【03】ひと目ぼれ
二十八人の冒険者が失踪し、ひと月が経った頃だった。
魔女の庭の南西。
そこには、マゴットというエルフ族の小さな集落があった。
このエルフという種族は魔法が得意な者が多く、弓の扱いに長け、山や森の事に詳しい。
そんなエルフ族の集落で暮らすフリオは、周辺の山中で狩りをして生計を立てていた。
その彼が未踏破の洞窟を見つけたのは半年前の話だ。
それは魔女の庭の北部にそびえるゲルトナ台地の、東西に連なる岸壁に入り口を開けていた。
どうやら長らく地中に埋まっていたが、落盤によって再び姿を表したらしい。
その周辺は、恐ろしい魔獣グリフォンが目撃されたとして立ち寄る者が少ない区域だった。
洞窟の内部はフリオひとりでは探索しきれないほど、広大で入り組んでいた。
周囲の地質の影響か、火のエレメンタルの力が強く、奧へ行くと足元や壁面から温泉が滲み出ている場所が何ヵ所かあった。
そして、フリオは洞窟内で何匹かの火蜥蜴と遭遇した。洞窟内は、このモンスターの巣となっていたらしい。
火蜥蜴とは猟犬ほどの大きさで蝙蝠の様な翼を背にはやした赤褐色の爬虫類である。
鋭い爪と牙を持ち合わせ、炎の息を口から吐き出す危険なモンスターであった。しかし、これが倒すと結構な金になる。
火蜥蜴の喉の奧には細長い袋があり、その中には気化しやすく可燃性の高い液体で満ちている。炎の息の燃料である。
この液体は喉袋ごと火属性の魔法道具を製作する時の素材となるため、それなりの値段がつく。
火蜥蜴は強敵だったが、フリオは弓の名手で、経験豊富なエルフ族の狩人である。
慣れてしまえば、それほどの危険もなく火蜥蜴を狩る事ができた。
更に火蜥蜴は火のエレメンタルが強い土地にわく性質がある。
一度、狩り尽くしても、しばらく経つと洞窟には火蜥蜴がわいていた。
したがって、くだんの洞窟はフリオにとって尽きる事のない金の鉱脈に等しい物だった。
もちろん彼は、この火蜥蜴の巣の存在を誰かに教える様な真似はしなかった。
美味しい金儲けの種を独り占めしようと考えるのは、どの世界のどの人種でも変わらない。
大勢の冒険者が失踪した件については気にはなっていたが、それを差し引いても、この火蜥蜴の巣がもたらす富は彼にとって魅力的であった。
グリフォンの噂も、彼は一度も見た事がなかったので眉唾だろうと高を括っていた。
しかし、フリオは思いもよらなかった。
その漂流物が最凶最悪の殺人鬼で、予報につられて集まった冒険者のほとんどが、彼のえじきとなっていた事に――。
フリオは舌を打った。
火蜥蜴の巣に何者かが立ち入った形跡が見受けられた。入り口の周囲には、沢山の足跡があった。
「ブーツの跡……森に棲むゴブリンやオークではないな。……ひとりか。何度も出入りしている」
フリオは巣の入り口の周囲に残された足跡を見て思考する。
そして、ひとりならば好都合だ……フリオは、ほくそ笑む。
その者は自分と同じ様に狩場をひとりじめして、この場所を秘密にしているはずだ。
ならば、その者を殺してしまえば、この場所の事を知るのは再び自分ひとりとなる。
フリオは、更に丹念に地面を監察する。
すると比較的、新しい足跡と何か大きな物を引きずった痕跡に気がつく。
それは火蜥蜴の巣の入り口から、断崖に沿って西の方角へと続いている。
そこには、ゲルトナ台地より落下する大きな滝があった。
地元のエルフからは『水竜の滝』と呼ばれている。
「なるほど。獲物をさばくつもりだな」
火蜥蜴の喉袋の体液は、わずかな静電気でも燃え上がってしまう。
つまり喉袋を取り出す作業を行うにあたってランプの明かりは使えず、暗い洞窟の中や薄暗い森の中での作業は困難を極める。
