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第二話 災難は思わぬ場所で待っている

 本来なら自転車で来る距離なのだが、悲しいかな光一の自転車は、昨日パンクしてそのまま。ならば父親か母親の自転車を借りたいところだが、両方とも鍵が見あたらない。結果、光一は制服のまま夜道を十五分ほど歩いて弁当屋へとやってきた。

 店に入ると、壁に貼られている各種お弁当の写真を眺めながらどれにしようかと思案し、カウンターでデラックス弁当の特盛りを注文した。カウンターのおばちゃんは愛想良く注文を受けるとレジを叩き、お釣りと一緒に、番号が書かれた紙を光一に渡す。光一はそれを受け取り、弁当が出来上がるまでの間、わりと広い店内に設置された小さなベンチに腰を下ろして待った。

 とそこに、金髪の若い女性が店に入ってきた。いかにも西洋人といった顔立ちのその女性は、光一を見るや否や「光一くん」と、少し驚いた様子で声を掛けてきた。まさかここで遭遇するとは思ってもみなかった光一も、同様に少し驚いた様子で「アイリさん! どうしたの」と答えていた。

 そうしてひとまず驚きあった二人は、顔を綻ばせて短い談笑を始めた。

「炊飯器が壊れちゃってね。ほかほかのお米のない晩ご飯なんて私には耐えられないから、こうして買いに来たのよ。ついでにお総菜もいくつかね。それで、光一くんはどうして? お母様は?」

「うちの不良夫婦なら、カニに目がくらんで父さんの友達の家に行っちゃったよ。しかも俺の晩飯作らないで。何も知らずにへとへとのぺこぺこで家に帰ってきた一人息子は、哀れこの有様ってわけ」

「不良夫婦だなんて、とっても素敵なご両親じゃない」

「素敵かどうかは人それぞれだけど、まあ、端から見てるだけなら大抵はそう思うんだろうね……。年中ゆるゆるな夫婦漫才、というかお互いボケ倒しのコントしてるような親だから」

「ひどおい。そこまで言わなくたって」と言いながらも、光一から両親のユーモラスなエピソードを数多く聞いているその女性は笑っていた。

 彼女の名はアイリーン・ユウミ・キャンベル。十三歳の時に単身日本にやってきて、以来八年、彼女の祖母である優美・キャンベルの古い友人の家で厄介になっている美人のイギリス人。彼女の達者な日本語は、彼女の努力に寄るところが大きかったが、アイリーン曰く、日本人である祖母の存在がすべてらしい。おばあちゃん子のアイリーンは、子供の頃から日本語に接する機会が多く、日本に強い興味を抱くようになってからは、祖母や祖母の友人らが先生となって教えてもらっていたから、というのが理由だそうだ。

 光一とアイリーンの出会いは、光一が山登りに目覚め始めた中学二年の時。父親の知り合いたちと一緒に山登りした際、その中に彼女もいたという次第だ。以来、何度も一緒に山を登っている。そして彼女は、鶴ノ森高校の卒業生であり、山岳部のOBでもあった。また、彼女の家がお隣の町にあるということで、駅前のスーパーなどで遭遇することもある。弁当屋で遭遇したのはこれが初めてだったが。

「ひどくないさ。事実なんだから。それに、あの親を持つ息子の身になってよ。あの二人を毎日相手するのってほんと大変なんだよ? さっきだって、水だけ張ってお米入れないで炊飯器のスイッチ入れてあったんだから。たく、いつになったら母さんの天然が直ってくれるんだ」

「お母様らしいね。まあ、光一くん的に大変だろうとは思うけど。でも、楽しいご両親であることには変わりないんだから、いいじゃない。感謝しなくちゃ」

「こっちの苦労がもっと減ってくれれば、俺もそう言えるようになるんだろうけど」

「この贅沢者」アイリーンはにこやかにそう言って、光一の額を白くて細い指でちょんと押す。そこで談笑は一区切りつき、アイリーンは惣菜を二つばかり選び、カウンターでライスを注文した。

 トレイに盛るだけのライスは会計をしている間に出され、買い物は光一よりも先に終わった。そこで彼女は、光一の隣に座りお喋りをしながら彼を待つことにした。その待ち時間は、二人にとっては本当にあっという間だった。

