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異世界のいけにえ  作者: 谷尾銀
第二章 現世〈2018〉
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【01】捜査開始


「ハロー、ダイアナ。うん。了解。詳しい話は、またあとで電話する」

 通話を終えてスマートフォンを懐にしまうと、テイル・クーパーは鞄を持って、路上に停めた黒のセダンの運転席から降りる。

 フォートリーの閑静な住宅街は明け方に降り積もった雪で、うっすらと白に染まっていた。

 クーパーは綿の様な息を吐きながら、庭先を割って延びる煉瓦の道を渡り、その家の軒をくぐり抜けてインターフォンを押す。それは周囲に建ち並ぶものより少し古めかしい家だった。

 ブザーの音が鳴り響いてからしばらくして、中から物音が聞こえる。扉越しに声がした。

 年老いた男の声だった。

「……誰だね?」

「先日お電話したFBIのクーパーです 」

 そう言って、魚眼レンズに向かって身分証明書を掲げる。

 すると、数秒の間があって扉が少しだけ開いた。

 その隙間から鷲鼻でスキンヘッドの男が、じっと丸眼鏡越しにクーパーをめつけていた。

「こんにちわ。グレッグソン教授ですね? お忙しいところ申し訳ありません」

 グレッグソンと呼ばれたその男は、扉にかかったチェーンを外すとクーパーを招き入れる。

「この糞寒いのに、ご苦労なこった。どうぞ、こちらへ。まずは温かい物でも飲んで落ち着いてくれ」

「では、失礼します」

 クーパーは、彼の家へと足を踏み入れる。

 依然として行方のわからない、カリオン電ノコ大虐殺事件の犯人の謎を追って……。




 未曾有の恐怖を世間にもたらした、大量虐殺事件の捜査状況はかんばしいとはいえなかったが、いくつか明らかになった事実もあった。

 あの地獄の様な山小屋の主は、チャールズ・ソーヤー。

 寝室のベッドで発見されたミイラの片方である。

 一九四九年、テキサス州生まれ。

 故郷での彼は、鼻摘み者だった。

 窃盗や恐喝、違法薬物所持に傷害、婦女暴行の前科持ちで、十代前半から半ばまでの多くの時間を牢屋の中で過ごす。

 十九歳から故郷を離れ、サンフランシスコのヘイトアシュベリーにて、ヒッピー達のコミューンに参加していた。

 しかし、そこでも彼は周囲と馴染めなくなり、その共同生活中に知り合った身元不明の女と一緒にコミューンを抜ける。

 これが一九六九年の七月の事だった。

 因みに、この女は、仲間内でティファニーと呼ばれていた。今のところ寝室のミイラのもう片割れが彼女だと考えられているが詳しい身元は判明していない。

 そして、一九七〇年頃。

 二人は南部の西海岸を拠点としていた悪魔崇拝主義のカルトに入信し、その教団施設で生活を始めた。

 しかし、三年後。一九七三年の八月。その教祖が殺人教唆と詐欺罪により逮捕されたのを切っ掛けに教団は解散。

 その後、チャールズとティファニーは、教団で知り合った人物のつてで、メイン州に住むネイティブアメリカン達と暮らしていたが、ここでも何事かの問題を起こし追放される。

 以降、あのカリオンの山小屋へと辿り着く。

 それからの二人は、周辺の山林でトレッカー、キャンパーや釣り人などを襲い、金品を巻きあげて生活していた様だった。

 更に最悪だったのは、その他の様々な遺留品から、どうやら二人は、あの山小屋で子供をひとり育てていたらしい事だった。

 その子供がチャールズとティファニーのイカれカップルの間にできた子供かは不明である。しかし、少なくともまともな人間へと成長しなかったであろう事は火を見るより明らかであった。

