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浄我の形  作者: 砂上巳水
虚偽不還(きょぎふげん)
2/42

第二章 失踪


  1


 警察署から出てきた僕と御奈みなを眺め、父は険しい表情を浮かべた。背を愛車から離し、じっとこちらを見つめる。

「人が焼死したと聞いたぞ。どういうことだ? 何があった?」

 もう何度も同じ説明を繰り返し、疲れきっていたのだけれど、ここで話さなければまたあとでしつこく聞かれることになる。眠そうな御奈の代わりに、僕は仕方なく口を開いた。

「どうもなにも、いきなり変なおじさんが声をかけてきたと思ったら、突然燃え出したんだよ。僕にも何が何だかわからない」

「変なおっさん?」

「近くの工場で働いているサラリーマンだってさ。焼身自殺したんじゃないかって警察は言ってた。直前に目撃された居酒屋だと、かなり落ち込んでいるように見えたらしいよ」

「焼身自殺……」

 しばし父は無言で駐車場の地面を見つめた。まるで地面の奥底でもがいている、あの男の姿を想像しているかのようだ。道路を走る車の音が数度耳の中を通り抜ける。

 御奈があくびを隠したところで、父は沈黙を解いた。

「――そうか。災難だったな」

 こちらの顔色を見て空気を読んだのだろう。止めていた車の扉を開け僕たちを押し込むと、父は素早くキーを回した。さっさとこの場所から立ち去りたいという気持ちがあからさまにうかがえる。後ろから見えるその姿は、何だか必死に土の中に身を隠そうとしている土竜(もぐら)のようだった。

 せっかく引っ越した町でいきなりこんな目に遭ったのだ。父も複雑な気分なのは理解できる。僕は彼の心情を察し、ため息を漏らした。

 動き始めた車の中から、警察署の入り口を見る。あの二人、緑也と瑞樹さんは、まだ聴取を受けているのだろうか。二人の姿を探していると、父がその疑問に答えてくれた。

「玉木さんたちはもう帰ったよ。お前たちが多分一番最後だ」

 最後……。あの燃えた男と一番最初に接触したからだろうか。僕は彼の亡骸を思い出し、嫌な気分になった。

 ――助けて。

 両手で頭を覆い、無我夢中で火を遮ろうとするあの姿。

 ――熱い、熱いぃい!

 死の痛みにもがく絶望に満ちた叫び。

 ――助けて……――

 僕に向かって伸ばされた、痛々しい赤黒い腕。

 救いを求めるその姿は、とても焼身自殺を望んで決行した人物には見えなかった。

 



  2


 男の叫び声と燃える悪臭を脳内で再体験し、僕は目を覚ました。

 あの日、カナラと僕を襲った男を殺したときも、‶その前〟も、こんな風に悪夢にうなされたものだった。

 僕は一時間後にセットしていた目覚ましを止め、ベットの上から這い出た。あんな夢を見たあとでは、とてもじゃないがすぐに眠りに戻ることなど出来はしなかった。

 ほとんどの荷物はまだ紐解かれていない。僕は床に並ぶいくつものダンボールを避けるように進み、扉へと向かった。

 この家は間取りを大きくするために、廊下という存在を完璧に省いた作りになっていた。部屋を出るとすぐにリビングに置かれた長テーブルがその姿を見せる。

 どうやら父も御奈もまだ寝ているようだ。僕は冷蔵庫を開け、コーンフレークを取り出すと、それに気持ちほどの牛乳をかけ、もしゃもしゃと口の中で砕いた。時計は午前八時を指している。ちょうどニュースが報道されている時間だった。

 テレビをつけると、いつも都内で見慣れた番組が放映されていた。芸人や評論家を呼んで、その週に起きた事件に対する意見を言い合う番組だ。口を動かしながら何となく目を向けていると、昨夜墨田区で火事があり、何人もの人間が死んだというニュースが報道された。身元不明の焼死体が三体ほどあり、発火原因は不明とのことだった。胡散臭いオカルト関係のコメンテーターが、人体自然発火の可能性について言及している。

