死刑執行人・四代目前川吉右衛門の誤算
斬首刑の死刑執行人として仕事を終えた前川吉右衛門は、寒くなった首元を匿うように、菅笠を目深にし、袷羽織を立てて、ざしざしと雪道を歩いた。
こんな寒い日は蘿蔔に熱燗がいいねぇ……、と頬を揺らし家路を急いでいる途中で、ガサリと長屋の屋根から雪の塊が前川の菅笠をかすめるように滑り落ちて来た。
その時、背後から人の気配を感じ、ピタリと足を止めた。
片頬を上げ、「いつ恨みを買ったかなぁ……」と腰元へ手を伸ばし、柄へ指を這わせば、「四代目、お手合わせ願います」と決闘の申し込みを受ける。
いやはや、若人は気が短い、と前川は眉尻を器用に動かした。
まだ相手の顔すら見てないが、声色に張りがあると感じて勝手に若人と決めつけた。だが、それも、あながち間違いではない気がした。
仕方なく背後へと身体を反転させると、なんとまぁ、若人だと感じたのもそのはずで、おなごが短刀を構えて立っていた。
その風貌から到底決闘など行えるとは思えず、前川は、「お前さん……」無謀なことは止めておきな、と肝心な部分を言葉に出来ないまま、娘を見つめた。
寸刻の途惑いのあと、「はぁ」と白い息を吐き出し、前川は構えていた柄から手を放した。
「なんだい、お前さん罪人の子じゃないのかい」
「違います」
「や、まあ、そうだろうな、見た目が見た目だからなぁ、で、決闘なんぞ……冗談だろう?」
娘は、きりっと眉を引き締め「いいえ」と口を尖らせる。それを見て前川は、冗談を言うてるわけでもないのか、と真剣な顔をする娘を見つめる。
自分の前に立ちふさがる大半の人間は罪人の身内が多く、逆恨みで決闘を申し込まれたり、もしくは夜襲を受けるなんて、ざらにあることだった。その場合は仕方なく相手をするが、大概は怖気づき逃げ出すのが関の山だ。
だが、目前にいるのは綺麗な羽織をまとった娘。震えるでもなく、凛としたその姿は潔過ぎて、逆に前川の方がぞっとする。しかも、美しい娘に決闘を申し込まれたなど人生で初めてのこと。
「取りあえず決闘の理由は何だ?」
「苦しまずに死にたい」
何故か娘の言葉が妙に腑に落ちた。
落ち着き払った様子から決闘が目的ではなく、潔く死ぬことが目的だと知る。
「殺してくれと言ったら、四代目は首を斬ってくれるのですか?」
「いいや、断る」
「ならば決闘しかありませぬ」
「なるほど」
娘の言い分も理由も分かったが、取りあえず「名を申せ」と言えば、ふっと緩んだおなごの口から「紀州藩、浅野佳代」と名が飛び出る。
「なんだい、浅野家かい……、面倒極まりないな」
娘から名前を聞いて思わず肝が冷える。徳川家の直参である浅野家の娘を手にかけたと知れたら、前川の仕事は無くなる。
仕事どころか、命まで危ない、この歳で浪人なんぞ御免だがなぁ、と顎を下に落とした。
「どちらにせよ、断る」
強く断りの言葉を娘に投げれば、「それならば仕方ありませぬ」と前川に背を向け立ち去った――――。
幾日か過ぎた頃、浅野家の娘が首を吊ったと人伝に聞いた。
自害なんぞ、人の好奇心を掻き立てるにはうってつけの話で、様々に勝手の良い話が咲いていた。
『許嫁に捨てられたとか』
『ん、わしが聞いたのは、嫁ぐのが嫌で首を括ったと聞いたぞ?』
『何を言うとる、賊が屋敷に忍び込んで辱めを受けて自害と聞いたぞ?』
いい加減なことばかりを言いよるなぁ、と前川は眉根を寄せた。
しかし、自害したのであれば苦しんだだろうに……、やはり、自分が娘に引導を渡してやるべきだったか? と茶店で団子を食いながら、妙な気分にさせられた。
そんなことより、娘の話をちゃんと聞いてやるべきだったかも知れんな、と今さら後悔しても仕方の無いことをいつまでも考えた。
その日、仕事を終えて家に帰る途中、背後から人の気配を感じた。
――またかいな……。
しかも「四代目――」と聞いたことのある声色が聞えて背筋に怖気が走る。はっとして振り返ると、あの日の娘が立っていた。
「な、な、な?」