 二人並んで弁当と惣菜をぶら下げて店を出ると、アイリーンが「ねえ、光一くん。それ、一人で食べるんでしょ?」と尋ねた。

「そりゃあ、父さんも母さんもいないんだから」

「なら、うちで食べない?」

「って言われても」と、スペシャル弁当特盛などが入ったビニール袋をひょいと掲げる。

「俺一人弁当ってのも変でしょ」

「それは後で食べればいいよ。光一くんの分のおかず作ってあげるから、そうしない? 一人で食べるより、四人で食べる方が美味しいし。となると、ご飯もこれじゃ足りないね。もう一つ買わなくちゃ」

 この申し出はとても魅力的なものではあったが、とっとと食べてとっとと風呂に入ってとっとと横になりたいという欲望が勝り、それをそのまま言葉にして丁重に断った。

「また今日みたいなことあったら、メールしてみて」そう言うアイリーンは少々残念そうで、光一は後ろ髪を引かれる思いにぐっと堪えながら途中まで一緒に歩き、交差点でお互い手を振って別れた。

 その後の光一の足取りは、肉体的精神的疲労感は依然としてあるものの、来たときよりも断然軽く感じられていた。アイリーンとばったり会い、お喋りをしたことで気持ちが前向きになったからだろうと光一なりに推論しつつ、少々遠回りになることを承知した上で、行きと違う道を選んだ。上向いた気分に任せて、公園の遊歩道を通って帰ろうと思ったからだ。

 中央に大きな池があるその公園は、休みの日になると結構な人が憩いの場として利用している。しかし今は平日の夜。当然、人気はない。街の灯りに囲まれてひっそりと浮かぶ夜の公園というものは、見方によってはロマンチックな場所なのかもしれないが、違う見方をすれば極めて薄気味悪くも感じられる。公園内の遊歩道を点々と灯す外灯はあまり明るくなく、両側を木々や茂みに囲まれていれば、さらにそう感じられるだろう。若い女性が一人で歩いていれば、身の危険ばかりを心配し、もはやロマンチックなどと呑気なことなど言っていられないはず。

 そして光一はというと、この薄暗い静けさに、この道を選んで良かったと思っていた。こうした雰囲気は、むしろ光一好みだったりする。月明かりを頼りに山道を歩くのが結構好きな光一らしい感想だろう。

 遊歩道を堪能するように歩いていた光一は、途中、道の脇に佇んでいる自動販売機を目にすると、急に炭酸飲料を飲みたくなり、自販機の前で足を止めた。この存在が何とも場違いに感じつつ、どれにしようかと少しばかり考えた後、小銭を投入口に入れてボタンを押す。しんと静まりかえっている中、ピッという電子音に続き、缶ジュースがガシャンガシャンと騒々しく音を立てて自動販売機の中を転がり落ち、受け取り口に吐き出される。光一はそのジュースを取り出すべく体をかがめて手を伸ばした。すると視界の端で、茂みに投げ捨てられた空き缶を見つけた。

 光一は眉間にシワを寄せながら取り出し口から缶ジュースを取り出すと、憎々しげに舌打ちをし、「ここはゴミ箱じゃないだろ。それとも、自分の家の外は全部ゴミ箱とでも思ってるのか?」と文句を言いながら拾い上げる。しかし、茂みに捨てられていた空き缶はその一つだけではなく、その奥にも二つほど転がっていた。

「たく、ゴミはゴミ箱にって程度のルールも守れないのかよ。どんだけ知能低いんだ。こういうヤツらがいるから自然が汚されて、山もゴミだらけに――」

 登山途中に見かける投げ捨てられたゴミのことを思い出し、文句を言いながら茂みに分け入り、拾い上げようとする。しかし、その手は空き缶を掴む前に止まった。何やらこちらをじっと見つめているような気配を感じたのだ。

 この状況であれば、大抵の人間は脱兎の如く逃げ出すか、恐怖のあまり凍り付くか、悲鳴を上げてパニックになるかだろう。しかし光一は、他愛のない出来事だとでも言うように、驚き取り乱すことなくそちらの方へ顔を向けていた。

