【07】神の加護
それは不幸な偶然であったという他になかった。
二班の二十名と三班の残り九名、そしてホプキンス将軍を加えた計三十名は、洞窟の入り口から南の森を進んでいた。
例の鴉の仮面と三班が交戦した古木の周辺へと向かうためだ。
クロスボウを構えた三班の騎士達を案内役に先行させ、いくつかの隊列が慎重に木々の合間を縫う様に南へと進んで行く。
丁度そのとき、彼らの後方では一班を全滅させた殺人鬼が地面の足跡などから彼らを追跡し始め、地下では四班のワトキンソンが地下通路の長い坂道をくだっている最中だった。
そして、それは唐突に起こった。
ホプキンス達が、森の中のなだらかな傾斜に差しかかって間もなくの事だった。
先行していた三班の騎士達の足元が轟音と共に砕け散る。
大地が波打ち周囲の木々が倒れる。
地割れから熱せられた空気と炎が吹き上がり、何人かが火達磨となった。
周囲の草木に引火し、火の手が上がる。
火蜥蜴の喉袋液の爆発は銀鬣騎士団に大損害を与えた。
爆音が轟き南東の森から煙が上がった事により、川原で待機中だった五班も、流石にただ事ではないと気を引き締め直した。
五班の班長であるジョナサン・コールファクスは、ただちに手の空いていた者達に、偵察へと出る様に命じた。
テントの中でカードゲームに興じていたマーク・ウベルヌと、その先輩のヨック、他二名である。
その四人にくわえ、案内役として雇われた狩人のパミーナが同行を申し出た。彼女はこの辺りには何度も来た事があり土地勘があるという。
ジョナサンはこれを了承した。
かくして、五人は川原の東に沿って立ち並んだ木立に分け入り、南東を目指した。
しばらく経ち、滝の音が随分と遠くなった頃だった。
「ねえねえ、パミーナちゃんってばさ、どこの出身なの?」
「西方ですわ」
「ねえ、カレシとかいるの? ていうか、男と付き合った事あるの?」
「今はいません……」
「今は、って事は、昔はいたんだ?」
「フフフ。秘密です」
先頭を歩くパミーナの隣に並んだヨックが、しつこく彼女に話しかける。
他の二人とマークは、少し後方からその光景を見て流石に呆れていた。
「ところで、ええっと……」
「ヨックです!」
「あの、ヨックさん。お願いがあるのですけれど……」
それは唐突に始まった。
「少し黙っていてくださる?」
突然パミーナは腰の山刀を抜いて、反転しながらヨックの喉元を斬り裂いた。
「あ……あ……何……で?」
ヨックは唖然としながら、勢い良く血が噴き出す喉元を両手で押さえながら上半身を揺らし、白眼をむいて地面に倒れ込んだ。
後ろの三人は脈絡もなく目の前で起こった惨劇に凍りつく。
そして、パミーナは残りの三人へと襲いかかった。
まずは、二人の騎士達を次々と斬り捨てる。
「うあああああっ!」
マークは二人の先輩がやられている間に、悲鳴を上げて元来た方向へ逃げ出す。
パミーナは山刀を地面に突き刺し、背負っていた弓を手に取る。
矢をつがえ、木立の向こうへと遠ざかるマークの背中に狙いを定める。
「ああああああ!! もう嫌だ!! お母さん!!」
「私は、あなたのお母さんじゃないわ」
その言葉と共に放たれた矢は、生い茂る枝や葉の間をすり抜け、寸分の狂いもなくマークの背中から心臓を貫いた。
彼が倒れるのを見て、パミーナは地面に刺していた山刀を抜いてマークの元に駆け寄り、彼の死亡を確認する。
「……確か姫達は、北の洞窟に逃げ込んだんだっけ」
そう独り言ちて、パミーナは北を目指した。
ホプキンスが気がつくと、辺りは阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。
周囲には白い煙が立ち込め、そこかしこで赤い炎が気狂いの様に躍っていた。
「ごほっ、ごほっ……」
ホプキンスは咳き込みながらどうにか立ち上がり周囲を見渡す。
近くに第二班の班長であるジョンストンが倒れていた。腹の上に大きな丸太が乗っている。
目を大きく見開き、空に向かって口を開けたまま、ぴくりとも動かない。
「おら、起きろ……寝てる場合か!」
爪先で肩を蹴飛ばしてみたが、やはり動かない。
