◇第1節◇
暑い。退屈だ。そして暑い。
「お早うございます。お坊ちゃま」
俺は寝台の上に起き上がる。
毎朝思うが王宮のように豪奢で広い部屋だ。
俺の寝室、つまり寝るためだけの部屋。
ここは平和でのどかな国、ランダッシュ王国。
我が父グリント・フォーレライはこのランダッシュ王国の侯爵、つまり貴族。
邸内が豪奢なのは当然である。
俺はその侯爵家の一人息子で跡取り、ということになっている。
父は領民に親しい侯爵として人気が高い。
尊敬に値する父だ。
「いつも言っているだろう、お坊ちゃまはやめろ」
無遠慮に人の寝室に侵入してきた慇懃なこの男はセビスという。
この男の存在が目下俺の第一の悩みのタネだ。
セビスは我が家の第一執事。
つまり数いる執事の中の筆頭である。
有能な男ではあるのだが、このように俺の言いつけたことだけは右を左へで、守る気などさらさらない。
「しかしそうお呼びいたすのが当家代々の慣わしなのです。あなた様は正真正銘、この家のご当主たるグリント様のお坊ちゃまなのですから、そうお呼びするのが我々使用人のけじめ、秩序というものでございますよ」とか云々。
やれやれ、今まで幾度となく繰り返してきたやり取りを今日もしなくてはならぬのか。
この男はどうあってもこの俺をフォーレライ家のお坊ちゃんにしておきたいのだ。父の威光を笠に着て、二言目には慣わしだの秩序だのともっともらしく言うが、結局その秩序は自分のためにほかならない。その言葉の裏にあるのは、当家の次の権力者は自分であり、使用人を含め一家みな自分の言うとおりに行動すべきだという驕りだ。この男が頑なにお坊ちゃん呼ばわりを続ける理由には、俺にその立場を判らせようという魂胆があるのだ。
「黙れセバスチャン」
「む……」
その一言で相手はおし黙った。
しばらくの間があいた後、
「わたくしのことはどうか『セビス』とお呼びくださいませ」
苦々しげにふたたび口を開く。
完璧な執事は顔にこそ出さぬが鼻じらむのがわかる。
「何を言っている執事の名前は古来からセバスチャンと相場が決まっておろうが」
「なぜでございますか!」
いや、食ってかかられたところで理由など答えられないけど。
かりにその由来を俺が知っていたとしても、この男にはどうせ通じやしない。
この男がこれほど目くじらをたてるのは、ランダッシュで『セビス』は『誉れ』という意味であるが『セバス』になると『アホ』という意味だからだ。つまり俺は名前に引っかけた駄洒落でこの男を揶揄していることになるのであり、『セバスちゃん』は『アホちゃん』ということになる。やーい。
「ならば俺にもシエールという名があるだろう、今後はかならずシエール様と呼ぶように。こんど俺をお坊ちゃんと呼んだら、主人の権限でおまえをセバスチャンに改名してやる」
そういうと執事はとうとう頭から煙を吹かんばかりになって、フーフーと懸命に深呼吸をした。きっと気を落ち着かせているのだろう。
「かしこまりました。ではシエーィル様、本日のご予定でございますが」
エのところにわざとらしく強烈なアクセントをつける。
しかもルのところでいやらしい巻き舌。
またしても言い方にまたカチンときたが、これ以上この男の矮小なプライドに取り合っていても埒があかない。
「またあの退屈なあれか」
執事はコホンと思わせぶりな咳を一つして、
「アレでございます」