第五話 敵と殲滅(前編)
◇◇◇◇
「ううう……」
薄暗い廊下の真ん中に、半泣きのナギがいた。
「迷った」
ナギが頭を抱えた。
船長の言葉を真に受けて、散策に出た矢先であった。
ナギはガルーダ号を狭いと侮っていた。
だがしかし、それは巨体に比しての話である。
一人で歩いて回るには、十分すぎることに変わりない。
果たして、ナギが迷い込んだそこは、絶賛節電中であった。
仄暗く長い廊下は、何とも言えない不気味さを醸し出している。
怪談にはうってつけのシチュエーションである。
「あ、これ結構怖いかも……」
ナギの背中に冷たいものが流れた。
これは何も、オカルティックな恐怖のせいだけではない。
せっかく救助された船の中で、ナギは迷い果てている。
二度目の遭難とも言えるが、そのこと自体がナギのトラウマを強く刺激していた。
とは言っても、ナギは別段、人並み外れた方向音痴ではない。
廊下の構造が複雑すぎるのである。
ただひたすらに入り組んでいるくせに、案内板の一つも無い始末である。
普通の人間であれば、むしろ迷って当然の不親切さであった。
何とも格好がつかない話ではあったが、危機は危機である。
「ふふん。翌日の新聞の見出しはこうだな。〝傾国の姫、船上にて死す! 死因は迷子か?〟といったところだな……。いや笑えない、全く笑えないぞ! そもそもこのままだと、新聞にすら載らないではないか!」
廊下の真ん中で、ナギが独りごちた。
当然、誰にも聞こえないはずの独り芝居であったが――。
「お迎えにあがりました」
「ひゃあああ!」
突然後ろから聞こえた声に、ナギが悲鳴を上げた。
反射的に走り出すナギであったが、足がもつれて転んでしまう。
「いたた……。あれ? そなた確か船橋にいた……」
ナギの視界は、女航海士の姿を捉えていた。
「大丈夫ですか」
女が手を差し伸べた。
「ああ、大丈夫だ。心配ない」
ナギが答える。
「お部屋までご案内しましょう」
女が言って、歩き始めた。
◇◇◇◇
「聞いていいか?」
先導する女の後ろから、ナギが声をかける。
「はい。何なりと」
女が答えた。
「そなた、名を何と言う?」
ナギが聞く。
それと同時に、ナギは船長の名前を聞き忘れたことを思い出した。
少年船長に主導権を握られた気がして、気分を少し害してたナギである。
「これは申し遅れました」
女が立ち止まって、ナギに向き直った。
「私、ガルーダ号の副長その他諸々の係を務めております。カーリーとお呼びくださいませ、ナギ殿下」
女ことカーリーが恭しく頭を下げた。
「そうか。よろしくな」
「はい」
ナギの申し出を素っ気なく受けると、カーリーはさっさと歩き始めた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。そなた、足が速いぞ」
歩幅が違うせいで、ナギは追い付くのに必死である。
「はて?」
カーリーの背中を見て、ナギは疑問を感じた。
不自然なくらい規則正しいカーリーの所作は、訓練された兵士でも及ばない。
それどころか気配がひどく薄くて、人間味が感じられなかった。
先ほど迂闊に背後を許したのは、ナギが鈍感なせいではない。
「もう一ついいか?」
再びナギが聞いた。
「どうぞ」
カーリーが促す。
「そなた、ひょっとしてサイボーグ……いや、アンドロイドか?」
「広義の意味では、アンドロイドで適切です。本来、女性型はガイノイドと言うそうですが、今となっては死語でしょうから……」
ナギの疑惑を、カーリーはあっさりと認めた。
サイボーグやアンドロイドは、戦時中は珍しくはなかった。
主に兵器として使われたそれらであるが、今となっては完動品には中々お目にかかれない。
精々が部品取りのジャンクくらいである。
メンテナンスに手間のかかるサイボーグにあっては、もう現存しているかすら怪しい。
「やっぱりそうか! おお! 何と貴重な体験よ」
「少々お待ちを」
ナギが感動に打ち震えていると、突然カーリーが足を止めた。
「どうした?」
ナギが聞く。
「予定が変わりました。船橋まで御戻り下さい」
第二節
相変わらず、船橋に居座っている船長である。
ただし、その目つきは少し厳しい。
「お待たせしました」
「邪魔するぞ」
カーリーに連れられて、ナギが船橋に入ってくる。
「おおっ! なんか格好いいな!」
ナギが感嘆する。
さっきとは打って変わって、船橋の電子機器が激しく音を立てていた。
「ナギ殿下」
船長が口を開いた。
「な、何だ?」
重苦しい船長の雰囲気に、ナギは気圧された。
「あれは、君の客か?」
前方を指さしながら、船長が聞く。
「ううん?」
ナギが目を凝らして、窓の向こうを見据える。
「すまない。私には何も見えない」
ナギの言う通り、窓の外には青い水平線だけが広がっていた。
「カーリー、大型モニターを」
察した船長が指示を飛ばす。
「どうぞ」
カーリーが言うと、天井から大型のモニターが降りてきた。
沢山の船艇が映し出された。
いずれも敵意をむき出しにして、ガルーダ号目がけて真っ直ぐに突っ込んでくる。
「どう?」
もう一度、船長が聞く。
旗艦らしい大型の改造客船と、取り巻きのボートが多数映っていた。
「いいや。心当たりはない」
首を振りながら、ナギが否定した。
「そうすると、あれは海賊の類か」
船長がぼそりと呟く。
「いやでも……」
ナギが言い淀む。
「言ってみて」
船長が促した。
「あれらが反乱軍に雇われて、私を捕えにきたことまでは否定できない」
ナギが答えるも、その瞳には不安が宿っている。
「心配しないで。こっちも約束はちゃんと守るよ。君を引き渡すような真似はしない」
ナギの胸中を察して、船長が断言した。
ナギの肩から力が抜けた。
「カーリー! 第二種戦闘配置! 危ないから、ナギはここに居ろ」
「了解!」
船長が指示してカーリーが答える。
誰も触っていないにも関わらず、船橋の計器が慌ただしく明滅を始めた。