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異世界のいけにえ  作者: 谷尾銀
第三章 異世界〈1025〉
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【05】暗澹たる未来


 ロザリア姫とミーシャが鎖の縄梯子を降りると、そこは三叉路の中央であった。北、東、南西へと通路が延びている。

 どの通路も入り口付近よりも幅が広く、天井が高かった。

「姫! こっちです」

 ミーシャは少し迷った後で東の方へとロザリアの手を引いて駆け出した。

 洞窟内の空気は湿っており、少し蒸し暑かった。

 水滴が地面へと垂れ落ちる音、二人の足音、荒い息遣いだけが暗闇の中に響き渡っている。

 やがて姫達はいくつかの分岐を跨ぎ、その岩室へと辿り着く。北へ長い楕円形で壁には通路の入り口が八つ並んでいた。

 そこに足を踏み入れた途端、姫は限界を迎えたらしく、湿った地面にへたり込んだ。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

「姫、大丈夫ですか?」

 ロザリアは無言で頷き、長杖スタッフの石突きを地面に突いて立ち上がろうとする。

 しかし、またすぐによろけて膝を突いてしまった。

「姫様……少しここで休みましょう」

 その言葉が終わる前にロザリアは髪を振り乱し、かぶりを振って涙混じりの声を出す。

「嫌だ! 安全なところまで逃げる!」

「姫様……しかし」

「しかしも何もあるか! 余のせいでみんないなくなった……余のせいでみんな死んだ! こんなところでへばっていられるか!」

「姫様、落ち着いてください……もう、その様子では無理です。休みましょう」

「余が足手まといだというのか!」

「そういう事ではないでしょう。落ち着いてください」

 ミーシャはロザリアの肩を抑え、無理矢理座らせた。

「なあ、ミーシャよ……」

 ロザリアが瞳を潤ませてミーシャを見上げる。

「何でしょう」

「もしもの時は……余を見捨てて、そちだけでも逃げてくれと命令したら……それに従ってくれるか? ならば、休んでも構わない」

「無理です」

 ミーシャはあっさりと笑顔で即答する。そして、きっぱりと言い切る。

「姫が死ねば、あたしも死にますから無理です」

 ロザリアは思い出す。

 そもそも、ミーシャの言葉だった。

 父の命令通り、教会に身を捧げる決心を覆し、皆と共に逃げると決めたのは……。

 そのときも同じ言葉を彼女は口した。

 姫の引き渡しに反対していた他の者達は、教会や王への憤りを口していた。

 しかし、ミーシャは違った。

 姫が死んだら自分も死ぬ……。

 だから、どうか、行かないで欲しいと懇願した。

 そんな彼女のために、世界のすべてを敵に回して逃げ出す事にしたのだ。

 ロザリアは口の中で言葉をさ迷わせ、しばらく悩んだあと――

「はぁ」

 ……と、溜め息を吐いて肩を落とした。

「……すまなかった。取り乱した。余のために命を賭してくれた者達のためにも、ここで死ぬ訳にはいかない……そうだな?」

「はい、姫様。だから、そのために少しだけ休みましょう」

「そうだな……」

 ロザリアがそう答えると、ミーシャは担いでいたゴルンボと背負い袋を地面におろして腰をおろす。

 そして、遠い目をしながら、か細い声でぽつりと呟いた。

「それに……姫様は悪くありません」

「ミーシャ?」

「あたしなら、全員救えたはず・・だった。誰も死なせないつもり・・・だった……でも、やっぱり無理でした」

「何を言っておる。そちは良くやってくれた……」

 ロザリアは首を傾げる。

「違います。姫様……皆が死んでいったのは、すべて、あたしの力が及ばぬがゆえ。ですので……姫様は気に病まないでください」

 ミーシャは屈託のない笑顔を浮かべた。

 ロザリアが何かを言おうとした。すると、その言葉を遮る様にミーシャは革の水袋を差し出してきた。

「……さあ姫。水分をしっかり取らないと、脱水症状になってしまいます」

「す、すまぬ」

 ロザリアは受け取った水袋に口をつけて、ごきゅ、ごきゅ、と喉を鳴らして水を飲んだ。

「それにしても……あの恐ろしい鴉の魔物は……いったいなんだ?」

 ミーシャに水袋を返す。すると彼女も水を口に含んだ。

「あたしも知りませんでした。あんな奴がいるだなんて……」

「元冒険者のお主でも、あの様な魔物に心当たりはないのか?」

 その質問にミーシャは苦笑する。

「ええ。チェーンソーを振り回す魔物など寡聞かぶんにして存じません」

「ちぇいんそう?」

 ロザリアは聞きなれない言葉に首を傾げる。

「あ、あー……そういう名前の漂流物デブリなんです。あの回転する刃は」

 ミーシャが苦笑する。

「ちぇいんそう……そうか。あれは、漂流物なのか……」

「ええ」

「本当にミーシャは何でも知っている。物知りだな」

