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第三話 夜の公園は危険がいっぱい

 先に口を開いたのは、光一でもなく女の子でもなく、早く次の食べ物をよこせと催促する子猫だった。それで我に返った光一は、彼女に対しどこか哀れむような目で思わずこう切り出した。

「……新手のかくれんぼ?」

 しかし女の子の耳には届かなかったようで、一心に弁当を見つめたまま。光一は、これはマズイと思った。相手が相当に腹を空かしているのは一目瞭然とあって、自分の夜食が心配になったからという理由だけではない。彼女に関われば手にしている弁当以外の面倒にも巻き込まれるような気がしたからなのだが、それはそうだろう。夜の公園の茂みの中、コスプレ姿の女の子がヨダレをだらだらと流しながら人の弁当を見つめているのだから。

 正直なところ、このまま何事もなかったかのように早々にこの場から立ち去りたかった。だが、突っ込みどころ満載のこの状況に対し、これ以上なにも突っ込まずに終わらせてしまうというのも如何なものか、家に帰ってからあのとき突っ込んでおけば良かったと後悔するかもしれないと思い、また、彼女が空腹以外で非常に困った状況に立たされているとは考えにくいが、やはり幾ばくかでも力になってやるべきかなとも思い、「え〜と、マジで何してるんですか?」と尋ねた。

 だが、やはり女の子は弁当を見つめたまま。その瞳があまりにも釘付けなので、光一は試しに弁当を上下に動かしてみる。彼女の頭は、ものの見事にシンクロして上下に動いた。この反応に、これは面白い、そう内心で小さく笑ってしまうと、いかんいかんと気持ちを切り換え、「あの、食べます? さすがに全部は無理だけど、少しぐらいならいいですよ?」と言いながら弁当を前に差し出した。

 ここでようやく、女の子は光一の言葉に反応した。それまでの哀愁漂う表情から、喜びがじわじわと浸透していくように輝きを放ち始める。例えるなら、ご馳走を目の前にして「待て」と飼い主から言われた犬が、長時間我慢し続け、ようやく「よし」と言われた瞬間をスーパースローで映し出したようなもの。この変化に、光一は自分の発言に後悔した。きっと、少しでは済まないだろうと予感しながら。

 女の子は、右手をぐんと伸ばしながら、四つん這いで光一に近付いていく。その様子に、光一はふと思った。

 なんか、庭先で野生の動物を餌付けしようとしている田舎の人みたいだな、今の俺。

 そして彼女の右手が弁当の近くまで来たとき、光一の中で、もしかしたら一気に全部奪われてしまうかもしれないという危険を強く感じた。慌てて「って、ちょっとタンマ!」と弁当を抱きかかえるようにして引っ込める。

 それは光一にとって正しい判断であった。事実、彼女の頭の中に、少しだけという考えは微塵も入っていなかったのだから。

 手に届きそうだった弁当が急に遠退いたことにより、女の子の表情は、すんでの所で取り逃がした大魚を悲しげに見送る漁師のそれとなる。哀愁に沈みゆく彼女の様子に、光一はさすがに微かながら罪悪感を感じざるを得なかった。そして、女の子はそのまま深い落胆の波に飲み込まれ、力なく両手をつきヨダレと一緒に涙をほろほろと落とすかと思われた。だが、瞳が悲しみでじわりと潤みだしたとき、急にハッとした顔で動きを止めた。

 その変化に、今度はなんだ?と光一が当惑し、それから数秒、再び時間が止まった。

 先に時間の針を動かしたのは、今度は子猫ではなく女の子だった。つい今し方までの表情とはうって変わって真剣な眼差しとなり、まるで容赦なく尋問するかの如き厳しい口調で言った。悲しいかな、ヨダレがそのままの為、迫力は一欠片もなかったが。

「ル・ウ・ナコルはどこっ!」

「は?」

「ル・ウ・ナコルはどこにいるのかって聞いてんの!」

「るうなこる? え、え〜と……」

 光一は彼女のヨダレや服装に苦笑いを浮かべながら、その衣装を参考に考える。“るうなこる”とは何者か。

 素直に考えれば、漫画かアニメのキャラクターの名前だろうなあ。ということは、やはりこれは新手のかくれんぼなのか? それで、“るうなこる”のコスプレしたその人が未だ見つからず、腹を空かしながら困り果てていたところとか。

 うん。これなら辻褄が合う。ばっちりだ。これで最初の問題は解決――したことにしておこう。さて次に、答えるべき言葉だけど、これについては考えるまでもないな。家を出てから今に至る間に、この人みたいなおかしな格好をした人物は目にしていないんだから、知らないとしか答えようがない。

 ということで、そのまま知らないと答えようとしたのだが、すんでの所で思い止まった。“るうなこる”なるキャラクターの格好が奇抜なものとは限らないのではないかという考えが浮かんだからだ。コスプレなるものをニュース番組でしか見たことないが、中には、街中で着ていてもあまり違和感を感じさせないようなものもある。ひょっとしたら、どこかですれ違っているかもしれない。ただし、そうだとしてもそれを覚えている可能性は限りなくゼロに等しいが。