ホプキンスは舌打ちをした。すると傾斜の下方から誰かがやって来る。
「団長!」
第三班の班長であるエミリアであった。
同じく三班の騎士に右肩を抱えられて、足を引きずっている。その後ろには八名の騎士の姿があった。癒し手の姿はない。
「無事だったか……」
「ええ。何とか……団長は?」
「私は何ともない。生き残ったのは、これだけか?」
「恐らくは……」
エミリアの返答を聞いたホプキンスは歯噛みする。
「これは、いったい何なのだ?! 魔法攻撃か?」
エミリアが眉間にしわを寄せながら、黙って首を横に振る。
他の騎士達も暗い顔でうつむいたまま、何も答えない。
ホプキンスはもう一度、舌を打った。
「……とりあえず、この場を離脱するぞ。拠点を目指す」
立ち込める煙によって視界は悪かったが、幸いにも地面の傾斜によって方角は知る事が出来た。
「了解しました」
と、エミリアが答えた瞬間だった。
傾斜の上部を漂う煙の向こうから、クロスボウの矢が飛んで来てエミリアの肩を担いでいた騎士の額に突き刺さった。
その騎士と共にエミリアが地面に崩れ落ちる。
「誰だ!」
ホプキンスが叫ぶと、何者かが悠然とした足取りで傾斜を降りてくる。
殺人鬼である。
そのフードの奥からのぞく、黒い嘴を見たホプキンスの顔が歪む。
「貴様が、鴉の……」
殺人鬼は、クロスボウで生き残った騎士達を射殺してゆく。
爆発に巻き込まれ満身創痍だった騎士達は次々と急所に矢を受けて倒れていった。
そうこうするうちに、ホプキンスとエミリアだけになる。
「糞!」
ホプキンスは西へと逃げようとするが、
「待ってください! 団長……おいていかないで!」
四つん這いとなったエミリアに右足を掴まれる。
「ええいッ! 邪魔だ、離せッ!」
ホプキンスはレイピアを抜いてエミリアの頭や背中を護拳で殴りつける。
「やめて……やめてください」
「五月蝿い! お前と心中するつもりなどないッ! 私は貴様と違って、こんなところで死ぬべき人間ではないのだ!」
「やめて……やめ、て……」
「貴様、離せと言っているだろうがッ!!」
ホプキンスはレイピアをエミリアの頭上で高々と振り上げた。
その瞬間だった。
すぐそばまで接近していた殺人鬼が前蹴りを放った。ホプキンスは吹っ飛ぶ。
傾斜を転がり落ちた。
そして、残ったエミリアは膝を突きながら殺人鬼を見上げ、ぽろぽろと涙を流す。
「お願い……助けて……助けてぇ……」
殺人鬼はじっとエミリアの泣き顔を見詰めている。
その鴉の仮面の向こうに見える青い瞳。
エミリアは奇妙な既視感を覚えた。
その眼差し、どこかで見覚えがあった。
まるで、良く知っている誰かの様な……。
しかし殺人鬼はそれを思い出す時間を与えてはくれなかった。
エミリアの頭部を鷲掴みにすると、彼女の額を強引に地面へと打ちつけた。
エミリアは意識を失った。
吹っ飛ばされ、傾斜を転がり落ちたホプキンスは咄嗟に身を起こして上を見た。
すると、エミリアの頭部が鴉の仮面に鷲掴みにされ、地面に打ちつけられたところだった。
ホプキンスは何とか立ち上がる。
すると殺人鬼の視線がホプキンスの方を向いた。
視線がかち合い、二人はしばらく睨み合う。
ホプキンスは死を覚悟した。次は確実に自分だと……。
このまま魔王を倒すという偉業を達成できずに、訳もわからず死んでしまうのかと思うと、悔しくて泣き叫びたくなった。
……このグズめ! お前みたいなウスノロは俺の言う事だけを聞いていればいいんだッ!
いつか言われた事のある、父の言葉が脳裏に蘇る。
「糞……違う。違う……私は英雄になるのだ! 英雄に……なるのだッ!! こんなところで……」
死にたくない。
心底、そう思った。
ホプキンスは、神となり十一人の妻と共に天空へと旅だったという聖イトーに心の底から祈りを捧げた。救いを求めた。
すると、どういう訳か殺人鬼は地面に横たわるエミリアを担ぎあげると、ホプキンスに背をむけて去って行く。
「祈りが通じた……」
殺人鬼の姿が煙の向こうへと消えて見えなくなる。
「おお……天にまします聖イトーよ……」
ホプキンスは肩の力を抜いて、聖イトーに感謝の祈りを捧げた。




