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第八話 赤いマントを持ってこい

 最終警告をするギアノと、無言の反抗を固持するメル。まさかこんな、シリアスどころかまったくもって洒落にならない展開になるとは、冗談で想像はしても本気で思うはずもなく、一気に高まった緊迫感に、ほぼ傍観者と化してしまっていた光一。そして、ギアノが右腕をおもむろに持ち上げ、その手に握られていた直径三十センチほどの輪っかをメルに向けたとき、緊張感は最高潮に達した。

 ギアノが持っているものが何なのか、光一に理解できるはずもなかった。だが、もはや悠長に傍観していられる状況でなくなったことは理解できる。堪らず、光一は「ちょ、ちょっと待ったあ!」と声を出そうとした。だが実際に発せられたものは、「ちょわあっ!」という驚きの言葉。

 その代わり、というわけではないのだが、実際に待ったをかけたのは、光一よりも僅かに先んじて「ワン!」と一吠えした、メルが抱きかかえたままの子犬だった。

「おおお、驚かすなよっ!」

 子犬の不意打ちに思わず驚嘆の声を上げてしまった光一は、バクバクと脈打つ心臓を抑えつけるように左胸に手を当てながら、子犬に向かってと声を張り上げる。だが子犬は、光一の文句など無視してもう一吠えした。

「お前な、場の空気を読めっ」光一は再度注文を付けると、不意に、メルの表情が目に止まった。彼女の目は少しばかり驚いていた。しかしその視線の先は子犬ではなく、ずっと見据えていた場所、つまりギアノ。この展開にそぐわないメルの反応に首を傾いだ光一は、何がどうしたというのだと、ギアノに視線を向けようとした。その時、彼ははっきりと見た。驚いていたメルが、にやりと目を細めるのを。

「メル、さん?」

 見てはいけないものを見てしまったような気分を振り払おうとしつつ、その真意を確かめるべく、ゆっくりとギアノへと視線を移す。ギアノは、わざと大袈裟に驚く芸人に勝るとも劣らないオーバーアクションの姿勢で固まっていた。

 その光景で、メルがほくそ笑む理由に気付いた光一だったが、これだけでは、状況が一変しこちらに有利になったと判断するのは早計だ。ギアノの驚きが、浜辺から引いていく潮のように消えてしまえば、そこに残るのは先ほどと同じ状況。いや、悪化している可能性が高いだろう。気を取り直した瞬間、実力行使に出ることだって十二分に考えられるのだから。だというのにメルは不敵の笑みを浮かべている。

 ひょっとして、驚いたSP男をただ楽しんだだけなのか?

 などとメルに視線を移して考えた途端、子犬がまたも吠えた。依然として鼓動は早く打ったままだったが、さすがにもう驚かない光一は「だからお前は」と説教する。とその時、どうにか聞き取れる程度のメルの小さい声が聞こえた。

「ここから逃げるわよ」

 思わず光一は、一拍おいて「へ?」と間の抜けた声を上げてしまった。

「しっ。アマノは黙って聞いてて。それと私を見ない」

「あ……」

 メルが言わんとすることをすぐに理解した光一は、視線をギアノへと戻す。ギアノは、先ほどと違うポーズで固まっていた。そのことに光一は疑念を抱きつつ、聞き逃さぬように耳を側立てる。

「私が合図したらとにかく走る。それまで余計なことはしないで。分かったわね」

 え……? それだけ? ってか、何をするつもりなんだよ。もちょっと説明してくれ。

 予想に反するあまりにも短い説明に、心の中で文句を言いつつも、いつ合図されてもすぐに動き出せるように、それとなく身を構えた。

「私がこの手を離したら、どうなると思う?」

「ワンワン!」子犬もメルに同調するように吠える。ギアノは「ベグルも一緒にしょっぴくだけだ」と答えるが、明らかに迫力がない。それもそのはずで、子犬の鳴き声に、ギアノが二歩後ずさりしていた。

「じゃあ試しに、あなたの後ろにいるベグルたちを捕まえてみてよ」

「随分と安い手だな」ギアノはそう言い返しながらも、緊張が増したのは見て取れる。しかもその緊張が、メルが言葉を重ねるたびに強くなっていくのが光一にも感じ取れた。

「ふうん。私の言葉を信用しないなら、それでもいいけど? ああ、そうそう。この星のベグルってね、仲間意識がすっごい強いそうよ? この子に何かしたら、あなた、どうなっちゃうんだろうね」

