第三十五章 黒幕
1
真っ白なフラッシュバックが消えていく。雲が張れるように視界がクリアになった。どうやら雨もやみ始めたようで、かすかに金色の月明かりが注ぎ始めている。
目の前には白髪の混じったあの少年の顔。真理という、この数か月カナラを支えてきた存在。
交差する視線からは、先ほどのまでのような憎悪は感じられない。向こうも僕の記憶を見たのだろう。彼は動揺した瞳で、こちらを見ていた。
ゆっくりと腕をおろし、掴んでいた彼の手を放す。一応警戒心は抱いたままだったのだが、真理がそれを僕に向かって振り上げるようなことはもうなかった。
酷いショックを受けたような、混乱したような様子で、地面を見つめている。
無理もない話だろう。どうやら真理は、ずっと僕のことをカナラを操っている敵だと思っていたのだから。
ぱたぱたと、千花が駆け寄ってくる。彼女は僕と真理の様子を見比べると、複雑どうな表情を浮かべた。
今さら争う気はなかったが、かといってどう彼に声を掛ければいいのかわからず、僕も千花も言葉を発することが出来なかった。
少しの間沈黙が続いたあと、揺れた声で、真理が僕に問いかけた。
「……今の記憶は本当か。お前じゃないんだな。お前が、カナラを苦しめてるんじゃないんだな」
「ああ。僕は何もしていないよ九業も、六業も、もちろんその他の実験体たちを殺したのも、僕じゃない」
「じゃあ、誰があいつらを殺したんだ? 誰がカナラを苦しめている。誰が、こんな状況を作った」
半ば叫ぶように真理が拳を握りしめた。セミショートの髪から垂れた滴が、その上に落ちつたっていく。
「和泉……六業が死んだ頃、君は五業の寄生体と争っていたんだよね」
「ああ。そうだよ」
投げやりに答える真理。
僕はあの時の光景を頭に思い浮かべる。カナラの横に立っていた誰か。顔や髪型はわからなかったけれど、僕と同じくらいの背丈の人間だったことは覚えている。
――本体を追わずとも、お前は既に分身を持っているだろ。彼女を使え。
脳裏にあの色白の少年の姿が浮かんだ。ストレートの短い漆黒の髪に、灰色のワイシャツ。一瞬の会合だったけれど、はっきりとあの姿を目に浮かべることができる。
瑞樹さんが亡くなる前日に、一緒に目撃されたというのが肌の白い謎の少年だった。それもあの場所、文化センターの中で。
徐々に様々な記憶が蘇ってくる。
五業の記憶の中、手術台の横、真壁教授の隣に立っていた誰か。
カナラの記憶で目にした、暗闇の中で彼女にさし伸ばされた真っ白な手。それは真理の記憶の中で見た廃墟とは別の場所だった。
真理の記憶の中でカナラは自分には怪我があると言った。見えない治ることのない怪我があると。
あれは肉体的な異常を指し示すものではなく、カナラの精神が何らかの影響を受けているということを示していたのではないだろうか。
様子がおかしくなり、そのたびに姿を消す。思い返せば、僕とカナラが接触した日はすべて真理の記憶で彼女が居なかった時刻と同じだ。もしそれが何者かによってそう誘導されていたものだとしたら。
先日、最後に会ったとき、彼女はこんなことを言っていた。〝私はもう自由に動けない〟と。
カナラはこれまでにも何度か真壁教授の追っ手と遭遇していた。その際に相手の現象か何かで致命的な精神干渉を受けてしまったのだろうか。可能性がありそうな相手は五業か七業だが、彼らがカナラを自由に利用できるのならば、わざわざ真理と争う必要はなかっただろう。
やはり怪しいのはあの白い少年。実験体やカナラの記憶の端々で目にするその姿の断片。
一体何者なのだろうか。実験体が九体であることは確定しているから、あの少年は実験体ではない別の何かということになる。
そもそも、カナラを自由に操れるのなら、何故この町にとどまっていたのだろう。二人で姿をくらますことだって、自分たちの存在を抹消することだって簡単なはずだ。どんな目的があって、わざわざこの町に残り、僕たちを利用したのか、真意がまったく予想できない。
僕が考えを巡らせていると、突然強い衝撃音が響いた。見ると、真理が壁に向かって自分の拳の裏を叩きつけていた。
「……俺もお前も誰かにいいように利用されていたんだ。ここで共倒れにさせるために」
その言葉を聞いて、千花が建物の割れた穴を見上げた。
「とりあえず、彼女のところに行こう。相手が誰かわからないのなら、ここに居るのは危険じゃないかな。離れたほうがいいと追うよ」
「言われなくてもわかってる」
そうぶっきらぼうに言った真理だったが、歩き出そうとした千花を見て、思い出したように呼び留めた。
「……――なあ、お前」
「なに?」
不思議そうに首をかしげる千花。
「お前なら、カナラの精神に干渉できるんだろ。お前の力で、あいつに起きている問題を解決できないのか」
「やってみないとわからないけれど。可能性はあると思う。今も、私の中にいる彼女のおかげで二人の幻惑を解くことができたから」
「幻惑? なんのことだよ?」
「気づいてなかったの? 真理くん、ずっとあの子の現象に……――」
「――ちょっと待て。三業はどこに行った?」
気配が消えていることに気が付き、僕は声を荒げた。その言葉を聞いた二人が、慌てて彼が倒れていたはずの場所に目を向ける。しかし、そこにはわずかな血痕が残っているだけだった。
