第3話 険しい道程
北都の中央にある石畳で出来た大きな広場は、食料品の市場だ。そこら中に、赤、青、黄色といった様々な色をした天幕が、雨を凌ぐために張られている。そして、火の灯った蝋燭が、その天幕を点々と照らしていた。
賑やかである。夕飯時ともあって、そこは食材を買い求める人々の雑踏で、ごった返していた。天幕の内には、どっさりと山積みされた様々な野菜や果物。鳥や豚、牛といった肉類や、瓶に詰まった魚の塩漬けを置いているところもある。それを売りさばこうと、売り子が通り過ぎていく人たちに愛想よく声を掛けていく。
ただ、北都周辺で採れるものを、置いている店は少ない。主に、『東都』から持ち込まれたものが多かった。東都は、トゥアール王国の東に位置する都で、そこは肥沃な大地が広がっており、主に農業が盛んな地域だ。収穫量は国内最大。そして多種多様である。そのため、『食の都』と呼ばれるほど。
そして、その食料品を交易品として、質の良い炭である北炭や陶磁器などを求め、商人たちがやってくる。最近は、様々な色の着いた『色彩硝子』という硝子を扱った品も人気が高い。
これは、北都にとっても、有難い話である。ここも昔に比べ人が多くなった。自給自足が難しくなってきていたので、東都から来る食料は欠かせないのだ。
この広場は、そんな食品を売る以外に、料理にしてそれらを出している露店もある。そこは、天幕の下に四、五人は一緒に座れそうな食卓と、床几の小さな椅子が並べられていた。食卓は、長方形で太くて丈夫そうな十得竹を枠で組み立て、細めの十得竹を天板にして敷き詰めてる。
椅子も、同じようなものだ。四本脚と枠を太めので、台座が細めのものを使って作られている。それが何組か固まって置かれていた。そして、そこに座って、楽しげに食事をとっている者達もいる。寒くなってきているので、暖かい料理が人気だ。
お酒を飲む所も近くにあった。この広場を取り囲むように、二階建ての古ぼけた煉瓦造りが、軒を連ねている。そこの一階は酒場になっているところが多く、もう既に明るい灯で照らされた陽気に動く影が、中から見える。語り歌でも歌いながら踊っているのだろう。
ここは、色んな食が溢れていた。しかし、この風景もそろそろ終わりを迎える。雪が降れば、積もるのが北都である。広場にも、こんもりと積もるため、市は畳まれてしまう。すると、今度は子供たちの遊び場に早変わり。雪合戦や雪洞を作ったりして、色々と遊ぶ。雪が解けて再び市が立つ春まで、この広場は彼らのものだ。
「うう……」
そんな広場を忌々しげに見つめる少女が一人。ゼニシエンタである。北天神社がある坂を下りてくると、この場所に出てくるのだ。
「ここは、地獄よ! 悪魔の住まう場所よ!」
活気があり、賑わいを見せる市場。しかし、食いしん坊さんの彼女にとっては、非常に目の毒、鼻の毒となる場所なのである。だが、ここを通るのが家までの一番の近道。気が沈み、できるだけ早く家に帰りたかったため、ここを通る選択をしていた。
「うう、辛い! でも――!」
ここにいても、家は近づいて来ない。覚悟を決めて、両手で口と鼻を隠しながら俯き、この市場の中を突き進んでいく。しかし、彼女にとって、美味しそうな食材を見たい嗅ぎたいという、この如何ともし難い誘惑を抑え込みながら突破するのは、至難の技であった。
「はあああん! あれは、『白根』じゃない! しかも、太くて大きい! 今年は当たり年だったのね!」
歩き始めて間もなく。早速、ちらりと視界に入った食材の虜になるのであった。しかし、何とも幸せそうな顔である。恍惚の表情というべきか。眉や目尻が下がりに下がっていた。口の端から涎も出ているが。
白根は、その名の如く白い根野菜だ。野菜特有の甘味もあるが、辛味もある。長さや太さは、大人の腕くらい。しかし、育ちが良いと、太さだけがどんどん増していき、大きいものだと三本分にはなる。彼女によれば、それに該当しているらしい。
「煮ても良いわ。漬物にしても良い。葉っぱは、おひたしね。あと、おろした白根を、焼き魚にかけて食べると美味しいよねえ……。はあああああん……」
もちろん、彼女はそのまま生でもいける。何本でもいける。そして、うっとりとしているその頭の中は、白根で作れる美味しそうな料理の姿が浮び、止めどなくその数を増やしていった。
「ごるるるる……!」
すると、彼女の食欲に答える正直なお腹。地の底から響いてくるような音が聞こえてきた。