 メルの表情は嬉々とした印象はあるものの、まさに緊迫した駆け引き、の場面なのだが、いかんせんその中心にあるのが犬なだけに、固唾を飲み込むべきか、心の中で突っ込みをいれるべきか、光一としては何とも複雑な心境にある。気がつけば、動悸はかなり静かになっていた。

「さあ、後ろのベグルたちを捕まえてみせて」

「う……ぐ……」

 それまで必死に、後ろを見ないように抵抗していたギアノだったが、ついにメルの脅迫に屈し、本当に背後に犬がいるかどうか確認しようと、まずは目をメルに向けたまま顔と体をゆっくりと背後に向ける。そして、「下手に動けば、お前たちの命の保証は出来ないからな」と釘を刺すと、背後に瞳を向けた。

 正直なところ、光一はメルのハッタリが本当に通用するとは思っていなかった。目の前のSP男が犬をひどく苦手にしているのは明々白々だが、子犬相手に本当に臆するとは思えない。相手がライオンやら虎、熊といった肉食獣なら話は別だが。

 ゆえに、ハッタリに負けたギアノの行動には「それでいいのか」と、誰に言うともなく小さく呟いていた。それはさておき、今この瞬間、ギアノの視界に自分たちの姿が映っていないことは光一にも見て取れる。この瞬間こそ、メルが待っていたチャンスだということは光一にも理解できる。だが、ここで駆け出したところでどうにか出来るのだろうかと思った、まさにその時、光一は我が目を疑った。それはもう、目の前の光景がスローモーション映像となって見えてしまうほどに。

 ギアノを見つめている光一の視界に、こちらに尻を向けた子犬の姿が現れた。地面を駆けながらではなく、宙を飛びながら。そして子犬は、ギアノに向かって一直線に飛んでいった。まるで、自分がスーパーマンにでもなったと思っているかのように両手両足、尻尾までピンと伸ばして。

 何がどうしてこうなっているのか瞬時に想像した光一は、咄嗟にメルへと視線を向ける。案の定、力一杯何かを投げ終えた瞬間といった姿のメルがいた。

 つまりメルは、子犬を楯としてではなく、投擲の弾としてとして使ったというわけだ。引き延ばされた時間感覚の中、まさかの展開に光一は思わずあんぐりと口を開け、ついで「そうくるんか!」と、精一杯の大きな声で叫ぼうとした。だが光一がそれを口にする前にメルが彼の腕を掴み、叫んだ。

「走って!」

「ちょ――!」

 光一はメルに引っ張られて足を前に踏み出し、少々バランスを崩しながらもそのまま走り出す格好となる。その最中、視線をメルから子犬へと向けた。子犬は、ギアノの顔面に到達する寸前。ギアノはというと、飛来する子犬に気付いたばかり。

 そして、為す術なく子犬を顔面キャッチしたギアノは、悲鳴を上げることなく、受け身をとることすらなく、まるで石像のように固まったまま後方に倒れていった。

 この展開に光一は思う――。

 確かにメルの策は間違っていなかった。これなら、SP男にまた追われることはない。倒れ方からして、きっと気絶しているだろうから。けど、大事な部分で大いに間違っている。寄りにも寄って、子犬を武器として思いっ切りぶん投げるなんて。動物愛護団体の人に見られでもしたら、動物虐待で訴えられるかもしれないんだぞ。

 だが光一もまた大事な部分で間違いを犯していた。飛んでいる最中の子犬の瞳が、気分爽快と言わんばかりにらんらんと輝いていたことは脇に置き、ギアノが言った「もう逃げ場はない」という言葉をすっかり失念していたのだ。また、メルと一緒にこの場から逃げ出すことが、彼自身にとって何を意味するかも。

 ともかく、光一は心の中で子犬への謝罪と無事の祈りをしつつ、メルとともにマンションの駐車スペースから駆け出し、再び早いリズムで刻まれていく足音を夜空の下に響かせた。ただし響いている足音は一人分。光一は靴を脱いでいるので目立つ音は立てていない。この足音はメルだけのもの。

 走り出して早々に、早くこの足音をどうにかしたいと強く思った光一は、駐車場で考えた方法を実行しようと、逃走途中に右、左、右、左とジグザグに何度か曲がった後、ここらでいいだろうと足を止めた。突然のことでメルは思わず「なんで止まるのよ!」と文句を言う。