「そんな。つい先まで居たのに……!」
千花が慌てたように叫ぶ。事態を理解した真理は、すぐに隣の建物に向かって走り出した。
一歩遅れて、僕たちもそれに続く。
あのぼろぼろの体でどこにそんな体力が残っていたのだろうか。
真理は凄まじい速度で瓦礫や柵を飛び越え、あっという間に階段を駆け上がっていった。
「カナラ! 大丈夫か」
叫びつつ壁に穴の開いた廊下へ飛び出す真理。僕は身を潜めるべきかと考えたが、すでに存在を察知されているだろうと思い直し、彼の後ろに立った。
三業に捕まり、人質になっているカナラの姿を想像していたのだが、目にした光景は想像とは大きくかけ離れていた。
僕と真理の目の前で、三業が棒立ちしていたのだ。見えない手で手足を押さえつけられているかのように、見苦しそうに体を小さく震わせている。
廊下の奥ではカナラが片膝をついた状態で、そんな三業を眺めていた。
「カナラ良かった。意識が戻ったのか」
安心したように息を吐くと、真理は壁に手をついた。今頃になって疲労が表に出てきたらしい。
遅れて千花が階段を駆け上がってくる。
千花は動けないでいる三業を目にしてから、何気なくカナラのほうに視線を向けると、
「――……誰、あなた?」
突然、妙なことを呟いた。
「千花? 何言ってるの?」
彼女のことは記憶で目にしていたはずだ。今さらそんなことを言うなんてどういうつもりかと思ったのだが。
「違う。彼女じゃない。彼女の後ろにいる、その人」
「後ろ?」
カナラの後ろには誰もいない。あるのは古びた壁だけだ。ますます意味が分からない。
僕が怪訝に思っていると、はっとしたように真理が目つきを変えた。
「――……そうか、カナラの幻覚か!」
三業の横を突き抜け、カナラの背後に向かって拳を伸ばそうとする。しかし腕を振り上げるより早く、それがカナラの視線によって封じられた。
体の自由が利かないのか、真理は苦しそうに目を細める。その腕は徐々に下に落ちていった。
「危ないな。怪我をしたらどうする気なんだ」
表情を変えないまま、カナラの口からそんな言葉が出る。真理は彼女を痛々しそうに眺めると、背後の壁に向かって叫んだ。
「てめえ、誰だ? カナラを放せ……!」
「何を言っているんだ? 真理。私は私だよ。真方カナラだ」
カナラが立ち上がると、同時に真理の体が回れ右を始める。
まずい、また真理の精神を操る気なのか。
このままではさっきの繰り返しだ。僕はとっさに身構えようとしたが、その前に千花が前に出た。
いつもとは違い、妙に凛とした顔つきをしている。
「あんた。〝私〟の体で何をしてるの? ふざけないでよ」
その言葉と同時に、真理と三業の縛りが解ける。二人とも態勢を崩し、壁に寄りかかった。
千花の姿を目にしたカナラは、無表情のまま笑い声を漏らした。
「そうか。お前がカナラの分身体か。面白いな。こうして実際に目にすると」
「〝私〟の体から出て行って」
両手を自分の腰に当て、不機嫌そうに叫ぶ千花。すると、目の前のカナラがわずかに仰け反った。
だが、すぐに元の位置に戻り、不敵な笑い声を漏らす。
「お前の力では、ぼくには勝てないよ。その体は所詮借りものだ。出力を十分に出すことはできないが、こちらは百パーセントの力を発揮することが可能だ」
そう言って視線を強めるカナラ。彼女の目を見た千花は、苦しそうに頭を抱えた。必死に抵抗しているのか、瞬きをすることも忘れ、体を震わせている。
カナラが小さな笑みを浮かべ、表情にさらに力が籠る。それで千花はまるで何かに押されたように仰け反った。
このままでは千花の中にいるカナラが負けることは明白だ。
僕は前に向かおうとしたのだが、それよりも早く、拘束の解けた三業がカナラの眼前に滑り込んだ。
「よくも……!」
カナラの胸に手を通過させ、そのまま心臓を一つかみにする。ショックで集中が途切れたのか、カナラは苦しそうに膝をつき、千花の体が自由になった。
満足げな笑みを浮かべ、地面に膝をついているカナラに手を伸ばす三業。それを見た真理が慌てて彼に飛びつこうとすると、三業は舌打ちし、カナラの腕を掴んで彼女ごと地面の下に透過した。
「てめ、待て……!」
‶亀裂〟で強引に地面を破壊し、下に降りる真理。三業はすでに壁を抜けていたらしく、外の広場へと出た。
このまま彼らを逃がすわけにはいかない。僕は千花の手を取り、すぐに真理が開けた穴から下に降りた。
「この女さえいれば、ぼくたちは自由を掴み取ることができる。輝かしい生活を送ることが出来るんです」
「それは嘘だ。お前らの体の不調の原因は、別のところにある。お前らは、死体から作られた化け物なんかじゃない。生きた人間なんだぞ」
「くだらない嘘を」
土煙を立ち上らせて近づこうとする真理に、侮蔑のこもった目を向ける三業。そのままカナラごと隣の建物の壁に消えようとしたところで、
「――哀れだな」
カナラが低い声で呟き、強引に三業の腕を振りほどいた。力のバランスを崩した三業は、そのまま地面の上に倒れ、悔しそうに顔を上げる。
カナラは無表情のままゆったりと地面に立つと、両手を左右に広げた。
