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異世界のいけにえ  作者: 谷尾銀
第三章 異世界〈1025〉
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【09】狂気のオブジェ


 ホプキンスはどうにか火災現場から北西の方角の川原にある拠点を目指して、ひとり森の中を歩く。

 火の回りは早い。

 ホプキンスの背後から火竜の舌の様な炎が草木を舐め尽くしながら追い迫る。

 熱せられた煙と空気がまとわりつき、火の粉がひらひらと舞っている。

 それでもどうにか拠点へと戻る事が出来た。

 森から川原に出た途端にホプキンスは膝を突き倒れた。そのまま意識を失う。

 周囲にいた五班の面々が集まる。

 班長のジョセフは火災の規模をかんがみて、既に撤退を決断しており、テントは撤去されて荷物はまとめられていた。

 ホプキンスは川原の地面に寝かされて、癒し手から治療術を施される。

 間もなく意識を取り戻し、目を開いた。

「団長……ご無事で何よりです」

 その煤けた端正な顔を覗き込んでいたジョセフが、ほっとした様子で厳つい顔を緩ませた。

 しかし、ホプキンスはその表情を怒りに歪ませ、上半身を勢い良く起こした。

「団長! 無理はいけません!」

 ジョナサンが叫ぶ。

 そして、周りを囲んで様子を窺っていた五班の面々がホプキンスを取り押さえようとするが、

「糞……離せ! 離せ! 貴様ら離せッ!」

 手負いの獣の様に暴れ出す。

 何人かが頬を張られ、殴られて、蹴り飛ばされ、ようやくホプキンスは大人しくなる。

「団長……」

 ジョセフは息を荒げながら唸るホプキンスの顔を正面から見詰めながら、ゆっくりと言い聞かせる。

「団長、もうおしまいです。退却しましょう」

「ならん! ならんぞ! 貴様ら!」

「もう無理ですよ。ほら……」

 ジョセフは川原の東に広がる森に目線を移した。

 すでに川原の縁まで、もうもうと白い煙が押し寄せ、その向こう側には赤い炎が躍り狂っている。

「……これは」

 それを見たホプキンスは唇を戦慄かせ、がくりと肩を落とし脱力する。

「ここも危険です。……いったん、マゴットに帰りましょう」

「……そんな」

「火の手が収まるまで待つのです」

「……もう、駄目なのか……」

 ホプキンスはうつむき、地面に拳を打ち付けた。まるで恋に破れた乙女の様に泣きじゃくる。

 そのあまりにも普段とかけ離れた様子に五班の面々は戸惑い困惑する。

 