 そこで光一は、いくつかの回答を予想しながら試しに「その“るうなこる”っていう人、どんな格好してるんですか? あなたみたいな、一目で分かるようなヤツ着てるの?」と尋ねてみた。

 返ってきた言葉は、まさかこれはあるまいと苦笑しながら予想から弾き出したものだった。

「そんなの知るわけないでしょ!」

「おい……」

「そんなことより、早く言え! ル・ウ・ナコルはどこっ!」

「その人がどんな人か知らない俺が、答えられるわけないでしょ」光一は一方的な女の子の物言いに少々不機嫌に語気を強めて答えつつ、状況を整理し直す。

 これはつまり、新手のかくれんぼではなくて、わざわざこんな格好をしてその人と待ち合わせしたものの会えず、探し歩いているわけか。こうして公園の茂みの中まで……。

 うん。これだ。絶対にこれだ。ていうかこれでもういいよ。これ以外俺は認めない。

「とにかく、俺は“るうなこる”って人知らないし、何処にいるかも知らないから。っていうか、携帯持ってないの?」

「ケイタイ? ……なによそれ」

「携帯電話に決まってるでしょ。まさか、携帯電話知らないなんて言わないですよね。漫画じゃあるまいし」

「し、知っているわよ! ちょっと勘違いしただけ!」

 そう声を荒げて反論する女の子を、光一はじとりと見つめる。どうやら携帯電話を知らないらしい。

「な、なによその目は! 未開人の分際で、私を馬鹿にするの?」

「未開人って、どっちがだよ」

「き、貴様っ!」女の子は、光一のぼそりと言った言葉に怒りを露わにする。そしてそれと同時に、彼女の胃袋も怒りの声を盛大に上げた。

「ぐぎゅるるるる……」

 この瞬間、怒りと空腹感とこっぱずかしさが彼女の顔面に吹き上がった。顔はこれ以上不可能というぐらい真っ赤になり、つり上がった眉毛の下の瞳はなんとも複雑な色で彩られ、にじみ出る涙に揺れる。

 この有様に、さすがに可哀想に思えてきた光一は、ささやかな腹立たしさを脇へ押しやり、やれやれと苦笑した。

「とりあえず、食べます?」

「い、いらないわよ! 未開人の食べ物なんて、食べられるわけないでしょ!」僅かに逡巡したのち、そろそろと差し出された弁当から顔を背ける女の子。

「あっそ。んじゃあ、君の分はこいつにあげるか」

「みゃー」

 それまでじっとこの時を待っていた子猫の嬉しそうな鳴き声に、女の子はぴくりと体を震わせる。そして、光一からもらったお肉を子猫がくちゃくちゃと頬張る音にごくりと唾を飲み込んでいた。

「うまいかー?」

「みゃー」

「そうかそうかあ。まだまだあるぞお」

「みゃー」

「いいかあ、この女の人に感謝しろよお。この人が食べたくないっていうから、たくさん食べられるんだぞお?」

 わざとらしい口調でそう言いながら、光一はふと思った。腹が減っているのならコンビニあたりで何か食べ物を買うなり、適当な飲食店に入って食事するなりすればよいわけだ。人捜し中のようなので、パンを一つ二つ買ってしのぐのが一番適当だろう。つまり、彼女が光一の弁当にこだわる必要はなく、光一がわざわざ自分の夜食の半分をあげなければならない理由もないということ。そもそも、あまりにも不憫に見えたのでお裾分けしてあげようという気になっただけの話だ。

 だが彼女には、光一の弁当に意識を向けるばかりで、自力で空腹に対処しようという気配はない。しかもこうした虚栄心というか惨めな見栄を張ってまで。

 ひょっとして、何らかの理由で今お金を持っていないのでは?

 光一はちらりと女の子の様子を伺おうと、僅かに首を捻り瞳をきょろりと向ける。そして次の瞬間、ギョッとしてしまった。ヨダレをだらだらと垂れ流す女の子の顔がすぐ側にあったのだ。思わず、「――っとお!」などというリアクションとともに体を大きく後ろに反らし、すんでの所で両の手のひらを地面について転倒だけは免れていた。またこの驚嘆に、女の子も上体を逃がすように背中を反らせて「きゃあっ!」と驚き、その勢いでぺたんと尻餅をついていた。

「お、驚かさないでよっ!」

「それはこっちの台詞ですよっ! っていうか、素直に食べるって言えばいいじゃないですか!」

「だから私は――!」と眉間にシワを寄せて言いかけたところで、女の子の表情が急速に変わっていった。それは、今まで見せてきたものとはまったく別のもの。ひどく緊張した様子で息を飲み、顔を強張らせ、全神経をピンと張りつめていくように体を氷らせる。

 それまでの、ある意味馬鹿馬鹿しくもどこか微笑ましい雰囲気は瞬く間に完全に消え失せ、真逆に位置へと暗転した。その、あまりの変わり様に、光一も引きずられていくように体を緊張させ、目を細める。

