと始まらないってくらいに。生き物も、向こうでキラキラ光るあの街も全てひっくるめて、この世界は霊力で動いている。だから、お前が霊力を知らずに生きてきたっていうのがいまだに信じられないんだが」
ペーデは呆れ顔でリーフを見つめた。
「いや、俺本当にものすごく遠い所から来て」
「……今はそれで納得してやるよ」
「俺にもそれ、使えるのか?」
「多分な。手を見た時に微かに霊力が巡っているの感じたし。でも、使い方の説明は長くなりそうだから明日にさせてくれ」
二人は棒に刺して焼いた鳥肉を頬張った。リーフにはまだまだ聴きたいことがたくさんあった。
「ペーデは、あの光る街のことは何か知ってる?」
「俺もあそこに入ったことあるわけじゃないから詳しくはないが……あれはヴィジーニエっていう街で、エピセンティア最大の都市だ」
「エピセンティア?」
「それも知らないのかよ……『エピセンティア』はこの世界の名前だ」
ペーデはますます呆れた様子で言った。
(この『世界』? 『地方』じゃなくて?)
「……で、あの街の真ん中にある、馬鹿でかい樹見ただろ? あの樹が莫大な霊力を生み出していて、ヴィジーニエに住む人間はその霊力を利用することができるんだそうだ。他から霊力を分けてもらえる場所なんてここしかない。だから人も、知識も、物も、金も、全てがあそこに集まった。その結果できたのが、あの街さ」
(あの樹一つであの巨大な街が……まあ確かに大きかったし、それなりに雰囲気あったけど)
リーフは質問を続けた。
「俺、ここに来るまでにこの辺りを住処にしてそうな連中を結構な人数見かけたんだけど、あの人たちは何なんだ? あの人たちは街に入れないのか?」
「まあ、そういうことなんじゃないか? こんな場所に好き好んで留まる奴なんていないだろ」
「でもさ、何で街に入れないんだ? 実はさっき、俺は街に入ろうとして、結局追い返されたんだけど、その時は俺がどこの誰かもわからない流れものだからって理由で入れてもらえない感じだった。けど、ここにいる人たちはもともとこっちに居た人たちだろう?」
「あいつらの事情なんて正直どうでもいいんだが……、噂で聞いた話だと、経済的に街に居られなくなったやつ、何かやらかして街から追い出された、あるいは街から逃げて隠れなければならなくなったやつ、正規の手順で生まれてこなくて戸籍がないやつ、家出して無理矢理街に入ろうと粘っているやつ。そんな、社会的に微妙な立場にいる奴らがここに集まるみたいだ」
「どうしてこの場所に集まるんだ?」
「理由の一つは、ここにいると食べ物にありつけるからだ」
「食べ物? こんな場所で?」
「あの街は栄えている分、善人ぶって街の外で炊き出しとかをやる奴が割といるんだ。熱心なカエルム教徒とかも結構来るな」
「カエルム教徒?」
「やたら愛だとか何とかを強調する教えに従ってる変な奴らだよ。ヴィジーニエにはカエルム教徒の総本山があるから、特にその教えが広まってるんだそうだ」
(俺が元いた場所でも教えがとかなんとか言って祈ったり、儀式めいたものを行う人たちがいたな。——俺はあまり興味持てなかったけど——あの街は俺を容赦なく追い払った割に、寛大な側面もあるんだな)
ペーデが話を続けた。
「ま、そういうイベントがある時は必ず裏で奪い合いになって、血みどろの喧嘩に発展するんだけどな。……ただ、この辺りでは『フラトレス』っていう組織がよく活動してる。表向きは、この辺りにいるような奴らを街に入れる支援をしたり、働き口を用意してくれたりする慈善団体ってことになってる」
「いい人たちだね」
「『表向きは』って言ったろ。実際は「街に入れる」っていう甘い言葉ををチラつかせて人をいいように扱き使う奴らだ。……あいつらは最悪だ。人を消耗品としか考えてない。限界を迎えて、壊れた人間が奴らに文字通り捨てられていくのを、俺は何度も見てきた。さっきお前、黒服のやつに殴り飛ばされただろ? あいつらもフラトレスの一員だよ」
「ああ、あの二人組か。で、君はそいつらから物を盗み続けていたと」
「あいつら結構いいもの持ってるし、悪党がそれくらいの仕打ちを受けても文句は言えねえだろ。……で、ここに人が集まるもう一つの理由だが、街に入る、もしくは帰るのを諦めきれないからだろうな。無一文で街に入った人が、億万長者になった。そんな伝説が街の外では至る所で語られているんだ」
「そんなことがあり得るのか?」
「あり得ないってことはないだろうさ。ヴィジーニエには色々なものが集まる分、チャンスも多い。夢のある話だろ? まあ、現実は伝説ほど甘いとは到底思えないけどな。そもそも、ヴィジーニエの警備は厳重だ。こんなところにただ居座ったって入れるわけない。でも、街を眺めていられる限り、夢を見続けていられる。だからここに来て、ここに居続ける人が後を絶たないんだろうぜ」
「……君もその一人なの?」
ペーデはリーフをジロリと睨んだ後、服の袖を握り締めてこう言った。
「確かに俺がここにいる目的は街に入ることだ。でも俺は億万長者になりたいわけじゃない。……人を、探してる。あの街にいるのは分かっているんだ。でも、あー、一人でやってくにはゲンカイ? を感じてきてたんだ。だからリーフ、俺に協力してくれないか。お前も街に入ろうとしてたんだろ? 悪い話じゃないはずだ」
ペーデは歯切れ悪く言った。
「……探してる人っていうのは?」
リーフが尋ねた。
「……まだ教えたくない。今お前にそれを教えて、俺が得することなんてないからな」
「ふーん、そうか?」
リーフは周りを見渡した。草や木の枝の障壁に雨よけ、ごちゃごちゃした道具の山に、使い古された装備。彼が長いことこの場所に留まっているのは明白だった。
(とても大切な人なんだろうな)
そんなことを考えてから、リーフはペーデを見た。
「……俺もね、探してるものがあるんだ。それは俺の『故郷』」
「故郷?」
「そう、俺には、俺の忘れている本当の故郷があるらしい。そのことをある時俺は、ある人から突然教えてもらったんだ。そして、そいつの示した道に従って、俺はここまで来た」
リーフは自分の指に嵌めた指輪に触れながら言った。
「大した行動力だな」
「そうでもないよ。俺の人生、振り返ってみると不可解なことが多くてさ。どうしても気になっちゃったんだよね。それに……」
リーフは懐からロケットペンダントを取り出し、蓋を開いて中身をペーデに見せた。
「これも、その時にもらったんだ。一応聞くけど、これ、誰だか分かる?」
「いや、全然」
「これ、俺の本当の母親らしい。もう亡くなってるみたいだけど。もしかしたらこの人は、行方不明の俺の身を案じたままこの世を去ってしまったのかもしれない」
「……」
ペーデは黙って鳥肉を一口齧った。
「そんな感じでさ、もし俺が何か大切なことを忘れていて、そのせいで今も悲しんだり、苦しんだりしている人たちがいるのなら、何とかしてあげたいんだ。……ヴィジーニエがこの辺りで最大の都市であるなら、人にせよ、情報にせよ、俺が求めているものがきっとそこにあるはず。だから、ペーデ。俺も街に入りたい。こんな俺で良ければ、是非手伝わせて欲しい」
「……話はまとまったみたいだな。これからの細かい計画とかは明日から考えよう。今日はもう寝るぞ」
「はーい」
ペーデは畳まれてた毛布と敷物を広げた。
「あ、寝具一人分しかないが大丈夫か?」
「俺はこのままでも平気だよ」
リーフがその場に仰向けになると、周りの障壁で狭まった夜空に、月がちょうど顔を覗かせていた。
「なあペーデ、俺がいたところは月が1つだけだったんだけど、ここは月が3つもあるよな。何でだ?」
「知らねーよ。たまに増えたり減ったりするらしいが」
「どうなると増えて、どうなると減るんだ?」
「知らん」
「そっか」
リーフは目を閉じて、眠りについた。リーフたちを照らす月は、ただあてもなく、夜の暗闇を漂い続けていた。
翌朝、リーフとペーデは、ペーデの持っていた保存食で朝食を取ると、近所の森へ向かった。人気のない場所に行きたかったからである。今日はその場所でペーデから霊力の使い方を教えてもらうことになった。