「お前の足音がマズイんだよ」

 ついさっき駐車場で足音についての会話をしていたこともあり、その手短な説明で、メルは光一の意図を理解し、喧嘩腰の態度はすぐに引っ込めた。といっても、顔はすぐに不機嫌に曇らせていたが。

 彼女のその反応から、光一はすぐに察した。メルは、今ここでブーツを脱げと言われると思っているのだろうと。そんな彼女の裏をかくように、彼女に背を向けて片膝をつき、「早く俺の背中に乗れ。ブーツは脱ぎたくないんだろ」と言った。

「え……?」

 案の定、そう言ってくるとは想像していなかったメルは、思わずきょとんとしてしまった。

「早くしろって。あいつに捕まりたいのかよ」

「わ、わかってるわよ」慌ててそう答えながら、メルはどうしようかと逡巡した。泣く泣くブーツを脱ぐか、光一の背にまた乗るか。どちらも彼女としては受け入れがたいものであった。だが、だからといって騒々しい足音をそのままにするのは良い選択ではないことぐらい理解している。他の選択肢を考える時間的余裕など微塵もないことも。

 そして選んだのは、どちらがより屈辱的でないかという観点から、ブーツを脱いで走ることだった。おんぶは既にしてもらっているが、お腹が空いて動けなかったから仕方なく承知しただけで、屈辱的行為であることには今も違いないようだ。

 メルはブーツを脱ぐために体をかがめて、アキレス腱あたりに手を伸ばす。そんな彼女を光一は意外に思いつつ立ち上がろうとした。その瞬間、メルの背後で小さな赤い光が灯り、瞬きする間もなく、光がメルをかすめるようにして飛んできて、光一の足元に突き刺さった。

 それが何なのか理解しようと考える前に、光一の頭の中で一つの映像が咄嗟に思い出された。ギアノが手に持っていた輪っかをメルに向けた時の光景だ。その輪っかがどういう代物で、どう機能するか実際に目にしていないので何の確証もないが、なんとなく、二人を拘束するための武器だと感じていた光一は、この光の矢のようなものに、反射的に「やべっ!」と声を上げ、今すぐ逃げ出すためにメルの手を掴もうと腕を伸ばす。メルもまた、突き刺さっている赤い光からすぐに危険を察知して、急いで立ち上がろうと光一の腕に手を伸ばす。そして光一は掴んだメルの手を思いっ切り引っ張り、彼女が走り出すのを助け、手を繋いだまま再び走り出した。メルの足音も一緒に引き連れて。

 状況は少しも好転せず、むしろ悪化している言って良い。ついに相手が実力行使にでてきたのだから。事ここに至れば、ここで降参するのが正しい選択なのだろう。しかし、すっかり逃亡者気分になっていた模様の光一は、とにかく相手の視界から身を隠さねばと、「こっちだ!」とメルの腕を引っ張り目の前の十字路を左に曲がろうとした。そのとき、光一に手を引っ張られるようにして彼の少し後ろを走っているメルが「アマノ!」と声を上げた。

「なんだよ!」角を曲がりながら振り返らずに光一が答える。

「あ――、頭っ!」

「頭がどうした!」

 そして少しの間があってから、メルが口を開く。だが、「どうしたって――」とやや困惑気味に言ったところでぷつり声が止まった。彼女が何を言いたいのか問い質す余裕のなかった光一は、このままこの会話を打ち切るように、言葉を返さずに走り続ける。堪らず、メルは心配そうな声で言った。

「あなた、頭大丈夫?」

「お前なあっ! こんな時に喧嘩売ってくんじゃねえっ!」

 前方に注意を向けたままそう怒鳴り返すが、このとき光一はまったく気付いていなかった。自分の後頭部に、長さ十センチほどの赤く光る細い矢のようなものが三本、彼が走るのにあわせて上下にぷらぷら揺れながら刺さっていることに。

 この赤い光の矢がどんな効力を持っているか彼女の知るところではないが、二人の足を即座に止めるためのものだということは間違いない。だというのに、彼は何の変調も見せずに走っている。どうやら彼には何の影響も出ないらしい。無理矢理そう結論づけることにしたメルは、この件についてこれ以上気を揉むことを放棄した。

 さすが原始人、と感心しつつ。

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