「お前たちの妄想は終わったんだ。真壁教授は記憶を奪われ、実験体たちはことごとく死を迎えた。今さらこの女を手に入れたところで、お前の望みは叶わない」
「このっ……!」
怒りと困惑に満ちた表情で、カナラに掴みかかろうとする三業。精神を操作されるより早く、彼女を無力化するつもりのようだったが、一瞬タイミングが遅い。
カナラが口角を上げ、三業の表情が悔しそうに歪んだところで、――黒い影の塊がカナラの背後に降り立った。
2
「四業……!」
その顔を見て、僕は声を上げた。
今までどこに潜んでいたのか、随分と回復した様子でカナラに向かって強化された腕を振り下ろす。躊躇のない一撃だった。
僕も、彼女に近い真理も、一瞬過ぎて反応出来なかった。
四業の手は軽々とカナラの両足を吹き飛ばし、壊れた人形のようにその体を宙に舞わせた。夥しい血液がこちらに向かって飛び散る。
「――ってめぇ、何してんだ!」
猛獣のような跳躍で、一気に四業の眼前に飛び出す真理。四業はカナラの背中に足を乗せると、盾代わりに前に押し出した。
カナラの身体とぶつかった真理は、重さに耐えきれず足を崩す。
四業は後方に飛ぶと、満足げに自分の血まみれの指を舐めた。
「そんな! 千花、あれは?」
「ううん。幻覚じゃないよ。本当に、血が出てる」
顔を青くしてカナラと真理の姿を見つめる千花。その表情が事態の深刻さを物語っていた。
激しく動揺する僕たちをよそに、三業が急に現れた同胞に向かって、言葉を投げつけた。
「四業、あなた、やりすぎです。これじゃあ死んでしまう!」
「心配すんな。ある程度血抜きが進んだ頃合いで、俺が傷口を塞いでやるよ。そのほうが運びやすいし、抵抗する気も失せるってもんだろ」
「だからって、これは……」
「何今さら常識人ぶっているんだ。俺たちはもうまともな人間じゃねえんだぞ。当たり前の貞操感をいつまでも大事に抱えてるんじゃねえよ。てめえも覚悟してここに来たんだろ」
「そ、そうですけど……」
何だかばつが悪そうに三業は下を向いた。
砂の上に着地した四業を見て、僕は喉をぎゅっと詰まらせた。
今の僕の状態で再び四業に勝つことは至難の業だ。恐らく真理も同様だろう。たとえ二人がかりで挑んだとしても、三業と四業からカナラを守り切れるとは思えなかった。
意識がないのか、カナラは真理の腕の中で死んだように固まっている。真理は必死に彼女に呼びかけていたが、答えは無かった。
このままではカナラが死んでしまう。四業が彼女を治すというのなら、それを遮ってしまってはまずい。争うのなら、彼が治療を施したあとのほうが望ましいだろう。
僕がそんなことを考えていると、突然三業が妙な声を上げた。
「ちょっと、待て。どういうことですかこれは。――傷が治っている」
「カナラ……?」
驚愕したように真理が目を見開く。
彼の視線の先を追うと、どういうわけか、切断されたはずのカナラの足が元通りにくっついていた。周囲に飛び跳ねていたはずの血液も綺麗さっぱり消えてしまっている。
幻覚? いや千花は違うって言っていたし、それにカナラはまだ意識を失っている。一体何が……。
四業はまだ動いてはいない。この場にいる人間で他に傷を癒せる者は居ないはずなのに。
僕が混乱していると、四業が憎々しげに口を開いた。
「――っち。やっぱりな。ここで張ってたときから妙な気配を感じていたんだ。そこの馬鹿二人が潰し合うのを待ってから女をかっさる気だったが、見える姿と聞こえる息づかいの数が合っていなかった。やっぱり誰か居やがったか」
四業は僕たちと真理の戦いの際、既にこの場に潜んでいたらしい。振り返りながらそう言った。
「この女の様子が変なのも、てめえの所為か? 俺は他人に利用される、見下されるのは死ぬほど嫌いなんだ。でで来いよ。一体どこの誰だてめえ?」
先ほどまで僕たちが居た、穴の開いた二階の壁に向けて怒りの籠った声を飛ばす四業。
しかし何の返答もなかった。むなしく風の音だけが周囲に流れる。
頭に血が上ったらしい四業は、身をかがめ足に力を込めた。それで一気に二階へと跳躍するつもりのようだ。
だがいざ彼が飛び上がろうとしたところで、――ため息をつくように、どこからか声が響いた。
「――相変わらず。短絡的な男だな。お前は」
それは若い男の声。大人ほど渋い声ではないけれど、かといって子供というわけではない。僕と同年代くらいの人間の声だった。
真理の〝亀裂〟によって穴の開いた建物の二階の廊下。その縁に、ゆっくりと輪郭が浮かび上がっていく。
黒いズボンに灰色のシャツ。そこから覗く肌は、雪のように真っ白だった。
姿が明らかになるにつれて、僕は自分の推測が当たったことを理解した。そこに座っていた少年は、間違いなくあの時、文化センターで目撃した人物だったのだ。
軽いアルビノというやつなのだろうか。彼は僅かに赤みがかった眼を動かし、観察するように僕たちの顔を見渡した。
千花も、真理も、彼の顔には全く見覚えがないようだったが、三業と四業は別だった。その整った顔を目にした途端、息を飲むように表情が引きつったのだ。
四業は白い少年の顔を見開いた目でまじまじと見返すと、心底意外そうに声を漏らした。
「一業……!」
一業? 一業って、彼らの仲間の?