ペーデは周辺を確認して、リーフの方へ向き直った。
「この辺りで始めるか」
「うん、よろしく!」
リーフは左の手のひらに右手の拳を打ち付けて言った。昨日見た不思議な力を使えるようになれるのが、楽しみで仕方ない様子であった。それからペーデは説明を始めた。
「昨日も軽く説明した通り、霊力はこの世界を動かす力だ。あらゆる場所に霊力は巡っている。そして、人にも霊力が備わっていて、それを使うことで自分のイメージを現実のものとすることができる。例えば、火や電気を出す、速く走る、身を守る、遠くの敵を仕留める弾を飛ばす、傷を癒す、とかな。そんな力を使えるようになるには、まずお前はこれを知覚できるようにならなきゃいけない」
「知覚? フラトレスの人たちが放ってた弾丸はちゃんと見えてたけど?」
「あー、そう言えばヴィジーニエの警備隊の銃には弾丸に色をつける機能が備わってるって聞いたことがあるな。市民に危険を知らせやすくするとかいう目的で。昨日の奴らはそれを流用してたんだろ」
「へー」(……実際昨日、俺はその機能で警備隊からの警告を受けたわけだ)
「昨日お前が殴られた時、あいつが手に霊力を込めていたことに気づいたか?」
「え、いや……殴られるまで全く違和感は感じなかった」
「そうか。やっぱりこの訓練から始めないといけないみたいだな」
そういうとペーデは右手を胸の前まで持ち上げ、手のひらを上にした。
「今、この手の上に霊力を出してる。見えるか?」
リーフは目を凝らして手の上を見てみた。
「うーん、見えるような見えないような……」
「霊力を知覚できるのは目だけじゃない。というか、人の全ての感覚は霊力にも反応するようになっているはずだ。本来、他人の霊力に直接触れるのはかなり危険なんだが、今回は訓練だからな。いろんな感覚を試してみたらどうだ?」
その言葉を受けて、次にリーフはペーデの手のひらの上に手をかざしてみた。すると、リーフは、ある違和感を感じ始めた。触っていないのに、何かに触っている感覚。何もないのに、確かにそこに何かがある感覚。試しに手を軽く握ったり、開いたりしてみると、手の動きに合わせてその「何か」は形を変えて、だんだん輪郭がわかるようになってきた。それと同時に、視覚的にも「何か」は姿を現していき、最終的には、見えない煙か靄のようなものを感じられるようになった。
続いてリーフはそれを鼻で吸い込んでみたり、耳に近づけてみたり、口に入れたりしてみた。嗅覚に、聴覚、そして味覚と、生じた感覚の種類はそれぞれ異なったが、感じ取ったものには共通するものがあった。それは、そこにないはずなのに力にあふれていて、存在感を感じるものだった。人の気配とか雰囲気を感じた時の感覚に近いかもしれない、とリーフは思った。
「なんか、分かってきた、気がする」
リーフがペーデに言った。
「よし、それじゃあ今度はお前自身の中の霊力を感じられるか? 自分の胸の辺りに集中してみろ」
リーフは目を閉じて、意識を自分の体の中に向けた。自分の胸の中心から血流と共に流れ出て、揺らぎながら体の末端まで満ちていく力を感じた。
「うん、掴んだ」
「それなら、試しに霊力を手から出してみろ。お前が感じ取ったものを、手のひらから出すように念じるんだ」
リーフは言われた通りにすると、手のひらからそれが滲み出るように現れ、ペーデと同じようなものが見えるようになった。
「これでいいの?」
リーフはペーデに尋ねた。
「ああ、上出来だ。ここまでが一番難しいと思ってたんだが、意外とすんなり行けたな。ここからはいよいよその霊力の使い方を説明するぞ。霊力を使う際の手順はたった2つだけだ。①霊力場を形成する。②霊力場の中の、力を発揮させたい部位にやりたいことを念じる」
「霊力場?」
「今お前が手のひらから出しているものは正確には霊力場という。それはいわばお前のイメージを思い描くための下地、キャンバスみたいなものだ。霊力場は両手、両足、頭の5つの部位から出すことができる。つまり①はもう大体できているし、②もまあ、さっき言った通りで簡単だ。だからお前はもう霊力を使えるはず。試しに今その手から出している霊力場に念じて、火を出してみろ、リーフ」
リーフは昨日ペーデが薪に火をつけていたのを思い出し、あの時のペーデのように、自分の手で火をつける想像をした。すると、リーフの手の上の霊力場が赤熱し、輝き始めた。
「で、できた……熱っ!」
リーフは手を振って冷まそうとしたが、すぐに手を止め、その手の炎を見つめた。
「熱くない? いや、すごく熱いのは分かるんだけど、痛くないし、手も焦げてない」
「お前は自分の手を焦がそうと念じたわけじゃないだろう? だから基本的に自分の霊力で自分を傷つけることは無いんだ」
それを聞いてリーフは付近の雑草に炎を近づけてみると、ちゃんと草が焦げた。
「こんなに簡単に火をつけられるなんて……なんで今までできなかったんだ? 『もっと簡単に火おこしできないかなぁ』って妄想、一度くらいしたことあったと思うんだけど」
「お前が自分の霊力の存在を知覚すらできていなかったからじゃないか? 霊力っていうのはイメージの力だ。お前はさっきまで、『自分に霊力がある』っていうイメージを掴めていなかった。だから、自分に元々備わっていた力であっても、それ使うことができなかったんだろう」
「なるほど……」
「よし、今度は応用だ。さっき出した炎のように、霊力を使って発現させる技は霊術と呼ばれる。炎を出す術は火炎術、短くして〈フラム〉と呼ばれることもあるな。そして、よく使われる霊術の一つに障壁術〈クルト〉がある。その名の通り攻撃などから身を守るための術だ。まずはその手でやってみろ。盾を作るイメージだ」
リーフは言われた通りに念じてから、もう一方の手で霊力場を叩いてみると、霊力場の表面が鋼のように硬くなっていた。
「できてるみたいだな。だが、今の状態のままでは手のひらの狭い範囲しか守ることができない。手のひらの先の腕や胴体は無防備のままだ。こんな状態で、例えば体を包み込むほど大きな火炎術を浴びれば、手のひら以外黒焦げになってしまう」
(霊力を使う戦闘だと、そういうことも想定しないといけないのか)
「霊力場を出せる部位以外も守りたい場合は、霊力場を広げてより広範囲に障壁術を展開すればいい。霊力場は自分の思い通りに広げたり、形を変えたりすることができる。いきなり広範囲に広げるのは難しいだろうから、今回は腕全体に纏わせてみろ」
「分かった」
「ここで注意しなければならないのは、霊力場を伸ばす際、伸ばした先端と放出部の間の霊力場を途切れさせてはいけないことだ。もしそうなった場合、途切れた部分より先にある霊力場はコントロールを失って霧散してしまう」
リーフは霊力場を伝わせるように広げ、腕全体を霊力場で包み込んだ。
「できたか? できたなら今からこれでその腕を刺すから、障壁術で防いでみろ」
そう言ってペーデはナイフを取り出した。
「こんなに薄い霊力場で大丈夫かな?」
「こっちは霊力を使わないから、まあ、大丈夫だろ。それじゃ、いくぞ」
ペーデはナイフを逆手で持ち、リーフの腕目掛けて勢いよく振り下ろした。リーフはそれを防ぐように念じた。すると、ナイフの先端はリーフの霊力場の表面で止まり、腕には傷一つつかなかった。
「成功だな。ここまで習得したなら、もう大抵のことはできると思っていい。後はお前の想像力次第だ。応用例を一つ見せよう。俺が今持っているこのナイフ。これに手から出した霊力場を纏わせる。そして刃に斬撃の念を込めて……少し長さも増やすか。そうすると……」
ペーデは近くにあった大岩の前に立った。その岩はリーフ5人が両手を広げて、やっと周りを囲えるほどの大きさだった。そしてペーデは片手に持ったナイフを下から斜め方向に振り上げた。すると大岩に斜めの直線が入り、岩の上部がその線に沿って滑り落ちてしまった。現れた切断面は明らかにナイフの刃渡りより大きく、鏡のように光を反射していた。
「とまあ、こんなふうに、攻撃にも利用できるってわけだ。ん? リーフ?」
「この技、は……」
リーフはそう呟きながら、目を見開き、右手を振るわせていた。