 そこにいたのは、体を小さく丸めて警戒の眼差しを向ける、野良の子猫。

「ここ、お前の寝床だったのか」

 光一がそう言うと、子猫はじっと見据えながら耳をぴくりと動かす。

「お前だけか? お母さんはどうした。兄弟は?」

 当然だが、その質問に子猫が正しく答える気配はない。その代わり、というわけではないが、鼻先をくんくんと動かし始め、光一の手にぶら下げられているお弁当にぴたりと目を止めた。その眼差しは、子猫ながらまさに獲物を狙う獣のもの。

 その可愛くもあり恐ろしくもある瞳に、光一は思わず後ずさりし、困惑するように顔を曇らせて「これは駄目だぞ。俺の晩飯なんだから」と夜食を守ろうとする。しかし相手はちっちゃな子猫。しかも、薄明かりの中ではっきりとは確認できないが、ひどく痩せているようにも見受けられる。

 これだけで十二分な破壊力を持ち得ているというのに、子猫は容赦なく、更なる攻撃を加えた。

「みゃー」

「だから、これは……」おねだりするような子猫の鳴き声に、光一の防壁ががらがらと音を立てて崩れていく。

「みゃー」

「う……、そんな目で見るな!」

「みゃー」

「卑怯だぞ!」

「みゃー」

「ぐ、う……!」

「みゃー」

「……参りました」

 こうして、ささやかな戦いは瞬く間に子猫の圧勝で終わった。仕方なく、光一は茂みの奥に入り植え込みの少ない場所でしゃがむと、拾い上げた空き缶を地面に置き、ビニール袋からデラックス弁当特盛りを取り出す。そして蓋を開け、生姜焼きされた豚肉の一枚をつまみ上げ、子猫の方へひょいと投げた。

 相当お腹を空かせていたのだろう、子猫は飛びつくように鼻を近づけて匂いを嗅ぎ、すぐにかぶりついた。

「ありがたく食べろよ」そう言いながら光一は、肉を頬張る子猫の姿を微笑ましく鑑賞していると、肉は瞬く間に子猫の腹の中におさまり、子猫が期待の眼差しでもっと頂戴と訴えてきた。こうして食べ物を与えるのは、動物にとっても人間にとっても良いことではない。これ以上与えることはもっと良いことではない。頭ではそう考えていた光一だったが、敗者に与えられる権利など無いに等しいのは世の常。結局、「これが最後だからな」と言いながらトレイから豚肉をもう一枚つまみ上げ、子猫にあげてしまった。

 子猫は、礼の言葉を述べる代わりに美味しそうにかぶりつく。その様子は先ほどと同様に必要以上に和ませてくれるものだったが、長居すればそれだけ自分の晩ご飯が消えていくのは明白。とっととこの場から逃げ出さなければと思った矢先、背後で小枝がぱきりと折れる音がした。

「うそ……」その呻き声は、恐怖に染まったものではなく、落胆に染まったもの。きっとこの子猫の母猫か兄弟だと思ったからだ。そして、もし振り返ったその向こうに子猫がたくさんいたらと思考を先に進めると、自分の晩ご飯をどれだけ残せるだろうかと、絶望的な思いで頭を抱えたくなった。

 出来ることなら、気付かなかった振りをしてこの場を立ち去りたかった。しかし、背後の猫たちも腹を空かしていたらと思うと、異様なまでに足が重く感じられてくる。こんなことなら、最初から食べ物あげずにさっさと立ち去っていれば良かったと肩を落とした光一は、諦めの境地で振り返った。

 そして光一は、間の抜けた顔であんぐりと口を開けたまま、しばし固まった。

 そこにいたのは猫ではなく、大量のヨダレを口からぼたぼたと落としながら、四つん這いで弁当を物欲しそうに見つめる女の子。しかもその女の子の服装は、明らかに夜出歩くようなものではなく、昼間の街中を歩くものでもない。一言で済ませてしまえば、どこぞのSF漫画かSFアニメのキャラクターのコスプレ衣装といったものだった。

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