 捜査当局は、その子供こそがチェーンソー男の正体であると考えた。

 そして、FBIの捜査官であるクーパーは、あの山小屋の中で見つかった、ある奇妙な物に着目する。

 それは、あまりにも常識はずれで、ともすればガラクタにも思えなくはない物だった。

 彼は、この奇妙な物がチェーンソー男の正体に迫る唯一の鍵であると直感した。

 その謎を探るべくニュージャージー州フォートリーに在住する、古書に詳しい歴史学者、リチャード・グレッグソンの元を訪れたのであった。




 雑然と書籍や何かのファイルが積み上げられている。パソコンはあるが、古い型の大きなディスクトップだった。窓はすべて分厚いカーテンで遮られている。

 まだ暖房はつけられたばかりで、部屋は温まっておらず肌寒い。

 クーパーはグレッグソン教授の書斎をさりげなく見渡したあと、応接の猫足ソファーに腰をおろす。

 すると、すぐに教授が丸いトレイを持ってやって来る。目の前のローテーブルに、湯気の立つカップを二つ下ろした。

「紅茶でかまわないかね?」

「ええ。いただきます」

 温かい紅茶を口にしてひと息吐くと、それが合図であったとでも言うように、グレッグソンが話を切り出してきた。

「……それで、電話で言っていた物だが」

「はい」

「さっそく見せてもらおうか」

 クーパーは傍らに置いていた鞄の中から、それを取り出す。

 大きなサイズのビニール袋に入った古めかしい書物だった。

 この書物こそが、あの地獄の様な山小屋で見つかった奇妙な物である。

 教授には『ある事件の証拠品』とだけ事前に伝えてあった。もちろん、この書物については、いっさいの報道はされていない。

「出してみても?」

 グレッグソンは白い手袋をはめながら言った。

 クーパーは「ええ」と返事を返して、グレッグソンに書物の入ったビニール袋を渡す。

 教授は恐る恐る書物を取り出すと、まずは鼻先を近づけて臭いを嗅いだ。

「……なめし革か? 何の動物の革を使っている?」

 クーパーは首を横に振る。

「わかりません。大型の爬虫類の物らしいですが……ただ、天然のみょうばんでなめしてある事は間違いないらしいです」

「わからない? FBIのラボでも?」

「ええ」

 クーパーが頷いて再びティーカップに口をつける。この特殊な書物の出どころを探れば殺人鬼の正体に辿り着けるかもしれない。彼はそう考えていた。

 グレッグソンが、なおも怪訝な表情で問いかける。

「炭素年代測定は?」

「約六十年前だそうです。一九五〇年代の終わりですね」

「これがたったの六十年前だと……? とても、そうは見えんが」

 グレッグソンはずり落ちそうになった眼鏡のブリッジを持ち上げ、焼き印で表紙に記された文字を右手の指先でなぞった。

 それはアルファベットでも、キリル文字でも、漢字でも、ハングルでも、アラビア文字でも仮名でもない……世界中のどの言語にも当てはまらない未知の文字だった。

「……これは」

 グレッグソンは、しばらくその文字を見詰めながら思案する。

「どうですか教授? この本に心当たりはありますか?」

 たっぷりと黙り込んでから、グレッグソンは信じられないといった面持ちで口を開く。

「これと……同じ物を見た事がある」

「本当ですか?」

 身を乗り出すクーパー。グレッグソンは頷いた。そして、囁く様にその言葉を口にした。

「ヴォイニッチ手槁」

「ああ……」

 ヴォイニッチ手槁は、一九一二年にイタリアで発見された未解読の古文書である。

 そこには誰も見た事のない言語と共に、未知の動植物のスケッチが描かれていた。

 一見すると、すべてはでたらめで空想の産物の様にも思える代物である。

 しかし、あまりにも手稿に描かれたスケッチが詳細過ぎる事と、専門家による分析で『そこに記された文字列は、何らかの人工言語、もしくは自然言語で書かれた意味を持つ文章』であると判明した事で、その正体について様々な憶測がなされている。

 オカルトマニアならば、一度は名前を耳にした事があるはずの奇書であった。

「この文字はヴォイニッチ手稿で使われていた物だ。まだ詳しく比較してみない事にはわからんが、間違いはないと思う」

 教授は山小屋で発見されたその書物のページを丁寧にめくりながら、紙面へと視線を落とす。

 因みに、こちらはヴォイニッチ手槁とは違い、挿し絵は一切なく、文字だけである。

 書物を見分する教授をしばらく見守ったあと、クーパーは問う。

「結局、その本はいったい何だと思われますか?」

 教授は本に目線を落としたまま答える。

「……普通に考えれば、ヴォイニッチ手槁を真似て何者かが書いた紛い物フェイクだろうな」

 その言葉に、どこか含みを感じたクーパーは更に問う。

「では、普通に考えないとしたら?」

 教授からの返事はない。

「グレッグソン教授?」

 クーパーの呼びかけに応じて、教授が本のページをめくる手を止めた。

 目線を落としたまま、「ふー」と、長い溜め息を吐く。

「どうせ全部、忘れるか」

「忘れる? 何をです?」

 そのクーパーの問いには答えず、教授は滑稽なほど鹿爪らしい顔でこう言った。


「その本は異世界から来た漂流物デブリ

だ」


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