「おい、リーフ? そんなに驚いたか?」
そう言われてリーフは我に帰った。
「えっ、あっ、うん。驚いた」
「これくらいはお前でもすぐできるようになると思うが……まあいい。さっきも言った通り、これで霊力の使い方は一通り教えたから、今から霊力を自由に使って練習してみろ」
「そっか、これで全部か。よし」
リーフはペーデから少し離れると、意識を集中させ始めた。彼には一つ、試してみたいことがあった。
(ペーデが岩を斬るの見て、『あの時』の光景を思い出した。間違いない、あれは霊術だったんだ。だとしたら、あの時起きたもう一つの不可解な現象。あれももしかしたら……)
リーフは全身に霊力を纏い、走り出した。そして、体の動きに合わせて霊力を込めて、加速した。リーフはまるで風のように森を駆け抜けた。ただ速度が増しただけではなく、木々の間をすり抜けるのも、大岩を飛び越えるのも、自由自在だった。
「へぇ、運動術〈モート〉を応用した高速移動か。今日初めて霊力を知ったわりには器用な動きするな」
ペーデは感心した様子でリーフを見守った。
(あの時ほどのキレはないけど、この手足が動く感覚、やっぱりあの時と同じだ。この世界——エピセンティアが俺の『目的地』であることは間違いないみたいだ)
リーフがそう考えていると、突然体が動かなくなり、足がもつれて、盛大に転んでしまった。
「いてて……急に体の中の霊力を感じなくなった。これって……」
「リーフ、どうした? もう霊力切れか?」
ペーデがリーフの元に駆けつけて言った。
「霊力切れ?」
「生き物が一度に使える霊力量は当然限られてる。限界まで霊力を使えば、霊力切れを起こしてしばらくの間まともに霊力を使えなくなるんだ」
そう言うとペーデはリーフの体を見つめた。その間リーフは霊力場を出そうとしたが、どれだけ強く念じても無駄だった。
「リーフからもうほどんど霊力を感じなくなっている。霊力切れで間違いなさそうだ。しかし、思ったより早かったな。お前が走り始めてから1分も経ってない。俺の体感だとお前、幼児並みの霊力量しかないぞ」
「幼児……!?」
「人が溜め込むことのできる霊力量は、成人する前の場合、歳を重ねるごとに増えていく。それに加えて、霊力を使う鍛錬を繰り返すことで、ある程度増やすこともできる。だが、人の霊力量に差をつける一番大きな要因は、その人それぞれの素質だ。つまり、お前は霊力の素質に恵まれなかったみたいだな」
「俺とペーデとなら、どれくらい差がある?」
「お前の10倍以上はあると思うぞ。言っとくが、俺が特別霊力量が多いわけじゃないからな?」
「そう都合良くはいかないか……」
二人はリーフの霊力が回復するまで休息を取ることにした。並んで岩に腰掛け、ペーデの保存食を一緒に食べた。それは角ばった木片のような形だったが、歯をあてると簡単に砕けて、とても食べやすかった。
「ちょっと味が濃いけど、やっぱりおいし〜! エピセンティア最高!」
リーフは保存食を口いっぱいに詰め込んで叫んだ。
「今朝も言ったが、ちょっとは静かに食えないのか?」
「あ、ごめん。こんな手軽に、こんな美味しいものが食べられる喜びでつい」
「俺からしたら、この辺りのもの取って食うよりマシって程度なんだが……。そんなことより、リーフの霊力の回復を待つ間、霊力の基礎知識を教えてやる」
「霊力の使い方はもう全部説明したんだろ? まだ何かあるのか?」
「ああ。霊力はどんなイメージも現実のものにしてしまう力。とはいえ、その挙動にはある程度ルールが存在する」
「るーる?」
「例えば、使用する霊術によって消費する霊力量は大きく異なる。これは経験則だが、火を付けたり、物を動かしたりするのは消費が大きい。逆に、光を出したり、音を出したりするのは消費が小さい」
「なんでそんな違いがあるんだ?」
「分からん。ただ、世界の理から外れた術ほど消費が激しいって言われてる」
「世界の理?」
「人の意思が介在しなくても、世界は霊力で動く。雨が降ったり、風が吹いたり、季節が巡ったりしてな。そんな、世界の意思とも呼べる流れを自然の摂理とか世界の理というふうによく表現される」
(気候も霊力による物なのか……だとすると、俺の元いた世界にも霊力は働いていたことになるな)
「人が使う霊術は、この世界の理を一時的に捻じ曲げる技なのだと俺は考えている。霊力の消費が激しい術は、それだけ捻じ曲げなきゃいけない範囲が大きいんだろう。実際、死んだ人間を生き返らせたり、あらゆる障害を無視して物体を瞬時に移動させたりするような大それた術は不可能だ。これは、人類が扱えるすべての霊力をかき集めたとしても遠く及ばないくらい、霊力の要求量が多いからだと言われている」
「霊力量の問題なら、不可能とは言えないんじゃないのか?」
「いるけどなぁ〜そう考えるやつ。でも、今どきそんな話して乗り気になるのは詐欺師だけだ。人が何を願おうが、瞬間移動は手品の定番だし、いなくなった人間は戻ってこない。昔も、今もな」
その時わずかな間、ペーデはリーフから目を逸らしていた。その視線の方角にあるのはヴィジーニエだった。少し気にはなったが、それよりもリーフはペーデの言った「瞬間移動」について考えていた。
(俺がこの世界に来た時のあれ……今思い返してもまさに『瞬間移動』って感じだったが……まあ、ペーデは俺のいた世界のことも知らなかったんだ。ここでそのことを尋ねても仕方ないか)
ペーデは話を続けた。
「少し話が逸れたが、とにかく、いろんな決まりがあるってことだ。次は、霊術と霊術がぶつかり合った時のルールを説明するぞ。この知識は特に対人戦闘で重要になってくる」
「そういえば、さっきの障壁術の説明といい、実戦を想定した話が多かったよな」
「俺たちがやろうとしてることは、フラトレスの連中と衝突する可能性が高いからな。その辺りの詳しい説明は後にするが、実を言うとお前に霊力の使い方を教えたのはお前にも戦力になって欲しかったからだ」
「そうだったのか」
「……霊力量が絶望的に少ないのは誤算だったが」
「面目ない」
「まあ、最低自分の身を守ることができるようになればそれでいい。……それで、説明の方に移るが、例えば、敵が何らかの霊術で攻撃を仕掛けてきて、自分がそれを防ぐ障壁術を展開し、それらがぶつかり合ったとする。いわば『敵の攻撃の意思』と『自分の防御の意思』のぶつかり合いだが、この場合、どっちの意思が通ると思う?」
「意思の強い方?」
「ちょっと違う。正解は『霊術の力が強い方』だ。基本的に霊術の強さはそれに費やした霊力量が多いほど強くなる。そして霊力量は人の素質によって決まっている。そこに意思の強さという概念はあまり関係しない。だから、単純な持久力勝負をする場合、勝敗はやる前にほぼ決まってしまうんだ」
「俺みたいに霊力量の少ない人間は厳しいってことか」
リーフはさっき霊力切れを起こした時、どれほど頑張っても霊力をつかえなくなったことを思い出した。
「もう一つお前を不利にするルールがあるぞ。それは、霊術は霊術以外にめっぽう強いということだ」
「どういうこと?」
「昨日お前がフラトレスのやつに殴られた時のことを覚えているか? あれは決して強力な霊術ではなかったが、お前は派手に吹っ飛ばされた。それはなぜか。答えはあの時お前が霊術ではなく生身でそれを受けたからだ。霊術が、霊術で守られていない生身に与える影響っていうのはそれくらい大きいんだ。逆に、霊術でないものが霊術に与えられる影響は少ない。お前が小鳥を斬るのにも苦労したのは霊術の無い刃で鳥の障壁術を斬ろうとしたからだ。これは体感だが、霊術を使わない攻撃は霊術に対して3割しか威力が伝わらない」
「霊術は基本的に霊術じゃないと破れないってことか。うーん……俺の剣、よく折れないでいてくれたな」
リーフは剣を抜いて剣身を確認した。
「その剣……僅かに霊力を帯びているが」
「あ、言われてみば」
「どこで手に入れたんだ?」