「四代目、落ち着いて下さい」
「お、お、お?」
ずりずりと後ずさりながら娘を凝視した。
「大丈夫ですか?」
「そ、それは、儂のセリフだて!」
自害したと巷で噂の娘が今度は平民の服を着て、薄汚れた格好で目の前にいる。
「ば、化けて出たのか!」
「四代目、私にはちゃんと足がついております」
「……なんの冗談だこれは」
「冗談ではありませぬ。四代目が斬ってくれたら良かったのに――」
おなごは恨みつらみを言いながら、説明をし始めた。
「あの日、私は首を吊ろうと思いました」
「ん? 吊ったんじゃないのか?」
妙なことを聞き返したなと自分でも思うが、死んだと町中で噂の娘が目の前に現れたのだから仕方ないのことだ。
「実は先客がおりまして」
――首吊りに先客って……。
つい口を挟みたくなるのを前川は堪えた。
娘が首を吊ろうと選んだ木には、今にも首を吊ろうとしている庶民の女が居ったらしい、なんぞ面白い話でもしたのかと聞けば、娘は首を横へ振った。
「ただ、私の着ている着物を羨ましそうに見て『最後にそんな綺麗な衣を纏うて見たい』と呟いたのです」
「ま、まさか……?」
こくん、と娘は頷いた。前川の嫌な予感が的中する。つまり、先客の首吊り娘に自分の衣を着せ、その庶民が浅野家の娘として葬り去られたのだ。
「ってことは、やっぱり、お前さんが死んだことになっとるのか?」
「さようにございます」
「なんてこった……、いや、けどなぁ、顔が違うだろうに……、ああ、首吊りだと、顔も浮腫んで誰か分からんか……」
くすっと笑った娘は上目使いに前川を見る。その様子は悪戯が成功したような子供の顔に見えるが、悪戯にしては度を越している。
「お前さん……」
ああ、確か、佳代とか言う名だったな、と娘の名を思い出し、前川は「お前さんの名は佳代だったな」と確認する。
「はい、そうです」
「これから、どうするつもりだ?」
「ええ、そこで四代目に――」
「いや、斬らん、斬らんぞ!」
「せっかちですね。もう、そんな必要は無くなったのです」
以前にも増して、落ち着き払った様子の娘は言う。
「実は、あの日の翌日、伊予国の今川家へ嫁ぐ予定でございました」
ああ、その辺りは噂通りなのか? と娘の話に耳を傾ける。
「しかも、五十を超えた禿げた爺の所へです。そんな男の所へ嫁ぐなら四代目に斬ってもらいたかったのです」
「禿げた……爺……」
くすくす笑う佳代は、ぺろんを舌を出し「少々はしたのう言い方で御座いましたか?」と言う。
考えて見れば、武家の娘に生まれて礼儀作法を叩き込まれ、普段から、『武家の娘とは――』と厳しく育てられたに違いない。
箍が外れたとはこのことか、と前川も笑いを誘われ、小さく鼻を鳴らした。
「なるほどなぁ、爺の嫁になるくらいなら死んだ方がましと言う奴か」
「はい、どちらにせよ、私は死んだのです。それで、相談なのですが四代目の所で使ってはもらえませんか?」
「……使うってなぁ」
「ああ、なんなら嫁でもかまいません」
「な、な、なにを言うとる……」
まったく、冗談でも言っていいことと悪いことがあるぞ、と佳代を睨んだ。
「死刑執行人の嫁になんぞ、なるもんじゃない」
「ですが、そもそも、四代目のせいでこうなったのです」
「儂の?」
はて? あの雪の日、首を斬れと言った娘の命を救ってやったと言うのに、逆に『お前のせいじゃ』と責められとる。
責任を取れと言う娘を眺め、何処をどう間違えたのか、と過去を蘇らせながら、「あの日、あの道を通ったのが間違いだったな……」と嘆くように言えば、「いいえ、どこの道を通っても同じでしたよ」と佳代は柔和な笑みを浮かべて、ずんずんと前を歩いて行く。
前川の屋敷の門前でピタリと歩みを止めると、扉をカラカラと開けて佳代は振り返り言う。
「お前さん、お帰り」
はっ、と小さく息を漏らし、ぺちゃっと掌で自分の額を叩くと前川は仕方なく、「ただいま……」と敷居を跨いだのだった――。
死刑執行人・四代目前川吉右衛門の誤算~END.