フリオも洞窟で狩った火蜥蜴を、その水竜の滝の滝壺の縁でさばいていたので、すぐにピンと来た。
「俺の上前をはねると、どうなるか教えてやる。間抜け野郎め」
彼は獰猛な笑みを浮かべると、地面の跡を伝って水竜の滝の滝壺へと向かった。
しかし、このときのフリオには、自分が敵に回そうとしていた相手が、たったの一回の戦闘と解剖で火蜥蜴の喉袋液の性質を見破り、それがチェーンソーの燃料の代わりになると発想できる知能を持ち合わせた存在だとは、思いもよらなかった。
このあと、フリオの姿を見た者はいない。
それは火蜥蜴の巣の最下層だった。
そこは明らかに、それまでの天然の洞窟とは違い、人の手が入った地下迷宮となっていた。
いくつかの部屋には樽や水瓶、机などの、かつて人が暮らしていた痕跡が残っていた。
壁や天井は石材で覆われており、おびただしい呪文が刻み込まれている。
そのせいか、火のエレメンタルと水のエレメンタルの力が抑制されていて、空気は乾燥し、ひんやりとしていた。
その最奥にある天井の高い部屋の中央だった。
円形の台座の上に古びた石棺が安置されていた。
蓋の表面には、古代ゴート文字でこう刻まれている。
“親愛なる魔女エレナ、ここに眠る”
その部屋へと唯一続く通路の向こうから、オイルランプの明かりがひとつ、足音と共にやって来る。
殺人鬼である。
彼は部屋の入り口で立ち止まり、内部をランプの明かりで照らして注意深く観察したあと、台座へと上がった。
そして、石棺の蓋を骨ばった大きな左手でゆっくりとなぞる。
しばらく、そこに刻まれた古の文字をぼんやりと眺めたあと、殺人鬼はその重い石の蓋を開けた。
オイルランプで中を照らして覗き込む。
すると、そこには、彼女が横たわっていた。
胸の上で両手を組合せ、奇妙な仮面で頭部を覆っていた。革と金属で作られた鴉の仮面だ。
彼女はぴくりとも動かない。
殺人鬼はしばらく立ち尽くしたあと、その仮面を外した。
すると――
「あら。こんにちわ」
まるで、小鳥の囀りの様な、そんな声音が頭の中で鳴り響いた。
殺人鬼は息を飲み、恐る恐る右手を伸ばし、棺の中に横たわっていた彼女の頬に触れた。
「くすぐったいわ……うふふ」
殺人鬼は、ひと目で彼女に恋をした。
それは人生で殺す事しか知らなかった彼の初恋だった。
それから数日後。
エルフ達の集落、マゴットの北の外れだった。
ひとりのエルフが森の方に背を向けて薪を割っている。
その奥には丸太で組まれた小屋があり、更にその左手には、彼の住居の側面が見えた。外壁に沿って良く手入れをされた花壇があり、色とりどりの花が咲き誇っていた。
やがて、住居の方から革エプロン姿のエルフの女性がやって来る。
薪を割るエルフに向かって何事か言葉をかけた。
すると、振るってた斧の刃を薪割り台にしていた切り株に突き立て、彼は首にかけていた手拭いで汗をぬぐった。
そのままエルフの女性と共に、住居の中へと姿を消す。
静寂。
周囲に人の姿は見当たらない。
そうして、しばらく経ったあと、その一部始終を少し離れた木陰から、じっと見詰めていた者が動き出す。
殺人鬼である。
彼はこっそりと小屋の入り口の前まで忍び寄ると、扉にぶら下がっていたパドロックをあっさりと片手でむしりとる。
扉を開けて小屋の中に侵入する。
そうして、使えそうな物を次々と手持ちの麻袋の中に入れてゆく。
釘や工具類。鉱油。そして、白斑(天然のみょうばん)など……。
それらを手早く詰めたあとで小屋を出た。
すると、その時、花壇の花が彼の目に映り、不意に彼女の事が頭に思い浮かんだ。
殺人鬼は花壇から何本かの花をむしり取り、再び森の中へと消えた。