「ある時、森の中で空から降ってきた流れ星を拾ってさ、いい感じの重さだったから鍛治屋の友達にそれをあげたんだ。そしたらそいつが俺に剣を作ってくれてさ。それがこの剣。めちゃくちゃ加工に苦労して、結局鍛冶場の先輩全員と協力して作ったらしい。どれだけ使っても斬れ味が落ちなくて、こいつにはかなり助けられた」
「流れ星……なるほどな。空を漂う星にはよく霊力が集まると聞いたことがある。その剣に霊力が帯びていたのはそのせいだろうな」
「そうだったのか……」
リーフは剣を鞘にしまい、誇らしげに軽くさすった。
「だけど、この剣だけじゃこの先とても戦っていけないだろうな。……ちょっと思ったんだけど、霊力場同士がぶつかり合った場合はどうなるんだ?」
「そんなことになった経験はないが……霊力場を広げるのにも霊力を使うから、霊力場を広げる力が強かった方が押し込める、とかじゃないか?」
「経験ないのか? 俺はむしろ領域の奪い合いが要になると思ってたんだけど」
「第一に、霊力場は伸ばすのも広げるのもかなりの霊力を消費するんだ。だから、自分から離れた場所に霊術を働かせたいときは、手元で術を込めた弾丸を作って飛ばした方がよっぽど効率がいい。第二に、霊術は霊術以外に強いというのはこの霊力場にも当てはまる。霊力場は他人の霊術による攻撃で簡単にかき消されてしまうんだ。霊力場を伸ばしている最中に霊術で根本を切られれば、伸ばした霊力場は霧散して、消費した大量の霊力を無駄にしてしまう。だから、霊力場を広げる戦い方は危険が大きいんだ」
「なるほど、やっぱり自分の頭で考えただけじゃ分からないことが多いな。……というわけでもう一つ質問いい?」
「何だ?」
「最初にペーデが霊力でできることを挙げた時にさらっと言っていた『デンキ』って何?」
「でんき……電気か。弱い雷みたいなものだ」
「弱い、雷?」
「そうだな……電気の説明の前に、一つお前に知ってほしいことがある。人の体で一番重要な部分はどこか分かるか?」
「うーん、色々あると思うけど、一番は頭かな。どんな武器でも頭に攻撃すれば大体崩せるし」
「いいや、違う。正解はここだ」
ペーデは自分の胸の中心を指し示した。
「心臓?」
「『コア』だ。心臓の右隣にある器官で、人の霊力の源であり、霊力の供給、制御はすべてここで行われている」
(さっき体の中の霊力の流れを掴んだ時、胸の中心から出ているように感じたけど、あれがコアだったんだな)
「コアが壊されれば人は即死する。傷ついただけで廃人になるって言われてる。まさしく急所だな。……ここで電気の話に戻るが、これを見ろ」
ペーデは片手を広げて霊力場を出した。すると、霊力場の中でパチパチと音を立てながら鋭い閃光が走った。
「これが電気を出す術、放電術〈トニト〉だ。これには面白い性質があってな。ある強さで人に当てると、その身を傷つけることなく当てた部位の霊力活動を一時的に麻痺させることができるんだ。右腕に当てれば右手から霊力場を出せなくなる。では、コアに直接当てればどうなるか……リーフ、もう霊力は回復したか?」
「ん? あー、そうだね。半分くらいは回復したかな?」
「今からお前のコアに電気を流す、その身で効果を確かめてみろ」
ペーデは電気が走るその手をリーフの胸に近づけようとした。
「ちょ、ちょっと待って!」
「なぜ胸を隠す?」
「いや、コアって傷ついただけで大変なことになるんだろ、だから……」
「安心しろ。ちゃんと加減する。……まあ、強くしすぎると体内が焼き切れたりするんだが」
「頼むよ!?」
リーフは覚悟を決め、ペーデに胸を差し出した。ペーデの手が胸の中心の僅か右側に触れると、小さな痛みとともに全身の筋肉が勝手に震えた。
(これ……関所の柵を触った時に感じたやつだ)
「気分はどうだ?」
ペーデが尋ねた。
「体は何ともないけど……霊力場がどこからも出せない。なんか、体の中の霊力が俺の意思から離れてただの異物になったみたいだ。……あ、もう出せるようになった」
「麻痺の時間は電気を流した時間の長さである程度調節できる。それに、もっと強い力をコアに与えてやれば四肢を動かなくしたり、気絶させたりすることができるぞ」
「へぇ、便利だな!」
「ああ、こんな場所でも人を殺したら大事になるからな。この術はフラトレスの奴らとやり合う時もよく使ってる……さて、こんなところか」
気づけば森の中の明暗の差が目を刺激するようになり、太陽が空に上がり切ろうとしていた。
「後の霊術の練習は暇な時にリーフの方で自主的にやっておいてくれ。今日は一旦拠点に戻って、フラトレスのことを説明するついでに奴らの偵察に行くぞ」
「はーい」
その時、リーフの耳は森の奇妙なざわめきを察知した。風とは明らかに違う、圧倒的な質量を持った何かが、森を踏み均しながらこちらに向かって来ているのが分かった。リーフはその方向へ体を向け、剣を抜いた。
「ペーデ!」
「ん?」
ペーデも振り返ると、馬の3倍程の大きさの、クマのような獣が藪の奥からリーフへ飛び出してきた。
(でかい!?)
リーフは脇に飛び込むようにして突撃を躱し、一回転して立ち上がった後、剣をしまって一目散に走り出した。獣はやや地面を滑った後、唸り声も上げずにリーフを追いかけ始めた。やはり彼を仕留める気のようだった。リーフは獣の通れそうにない、木々の細い隙間を通り抜けて逃げたが、地面の揺れがどんどん大きくなり、近づいてきていることがリーフにも分かった。
(だめだ、逃げられない。でも、今霊力を使っても、逃げ切る前に力尽きてしまう。それなら……)
リーフは走っている勢いのまま近くの木へ飛び上がり、するすると頂上付近へ登り、様子を見てみることにした。獣は少し戸惑った様子を見せたが、すぐに幹をかかえるように掴み、よじ登り始めた。
(これじゃすぐにここまでくる。霊力で隣の木に飛び移るか? いや、それでもこの獣を撒くことは……)
「こっちだ獣!」
追いついたペーデが叫び、霊力を込めて指で小石を弾いて飛ばし、獣の頭にぶつけた。獣は木にしがみついたまま頭をペーデに向けた。それに対してペーデは再び石を弾き、今度は獣の額に命中させた。すると、獣は木を降り、ペーデに向かって前足をあげ、彼を威嚇するように低い雄叫びを上げた。
「リーフ! さっき教えたことのおさらいだ! こいつはお前が狩れ!」
ペーデは木の上のリーフに向かって叫んだ。
「は、はぁ!? 何言ってんだよ! 獣の力はそれこそ人の領域を軽く超える。獣が軽く小突く程度の力で人は死ぬんだぞ! 無茶にも程がある!」
「今のお前には霊力があるだろう!」
「今の俺の霊力量だど一撃斬りつけるのが限界だ。それに、その獣も霊力を纏ってるじゃないか!」
「……リーフ、確かにこいつは中々の大物だ。力も強い。だけどな、この世界において、なぜ人が最も繁栄したか、わかるか? それは人が最も霊力の扱いに長けていたからだよ。獣だって霊力は使える。だがその多くは単純な運動術か障壁術くらいしか使えず、その扱いも粗雑なものでしかない。……一撃放てれば十分だ、リーフ。コアを狙え。俺がこいつの注意を惹きつけて、隙を作る」
獣が左前足に霊力を込め、ペーデに叩きつけた。しかしペーデは運動術でそれを軽く躱した。それから獣は両前足を振り回してペーデを追い詰めようとしたが、彼は攻撃の隙間を滑らかに通り抜け、何度も獣の背後に回り込んだ。
ペーデが惹きつけている間、リーフはまず獣の観察をした。
(獣の背中、右の肩甲骨と背骨の間辺りに霊力の流れの中心が見える。きっとあれがコアの位置だ)
しかし、獣はリーフの存在も警戒していたのか、背中全体に障壁術が張られていた。今のリーフの霊力量では、あれを破るのは厳しそうであった。
ところが、観察を続けているうちに、獣が前足を振り上げた時の少しの間、障壁術に隙間が生まれるのをリーフは発見した。
(霊力の粗雑な扱い……そういうことか)
ペーデが誘導してくれているのか、獣がリーフの真下に近づいてきた。策が固まったリーフは剣を抜いた。
(ペーデが大岩を斬った時を思い出して……刃渡り伸長、そして斬撃の念……)
剣に霊力が込められ、光を帯びたように感じた。それから真下の獣を見て、機会を伺った。
(狙うのは、獣の攻撃が少し落ち着いた後、二呼吸おいて、毛が逆立った時……今だ!)