僕は修玄の話を思い出した。
真壁教授の手によって最初に作られた実験体で、他の個体とは違う完全な人造人間。感情面に問題があり、現象を発現することが出来ず、カナラの追跡を行った際に彼女に敗れ、そのまま消息を絶ったと。
状況が飲み込めず、僕はただその白い顔を見上げることしか出来なかった。
「一業? そんな記号みたいな呼称で呼ぶな。ぼくには真壁一巳という名前がある」
「一巳? てめ、何言ってんだ?」
「自分でつけたんだ。教授の下を離れたときに。どうだ? いい名前だろう」
「はぁあ? 何ふざけてんだ。てめぇ」
四業は感情をあらわに怒鳴った。
同じように驚愕の表情を浮かべていた三業が、恐る恐るといった調子で質問した。
「一業。あなた生きていたんですか? 今まで一体何をしていたんです」
「何って、ずっとその女と一緒に行動していたよ。一緒に移動して一緒に世界を見て、一緒に隠れていた」
「一緒に? あなたはだいぶ前から彼女と行動を共にしていたのですか? それなら何故教授に連絡を取らなかったのです。そうすればこんなに犠牲者を出さずに済んだのに」
「何故って、そんなのは決まっているだろう。あの男の下に戻りたくなかったからだ。あの男の下でのぼくの未来は確定されていた。ぼくはぼくの自由に生きたかった」
「生きたかったって、あなたが?」
我が耳を疑うように三業は聞き返した。
「感情が希薄なはずのあなたがそんなことを言うなんて、一体どうしたんですか? 彼女に操られているんですか」
「操られてはいないさ。その女の精神はぼくの支配下にある。ぼくが干渉し、誘導し、操作している。ぼくはぼくの意志で行動している」
その返答に三業は絶句した。今の言葉が信じられないように、実に不可解そうな目で一業を見返している。
一業は無表情で彼を視界に収めたまま、淡々と説明した。
「ずっとカナラと繋がっていたんだ。その女の悩みや苦しみ、怒りや喜びは、まるでぼくが実感しているかのように全て共感してきた。そんな状態に陥れば、嫌でも一定の思考体系というものは形成されるだろ」
「じゃ、じゃああなたがこの女を操っていたんですか? 今回の出来事の間もずっと……。なぜそんなことを。教授の下に居たくないのなら、ただ単に身を潜めて置けばよかったのに」
「ぼくにはカナラの力を使ってどうしても実行しなければならないことがあった。そのためにお前たちは邪魔だったんだ。なるべくぼくが関与しているという証拠を残さず、都合よくお前たちを始末し、その殺戮の犯人として行動してもらうために、そこの二人をあてがった。カナラを守ろうとした二人の男が追っ手を虐殺した果てに、最後は彼女を取りあってここで同士討ちする。そういうシナリオだったんだが。上手くいかないものだな」
学校の試験で赤点をとった生徒のように、一業は落ち込んで見せた。
「予定外因子が無ければ良かったんだが」
意味深に千花のほうを眺める。
カナラが無傷だと分かったからだろう。真理は立ち上がると、憎悪を込めた目で一業を見上げた。
「お前が……お前がカナラを苦しめていたのか。お前がこいつを道具にしてたのか」
「苦しめる? 結果的にはその女にもお前たちにとっても利のある行為だろ。ぼくが関与していなければ、お前たちはとっくに死んでいた。人の死に密接に関わっている、教授への恨みを抱きやすい人間を選別したつもりだったんだが、お前らは二人とも人を殺せなかった。あのまま奴らを生かしていれば、すぐに包囲されて死んでいただろう」
あのまま、生かしていれば? じゃあ……――。
真理の記憶に〝触れない男〟たちを殺した瞬間の映像はなかった。ということは、おのずと他の誰かがそれを実行したということになる。
じゃあ、こいつが彼らを――。
別に、〝触れない男〟たちの死を嘆いているわけではない。だが、記憶を追体験したせいで、僕は彼らのことを自分の一部のように理解してしまっていた。
自然に一業に対する不快感が湧き上がってくる。
「てめえが九業たちを殺したのか?」
「ああ。僕が殺した」
四業の問いに、実に淡々とした口調で一業は答えた。
「か、彼らはぼくたちの同胞なんですよ。みんなあなたの存在を認め、尊重し、仲間だと思っていたのに……!」
「それが必要だったからしただけだ。恨みも嘆きも何もない。あいつらが生きていれば、ここまで上手くことを運べなかったさ」
「一業――……! あなたは……!」
同じ境遇を経験した仲間として、三業は実験体たちのことを家族のように思っていたのかもしれない。その表情に強い怒りの色が浮かんだ。
そのまま一業に食って掛かりそうなところを、四業が止めた。
「――ごちゃごちゃうるせぇな」
がんを飛ばすように一業の顔を睨みつける。
「要は、てめえが俺らを裏切ったってだけの話だろう」
歯ぎしりしつつ、ゆっくりと己の指の骨を鳴らす。
「俺は、別にあいつらに情も親愛も何もねえけどよ。てめえのいいように動かされてたってことが我慢ならねえ。ましてや、無能者のお前ごときに」
「例え超能力を発現できなくても、人を殺すことは簡単だ。ぼくの頭はカナラと繋がっている。彼女の力を使えば、相手に気づかれずに殺傷するのは楽なものだろ」
「そうかい。じゃあ、その女が寝ている今ならどうなんだ? 楽にやれんのか? ああ?」
毒々しく指を広げながら跳躍する四業。
彼は一業の目の前に浮かび上がると、その顔面めがけてまっすぐに強化した拳を打ち出した。
一業は廊下から飛び降りることでそれをかわし、面倒くさそうに服の砂を払う。
「三業! いつまでぼやぼやしてんだ」