「どうかし――」

「黙って」

「……」

 ぎりぎりまで絞られた彼女の囁き声に気圧されるように、ここは素直に従っておいた方が賢明かなと光一は口をつぐみ、彼女と同じようにじっと聞き耳を立てる。重苦しい空気が漂う中、少しゆったりしたリズムを刻む、コツ、コツという足音が聞こえてきた。この足音で女の子の表情が更に強張り、唇が更に強く結ばれる。

 雰囲気に飲まれながらもどこか戯れ事のように思っていた光一だったが、ようやくここで、今起きていることは新手のかくれんぼといった戯れ事ではないような気がした。

 だったら、なんなんだ。この状況は。

 光一は、彼女に問い質したい衝動に駆られる。すると、女の子が周囲に注意を向けたまま「隠れろ」と囁いた。しかし、突然そう言われた光一は、虚を突かれたように「へ?」と答えるだけ。急を要する状況とあって女の子は憎々しげに小さく舌打ちをすると、覆い被さるように光一に飛びかかった。それは光一にとって一瞬の出来事だったので、彼女の行動に対し驚いて声を上げる暇さえなく、声を出そうとしたときには、背中から倒れた光一にぴったりと覆い被さっている女の子が、彼の耳元で「じっとして」と苛立たしげに囁いていた。

 声を上げるタイミングを完全に逸した光一は、彼女の切迫したその言葉に、やむなく素直に従うことにする。だが、口をつぐみ余計な動きをしないことは出来ても、頭の中と心臓はじっとしようとはしない。むしろやかましくなる一方。

 今頃こうして隠れても手遅れなのではないか。そもそも、あれだけ大声を出していたのだから、足音の人物にその声が届いていないはずない。むしろここにいることがバレていない方がおかしい。ならばここでじっとしているより、今すぐ走って逃げた方が良いのでは?などと考えてしまうのも理由の一つだが、それだけが理由だったのは最初の六秒ほど。

 以降光一の頭の中は支離滅裂に混乱してしまうのだが、その原因を列記すると、このようになる。

 一、鼻をくすぐる彼女の香り

 一、じわじわと感じる彼女の体温

 一、響いてくる彼女の鼓動

 つまり天野光一は、至極真っ当な十六歳の男の子ということだ。

 それはともかくとして、光一は、男の子として当然な思考が頭の中で跳ね回るのをどうにかしなければとする。しかし意識すればするほど逆効果となり、鼓動は速まり、心音が喧しく鼓膜を打ち鳴らし、足音は確実に近づいており、隠れていることなどバレているに違いないという不安が膨らんでいく。

 そんな混乱した状態がずっと続くかと思われた中、一つの奇跡が起きた。ある問題点が頭の中で提議されたことにより、支離滅裂な思考の混乱が水を打ったように静まり返ったのだ。

 なんで俺がこうして隠れなきゃならん?

 至極もっともな見解である。残念なことに、このような危険を事前に回避できた可能性を考える上では、この見解を見出すにはあまりにも遅すぎたが、別の意味でぎりぎり間に合ったと言えた。足音がすぐ側で止まったことに、意識を集中させることが出来たからだ。思考が混乱したままであれば、自ら相手に捕まってしまうような行動を取ってしまっていただろう。

 やっぱりバレていたのか、そんな考えから、これから俺はどうなってしまうんだと不安に襲われながらも、相手の様子を伺うべく、茂みの隙間から足音の主を盗み見る。

 はっきりとは見えなかったが、それは背広にサングラス姿の大柄の男だということは分かった。その男が要人を守るSPにしか見えなくなってくると、いま自分に覆い被さっている女の子はどこぞのご令嬢で、原因はひとまず無視して、SPから逃げている最中なのか?などと考えてみた。すると、確証など何一つ無いというのに、呆れるほどに納得してしまった。そして、ならば原因は何だろうと考えを巡らそうとしたとき、タイミングの悪いことに、腹の虫が空気を読まずに抗議の怒声を上げた。

「ぎゅるるるるるっ!」

 その腹の虫は、言うまでもなく女の子のもの。

 当然、SP男は耳に指を当てながらこちらに目を向ける。その様子を茂みの隙間からしっかりと目にしていた光一は、女の子に対して「自分でバラしてどうするっ!」と心の中で声を張り上げると、このピンチをどうにかして乗り切ろうと考え、SP男が彼らの方へ歩み寄ろうと足を一歩前に出す中、咄嗟にこう言った。

「にやあ」

 その鳴き真似は、誰がどう聞いても人間によるものだと気付くこと間違いないほど酷いもので、光一自身、やってしまったと己の鳴き真似の未熟さを激しく悔いながら、ダッシュで駆け出せるようにと全身に力を込める。しかし意外なことに、男は足を速めるのではなく、その足を止めてこう言った。

「ネコか」

 まるでどこぞのコントのようなその台詞に、光一は素直にこう思った。

 なにこのお約束。

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