リーフは剣を逆手で持ち、枝から手を離して、静かに飛び降り始めた。胴体を水平にし、剣に両手を添え、切っ先を獣のコアに向けた。獣はリーフに完全に背中を向けていた。しかし……
(あ、まずい)
リーフが落下している最中に、ペーデの動きを目で追った獣の上半身が、半身ほど右にずれてしまった。このままでは障壁術の隙間に剣が届きそうになかった。
リーフは歯を食いしばり、右手を伸ばして獣の左脇の毛皮を掴んだ。それから掴んだ場所を支点にして彼は自身の体を獣の腹の下に潜り込ませ、その勢いのまま右手を離した後、右脇へ飛び移って再び右手で毛皮を掴んだ。そこから逆上がりをして身を翻し、獣の背中に乗ると、そこはコアの真上だった。
獣の意識はリーフが最初に掴んだ左脇からの刺激しか処理できていないようで、全ての障壁術が左に寄っており、コアが無防備だった。すかさずリーフは両手で剣を持ち直し、コアに向かって全力で突き立てた。
すると、獣の体の霊力の流れが止まり、獣は糸が切れたようにあっけなく崩れ伏した。纏っていた霊力も霧散していった。
リーフは剣を抜いて、獣の体から滑り降り、その様子を確認すると、深く息を吐いた。
「いい一撃だった」
ペーデがリーフに声をかけた。
「ペーデもすごい身のこなしだったな」
リーフは右手を顔の横まで上げ、手のひらをペーデに向けた。彼のやろうとしていることを察したペーデは少しぎこちない様子でリーフと同じ格好をとった。それを確認すると、リーフは自分の右手をペーデの右手にぱちんと打ちつけた。
「罠も何も用意しないでこんな大物を仕留められるなんて。霊力ってすごいな。これならしばらく食べるのに困らなくなりそうだ。よ〜し、捌くぞ〜!」
リーフは上機嫌に語ると、獣の体に飛びついて作業を始めた。ペーデはしばらくその様子を眺め、彼のことについて考えていた。
ペーデはこの時、リーフという人物が奇妙に感じ始めていた。
(リーフは一見、能天気で、世間知らずで、やけに感情豊かなやつで……獣を仕留めろと命じた時も、かなり取り乱していたように見えたが……今はもういつもの落ち着きを取り戻している。
……それに、獣と遭遇してからリーフは、あのコアに加えた一撃以外全く霊力を使っていなかった。獣の胴体周りを回ったあの曲芸のような動きすら霊力無しでこなしていた。俺が霊力無しであの動きをできるとはとても考えられない。
……そもそも……リーフが鳥と戦っていた時から違和感はあった。霊力のこもっていない、とろい動きだったのに、あいつはなぜか全ての攻撃に対処できていた。
……なーんか『素人』って感じがしないんだよな。リーフが以前暮らしていたという、霊力の概念が存在しない地域ではこれくらいが普通なのか、それともこいつが特別なのか……っといけねえ。こいつがどこの誰かなんて、俺には関係ないってのに)
ペーデは首を振るってその思考を払い捨てた。
「ペーデ! これ、とりあえず、拠点に運ぶってことでいいよね?」
リーフは食べられそうな部分だけを切り分けていたが、すでに山のように肉が積み上がっていた。
「ああ、手伝おう」
リーフとペーデは全ての肉を拠点に持ち帰った後、保存のために干したり、燻製にしたりして処理した。全ての作業が終わる頃にはすっかり日も暮れ、二人は早速今日の獲物を食すことにした。
「ん、美味しい。俺が想像してたのより、香り高いというか……霊力がこもってるせいか?」
リーフは焼き上がった肉を眺めながら言った。
「確かに、霊力の多い食べ物ほど美味しいとは聞くな」
「元気よく俺に襲いかかってきただけはあるな」
「次森に入る時は気をつけろよ。お前はどうやら獣たちに『食われる側』として認定されてるらしい」
「どういう意味?」
「自然界で『食う、食われるの関係』を決めるのは、種の違いではなく、霊力量の違いなんだ。霊力量の多い、強い個体が、霊力量の少ない、弱い個体を食う。相手の体がどれだけデカかろうが、そいつが自分より霊力量の少ないやつだったら、襲って、食ってしまうなんてことがよく起こるんだ」
「俺が昨日鳥に襲われたり、今日獣に狙われたのも、『俺が弱そうだったから』ってことか。何だか情けなくなってくるな……」
「一応、自分の霊力量を悟られないように偽装する霊術もあるぞ」
「うーん、それは今はいいや。俺にとっては偽装に霊力を使うのも勿体無い」
リーフは早くも自分の分の夕食を食べ終わり、寝転んで、夜空を眺め始めた。今日もまた月が輝いていた。
「ペーデ、あのさ、俺、考えたんだけど」
リーフは月を見ながらペーデに話しかけた。
「何だ?」
ペーデは肉を噛みながら返事した。
「ヴィジーニエにもし入れたらさ……」
「入った後の話はやめろ。今は入るまでに集中する時だ」
「先のことを考えるのも大事だろ?」
「安易な希望は挫折の素だぞ」
「そういうのとはちょっと違うから。まあ聞いてよ……俺、ヴィジーニエに入った後、ペーデの人探し、手伝うことにした」
「!?」
それを聞いてペーデは肉を喉に詰まらせ、首を抑えて苦しみ出した。
「ペーデ!? はいこれ水!」
ペーデは水筒を差し出したリーフの顔をチラリと一瞬見た後、すぐに手を伸ばして水筒を受け取り、口に水を注ぎ込んだ。
「ごめんごめん。そんなに驚いた?」
リーフはペーデの背中をさすりながら言った。
「何で今……そんなことを……」
ペーデは肩で息をしながら言った。
「昨日ペーデに、『故郷』を探すのが俺の目的だ、って言っただろ? でも、俺はこの世界のこと何にも知らないし、具体的に何をしたいかは決まってないんだよね。……それに、ペーデが協力しようって言ってくれるまでは俺、結構参ってたんだ。一寸先も見えない暗闇の中を這いつくばって、手探りで道を探すような思いをしなくちゃいけないんじゃないかって考えてた。だから、ペーデに色々教わって、とても助かったし、心から感謝してる。君に恩を返したい。たとえそれが結果的に、大きな回り道になったとしても」
そう言ってリーフはペーデに向かって微笑んだ。
「本気か? お前」
ペーデは軽蔑するような目でリーフを見た。
「あ、もちろん、街に入るまでは、ペーデの探し人のことを探ったりしない。それは約束する」
「そうじゃなくてだな……いや、いい。勝手にしろ」
ペーデはそう言って肉を食べ尽くすと、寝具を引っ張り出し、リーフを背にして横になった。
「ああ、おやすみ、ペーデ」
その夜、ペーデは夜中に目を覚ましてしまった。後ろからはリーフの規則正しい寝息の音が聞こえて来た。ぐっすり眠っているようだった。
ペーデは懐から折り畳まれた紙を取り出し、それを広げた。すると、中から月明かりに照らされた押し花が姿を現した。小さく、黄色い花たちが、寄り添うように集まって咲いていた。
ペーデはそれに鼻を近づけて、息を吸い込んでみた。以前は独特の、よく鼻に通る香りがしたのだが、今はもうそれを感じることはできなかった。ペーデは紙を元通りたたみ、懐にそれをしまうと、再び目を閉じた。眠れなくても、明日に備えなければならなかった。
翌朝、ペーデとリーフは朝食をとりながら、今日やることについて話を始めた。
「今日からはフラトレスの動きの偵察に徹する」
「どうして? 昨日獣に襲われる前もそんなこと言ってたけど」
「あいつらがヴィジーニエに入るための鍵を握ってるからだ」
「そうなの?」
