第六話 機嫌と移ろい(前編)
今回はサービスシーンです。
◇◇◇◇
湯けむりに浮かぶのは、少女の華奢な肢体である。
――ナギであった。
現在湯浴みの真っ最中である。
ナギがいる浴場は、数少ないガルーダ号の娯楽施設であった。
頭からシャワーを浴び、うなじから伝う水滴が、ナギの起伏の少ない身体を満遍なく流していく。
上質なシャンプーの泡が、長い髪に潤いを戻していった。
「おお、ジャストタイミングだったな」
ナギが使ったと同時に、シャンプーの底が尽きた。
一通り身体を洗い終えると、ナギはシャワーを止める。
「はあ」
鏡に映った自分を見て、ナギが溜息をつく。
ナギにとって、華奢な身体はコンプレックスであった。
もちろんそれは、本人が思っているほど深刻ではない。
少々遅れてはいるものの、胸は膨らみを見せて、一端の女へと成長を始めている。
それでも、所詮は少女である。腕力やスタミナは、同世代の少年にすら到底及ばない。
ナギは軍人である。
しかも将校であった。
王族のお飾りにすぎない地位ではあるが、強くありたいと思うのは人情である。
当然これは、大人になったところで払拭される悩みではない。
ナギ自身も、そんなことは重々承知である。
そもそもの発端は、ガルーダ号の華々しい活躍である。
ナギに仲間の末路を思い出させ、憂鬱な気分に浸らせるには、十分なインパクトであった。
「もし私に力があれば……いや、こんなお飾りの王族ではない、男の軍人だったら、仲間を救えたのだろうか?」
あり得ない仮定を想像して、ナギの頭はグルグルと回転する。
その時である。
「さぶっ!」
ナギの身体に悪寒が走った。
別段何のことはなく、長い間ボーッとしていたせいで、身体が冷えただけである。
「いかんいかん」
ブンブンと頭を振って、ナギが邪念を振り払う。
湯冷めをして風邪を引いては、惨めさに拍車がかかってしまう。
「せっかく馳走になったのだ。これを逃す手はないな」
目の前に広がる浴槽を眺めて、ナギが独り言ちた。
一応客船を気取るだけあって、なかなかに絢爛な設備である。
そしてこの浴槽、人が泳げるくらいには広い。
「では早速」
ナギが湯に足を入れた。
「あちちち……」
意外な高温にナギは少し躊躇した。
「そーっと、そーっとだな」
ゆっくりと爪先を入れ、徐々に腰まで浸かっていくナギである。
「おおっ! これはいいな」
しばらくすると、ナギの身体に熱気が馴染んできた。
疲れが取れて、ナギはすっかり上機嫌になっていた。
「ぷはぁ……」
天井を見ながら、ナギが一息ついた。
今となっては、入浴の機会になど滅多にお目にかかれない。王女のナギにしても、それは変わらなかった。
そもそもこの時代、人の生活は海が中心である。
湯船に浸かるという発想が、既に廃れていた。
ついでに言えば、ここの湯は真水である。
軍艦では海水で身体を洗うことも多く、これもまた珍しい。
「それにしても、こう広いとやってみたいことがあるな」
ナギに悪戯心が芽生えた瞬間である。
「ちょっとだけ」
不作法とは分かっていても、得てして好奇心には抗えない。
調子に乗って、泳ぎ始めたナギであった。
平泳ぎで端まで泳ぎ、また元の位置へ帰って来る。
そんなことを繰り返すうち、ナギは自分がのぼせたことに気がついた。
「いかんいかん。そろそろ出なければ」
ナギが言って、立ち止まった。
湯冷めの危機は去ったものの、湯あたりもまた恰好がつかない。
「よいしょっと」
ナギが浴槽から這い上がった。
丁度立ち上がった時、ナギの真ん前にある扉がガラリと開いた。
「やあ、ごめんごめん」
入ってきたのは船長である。
「シャンプーが切れる頃合いだと思ってね。はいどうぞ」
浴場へ入った船長は、ナギにシャンプーを渡した。
急な事態にナギは着いて行けない。
あられもない姿のまま、ナギは「あ、どうも」と、シャンプーを受け取ってしまった。
「……はっ!」
一拍呼吸を置いて、ナギは正気になった。
甲高い悲鳴が、浴場に木霊する。
「何だ? どうした?」
飛んでくる洗面器や椅子を、片っぱしから受け止めていく船長であった。
◇◇◇◇
その日の夜、ナギは食堂にいた。
晩餐会のお呼ばれである。もっとも、出席者は船長とナギ、それに給仕の真似ごとをするカーリーの三人である。
「言っておくが……」
ブスっとしながら、ナギが口を開いた。
「こんなことで、私の気は晴れないからな」
浴室での一件が尾を引いている。
船長がカーリーに目配せをした。
カーリーが頷き、船長の口元に耳を近づけた。
「どういうことだ?」
船長が囁くように聞く。
「お聞きした限りで判断しますと、湯浴みの場に、ずかずかと踏み込んだことをお怒りなのです。婦女子の裸を、みだりに見るものではありません。謝罪をお勧めします」
カーリーが説いた。
「そうか」
船長が納得する。
「すまなかった、ナギ」
船長がナギに向かって頭を下げる。
「む……」
ナギの顔が少し綻んだ。
「しかし、誤解しないでほしい」
船長が続けた。
「断じて僕はロリコンなどではない。君の貧相な身体に、何の魅力も感じていない。決して、邪な気持ちがあったわけではないのだ」
「は?」
デリカシー皆無な船長に、ナギが唖然とした。
「なななっ……!」
咄嗟に返そうとしたナギだが、頭に血が上って口が動かない。
「そう言う訳で、分かってくれたまえ」
「貴様ぁぁぁっ!」
船長が言い終わった時、ナギの硬直がようやく解けた。
「いいい、言うに事欠いて、私がロリだと! こんな成りだがな、一応もう結婚適齢なのだぞ!」
顔を真っ赤にして、今にも飛びかからんばかりのナギである。
「え?」
船長がたじろいだ。
「そこまでです!」
食堂中に響く声で、カーリーが制止する。
「ナギ殿下」
カーリーがナギに向き直る。
「船長の非礼を代わってお詫びします。彼は少し頭が弱いのです。ここはどうか、上に立つ方の寛大な心で、お許しいただけないでしょうか?」
殊勝ではあるが、言葉には有無を言わせない物があった。
さり気なく貶されている船長であったが、まるで他人事のように、成り行きを見守っている。
罵詈雑言に動じないその態度は、何とも言えないおかしみがあった。
「……まったく」
取り合うのも馬鹿らしくなって、ナギの方から矛を収めた。
「一体、どっちがアンドロイドなんだか」
血の通わないカーリーの方が、人間関係に敏感である。もっとも、ナギがそう見えるのは、無慈悲なサルベージを見ていないせいでもあった。
ちぐはぐな二人の在り方に、ナギは少し混乱を覚えていた。