四業のその言葉で我に返ったのか、三業は目の前に降りた一業に向かって突撃した。懐から大型のナイフを取り出し、それを盛大に突き出す。
同時に四業も二階から跳躍し、廊下を蹴る勢いで一気に一業の背中に近づいた。口ではああいっていたが、カナラの現象を警戒してのことだろう。二人とも躊躇のない攻撃だった。
三業のナイフが心臓を貫き、四業の手が一業の肩から左腕を吹き飛ばす。
僕はあまりにもあっさりとした一業の最後に、目を疑った。
随分、簡単に……。
だが鮮血が弾けたと思った瞬間、一業はけろりとした表情で小さな笑みを浮かべた。
三業のナイフが空を切る様に体をすり抜け下に落ちる。吹き飛ばされたはずの腕が元に戻り、そのまま四業の鳩尾をうち抜き、同時に三業の腹部を強く蹴り飛ばした。
「なっ、はぁあ?」
痛みに表情を崩しながら驚愕の表情を浮かべる四業と三業。
今の光景を見て千花が呟いた。
「同じだ。さっきのカナラさんのときと」
態勢を立て直すと、四業はすぐに再び一業に向かって駆けだした。
「幻覚か。だが、俺の五感は二度と騙せないぜ」
四業の空気を割くような剛腕が一業の胸に命中するも、触れた個所が無になったかのように、腕が突き抜ける。まるで三業のような現象である。
一業は胸にはまった四業の腕を自分の体をすり抜けさせながら横に押しのけると、小さく囁いた。
「こっちだったな」
手刀のように形作った手のひらを斜めに切り上げる。四業はすぐにガードしようとしたが、なぜか彼の体はもろい泥のようにあっさりと割り込まれ、先ほどの一業と同様に左腕が宙に舞った。
ぐるぐると回りながら血を飛び散らせ、遠くに落ちていく四業の腕。それを見て、近づこうとしていた三業が後方へ逃げようとしたのだが、一業は白い手を伸ばし、そのわき腹を掴んだ。
「っへ!?」
すぐに体を透過させる三業。しかし、一業の手は決して離れることがなかった。
先ほどまではあれほど無表情だったにも関わらず、僅かに笑みを浮かべながら指に力を籠める。刹那、三業のわき腹が爆発し、大量の肉片が飛び散った。
耳をつんざくような悲鳴を上げ、地面の上をのたうちまわる三業。
一業はそんな彼の背中に軽く足を乗せると、一気にそれを踏み抜いた。砂のように体が陥没し、三業は一瞬にして息絶える。ワンテンポ遅れて、彼の血液が割れた水風船の中身のように広がった。
「て、てめえ、何で……?」
うねうねと腕の血管を動かしながら、恐怖に歪んだ表情で一業を見上げる四業。
「てめえに超能力は発現しなかったはずだ。だから、てめえはカナラの当て馬に……」
「そうだな。そのおかげでぼくは彼女とのリンクが生まれ、超能力発現のために欠けていた〝感情„を学ぶことができた」
肩を押さえ座り込む四業の首に手を当て、介錯でもするかのように振り下ろす一業。四業の首は半分ほど割かれ、そこから血の雨が拭きあがった。
あっという間の出来事だった。
あっという間に、三業と四業は敗北してしまった。
3
目の前の凄惨な光景を見て、千花が悲鳴を上げる。
真理はぞっとしたように立ち上がり、カナラの体を守ろうとした。
無理もない話だろう。
ものの数秒で、僕と真理を苦しめたあの二人が敗れてしまったのだ。彼らと直接争ったからこそ、目の前のこの白い少年がどれほど危険な存在が実感できる。
相手の腕を通過させ、トンネル効果を起こしているはずの三業に触れ、かつ強靭な四業の腕を吹き飛ばし、足を失ったはずのカナラを元に戻す。ありえないほど万能な力だ。四業のときにもその応用性に舌を巻いたものだったが、一業の現象は彼の力をはるかに凌駕している。ここで彼と争いになれば、間違いなく僕たちは死ぬ。そう嫌でも実感させられる光景だった。
三業は絶命したようだったが、四業はまだ辛うじて生きていた。血をまき散らしながら、首筋の筋肉を再生させ、何とか命をつなぎ留めようとしている。
そんな彼を冷たい目で見据えると、一業は全く気にすることなく僕たちのほうを振り返った。顔の半分についている四業たちの血が、その肌の白さを引き立てている。美しく、恐ろしいほどに鋭利な姿だった。
手についた血を振るうと、一業は淡々とした口調で言葉を述べた。
「これで予定通り、真壁教授の手駒は全て居なくなった。あとは、お前たちだけだ」
一業は真壁教授と同じように、左右の指を腰の前で合わせながら、無表情にこちらを眺める。
僕は思わず後ずさりしかけたが、真理はカナラを抱く腕を強め、唸るように彼を見返した。
「……やってみろよ。全部が全部、お前の思い通りに行くと思うなよ」
一業は興味深そうに真理を観察しつつ、合わせていた指を離す。すると、同時にカナラの目がゆっくりと開いた。
「――カナラ、気が付いたのか? 大丈夫か?」
真理は慌てて彼女に声をかけたが、カナラはまるで誰もいないかのように彼の体を押しのけ、前に出た。そのまま機械的な動きで一業へと歩み寄っていく。
「カナラ、おい。何やってんだ。そいつに近づくな」
「お前の声は届いていない。この女の足を動かしているのはぼくだ」
カナラは一業の横に立つと、そのまま人形のように動かなくなった。瞳はどこも見ておらず、ただ虚空だけがその中に広がっている。
彼女の様子の不可解さが気になった僕は、一業に疑問を投げつけた。
「君はカナラに何をしたんだ。何で彼女を操ることができる?」
「何もしてはいないさ。どちらか言えば、影響を受けたのはぼくの方だ」
一業は微かに声の調子を変えながら、僕を見た。
「ちょうど一年ほど前。ぼくは教授の命令でカナラを捕獲しようとし、失敗した。本来ならばそれで記憶を消去され、終わるはずだった。だが、ぼくの体の特異性がそれを拒んだ」