「以前俺はお前にフラトレスのことを、街へ入れてあげるってことを餌にして、寄ってきた連中にゲスいことしてる奴らだって説明したろ? 何でそんなビジネスが続いているかというとだな、本当にあいつらがその入り口を確保しているからだよ」
「入り口を!? フラトレスって、そんなに力のある組織なのか?」
「いや、そうでもない。ヴィジーニエっていうのは歴史がある街な上に広大だからな。政府が認知してない抜け道が割とあるらしい。フラトレスはその抜け道をいくつか確保して、隠蔽し、自分たちに都合よく使ってるみたいだ。俺はその抜け道を使って街に入ろうと考えている。これまでの調査で場所は大体つかめたが、奴らの警備を突破できなかった。だから、これからやるのはその警備の隙を探るためのものだ。これといって詳しい計画が固まってるわけではない。根気のいる作業になる」
「そういうのは得意だ。で、どこに行くの?」
「俺に着いて来ればいい。奴らの居場所はだいたい決まってるからな」
それから、二人の地道な調査の日々が始まった。ペーデに着いていき、フラトレスの黒服たちを見つけたら、物陰に隠れ、動向を観察し、話し声に聞き耳を立てた。浮浪者たちを追い払ったり、警備の定期連絡をしている様子がよく見られた。リーフは霊術の鍛錬も早朝や就寝前に自主的に続けていた。特に放電術〈トニト〉の練習には力を注ぎ、襲いかかる小動物や自分の体を実験台にして力加減を掴もうとしていた。
そんな時間が数日流れたある日の昼頃。今日も二人は偵察を続けていた。
その時、ある黒服の男がリーフの目に留まった。黒い服に加えて黒い眼鏡をかけている中年の男性で、周りの黒服によく指図していた。そして彼の周りにいる黒服たちはいつもより背筋が伸びているような気がした。
「ペーデ、あの人、上司か何かか?」
「ああ、あいつがこのあたりのフラトレスたちを仕切ってるリーダーだ。名前はカニス。顔と名前くらいは覚えておいていいだろう。……それにしても、あいつ自らこんなところに出向いてくるなんて、今日は少し騒がしいな」
その時、奥の森から不気味で、どこか悲しげな叫び声が響き渡り、鳥たちが空へ飛び立っていったかと思うと、そこから岩でできた3体の巨人たちが現れた。全身が邪悪な霊力で覆われていて、それを見たリーフは冷や汗が吹き出して来た。
「何なんだあれ! あんな動物見たことないぞ」
リーフはペーデに尋ねた。
「モンスターだ。ここらだと岩やら死体やらに自然と霊力が宿って人を襲うようになることがたまにあるんだ。いつでも逃げられるように準備しておけ」
ペーデの言った通り、巨人たちは周辺の黒服や浮浪者たちを襲い始めた。リーフは腰の剣に手を添えて、前に乗り出そうとしたが、その様子を見たペーデはリーフの肩を掴んで止めた。
「やめておけ。ここはフラトレスの奴らに任せておけばいい。それに、モンスターは動物と違って霊力の扱いも上手い。今のお前が行ってもやられるだけだぞ」
黒服たちは銃器で応戦していたが、巨人はそれを障壁術で防ぎながら光弾の雨を放って対抗していた。
「……そうみたいだな」
リーフは剣から手を離した。
二人が戦いの行方を見守っていると、カニスの傍にいた黒服が巨人の打撃を受けて、リーフたちの近くまで吹き飛んできた。息はあったが、気絶しているようだった。
「おお、ラッキー」
ペーデがそう言うと、気絶している黒服の傍に駆け寄り、懐を弄った。そして、そこから札状の何かを見つけた。
「あった、これだ」
ペーデがそう言うと、その札を自分の懐にしまい、代わりに霊力で同じような札を作って、黒服の懐に入れた。
「……こんなに都合よくいくなんてな。拠点に戻るぞ、リーフ。今夜、ヴィジーニエに入る」
「ええ!? もう?」
「さっき手に入れたのが入り口を開くためのカードキーだ。偽物とすり替えたから今夜までは紛失に気づかれない。今夜までなら、街に入れる」
「こんなに早く、好機が巡ってきたっていうのか?」
リーフは両手を握りしめて言った。
「ああ、俺自身驚いてるよ。すぐに準備に取り掛かろう……ん?」
ペーデが目を向けた先にリーフが体を向けると、どこからともなく現れた浮浪者が足を引きずりながら彼らに近づいてきていた。
(向こうの戦闘に巻き込まてどこか負傷したのか?)
「た、助けてくれ……」
浮浪者はそう言ってリーフに手を伸ばした。
「大丈夫ですか? 怪我したなら見せて下さい。応急処置くらいしかできませんが」
リーフは浮浪者に近づいて言った。
「お、俺、は、まだ、死にたく。な……」
そう言うと、浮浪者の全身が無秩序に震え始めた。
(なんだ? この気配……)
「リーフ、下がれ」
ペーデがそう言って前に出ると、浮浪者のコアをナイフで躊躇なく突き刺した。突然のことでリーフには止める暇もなかった。ペーデが浮浪者を蹴飛ばすようにしてナイフを抜くと、その人は仰向けに倒れた。
「ペーデ、どうして殺した?」
リーフが尋ねた。
「そいつは向こうのモンスターの霊術に巻き込まれでもしたんだろう。コアにまでモンスターの霊力が侵食していた。そうなったら、死ぬか、モンスターとなって人を襲うか、そのどちらかしかない」
「……とんでもないな、モンスターって」
リーフは倒れた浮浪者のことを見つめた。その顔は、苦悶の表情を刻んだまま固まってしまっていた。
「リーフ、そいつのことはいいだろ。行くぞ」
「ペーデ」
「何だ?」
「この人を埋葬したい」
「はあ? お前そいつの名前も知らないだろ。何でそんな無駄なことをする」
「何だか、可哀想になってきて。ずっとこのままってのも気分悪いだろ」
「人は死んだらそれまでだ。そんなことしたって死者は報われないぞ。それに、ここならほっといても獣や鳥が処理しにくる。明日には綺麗さっぱりなくなってるだろうさ」
「確かにペーデの言う通りかもしれない。これが俺のわがままだってことも分かってる。でも、俺が前にいた村で、色々な人と暮らして、それで、俺は心に誓ったんだ。自他問わず、『命』には真摯に向き合うって。……だから、お願いだ、ペーデ。嫌なら、先に拠点に戻って準備を進めてもらっていい。俺の荷物は少ないから、計画が遅れることはないはずだ」
「……勝手にしろ。こっちは死人に構ってる暇なんてないんだよ」
ペーデはそう捨て台詞を吐くと、拠点の方へ去っていった。
フラトレスとモンスターの戦闘は場所が移り、遠くからたまに戦闘音が聞こえる程度に離れていた。リーフは柔らかい地面を見つけて、手や、鞘に入れた剣を用いて穴を掘り、そこに遺体を運んで入れた。それに土を被せ、すっかり埋め終わると、その前に石を軽く積んで、手を合わせた。
すると、どこからともなくふらりと現れた浮浪者がリーフの元にやってきた。何事かと思ってリーフが様子を見ていると、その人の手の中には、このあたりの道端でよくみる黄色い花があった。その人は放るようにその花を墓の上に置くと、何も言わずふらふらとどこかへ去っていった。リーフは微笑みながらそれを見守った。
「やっと来たか」
間も無く日が沈む頃、リーフが拠点に戻ると不機嫌そうなペーデが待っていた。すっかり荷造りされているようだった。準備が出来次第出発すると言うのでリーフは保存食などを軽くしまって準備を整えた。
「いよいよだね」
「準備できたか? 行くぞ、着いてこい」
ペーデはそう言うと拠点を出て走り出した。リーフはペーデに従ってただ着いて行った。しばらくしてペーデは「とまれ」と合図を出し、物陰に隠れた。
