【11】おぞましきモノ
ミーシャ・ベックと笛吹き男のパミーナ。
足場の上で二人は睨み合う。
「……待ち合わせ場所の滝壺に行こうとして、マゴットに着いたら教会の連中と鉢合わせて……教会も姫様とあなた達が私と待ち合わせている事を知っているみたいだった。だから、狩人の振りをして適当に話を合わせていたら、魔女の庭の案内役にと、あいつらに雇われる事になっただけ」
「それを信じろと?」
ミーシャは三日月刀の切っ先をパミーナに突きつけたまま、訝しげに言った。
「まあ、信用に足りる証拠は出せませんけど、あなた達だって私の力を借りれなければ困るでしょ? 魔王の転生体として教会に認定されたロザリア姫には、もう、この世界に居場所なんかない」
ミーシャはしばらく考え込んだあと、三日月刀を下ろし鞘に納めた。
そして、深々と溜め息を吐く。
「……冷静に考えてみれば、あんたがもし裏切ったならば、あたしはここにいない訳だし」
「そう。わざわざ、百足の餌になりかけた、あなたを助けたりなんかしない」
そのパミーナの言葉を聞いて、ミーシャがぽつりと呟く。
「いや。そういう事じゃないんだけど……」
「何が?」
と、笛吹き男ことパミーナは小首を傾げた。
すると、ミーシャは誤魔化す様に笑う。
「いいや。何でも……それより、悪かったね。疑ってしまって」
「良いですわ。別に。それより、こっちもひとつ質問があるのだけれど」
「何?」
「よく私が笛吹き男だって、知ってましたわね。ここは『女だったのかよ!』って、驚くところでしょ?」
ミーシャは少し考え込んだあとで答える。
「昔、あんたに世話になったって人に聞いた事があってね」
「ふうん……そう。つまらないわね」
いまいち納得のいかない表情で首を傾げるパミーナだった。
「まあそれは置いておくとして、肝心の姫様はどうしましたの?」
その問いにミーシャは対岸の足場の奥にある通路の入り口を、厳しい眼差しで見据えながら答える。
「さらわれた」
「教会に?」
「違う。もっと恐ろしい奴」
「それって、鴉の仮面とかいう……」
パミーナは、騎士団の面々がそんな話をしていた事を思い出した。
ミーシャが神妙な顔で頷く。
「多分そいつ。取り戻すから協力して欲しい」
「良いですわ。せっかく、ここまで来たんだし……」
パミーナは気安い笑みを浮かべて肩をすくめた。
台座を濡らすおびただしい血。
その真上で逆さ吊りになったエミリア。
彼女の真っ青な唇の端から、丸々と肥った雌の銀蝿が這い出て飛び立った。入れ違いに新たな銀蝿が彼女の右の鼻孔へと潜り込む。
すると、部屋の東側にある入り口の向こうから、ロザリア姫を担いだ殺人鬼が姿を現す。
殺人鬼は台座の上に姫をそっと寝かすと、北側の壁から突き出たフックにランプをかけた。それから南の壁際へと向かう。
そこには木製の棚があり、木桶や縄、チェーンソー、鴉の仮面などが置かれていた。
殺人鬼は豚頭の仮面を脱ぐと棚に置き、鴉の仮面を再び被り直す。
それから縄を手に取って、ロザリア姫の両手両足を拘束した。
そのまま彼女を抱え上げると、北西の角の床にそっと下ろす。
次に台座の回りに置かれた人骨の燭台に火を灯した。
更に滑車に吊るされていたエミリアの死体をゆっくりと台座の上におろし、足元に木桶を置いた。
エミリアの両足の拘束をほどき、血の気を失って真っ青になった彼女の裸体を裏返す。
殺人鬼は腰の革鞘からハンティングナイフを抜き、盆の窪から背骨に沿って肛門まで刃を下ろした。
それから後頭部や手足にも切れ込みを入れ、その傷口に寝かしたナイフの刃を差し込む。
手慣れた手つきでエミリアの生皮を剥いでゆく。
ばりっ、ばりっ、という音が鳴り響き、エミリアは見る見る間に赤く滑った筋肉と脂肪を露にしていった。
その作業を終えると殺人鬼は、剥いた皮を部屋の西の壁から突き出たフックに引っ掻けたあとで、何もかもを脱ぎ捨てたエミリアを仰向けにした。
それから鳩尾にナイフの切っ先を突き立てて、正中線に沿って腹を切り開く。
その切り口から、腹の中の臓物を掻き出し始めた。
消化器、循環器、生殖器……。
はらわたを引っ張り、もぎり取って木桶に入れてゆく。
湿った音が室内に響き渡る。
そして、時おり聞こえる病気の獣の様な囁き。
その声でロザリア姫は目を覚ました。
蝿の羽音。
湿った血肉の音。