 ロザリア姫の表情に笑顔が戻ったのを見て、ミーシャはほっと胸を撫で下ろした。

 そのあと、姫の長杖に灯した魔法の明かりが消えかかっていたので、姫の魔力を温存するために、オイルランプに火をつける。

 もっとも、姫は明かりの呪文と、オーガを転ばせた蔦の呪文しか使えないのだが。

 それでも魔力は、いざという時のために温存すべきだろう。魔法の明かりの呪文は、突然、光源を失った時に重宝する。

「……さあ、姫。そろそろ、参りましょう」

「うむ」

 二人は立ち上がる。

「まずは地上を目指しましょう。そして、何としても笛吹き男パイドパイパーと合流するのです」

「教会の者に捕まっているという事はないのか? 奴らがこの場にいるという事は、我々の目的が既に知れわたっている可能性は大きい」

「ええ……もしかすると、もっと状況は悪いかもしれません」

「もっと……状況は悪い……?」

 ロザリアは眉をひそめてミーシャの顔を見上げる。

「あ、いえ。ですが、何にしろ、笛吹き男は、まだすぐ近くにいるはず・・・・・・・・・です」

「なぜ、そう思うのだ?」

 その姫の質問にミーシャは言葉を詰まらせる。

 ロザリアは、しばらく答えを待ったあと、返事はないのだと悟り「ふう」と溜め息を吐く。

「またいつもの“冒険者の勘”という奴か?」

「はい。すいません……」

 ミーシャは申し訳なさそうな顔で笑う。

「まあいい。そちの勘は良く当たる。今回も、それをあてにしよう」

「ありがとうございます」

 ミーシャは顔を綻ばせる。

「それでは参りましょう。姫様」

「うむ」

 と、ロザリアは頷き、ふと地面に置かれたままのゴルンボに目線を移す。

「ゴルンボは置いて行くのか……」

「ええ。矢が突き刺さりました。弦も切れております」

「そうか……残念だ。このゴルンボは、余を沢山、楽しませてくれた」

 悲しげな顔をするロザリアにミーシャは明るく言う。

「きっと、異世界にもゴルンボに似たような楽器がありますよ!」

「そうか……それなら、またそちの演奏が聞きたい」

「ええ。任せてください」

「それより、どうする? どちらへ行く? そちの勘に任せる」

 ミーシャは八つの通路を見渡し、しばらく悩んだあと、そのうちのひとつを指差す。

「……では、あちらに」

「うむ」

 二人は薄暗い通路の先へと歩き始めたのだった。




 第四班は岸壁の入り口から洞窟内に入り、まずは第一班四名の惨殺死体に眉をひそめた。 

 それから奥の岩室にあった竪穴にぶらさがっていた鎖の梯子を降りて三叉路の中央に降り立つ。

 そして、三叉路の中央に騎士三名と癒し手ヒーラーと魔術師を一名ずつ残し、残りで南西の通路の先を探索する事にした。

 例の鴉の仮面が目撃されたのは岸壁より南の森の中だったので、まずは南方へ延びた通路を探索する事にした。

 因みに銀鬣ぎんりょう騎士団 は、ひと班につき騎士が十六名、癒し手と魔術師が二名ずつの二十人編成となっている。

 いささか術師の割合が少なくなっているが、これは先のベリントの戦いでミーシャ・ベックにより術師を集中的に狙われたためだ。

 彼女は無詠唱で金属鎧をも軽々穿つ、恐ろしい魔法で離れたところから次々と術師を屠ったと言われている。

 その戦い振りは、まさに竜殺しの二つ名にふさわしいものだったのだという。

 ともあれ、騎士十三名と癒し手、魔術師一名ずつが南西の通路の先へと消えてからしばらく経った頃だった。

 それは三叉路の上部。岩室の天井に張り付いて息をひそめていた殺人鬼が静かに地面へと降り立った。

 そして、腰の革鞘に差していたハンティングナイフを右手で握り締めると、鎖の梯子がぶらさがっている竪穴から三叉路の中央に飛び降りた。

 三叉路に残っていた第四班の五人は、唐突に現れた巨体に驚いて目を見開く。

 一方の殺人鬼は悲鳴をあげる間も与えず、鎖の梯子の近くにいた癒し手と魔術師の喉を斬り裂いた。

 酸欠の魚の様に口をぱくぱくと動かし、血潮を噴き出しながら、あっさりと地面に沈み込む二人。

 次に三叉路のそれぞれの方向を見張っていた騎士が三方から襲いかかって来た。

「おらっ!」

 まずは北側の騎士が長剣を振り下ろしてきたので、その手首を掴んで強引に引っ張る。そして、背後から来た騎士の胸に、そのまま切っ先を突き刺した。

 次に東側の騎士が少し離れた場所からクロスボウを撃って来たので、手首を掴んでいた騎士を羽交い締めにして盾にする。

「糞がッ!!」

 東の騎士がクロスボウを投げ捨て、長剣を抜いた。

 矢を胸で受け止めた騎士を突き倒し、殺人鬼はハンティングナイフを投擲する。

 そのチタンの切っ先は頭蓋を貫通して脳に深刻なダメージを与えた。

 額からナイフの柄をはやした騎士は白眼をむいて、仰向けに倒れ込み痙攣けいれんし始めた。

 殺人鬼は、のた打つ彼の喉元を踏み折りながら、額に深々と刺さったハンティングナイフを抜いた。

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