「向こうにフラトレスの見張りが二人いる。慎重に確認しろ」
言われた通り確認すると、リーフは暇そうに立っている二人組の足元に、地下へ続きそうな扉があるのを確認した。
「煙幕をかけるからそれと同時に放電術で気絶させろ。俺は奥をやる、お前は手前の一人だけやれ」
「了解」
ペーデは霊力で球体を二つ作ると、それをフラトレスの二人にそれぞれ同時に投げつけた。
「……! 何だ!?」
二人組は手で防御しようとしたが、障壁術にぶつかると同時に発生した煙が瞬く間に彼らの顔を包み込んだ。半ばパニック状態で煙を振り払おうとしているところにリーフは急接近し、素手で目標のコアを突いて電撃で気絶させた。ペーデも同じように残りの一人を気絶させていた。
「いいね、練習の成果が出てる」
リーフは拳を軽く上げて喜んだが、ペーデはそれに構わず扉を調べ始めた。扉の取手の脇に鍵と思しき装置がついていた。扉より装置の方が小綺麗で、質感が異なることから、もともとあった扉に後から鍵をつけたことが推察できた。
ペーデがカードキーを装置に近づけると、カチャリと音が鳴った。
「よし、使えたみたいだ」
「こんなことしなくても、これくらいの扉なら霊術で壊せたんじゃないのか?」
「無理矢理こじ開けると警報が鳴るようになってる。ここでバレたら街に入る前に確実に捕まる」
「へぇ、考えられてるな」
扉を開け、階段を降りると、滑らかな石で囲われた通路に出た。ペーデの先導でその道をしばらく進んでいくと、重厚な扉に突き当たった。
「これがヴィジーニエの地下へ行くための最後の関門だ。これを開けるための装置があっちにある」
ペーデが指差した方を見ると、扉の右に横道が伸びていた。二人がその道に入り、1分ほど走ると、文字のようなものが書かれた板と、たくさんの突起が付いた機械のようなものが現れた。
「これだ」
ペーデはそう言うと、機械を触りだした。ペーデが何かを押すごとに、板に書かれた文字のようなものが瞬時に切り替わった。リーフは、ペーデが何をしているのかまるで理解できなかったが、見ていて飽きなかった。
「これで準備できた」
ペーデは小さな機械をリーフに手渡した。
「それを耳の穴に入れろ。以前フラトレスの連中から拝借した念話機だ。それに霊力を満たして、言葉を念じれば、俺にその言葉が伝わる設定になってる」
リーフとペーデが耳に装置を入れるとペーデは装置に霊力を満たした。
〈あ〜あ〜聞こえるか?〉
リーフはペーデの声を感じた。
「すごい。耳元で話しかけられてるみたいだ」
リーフも試しに言葉を念じてみた。
〈ラララララ〜♪ どう?〉
〈歌を念じるな〉
「良さそうだね」
「これならある程度離れてても会話できる。あの扉を開けるには、扉の脇にある装置とそこにある装置に同時に霊力を送る必要があるんだ。これから俺が扉の前に行って念話機で合図する。そしたらお前はその装置に手を置いて、霊力を込めろ。」
「了解。それじゃ」
リーフは手を振った。ペーデはそれに応じずに扉へ向かった。
しばらくすると、ペーデの声が聞こえてきた。
〈扉の前についた。合図はカウントダウンでいく。俺がゼロと言った時に装置に霊力を入れろ〉
〈ゼロね。了解。準備はできてる〉
〈いくぞ、3……2……1……ゼロ!〉
言われた通りに霊力をこめると扉の方向から短い駆動音がかすかに聞こえた。
〈うまく行ったか?〉
リーフはペーデに確認を取ったが、返事がなかった。違和感を感じているうちに、再び短い駆動音が聞こえてきた。
〈ペーデ、今どうなってる?〉
リーフは嫌な予感を感じて扉へ向かい始めると、妙に落ち着いた口調の返事が返ってきた。
〈全部うまく行ったよ。だけどリーフ、お前はここまでだ。この扉を通れるのは一人だけ〉
リーフが扉の前にたどり着くと、ペーデの姿はそこになく、扉が閉まっていた。動かそうとしてもびくともしなかった。そうしていると、通路中から大きな音が鳴り響き始めた。
〈早くそこから離れたほうがいいぞ〉
またペーデの声が聞こえてきた。それが警報であることはリーフでも容易に推測できた。
「なるほどね……」
全て理解したリーフはゆっくりと念話機に霊力を入れ、言葉を念じた。
〈ペーデ、色々、ありがとう。探してる人、見つかるといいな。あ、俺のことは心配しなくていいから。今度はそっちで会おうぜ〉
ペーデは驚いて思わず振り返り、駆ける脚の速度を緩めた。もちろんリーフは見えなかった。それでも彼の脳裏には、無邪気に笑うリーフの顔が浮かび上がって来た。そしてなぜかリーフに並んで、ペーデが探す「あの子」の笑顔が。
しかし彼はすぐに頭を振るって、耳の中の念話機を外し、ひたすらその先へと走り出した。今の彼には、置いて行ったものを気にしている暇はなかった。
一方、リーフは、警報を聞きつけ入り口からやって来た黒服たちに取り囲まれていた。
「おいお前! 何をした!」
黒服の一人がものすごい剣幕で詰め寄ってきた。
「ここから一人出ていった。ペーデっていう人。多分君たちも知ってるんじゃない?」
リーフは全く悪びれない様子で答えた。
「あの逃げ足の速い小僧か……」
「開閉装置が起動した形跡がありました。おそらくそいつの言うとおりかと……」
横道から戻って来た黒服が言った。
「やってくれたなこのガキ!」
男はリーフにつかみかかる勢いで一歩前に出たが、すぐ後ろにいた男に止められた。頭目のカニスだった。
「やめておけ」
「カシラ!? なぜ止めるんです」
「そいつは俺たちの仲間だ。」
それを聞いた黒服たちは皆目を丸くしてリーフを見た。
「どうも、カニスさん」
リーフは片手を上げて笑顔で挨拶した。
話は少し遡る。リーフが墓を作り終え、辺りが夕焼けに染まって来た頃、拠点に戻る前にリーフはカニスを探していた。モンスターが現れる前に見かけたカニスの位置を探ると、それらしき足跡を発見したので、追跡を始めた。
カニスはすぐに見つかった。モンスターに襲われたことによる被害状況を見回っているようだった。そして彼は二人の部下を後ろに引き連れていた。
リーフは物陰に隠れながら彼らに近づき、背後から静かに接近すると、部下二人の背中からコアへ素早く放電術を浴びせ、彼らの意識を飛ばした。カニスはそれに気づいて咄嗟に身構えたが、リーフは霊力で右手に青白く輝くナイフを形成した後、部下たちの体をすり抜けて流れるようにカニスの懐に入り、相手のコア目掛けてナイフを突き出した。
カニスはそれを障壁術で防ごうとしたが、ナイフはカニスの障壁術をすり抜けカニスのコアに到達し、電撃を走らせた。リーフが作ったのは、ナイフの形をさせた放電術だったのだ。
霊力はイメージの力だ。それは想像した通りのことをそのまま現実に反映する力であるが、裏を返せば想像しなかったことに対して力は発揮されないということでもある。リーフはここ数日の霊術の研究で、このことに気付いていた。
リーフは「ナイフの形に偽装した電撃を作る」という念でナイフを作った。霊術の性質に見た目はあまり関係ないようで、偽装自体にはあまり霊力を使わなかった。
それに対して不意を突かれたカニスは咄嗟にナイフを防ぐ念——正確には「力学的な攻撃から身を守る」念で障壁術を展開した。しかしナイフの実態は放電術であったから、両者の念は干渉し合わず、ほぼ素通りしてしまったのである。
リーフは3人を目立たない場所まで引きずるように持って行き、適当なところで横にさせた。