「特異性?」
「ぼくはカナラの父親の細胞を利用し生まれた。彼の遺伝子が埋め込まれた卵子からできた赤子の細胞を、段階的に超能力発現に特化した調整を施された人工細胞に入れ替えていくことで、理想の超能力者を作り出す。その計画の果てがぼくだった。つまりある意味、遺伝子的にはカナラと兄弟にも等しい近さを持っていたんだ。
カナラは精神干渉を試みた際、ぼくの体が自分の体とあまりに近いことに気が付き、動揺した。元が同じだからかわからないが、ぼくは精神干渉を受けている際でも、カナラの力を客観的に認識することが出来た。そして、それに触れようとした。
そのときに何らかの同調作用が働いたのだろう。ぼくとカナラには見えない繋がりのようなものが出来た。頭の中で回線がかみ合ってしまったんだ。
カナラは精神力が弱り切っていたから、その回線をつかって意識を逆行させることは簡単だった」
一業は視線を横に立っているカナラへと向けた。
ということは、彼女は自分自身の現象によって、一業に操作されているということなのか。そんな馬鹿な……。
僕は一業の台詞を信じることが出来なかった。
「その女は人生に疲れていた。追われ続ける運命に。自分の父親に。己の力に。全てに嫌気がさしていた。だからぼくの意識が逆行したときに、半ばそれを容認してしまった。それで自分の運命が変わるならばと、救いがあるのならばと、逆らいえたはずの侵入を受け入れてしまった。愚かな女だ」
一業は空に輝いている金色の月を見上げた。
「どれほど不幸な状況だろうと、境遇だろうと、幸せになる者はなる。それを絶望にするのは本人の認識だけだ。本人が〝苦痛〟を作りだす。ぼくを容認してしまった時点で、既にカナラは死んだようなものだった」
「ふざけるなよ」
真理が怒号を上げた。
「あいつはどんなに辛くても、どんなに苦しくても、それをおくびにもださず、ずっと笑顔で過ごしていたんだ。だから俺もあいつのために頑張ろうと思ったんだ。……あいつがお前を受け入れた? そんなわけがあるか。お前が無理やりあいつを支配したんだろ」
「好きにとらえればいい。言葉や歴史はいくらでも捻じ曲げられるが、〝事実〟だけは変わらない。例え誰一人それを認知していなくても、事実として起きたことは起きたことだ」
一業は視線をこちらに戻した。立ち上がろうとしていた四業の両足を吹き飛ばし、再度彼の体を地につける。四業はひゅうひゅうと息を吐きながら、恨みったらしい目で一業を見上げていた。
「真壁教授が記憶を失った今、あとはお前たちを殺せばおおむね計画は完了だ」
あからさまな上から目線の物言い。
僕たちの存在など、何の障害だとも思っていないような言い方だった。
それを聞いた真理が、拳を丸めて一業に歩み寄ろうとする。
「やめろ。今の僕たちじゃあいつには勝てない。こんな体で何ができるって言うんだ。四業と三業のざまを見ただろ」
「だからカナラが連れていかれるのを黙って見てろって言うのか。お前、自分が同じ立場でもそんなことが言えるのかよ」
僕の背後に立っている千花を顎でさし、真理は僕の手を振りほどいた。
千花はどこか悲しそうな表情でカナラを見つめている。
……確かに、気持ちはわかる。カナラは僕にとっても大事な友達だ。できることなら助けたい。けれど……。けれど、どうあがいてもこの場での勝ち目はない。四業と三業を下した男相手に、満身創痍の僕たちがどう抗えるというのだ。
真理がカナラを救いたいのと同様に、僕はただ千花を守りたかった。
「勘違いさせたみたいだな。連れていくのは二人だ」
「え?」
突然放たれた一業の言葉に、僕は間抜けな声を漏らした。反射的に顔を上げ、広場の中心に居る彼の薄く赤みがかった瞳を見つめる。
「予定外の因子だったが、その女の力は十分に利用できる。カナラの補助として使えそうだ」
「何を言っているんだ。千花にはそんな大した力はない。確かにカナラの影響を受けているかもしれないけれど、彼女は普通の高校生なんだぞ」
「普通? 何も知らないんだな、穿。その女はぼくと同様、カナラの力を手に入れている。お前たちのように超能力を誘発されたのではなく、本人を内包するという、実に特殊な状態で。いわばその女はカナラの妹、いや、娘にも等しい存在だ」
流石に僕もこの言葉を容認することはできなかった。千花を守るように彼女の前にたち、片手を体の前に構える。
千花は何かを悟ったように僕の腕を指で掴んだ。
「穿くん。駄目だよ。今の穿くんじゃ……」
「ここで奪われるわけにはいかない。僕は――……君が……」
思わず出かかった言葉を口の中に押しとどめ、きっと一業を睨む。僕の態度を見て、真理も好戦的な動きを見せる。
こちらの様子を確認した一業は、予想通りだといった顔で首を傾けた。
気合を入れたのか、短く半透明の稲妻を手と地面に走らせた真理は、何の躊躇もなく土を抉り、前に出た。僅かに遅れて、僕も彼の後を追う。
――この位置なら十分に彼のフォローができる。例え一業の現象で僕たちの攻撃を無効化できるとしても、立て続けに〝亀裂〟と蟲食いで押しかかれば、現象のインターバルの隙を突けるかもしれない。
純粋な現象の力ではおそらく歯が立たない。だが、それを使うのは人間なのだ。機械を相手にしているわけじゃない。
僕は両手に意識を集中させ、蟲食いの発動に入ろうとした。
それを見た一業が両手を左右に広げ、何かしようとした刹那――。
突如、僕たちの周囲に炎の塊が走った。
幾重もの明るい筋が伸び、土を、草を、壁を燃やしていく。
な、何だ? 突然――!?