 人体自然発火。――その単語を耳にして、嫌でも昨夜のことを思い出した。

 確かにあれは、そうとしか表現の仕様がない出来事だろう。

 警察は自殺だとか何とか言って強引に話をまとめようとしていたけれど、あんな一瞬で大人一人が丸ごと燃え尽きるほどの業火を起こすことが、果たして可能なのだろうか。男の体には、別にオイルが塗られていたようには見えなかったし、変な匂いもしなかった。

 ――助けて。

 そう口を動かした男の目は、何かを畏れているようにも感じられた。まるですぐ近くに自分を追う何かが潜んでいたかのような、何かから逃げようとしていたかのような、そんな歪んだ目つき。

 ――助けて……――

 生きながら肉を焼かれる苦しみ。痛み。恐怖。あらゆる敗北の念が込められたあの表情が鮮明に浮かび上がる。

 そしてその顔は、ゆっくり、ゆっくりと黒く黒く染まり、僕がかつて殺したあの男の顔に……――

 急に鳴り響いた端末の呼び出し音で、僕は我に返った。いつのまにかスプーンを手放し、強く皿を握り締めている。掌には、大粒の汗が浮かんでいた。

 何をやっているんだ僕は……。

 番組の話題は、もう芸能人のワイドショーに切り替わっていた。それに重なるように着メロの音が聞こえる。

 僕は息を整えると、そっとコーンフレークの入った皿を置き、横に放り投げていた端末を手に取った。

「……はい。もしもし……」

 かけてきたのは、自称お隣のイケメン貴公子、玉木緑也だった。

 

 

  3


 僕が玄関から顔を出した途端、緑也は笑顔で片手を上げた。昨日の事件など無かったかのように、明るい表情を浮かべている。

「何? どうしたの?」

 とにかく外に出て来いという話だったので、彼の目的はわからない。僕はぶっしつけにそう聞いた。

「何って、町の案内だよ、案内。昨日の予定がつぶれちまったからな。代わりに今日行こうぜ」

「またいつ警察に呼び出されるかわからないのに……駄目だろ」

 昨日の今日でよくこんな真似ができるものだ。僕は怪訝そうに彼を見返した。太陽の光が強いせいで、目が自然と細くなる。

「だからだよ。ずっと家にいても気がめいるだけだろ。それに、あんだけ話したんだ。しばらくは呼ばれたりなんかしねえって」

「それ、ただの憶測じゃないの」

 僕は口の中に枯葉が入ったような気分になった。

「いいから行こうぜ。ほら、用意してこいよ。何かあれば電話がくるから大丈夫だって」

「……わかったよ」

 確かにまだ荷物の整理ができていないあの部屋で一人悩むのは、精神衛生上よいことではない。始めは乗り気でなかったものの、こうして太陽の光に包まれたことで、僕は何となく外の空気を吸いたくなった。


 ざっと顔を洗い、寝癖を整える。後ろ髪がしつこく立っていたけれど、これは狙って作ったものだ。短髪時、風呂上りに仰向けに寝ることで、後頭部の毛がまるでワックスをつけたときのように逆立つという謎技の発見をしたのは、つい最近のことだった。前の高校はそういった整髪剤が禁止されていたから、このテクニックはかなり重宝できた。僕は自慢げに友人たちに紹介したのだけれど、髪質の問題か、同じように毛が逆立つ者は、ほとんどいなかった。

