第六話 機嫌と移ろい(後編)
◇◇◇◇
「それでは、本日のディナーです」
カーリーがてきぱきと、テーブルに料理を並べていく。
「ほう」
芳醇な香りが、ナギの鼻を突く。
ナギにとっては、久々のまともな食事である。
今までは、簡単な食事で済まされてきたナギである。
それだけを聞くと、客船が聞いてあきれる話であるが、病み上がりを配慮してのことでもあった。
「見たこともない料理だな。これは何だ?」
ナギが皿を指さして、カーリーに聞いた。
「フカヒレのスープにございます」
カーリーが答える。
「何だそれは?」
ナギにとっては、聞き慣れない単語である。
「端的に申せば、サメのヒレを使ったスープです」
カーリーが詳しく説明する。
「サメだと? あんな物が食えるのか?」
ナギが驚くのも無理はない。
比較的マイナーとはいえ、食用としてのサメが認知されていたのは、遠い昔の話である。
…――…――…――…
そもそも、サメの肉には、尿素が多分に含まれている。
死後はバクテリアによって、その尿素がアンモニアに分解されて臭うのである。
その代わり腐敗がしにくいので、内陸部では貴重な海の幸であった。
だがしかし、色々海に沈んだ今は事情が違う。
わざわざ臭い肉を好む者は少なく、人食いのイメージが手伝って倦厭された。
…――…――…――…
「よ、よし! 何事も挑戦だ」
意を決して、ナギがスープに匙を入れた。口元まで運んでも、恐れていた臭みはない。
「むうっ!」
口に入れて、ナギは感嘆した。
鶏ガラに魚介、その他諸々の出汁が効いた複雑な味ではあったが、これが実に美味かったのである。
半分溶けかけたサメのヒレは、まだコリコリとした食感が残っていて、味がよく絡んでいた。
「なかなかに美味ではないか!」
感想を言いながら、スープを平らげていくナギ。
「さあさあ、他の料理もご賞味あれ」
カーリーが料理を勧める。
出てくる料理はサメ尽くしであった。
サメのムニエルにサメの龍田揚げ、極めつけはサメの刺身等々である。
ナギは勧められるまま、料理に手を付けていった。
矢鱈にサメばかりが出てくる理由は一つであるが、それはナギの知るところではない。
腹が満たされて、ナギの機嫌はすっかり治っていた。
「へえ……」
船長が興味深そうに、ナギの表情を見つめていた。
◇◇◇◇
「ゲップ……。あ、失礼。いやはや、大変に美味であった。でも、さっきも言ったがな、この程度のことで私の気は晴れないからな」
食べ終わったナギが、膨らんだ腹を擦ってのたもうた。
毒づいた割には、随分と表情のふやけたナギである。
「じゃあ、私はこの辺で失礼するぞ。そろそろ眠くなってきたわ」
言って、ナギが立ち上がった。
「おやすみなさいませ」
「おやすみ」
カーリーが言って、船長が続いた。
「ああ。そなたらもな」
ナギが答えて、食堂を出て行った――。
「彼女、楽しそうだったね」
「はい」
食堂では船長とカーリーが残っていた。
「今日も、召し上がりませんか?」
「うん? ああ……」
カーリーが聞いて、船長が曖昧に答える。
船長の前には、最初から食膳が置かれていない。料理に夢中で、ナギが気付かなかった点である。
「面白いね」
船長がボソリと言う。
「それも、ナギ王女のことですか?」
カーリーが聞く。
「ああ。彼女は今までの乗客とは全然違う。前に乗せた男なんて、怯えきって部屋から出なかったくらいだ。彼女は僕たちと話してくれる。ようやく、僕たちにも、人並みの常識が身についてきたのだろうか……。まあ、今回面白いと思ったのは、それだけじゃないけどね」
船長が答えながら、懐からピルケースを取りだす。
ケースの中からは、大量のカプセルが出てきた。
「本来食事なんて、単なる栄養の摂取だろう? それに愉悦を見出すとは、これは随分と不思議だ」
言い終わるや否や、船長はカプセルを口に入れた。
「どうぞ」
カーリーが水の入ったコップを渡す。
コップを受け取って、船長がカプセルを流し込んだ。
「ありがとう」
礼を言って船長がカプセルを飲み干した。
「本当に、何でだろうね?」
誰に問う訳でもなく、船長が続けた。
「三大欲求を満たす時、人は快楽を感じるのです。具体的には、食欲、睡眠欲、性欲の三つですね」
カーリーがそれとなく答えた。
「ああ、それは知ってる。所謂本能ってやつだね。でも、人間はサルではないだろう? それなりに進化したのなら、いい加減克服してもいいんじゃないかと思うんだけど」
「僭越ながら申し上げます」
船長の意見に、カーリーが口を挟んだ。
「言ってみて」
船長が促した。
「食事とは、人間関係を円滑にする文化的な営みでもあるのです」
「何で?」
カーリーが説明するが、船長は今ひとつ理解できない。
「つまりですね」
カーリーが続けた。
「サプリメントや薬などない時代、食事は最も基本的な生命を維持する手段であった訳です」
「うん、それは分かってる」
カーリーの説明に、船長が着いていく。
「狩猟採集に頼らざるを得なかった時代を考えてください。
その時代、人々はコミュニティの連帯を何より重要視しました。
同じ食事を共有することで、それを成そうとしたのです。
『同じ釜の飯を食う』という言葉があります。その時代の記憶が……いいえ、もっと昔の祖先からの記憶が、今も連綿と受け継がれてきたのでしょう。
人間以外の動物も、食事を楽しんでいる節がありますからね。
生き物として普遍的なことなのです」
「……」
船長が黙りこくった。
食堂に少し長めの静寂が流れる。掛け時計の秒針だけが、コチコチと時を刻んでいた。
「僕も」
しばらくして、船長が沈黙を破った。
「……僕も、少し貰おうかな」
「少しお待ちを」
船長に答えて、カーリーが食堂を出て行こうとした。
「料理を温め直してきます」
カーリーが去り際に言う。
「なるほど、これが人間か……。一つ勉強になったよ」
一人だけになった食堂で、船長がポツリと呟いた。