僕はとっさに自分の顔を腕で庇い、背後の千花を振り返った。幸いなことに彼女のところまでは火が届いてはいなかった。
「これは……」
何かに気が付いたのか、真理が小さな声で呟く。
僕たちは間一髪日の渦に巻き込まれずに済んだのだが、一業はもろにその帯を体に受けていた。だが、何事もないかのようにけろりとした表情でどこかを見ている。彼の周囲にはうっすらと、半透明の膜のようなもの見え隠れしていた。
周囲の空気を巻き込み、暴虐の限りを尽くした炎は、ひときわ大きく膨らんだと思った瞬間、ぱっとその姿を消した。そんなものなど元々存在しなかったかのように綺麗さっぱり無くなったのだ。地面や建物の壁に残っている焼け焦げた跡さえなければ、きっと今のは夢だったと思えたかもしれない。それほど一瞬の出来事だった。
巻き上がる煙の所為で、視界がかすむ。僕は一業の攻撃に恐怖したのだけれど、彼が動くことはなかった。僕たちのことなど目に入っていないのか、ズボンのポケットに手を差し込みながら、僕の後方に瞳を固めている。ちょうど、千花が居た方向だ。
何かを感じて振り返ると、そこに見覚えのある少女が立っていた。
4
カールがかった茶色の髪に、オレンジ色のノースリーブシャツと緑色のショートパンツ。
雰囲気こそだいぶ違っていたが、あれは……。
つい先ほど、真理の記憶の中に出てきた少女。真壁教授の知らぬところで生まれた実験体だとかいう、怪しい人物。存在しないはずの〝十業〟を名乗った人間。それが、今僕たちの目の前に立っていた。
少女は急な出来事に息を飲んでいる千花を振り返ると、彼女に近づき、強くその腕を引き寄せた。千花は逃げようとしたが、後方に火の柱が立ち上ったため、慌てて少女のほうに戻る。
「動かないで。余計な怪我はしたくないと思うのだけれど」
彼女はささやかな笑みを浮かべ、千花の髪を撫でた。
その姿を見て、真理がすぐに声を上げた。
「十業、お前――……」
「こんばんは。真理。二日ぶりね。あれ? 一日ぶりだったかな」
斜め上を見て、悩む素振りを見せる少女。真理がさらに何か言おうとしたところで、蠢いていた四業が叫んだ。
「――てめっ、二業! どういうつもりだ……!」
二業? 彼女が?