 鏡の中に映る、自分の目を見つめる。目ヤニがないことを確認すると、僕は余分に逆立った毛を水で前方に撫で付けるように傾斜させ、洗面所から出た。


「おい、遅いぞ。支度は四十秒って決まってるだろ?」

 何故か面白そうに笑い声を上げる緑也。

 何らかのパロディーなのだろうか。僕にはよくわからなかった。

 まだ寝ている二人のためにそっと家の扉を閉め、彼の前へ移動する。道路の奥、青い海原から吹く冷ややかな風が、最高に気持ちよかった。

「それで、どうするの?」

「まあ、めぼしい場所の紹介だよ。デパートとか、スーパーとか、ゲーセンとか、遊び場とかのさ。――あ、その前に瑞樹の家に行こうぜ。あいつも誘わなきゃ」

「瑞樹さんは……流石にやめたほうがいいんじゃないかな」

「大丈夫だって。あいつ俺より男っぽいんだぜ。きっと今頃家で筋トレしてるって」

 どんな女子だ。僕は思わず心の中で突っ込んだ。

「あいつん家、ここからすぐなんだ。ちょうどここを道路沿いに進んで、左に曲がった先のマンション」

「本当に誘うの?」

「だから心配すんなって。どうせ明日学校で会うのに暗い表情でいたくないだろ。今のうちに変な感じはなくしとこうぜ」

 変な感じ、か。確かにあの事件の直後初めて会うのが学校では、何だか気まずそうだ。お互いに燃え盛る男の姿を嫌でも想像してしまう。僕は緑也のいうことも一理あるかもしれないと、少し考え直した。


 

  4


 瑞樹さんと合流したのち、僕たちはまず最初に駅へと向かった。

 この町では多くの住民が車を所持しているから利用者は少ないけれど、それでもいくらかの需要はあるらしく、朝や夕方時には一定の人垣を見ることができるそうだった。

 僕の父はごく一般的な安い普通車を持っているが、一緒に休日出かけることなんてほとんど無い。遠くに移動するのなら、当然ここを使うことになる。家から駅までの道のりをしっかりと思い出し、頭の中に反芻はんすうさせた。

「ボロい駅だよね。穿せんくんショック受けたでしょ?」

 何故か申し訳なさそうに瑞樹さんが肩をすぼませた。急いで出てきたためか、彼女の髪には何本か跳ね返っている毛が見える。僕は視線を駅へ戻しながら、

「確かに小さいけど、駅自体の作りはしっかりしてるし、別にこのくらいの駅なら都会にもいっぱいあるよ。駅前に店が少ないのは、ちょっと寂しいけどね」

「そっか、それならよかった。隣の駅なら駅前にも色々とあるんだけどね……ここは工場が多いから……」

 彼女は残念そうに言葉を切った。

 この町、明杜町あかもりちょうは、複数の工場が乱立した大工業地域だ。海水浴場のある隣町とは違い、特に目立った観光地も、遊び場も、名産物もない質素な町。だけどその代わりに、最先端の製品や技術の開発場所として、多くの有名企業が敷地を持っていた。僕の父もそういった工場勤務者の一人であり、この町に住んでいる人間の多くは基本的にはそうやって外から移住してきた者たちばかりだった。

「でも住むには最高だぜ。五月蝿うるさくないし、海は近いし、空は広いし……遊びたくなったら、ちょっと二、三十分電車に乗れば、それなりのところに行けるしな。すたれているって言うやつもいるけど、俺は中々気に入ってる」

 瑞樹さんとは正反対に、実に自慢げに胸を張る緑也。その表情からは本当にこの町が好きだという気持ちが伝わってきた。

 僕は駅の反対側へ目を向けた。階段を下りたところにある広場、大通り。そしてその数百メートル先に広がっている広大な海原。いつまでこの町に住むかはわからないけれど、僕にもそんな風に思える日が来るのだろうか。緑也の横顔を見て、ちょっとそんなことを思った。


 僕はスーパーやゲーセン、飲食店、郵便局、神社など、生活に必要となる場所から近場のどうでもいい空き地まで、いろんな場所を案内された。正直別にここは紹介しなくてもいいんじゃないかと思うところもいくつかあったが、緑也が楽しそうだったので、口の中にしまっておいた。

 午後一時半に差しかかったころ、いい加減疲れを感じた僕たちは、駅の正面方向に伸びた大通りにある、小さな個人営業の飲食店へと足を運んだ。二人ともこの店の常連らしかった。

 食事を行いながら何気ない会話を続ける。その中で、僕は絵が趣味であることを伝え、緑也がバスケに興味を持っていること、瑞樹さんが保育士を目指していることを聞いた。二人とも、高校卒業後はこの町を出るつもりのようだった。