「何のつもりだ小僧」
カニスにだけ意識があったが、四肢を動かなくされていた。
「手荒な真似してごめんね。どうしても話したいことがあってね」
リーフは夕焼けで赤く染まった笑顔を向けた。
「これでも忙しいから、手早く終わらせてくれると助かるんだが?」
カニスは虚栄か、それともその度胸からか、尊大な態度を崩さなかった。リーフは剣を抜き、切っ先カニスに突き立ててを話しを始めた。
「俺の名前はリーフ。おじさん、俺をヴィジーニエに入れてくれない?」
「やっぱそれか……あのな、あの街で暮らすためにはただ塀の内側に入り込むだけじゃダメなんだよ。ちゃんと市民権を得ないと碌な暮らしができねぇ。その問題を解消するためにはものすごい手間と金がかかることだってあるんだ。だから、俺一人刃突きつけられて『はい、かしこまりました』て言える問題じゃねえんだよ」
「へぇ、思ったよりちゃんとしてるんだな。 でも……」
リーフは剣をさらに近づけ、剣背をカニスの顎に触れさせた。
「状況分かってる? 俺はこれでも何度か拷問の経験があってね。もう、人のどこを斬ったら死んで、どこまでならギリギリ死なないかはっきり分かるんだ。その辺さえ気をつけてれば人って案外しぶとくてね、潰すか刻むか、削ぐか卸すか……『調理』の幅が広くて、結構奥が深いよ」
カニスの額に脂汗が滲んだ。しかし、その表情は崩れていなかった。
「やってみろよ。こんな世界で生きてたら嫌でも覚悟は固まるってもんだ。それに……痛みに耐える術は得意なんでね」
カニスはそう言うと、片側の頬を上げ、ニヤリと作り笑いしてみせた。
「流石、ここらの頭目ってだけはありそうだね……じゃあ、取引しよう」
リーフは剣を下げて言った。
「あ? 取引だ?」
「最初からタダで済ませられるとは俺も思ってない。もし、俺を街に入れてくれるなら……俺はフラトレスに入る」
「はあ?」
「俺思ったんだけどさ、君たち人手不足なんじゃない?」
カニスの表情が僅かにこわばった。リーフは話を続けた。
「さっきモンスターの戦い見てたんだけどさ、技術とかそれ以前に相手の威圧感に圧倒されて動けなくなってた人が半分はいたじゃない。どっしり構えるべき頭目であるおじさんですらさっきまで走り回ってたくらいだしね。被害も結構あったみたいだけど、モンスター騒ぎは割とよくあることなんでしょ?だから、結構大変そうだな〜って」
カニスは何も答えなかったが、さらにリーフは話を続けた。
「俺はね、この辺りには最近来たばかりで、別にフラトレスに恨みがあるわけじゃないんだ。むしろ、この厳しい環境で君たちなりに頑張って生きていることに少し好感が持てるくらい。だから協力してもいいなって。俺、結構使えると思うよ。さっきおじさんたちを襲った時の手際もなかなかのものだったでしょ? こう見えて、遠くの国で傭兵やってたこともあったんだ。だから、殺すのも、苦しめるのも、俺は厭わない」
それでもカニスは顔を顰めたまま何も答えなかった。
「まあ、それでもダメだっていうなら俺も引き下がるしかないけど……でも、困っちゃうな〜。俺、どうしてもあの街に行きたいから、『駄々こねちゃう』かも。おじさんたちが根を上げるまで、ずっと、ずぅ〜っと、ね?」
リーフは冷たい笑みを浮かべた。カニスはしばらく噛み締め、唇を振るわせたのち、絞り出すような声でこう言った。
「……分かった。仕方ない、お前を街に入れてやろう。約束する。だが、事を進めるには準備が必要だ。だから、明日の朝、俺たちの拠点に出直してこい。場所は分かるよな?」
「ああ。よかった、交渉成立だね。あ、でも、口約束だけじゃ心許ないから……」
リーフはカニスのポケットを弄り、そこから小さな袋を見つけた。中には紙やら札やらが入っている。
「約束が果たされるまで、これ、預かっておくから」
「な……!」
リーフにはなんなのかよくわからなかったが、カニスの反応からして大事なものであるのは間違いなさそうだった。
「じゃ、ばいば〜い。」
「……ったく」
リーフはカニスを放ってその場を離れた。じきに放電術の効果が切れ、動けるようになるだろう。リーフはカニスたちが見えなくなるのを尻目に見て確認すると、溜まっていた息を吐き出し、胸を撫で下ろした。
「ひとまずこれで安心かな」
リーフがこのような行動に出た理由。それは次善の策を用意しておく事であった。
リーフはペーデを信頼していたが、それと同時に彼を疑うことを忘れなかった。これまで生き抜いてきた経験が、彼をそうさせていた。
今日までのペーデを見る限り、彼は基本的に自分の利益を第一に考えて動いているようだった。リーフ自身のことに関しては、興味がない——というより深く知りすぎないように努めているようだった。そして、彼の持っている情報量は多く、能力もあったから、彼一人で街への侵入をとっくに果たしていてもおかしくないように思えた。
しかし彼は、何も知らないリーフに協力を求め、わざわざ霊力の使い方を教えた。この行動が、リーフには不自然に思えて仕方なかった。そこで、密かにこのような保険をかけることにしたのである。
しかし、この取引を成立させるためには、フラトレスにとっての自身の価値と驚異度を膨らませる必要があった。そのための一手がリーダーのカニスを襲撃することだった。
実際、この一手はリーフにとって賭けであった。リーフには過去の戦闘経験から得た技術が多少あるが、霊力量が極端に少ない。カニスに対して行ったような奇襲が成功したとしても、今のリーフは精々5人気絶させるのが限界だった。仮に交渉が決裂し、フラトレス全員を敵に回すことになれば、リーフに抗う術はほぼなかっただろう。だからリーフはできるだけ自分を強く、恐ろしく見せる必要があった。
そして現在。リーフは閉じた門を背に大勢のフラトレス構成員に睨まれていた。リーフは口角を上げ、平静を装っていた。
「こいつが、仲間、ですか?」
部下の一人がカニスに言った。
「ああ、まだ正式ではないが……まさかこんなに早く再会するとはな」
「いや〜なんか面白そうだったからつい協力しちゃったんだけど、見事に置いていかれちゃった。酷い話だよね、まったく」
「なんなんだその態度は!」
カニスの部下は床を踏み鳴らした。
「やめろ」
カニスは、部下の襟元を掴んで自身の顔の前に引き寄せた。
「よく聴け、人間が相手の時はこちらが何人いようと決して侮るな。あの体にどんな悪魔が潜んでいるか分からんぞ。ああいう奴は、組織に受け入れて程よく縛ってやるほうがいい」
カニスは、凄みのある声で部下に囁いた。
「な……そんな……」
部下がリーフの方を見た。その目はすでに恐怖に侵され始めていた。そして、カニスが一歩前に出た。
「リーフ、だったな。ペーデのことはひとまず許そう。欲を言えばあいつも引き入れたかったが、どうも頑なでな。お前が手伝わなくてもいずれ似たようなことになってただろう。『上』にもそう理解してもらうことにする。お前を街に入れるにはそれなりに時間がかかるが、これ以上の面倒は起こしてくれるなよ。じゃ、また明日な」
「ああ」
リーフは頷いた。すると、カニスはため息をついて振り返った。
「お前ら、ご苦労だったな。帰るぞ」
フラトレス構成員たちは渋々といった様子で去っていった。リーフは振り返り、閉じた門を眺めた。
(ペーデ、できれば君と、街に入りたかった。一体何が彼を動かしてたんだろうな。……また会えるだろうか)