僕は四業の言葉に驚かされた。
二業はこの事件の当初、一番最初に明社町に送られ、カナラに敗れたと言われていたはず。確かに真理の記憶の中で、彼女はもっとも早い時期にその姿を見せていたけれど。記憶の中の彼女には、最初からカナラを捕らえるような意志があるようには思えなかった。
このタイミング。それに全く動揺していない一業の顔。
そうか。彼女は知っていたのだ。既にカナラが‶仲間〟の手の中にあると。
事実に気が付き、僕は愕然とした。
「あら、四業。随分と腰が低くなったものね。横暴なあなたにしては、珍しく謙虚でいいと思うよ。できればずっとそうしていて欲しいのだけれど」
「二業! てめえ、はめやがったな。いつからだ? いつからこの無能者と……!」
「彼はもう無能者ではないよ。あなたよりも、誰よりもユニークな個性を手に入れた。今のあなたの状態がそれをよく物語っていると思うけれど」
二業は千花を掴んでいるのとは逆の腕を、モデルのように自分の腰に当てた。
「いつからか。いつからと言うのならば、この町に来たときからかな。私は当初、本当に真壁教授の指示に従っていたんだよ。さっさとカナラとやらを捕まえて、帰るつもりだった。けれども、彼女を探しているときに一業、あ、今は一巳くんか。彼に見つかって、争いになった。そのときに彼の話を聞いて、あまりに魅力的な提案だったから、乗ることにしたの。一巳くんの目的は、私の願いにも共通するものだったから」
「願いだ? てめえが、やられたと聞いたから――……てめえほどの奴がやられる相手だから、俺たちはわざわざ全員で出てきたって言うのに。ふざけやがって……!」
「そうなる様に私が死んだと見せたのだからね。こちらとしては、思惑通りで最高というところかな」
二業は怨念の籠った視線を向けている四業から顔をそらし、もう一度真理に向き直った。
何も言わず、味わうように真理の様子をじっと見つめる。
真理は、歯を噛みしめるように彼女に問いかけた。
「最初から、最初から利用するために俺に近づいたのか。五業やその他の実験体たちの情報を与え、カナラの不審な動きから注意をそらすために。そのためにお前は俺に……」
「そう。あともう一つ付け加えるのならば、見張りという意味もあったの。あなたやそこの少年は、人殺しに抵抗感があったみたいだからね。あなたたちが犯人だと真壁教授に認知させるためには、どうしてもあのタイミングで実験体たちを殺す必要があった。そこで、カナラの力で姿を隠し、あなたたちの補佐をしていたの。私はあなたにつき、一巳くんはそこの少年についた」
「補佐? 補佐って、何だよ」
「そのままの意味だけれど。あなたが殺し損ねた八業を輸送中に事故死に見せかけ、気を失ったあなたに接近していた五業の上に石を叩きつけた」
「じゃ、じゃあ、七業の胸にナイフが刺さっていたのも……」
「あれだけは一巳くんだね。七業とカナラの力の比べあいの最中、カナラの力を利用するわけにはいかなかったから、彼の現象で姿を隠し、七業を自殺に見せかけたの」
二業は悪戯っぽい流し目を一業へと向けた。彼は無表情で黙って流れを見ている。
「俺はずっと……」
自分の滑稽さが我慢出来なかったのだろう。
それ以上何も言わず、真理は己のズボンを強く握りしめた。唇を噛んでいるのか、小さな赤い滴がそこから垂れている。
二業は真理に同情するような目を向けると、彼を慰めるように優しい声を出した。
「でも、落胆しないで。私があなたに言った言葉は全て本心からだし、あなたと一緒に過ごした時間はとても魅力的だった。この事件が収集を迎えれば、またあの頃のように仲良くできると思うの」
真理は「一体何を言っているんだこいつは?」という表情で、二業を見返した。しかし、彼の気持ちを全く理解していないように、二業は親愛の籠った表情を浮かべている。
彼女はまるで、人として大切な何かが欠落しているようだった。
二業は真理をずっと監視していた? じゃあ僕も……。
〝触れない男〟の不自然な死にざまを思い出す。あの現場にはひび割れのような跡があったけれど、真理にそれを実行した記憶などなかった。つまり、あの時からすでに誘導されていたのだ。僕が真理を犯人だと疑うように。一業が何らかの方法でひび割れを偽造し、〝触れない男〟を殺した。
二業の話が止まったからだろう。一業は小さく息を吐き、面倒くさそうに声を出した。
「どういうつもりだ。二業。その二人は殺すはずだっただろ」
「そうだけれど、ちょっと考え直してみたの。あなたの計画を実行に移したとして、普通の人間があなたの目的に沿った状態になれる可能性は五分五分でしょ。だったら、超能力の発現に適した肉体があったほうが、都合がいいと思わない?」
僕には二業が何を言っているのかわからなかったが、一業には意味が伝わったらしい。彼は考え込むように僕と真理を見返した。
その赤い瞳で見つめられると、思わず背筋がぞくりとする。
「もちろん、失敗する可能性だってありえると思うの。その場合は私が責任を持って処理するから。もったいないじゃない。ここまで完成度の高い素養を持つ二人なのに」
二業は人形で遊ぶように、「ねー」と言いながら千花の体を抱きしめた。千花は蛇に睨まれた蛙のような表情で固まっている。
そのとき、高い電子音が鳴り、周囲に響き渡った。それを耳にした一業は、ズボンの後ろのポケットから端末を取り出し、確認した。
「向こうは準備が出来たらしい」
向こう? まだ仲間がいるのだろうか。ただでさえ絶望的な状況なのに、これ以上敵が増えるのはよしてくれと思った。
「……お前の言うことも一理あるか」
何かを警戒するように小さく呟く一業。彼は再度僕たちを一瞥すると、くるりとこちらに背を向けた。
彼の動きに合わせ、棒立ちしていたカナラが左右に腕を広げる。
「そうだ。忘れていた」
一業は倒れている四業の前に立つと、とんと、足を彼の首に乗せた。
「離せ! 何しやがる……!?」
感情の籠らない目。一業が僅かに力を入れた瞬間、四業の肌が紫色に染まり、血管が浮かび上がった。直後、まるで水の詰まった袋を押しつぶしたときのように、四業の肉体から血が溢れ出し、辺りに飛び散る。
四業は恐怖に顔を引きつらせ絶叫したが、一業は全く意に介さない様子で足を乗せ続けた。数秒もせずに四業の身体からは力が抜け、ぐったりと肉塊が地面の上に横たわっていく。
もう何度体験した感覚だろうか。
刹那、カナラから見えない何かの波が押し寄せた。僕は必死に抵抗しようとしたが、まったく抗うことは出来ず意識が何かに引きずられ汚染されていく。
無意識のうちに千花のほうを見ると、切羽詰まった表情で僕を見返した。
「私が守るから、私が……――」
その言葉を最後に、僕の意識はまたもや、深い境界の無い世界へと紛れ込んでいった。