「ふう、食った食った。――……だいたい目ぼしいところは回ったな。このあとどうする? 映画でも見に行くか」

 お茶をすすり、緑也は大きな音を出した。西洋人が見たら下品だと怒りそうな光景だ。

「あたし午後は用事があるから遠出できないんだよね……――そうだ」

 僕が緑也の頭皮に接着されたスチールウールに目を奪われていると、思い出したように瑞樹さんが手を叩いた。

「穿くん、‶触れない男〟に興味があるみたいだし、あそこに行ってみる?」

「あそこ?」

 僕は小首を傾げた。

「よく“触れない男〟が目撃されてる場所があるの。海の目の前で、灯台もあって見晴らしがいいんだよ。行ってみない?」

 触れない男の出現多発場所。正直それについてはあまり関心はなかったが、‶灯台〟という単語には興味を引かれた。

「灯台か……いいね。ちょっとだけ行ってみようか」


 

  5


 その公園は海沿いにあった。灯台があるというのだから当たり前のことなのだが。

 駅から大通りを真っ直ぐにいくとT字路になっている場所があり、そこを左に曲がり、さらに海側へ十分ほど歩いたところで、白い大きな塔が目に入った。

 一応住宅街のど真ん中に位置しているのだけれども、公園と家々の間には道路や倉庫があったため、隔絶された場所のようになっていた。

 入り口を潜ると、目的の灯台と平べったい丘が視界の中に飛び込んできた。僕はその丘に登り、周囲を見渡した。

 景色としてはそれほど僕の新居の前と大差がないものの、上に立った途端、物凄く強い風が頬を撫で、思わず倒れそうになった。

「すごい風だな。押し飛ばされそうだ」

「丘は障害物が何も無いからね。平地より風の勢いが増すんだよ。――どう? いい場所でしょ?」

 はにかむように、瑞樹さんは言った。ポニーテールの後ろ髪が大きくなびく。

「そうだね。どっちかと言えば、こっちでバーベキューをしたかったな。広いし、景色もいいし」

「確かにね。でもまあ、それはちょっと無理かな。ここは周りに家が多いから、騒ぐと迷惑がかかるもの。それに風が強すぎて火が上手くつかないと思うよ」

「そっか。そうだね」

 僕はしょぼくれて見せた。

「――やっぱ灯台の中には入れそうにないな。鍵がかかってる」

 丘の下で声を張り上げる緑也。風に流され、その言葉は途切れ途切れに聞こえた。

「当然でしょ。船の指針を示すためのものなんだから、一般人が入れるわけがないじゃない」

「でもせっかく来たんだから上ってみてえじゃん。なあ、穿」

「まあ、開いてたらね。でも、鍵がかかってるんじゃ仕方ないよ」

 無難な返事をする僕に、緑也はつまらなそうな表情を返した。

「わかってたけど、ほんと何もねえよな。散歩に来るくらいしか使い道がないんじゃないか」

「そんなことないって。平日の昼間とか夕方は結構近所の子供やお母さんたちが遊びに来てるみたいだよ? サッカーしてる子とかもいるし……。流石に夜はほとんどひと気がないけど」

 むすっとしたように瑞樹さんが頬を膨らませた。

「夜はまあ、最近は変な噂もあるしな。……で、どこら辺で目撃されてんだよ、‶触れない男〟は」

「……あたしも人から聞いた話だからね。ホントかどうかは知らないけど、何でも夜になるとそこの木々の奥に立っているらしいよ。誰が目の前に来ようとも、誰が声をかけようとも、何もせずただじっと無言で。一度警官が声をかけようとしたそうなんだけど、そのときも完全に無視しして、怒った警官が派出所に連行しようとしたら手が滑りぬけちゃたんだって。‶触れない男〟っていう名前はそういう目撃情報から来てるみたい」

すべり抜ける?」

 その言葉に、僕は疑問を感じた。

 触れないと皆が言うものだから、てっきり幽霊のように‶すり抜ける〟男の姿を想像していたのだが、滑りぬけるとはどういうことなのだろうか。もっと詳しく聞きたくなった。

「文字通り、滑り抜けるんだって。まるでオイルを塗りたくってるみたいにほとんど抵抗無くね。その警官も結局男に触れることができなくて、怖くなって逃げ出したの。――でも、後日同僚とそこに行ってみたら、変な痕跡があったんだって」

