叱咤激励
セレネ伯爵邸につくと、すでにベアトリーチェが玄関先に出てきており、わずかな手荷物をメイドたちに持たせていた。どうやら彼女は休暇中だったようだ。
「久しぶりね」
おそるおそる馬車に乗りこんだ彼女にアリアは笑顔で迎えむ。しかし、その顔はなんだか疲れている。なにかあったのだろうか。自分から聞くのははばかられたので、そっと様子をうかがうことにした。
「ええ、久しぶり。アリアは元気そうね」
やっぱり。前まであったはつらつさがなくなっている。王宮勤めはたしかに体力を多く使うが、それだけではない疲労がみえる。はては。そう思ったが、やはり自分からは聞けない。彼女がなにか助けを求めてきたら。そう考えていると、ベアトリーチェがおそるおそるしゃべりだした。
「あのさ、アリア」
「うん? どうした?」
おそるおそる声をかける彼女の手を見ると震えている。どうやらこれは、なにかがあった。それも自分が裏側に乗りこまなきゃいけないようなところまで。もちろんそれは最終手段だけど、その心づもりは今からでも早すぎない。
「どうした?」
あえて冷たく言う。一応、あまたいる貴族成人女性の中から見こまれて彼女は上級侍女になっている。そのぶん自分は、政治的な事情もあったが、下級侍女どまり。彼女のほうが自力で対処をしなければならない。そして、その術を持っていると見こまれているのだ。そういった意味ではアリアにできることは少ない。
ベアトリーチェは彼女の冷たい返事に驚いたようだが、すぐに絞り出すような声で今の状況を訴えはじめた。
「私、どうすればいいかわからない。なんで普通のことをしてるだけなのにあんなことを言われなきゃいけないの。すごい怖い。どうすればあなたみたいにその強さを持ちつづけることができるの?」
やはり誰かにいじめられているようだった。なにかされているようだった。でも、アリアとしてはこの状況を好機なのではないかと考えてしまった。
「ねえ。この先、あなたはなにを目標に生きるの?」
前、誰かに問いかけたことがある問い。それを再び誰かに言うことになるとはあのときは考えてなかった。ベアトリーチェははっとした様子でそうねと考える。
「……――――私は、そうね。アリアみたいに文官として男性の中に混ざって仕事をするのは無理だろうから、女性たちの間で侍女をして、そして、誰かと結婚する」
「そうね」
アリアは自分がそれを理想だと感じないからその道を歩まなかったが、おそらくこの世界の貴族の女性の大半はそれを理想と思っている。
「だったら、彼女たちに負けてていいの? 彼女たちに負けた後、この先なにか解決できるの?」
その言葉はベアトリーチェには厳しかったかもしれないが、でも、アリアとしては彼女には負けてほしくない。そして、できることならばクリスティアン王子と――――
いいや、そのことはまだ考えてはいけない。
しかし、アリアの言葉はベアトリーチェに負けないという力を与えたようだ。手の震えが止まっている。
この先、まだどうなるかわからないが、アリアの手が及ばないところに彼女が行く可能性だって大きい。そういった意味では今、ベアトリーチェがアリアの手を借りるのは得策ではない。
「行きましょう、伏魔殿へ」
王宮へ着き、正面から入る。そのとき言葉には出さなかったが、ベアトリーチェの心の中では新たな覚悟が生まれていた。
今回は誰かしらに会わせるためか、比較的広い前世でいう会議室のような場所に通された。ベアトリーチェと二人、待っているとディートリヒ王、クレメンス、そしてバルティア公爵が入ってきた。
「ずいぶん急がせてしまって申し訳ない。しかし、次行われる鹿狩りについて、ちょっと手違いが起こって、文官武官だけでは正直心もとない事態になってな。上級侍女のセレネ伯爵令嬢の手を借りたいのだ」
王妃から推薦があってなと王は鷹揚に言う。なるほど、ずいぶんと急な話だったが、それで納得した。だが、『ちょっとした手違い』『文官武官だけでは心もとない事態』とはなんだろうか。
「いつも女性貴族は侍女令の指示の下、王妃とともにお茶会を楽しむことになっていたんだが、先日突然、侍女令が体調悪いと宿下がりして。それに加え、クロード殿下のご母堂が急に来ると言いだした。さらに間の悪いことに、スベルニアからは皇女をよこすと言いだしてね。だから、我々だけでは気がまわらない。そのためセレネ伯爵令嬢には王宮侍女をまとめ上げるのを手伝ってもらいたい。そして、スフォルツァ公爵令嬢はセレネ伯爵令嬢とも仲がいいと聞く。だから、彼女の手伝いをしてやってほしい」
クレメンスがそう説明する。
なるほど。
正直言うと、面倒だ。しかし、これはあの話にもつながるのだろう。
クリスティアン王子の嫁となるのは王妃にみあう女性。それに該当する女性は今のところいない。そんな中、起こったハプニングに対処できる女性の場合、納得材料にできる。もちろん、アリアの存在はカモフラージュというか、『王太子の婚約者から外されたはずの公爵令嬢だってこれくらいできるんだから、王太子にみあうのはそれ以上のことを求められる』という認識を植えつけるには十分だ。
その緊急事態、乗った。
アリアは心の中で大歓迎ですわと、その元凶たちに大喝采を送った。
「私はもちろん、お手伝いさせていただきますわ」
そう言って、ベアトリーチェを見ると、彼女もしっかりと頷いていた。
「では、お願いいたします」
クレメンスにだけ頭を下げられたが、ほか二人の態度に腹は立たなかった。そのあと、鹿狩りの責任者であるバルティア公爵から説明を受け、終わったころにはぐったりとなっていた。