 こうして銀鬣ぎんりょう騎士団は撤退する事となった。




 ホプキンスが聖騎士の叙勲を受ける事が出来たのも、銀鬣騎士団の団長に任命されたのも、すべては父親の口添えがあったからである。

 そのために周囲の者達が、親の七光りだとか、何もできない無能だとか、陰で自分をあざけっている事を、ホプキンスは良く知っていた。

 自分で何ひとつ成し遂げた事はなく、聖騎士や団長といった社会的な評価はすべて大嫌いな父親のお陰。

 更に父親を含めた周囲の者達からは、ひとりでは何もできない愚か者の烙印を押されて軽んじられる。

 これでは歪むなという方が無理である。

 虚勢を張り、大声を上げ、周囲を恫喝し、強権的な振るまいを見せるのは、そういった劣等感を誤魔化すためだった。

 そんなホプキンスはロザリア姫が教会の要求を突っぱねて逃げ出したと知り、大いに喜んだ。

 千年以上前に世界を崩壊に導いた魔王の転生体。

 それを討ち取る事が出来れば、ようやく周りは自分を認めざるを得なくなる。

 ロザリア姫を討ち取れば、何者でもなかった自分が何者かになれる。

 ホプキンスは大嫌いな父親に頭を下げて、半ば強引にロザリア姫追跡の任務についた。

 ロザリア姫の首。

 それはホプキンスにとって、何よりも変えがたい至高の宝物であった。

 それを諦めざるをえない現実が、いびつだった精神を更に大きくねじ曲げる事となった。




 休憩を終えたロザリア姫とミーシャは地上を目指して、洞窟の中をさ迷い歩く。

 そうして、しばらく経った頃だった。

 そこは、これまでの様な天然の洞窟と違い、天井や壁や床を人工の石材が覆っていた。その石材には、びっしりと呪文が刻まれている。

 通路の左右には幾つかの部屋の入り口が並んでおり、そこを覗き込むと、この場所が何者かの居住空間である事が見て取れた。

 木箱や樽、水瓶、手作りの棚。

 木製の作業台。丸太をくり貫いて作られた水槽の並んだ部屋……。

 そして、薫製や腸詰めが吊るされている部屋もあった。

 いくつかの部屋は、悪趣味な人骨のランプや燭台で明かりが灯されていた。

「ここ寒いな……」

 ロザリアは自らの両肩を抱いて顔をしかめた。

「この壁の呪文のせいですね。少し道を戻りますか?」

 ミーシャの問いにロザリアは首を横に振る。

「いや……このまま進もう」

「しかし……」

 ミーシャの脳裏に、あのチェーンソーを持った鴉の化け物の事が思い浮かぶ。

 だがロザリア姫はというと、通路の先を見据えながら言う。

「ここが居住空間ならば、近くに外への出口があるかもしれない」

「確かに、そうですね……利便性を考えるならそうあってしかるべきではあります」

 ミーシャはしばらく思案したのちに、姫の提案を受け入れる。

「わかりました。姫様。行きましょう……」

「うむ」

 二人は慎重に、石造りの通路を進んだ。

 そうして、いくつかの部屋の入り口の前を通り過ぎたあとだった。

「……ひっ!」

 ロザリアが、かすれた悲鳴を上げて立ち止まる。

 ミーシャも息を飲んで足を止める。

 それは右側の部屋だった。

 入り口の奥の壁際に、椅子に座った沢山の人影があった。

「何奴!」

 ミーシャは腰の三日月刀シミターに右手をかけて、部屋の中を覗き込む。

 壁際に並んだ椅子に座る人影はぴくりとも動かない。

 部屋は入り口から見て左右に細長かった。

 中央には三体分の人骨を組み合わせた奇怪な燭台が置いてあり、煌々と明かりが灯っている。左手奥の壁には巨大な灰色熊の毛皮が張り付けてあった。

 ミーシャは入り口からじっと人影を観察する。

「何だ……人形?」

 ミーシャは眉をひそめ、慎重な足取りで部屋の中へと足を踏み入れる。

 彼女の後ろから訝しげな顔でロザリアが続く。

 奥の壁際に並べられた丸椅子に座り、膝を揃えて座る九体の人形――。

 ミーシャとロザリアは近づいて、順番にその人形達を見て回る。

「……なめし革……これ、剥製だ……」

 それは、殺人鬼の手にかかった犠牲者のなれの果てだった。

 右に行くほど古く、もっとも端は、あのエルフの狩人のフランだった。

 どれも森に自生する樫から抽出されたタンニンを丁寧に浸透させたあと、白班で念入りになめしを定着させてある。

 血塗れの布きれや、なめし革で作られたドレスを着ており、眼窩には木材の欠片を丸めた球体がはめ込まれている。

 七体目までは普通の女性だったが、左端の二体は違った。

 鎖帷子くさりかたびらを着た豚頭の巨体、そして、顔だけ鹿の裸の女。それは、おぞましい合成獣キメラだった。

 これらはすべて彼女・・の友達であった。

「まさか、これ……全部……」

「ミーシャ……この人形はなんなのだ?」

 ロザリアが不安げな顔で問うた。

 ミーシャは青ざめた顔で首をふるふると動かし、部屋から出ようとする。

「おぞましい……。姫様……早くここを離れましょう」

 ここに棲まう者は、とんでもない悪魔だ。

 それを思い知ったミーシャは身震いする。

「待て、ミーシャ……いったいどうした?」

 それらが恐らく本物・・である事をロザリアには教えない方が良いと考えたミーシャは、 その問いかけには答えず、部屋をあとにしようとした。

「待て。ミーシャ!」

 彼女の後ろをロザリアは追いかける。

 すると今までぴくりとも動かなかった、豚頭の巨体が音もなく動き出す。

 背後からロザリアの口を右手で覆った。

 剥製に化けていた殺人鬼である。

「……んー」

 必死に叫ぼうとしたが、口を塞がれたまま左手で細い喉を掴まれ頸動脈を圧迫される。

 ミーシャは気がつかずに部屋の外へと出ていってしまった。

「……ん、ん」

 心臓がポンプの役割を果たすために、できるだけ生け捕りにした方が血抜きは容易である。

 その事を良く知っていた殺人鬼は、絶妙な力加減でロザリアの喉元を締め上げて、彼女の意識を速やかに奪う。

 それから殺人鬼はロザリアの華奢な体を抱え上げて壁に張り付けられていた熊の剥製をめくり上げる。

 すると、その裏側の壁に狭い通路の入り口が空いていた。

 その通路の手前の床に置いてあったオイルランプを手に取り、殺人鬼はロザリアと共に、その通路の奥へと姿を消した。

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