「変な痕跡?」

 僕が怪訝そうな顔をしていると、「来て」と、瑞樹さんは言った。

 彼女に続いて丘を降り、先ほど触れない男が立っていると言われた木の下まで行く。するとそこに、大きな葉が落ちていた。絵を描いているときに見つけて調べたことがある。確か、‶きり〟という名の花の葉だ。てのひらを二つ横に並べたくらいの大きさのその葉の上に、くっきりと、靴の痕が‶焼きついて〟いた。

「何だ……これ?」

 泥によるものでも、砂によるものでもない。明らかに葉そのものに痕が刻まれている。一体どういう風に力を入れれば、こんな痕を残せるのだろう。まるでそういう形の焼鏝やきごてを押し当てたかのようだ。

 瑞樹さんはそれをつまみ、持ち上げた。

「よかった。まだ残ってた。みんな面白がってすぐにもってっちゃうから、いつもはあまり無いんだけど。――……こんな変な痕が、‶触れない男〟の目撃地点で毎回発見されているの。噂を信じる人が多いのも、都市伝説が広がっているのも、ほとんどこれが理由だね」

「誰かの悪戯とかじゃねえのかよ」と緑也。

「大抵の人はそう思ってるよ。暇な誰かが遊びでやってるんだってね。でも、そう都合よく目撃された場所に作れるとは思えないんだよね。実際目撃された直後にこれがあったって例もあるし……」

 神妙な顔で彼女は表情に影を落とす。

 僕はもっとよく見ようと、葉へ顔を近づけようとした。だがその瞬間、すぐ背後で小枝の折れる音が鳴った。誰かが背後に立っているような気配を感じる。

 息を呑み、慌てて振り返る。

 逆光の中浮き上がったのは、一匹の猫の姿だった。

「な、何だ猫か。びっくりした」

 胸を撫で下ろし、ほっとしたように息を吐く瑞樹さん。その灰色の猫はこちらを一瞥いちべつすると、何事も無く移動を続けた。僕は通り過ぎ際、その猫の背に小さな腫瘍のようなものを見た。野良猫にはよくあることだが、何かしらの病気にかかっているのかもしれない。

 何となく無言で遠ざかる猫を見送っていると、緑也が肩を上下に揺らしながらうなった。

「――……何だか風が強くなってきたな。そろそろ行こうぜ。用事あるんだろ、瑞樹」

「あ、そうだね。いこっか」

 時計を確認し、葉を落とす。

 ごく普通のやりとりだったけれど、僕には二人が早くこの場から離れたがっているように見えた。その気持ちはわからなくも無い。夏だというのに、不思議と少し肌寒さを感じる。

「そういえば、用事って何なんだよ。珍しいじゃん」

 公園の下から伸びた柵をまたぎつつ、緑也が好奇心のこもった視線を瑞樹さんへ投げかけた。彼女は多少口ごもったのち、

「デート」

 と短く答えた。直後、緑也の表情が狂った。笑っているのか驚いているのかよくわからない表情がそこに浮かぶ。

「だ、誰だよ、それ」

「内緒。すっごくかっこいい人だよ」

 簡潔に話し、瑞樹さんは両手を後ろに組んだまま恥ずかしそうに足を速める。緑也はさらにしつこく聞いていたけれど、彼女が問いに答えることはなかった。

「じゃあね、穿くん。また明日学校でね」

 楽しそうに緑也を受け流しながら手を振る瑞樹さん。駅へ向かうのか、ここで別れるようだった。

「――またね」

 別に大したところは回っていないけど、それなりに楽しかった。僕は感謝を込めて手を振り返す。あれだけ明るくて面倒見がいい子なら、かなりもてるだろうなと思った。

 彼女は再度手を振ると、緑也を見て小さく笑みをこぼし、そのまま大通りのほうへ消えていく。

 夕日に映える長く綺麗なポニーテール。

 細く華奢な背中。

 ひらひら揺れるスカート。

 こちらに来てできたばかりの、親しみやすい友人。

 それが、僕が見た彼女の、最後の姿だった。

 



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