そして、密やかな囁き声。
壁にかかった剥きたての人皮。
そして、鴉の仮面の男が、台座の上に置かれた死体のはらわたを斬り刻んでいる。
その光景を床に寝転んだままのロザリア姫は、こっそりと見上げていた。
喉元まで吐瀉物がせり上がり、あまりの凄惨な光景に気を失いかけたが、どうにか堪える。
……もだちに、友達になっ……
そして、ロザリア姫は断続的に聞こえてくる、その囁き声が、
……なたの、お腹の中、とても綺麗……
鴉の仮面の向こう側から発せられている事に気がついた。
……とで、私達といっし……ともだ……
いくつかの声音を使い分け、まるで複数人が密やかに談笑しているかの様な、
……あはは、きっと、お友達になれば毎日が楽し……
そこで、ロザリアはふと思い出す。
これは、幼き日に興じていた人形遊びの様だと。
右手と左手に別々の人形を持って行うおままごと。
頭の中にいる空想の友人達の会話を独りで再現するために、別々の声色を使い分ける。
これは、そのときの独り言と同じだ。
そこでロザリアは、あの椅子に座っていた人形の正体に思い至り、怖気に震える。
この鴉の仮面は、本当の意味で人を人だと思っていない。
恐らく人を殺しているという認識すらないのかもしれない。
作業にいそしむ彼の手つきは無機質で、何の憎悪も欲望も感じられない。しかし、その事が逆に彼の邪悪さの証明であるかの様に思われた。
ロザリアは確信した。
いずれ自分も台座の上で解体されている女性の様に“お友達”にされてしまう。
いつ死んでもいいと思っていた。
自分などいない方が良いのだと思っていた。
それでも今は、
『姫が死ねば、あたしも死にますから無理です』
ミーシャのために。
彼女よりも、先に死ぬ訳にはいかない。
そして、何もしなければ、この先の未来に待ち受けている運命は、死よりもおぞましい地獄である。
それが訪れる前に、何とか自力で脱出しなくてはならない。
ロザリアはどうにか身を捩り、右足のブーツの踵付近にあった出っ張りを壁に押し付けた。すると出っ張りが引っ込み、かちりと靴裏で何かが、はまる様な感触がする。
ロザリア姫は縛られた両足を浮かせて少しだけ振り動かす。
すると右足のブーツの靴底と靴裏の間に差し込まれていた小さな短刀が床に落ちる。
それは、いざという時にとミーシャが仕込んでくれていた物だった。
ロザリアは身体をよじってどうにか後ろ手になった指先で、その短刀を拾おうとする。
ふと台座の脇で作業中だった殺人鬼と目線が合う。
殺人鬼の手が止まる。
同時にロザリアは息を飲んだ。
「ひっ……」
仮面の奥の青い瞳。
まるで深い水底の様な虚無。
それは、まさに死神の瞳だった。
しばらく見詰め合う二人。
ロザリアは息を飲んだまま凍りつく。
しかし、殺人鬼は何事もなかった様に再び作業を再開し始める。
……の娘は、あとにしまし……そうね、そうしましょ……
どうやら短刀の事には気がついていないらしい。
ロザリアは再び身をよじり、何とか右手の人差し指と薬指の先で短刀を摘まんだ。
悟られない様に左半身を床につけた状態で背中を壁にむける。
短刀を指先で回転させ、手首を縛っている縄を切断しにかかる。
どうにか刃を動かし、縄を少しずつ、少しずつ、削ってゆく。
ときおり、短刀の刃で掌をあやまって切ってしまう。
しかし、そんな痛みなど、どうでも良かった。
早くしないと“お友達”になってしまう。
死んだあとも囚われ、弄ばれてしまう。
ロザリアは必死に短刀を動かし続ける。
そして、どうにか手首の縄を切断し終わった。
続いて両手を後ろ手に回したまま、身体を丸めて足首の縄を切断しにかかった。
かなり不自然な格好なので、怪しまれるかもしれない。
そう思った矢先だった。
殺人鬼が手を止めてロザリアの元へとやって来る。
足首の縄は、あともう少しで切れそうだった。
殺人鬼は無言で首を傾げると、しゃがんで、ロザリアに右手を伸ばそうとした。
その瞬間、彼女は伸び上がり、右手の短刀で鴉の左眼を突いた。
「おぅ……」
赤い滴が床に垂れる。
突然の急襲により、殺人鬼は左眼を押さえたまま尻餅を突いた。
ロザリアはすぐに足首の縄を渾身の力で切り裂くと、立ち上がる。
北側の壁にかかっていたランプを手に取る。
それから脱兎の如く駆けて、死の工房をあとにした。