「はっ!? 私は何を――!?」
彼女は何とか正気に戻り、涎に気付いてそれを手の甲で拭う。だが、そこに気付けるなら、近くにある目にも気付いてほしい。皆、「変な子がいるなあ」と道を避けて通っている。しかし、そんな余裕は今の彼女にはないようだ。そのまま一人芝居は続ていった。
「ちいっ! 負けるもんか! そう簡単に私を誘惑できる――、あああん、あそこにおわすのは、果物界の重鎮、『桃瓜』様!」
それは、東都名物の一つだった。両腕でも抱えきれないほどの大きな浅緑の瓜で、玉というよりやや楕円に伸びた縦長である。硬めの外皮は薄く、そのまま食べることもできる。
白い果肉は、桃のように甘く柔らかくも、しっかりとした食べ応えがあった。そして、その果肉の中には、米粒のような黒い種が、散らばっている。それが、口の中で潰れると、甘さに合わさり甘酸っぱい味も堪能できた。食べて二度美味しいと評判の果物で、庶民の果物として愛されていた。
とはいえ、その庶民には結構お高い果物だ。だが、それはそれ一個の値段だとしたらの話。他の果物に比べたら数も少ないし、大きさもあるので値が張る。しかし、大抵は切り分けて売っているので問題はない。でも、彼女は丸ごと一つ齧り付くのが、未だ果たせぬ夢なのである。そのためか、敏感に反応を見せ我を失った。
「ごるん! ごるううん!」
「はっ!?」
しかし彼女は、再び正気に戻ることに成功。どんどん大きな音を上げていく、そのお腹のおかげである。
「ああ!? 私は何やってるのよ!? これじゃあ家に帰れない――、はああああ! お肉! お肉の匂いがするううう!! 久方ぶりのおおお!!」
それは、露店で料理されていた牛の焼肉だった。香ばしいタレと一緒に、お肉が鉄板の上で焼かれ、鼻孔から入ったその匂いが、彼女の脳天とお腹を直撃した。
「ぐおおおおおおん!」
「はっ!?」
もう、お腹で鳴る音なんかじゃない。螺旋大孔から聞こえてくる、獣が叫ぶような呻き。いや、猛獣の雄叫びそのものである。しかし、その轟音に助けられ、彼女は三度理性を取り戻した。
「うう! 我慢よ、我慢するのよ! お金なんて無いんだか――、はあああん!」
そして、彼女は同じことを繰り返していく。周りの人たちに、「あの子は、何してるんだろう?」とか「今日は螺旋大孔の風音がよく聞こえるなあ」とか思われながら。結局、急いでいたはずの帰路は、遅々として進む事はなかった。
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広場を抜け少しした所に、ゼニシエンタの家はあった。そこは、様々な商品が道沿いに陳列されている商店街だ。その中で焼き物の小売を営むのが、彼女の実家。お皿や湯呑といった食器などを主に取り扱っている。
「た、ただいま……」
声に力がない。何とか我が家へと辿り着けはしたが、その時にはかなり憔悴していた。顔がげっそりとしている。
(やっぱり、多少遠回りしてでも、あそこは通るんじゃなかった。あれは、拷問だったよ……)
彼女は、そう後悔していた。
(でも、ほんっっと、美味しそうだったなあ……。うう……)
その悲しみの思いをお腹で鳴らし、若干ふらつきながら、家の中に入っていく。すると、舌足らずな女の子の声が奥から聞こえる。
「あー! ねーたん帰って来たー!」
ゼニシエンタを出迎える赤紫色の髪をした小さな姿が、奥にある部屋からひょっこりと顔を覗かせた。髪は首の辺りまで伸びており、前髪を三つ編みにして纏めている。
この子は彼女の歳が離れた妹だ。マジェンテフという。今年で四歳。元気いっぱいに駆け回るが、よくこけて生傷が絶えない女の子だ。最近は大人びた事をしたがる、おませさんになってきた。
「おかえいー! ねーたん!」
マジェンテフは、嬉しそうにゼニシエンタに向かって走り始める。可愛いものだ。自分の帰りをあんなに嬉しそうに。そんな愛らしい妹を受け止めるため、残り少ない体力を使い両手を広げた。
「マジェンテフ、ただいまー……」
すると、その妹は、自分の鳩尾あたりを目掛けて頭から突撃した。
「どーん!」
「ぐっぼおっ!?」
空きっ腹にこれは効く。もう少し強ければ、その勢いに耐え切れず、盛大に尻もちをつく羽目となっていただろう。
「おかえいー!」
悪気はないのだ。満面の笑顔になった妹を両手で抱え込み、よろめきながらも弱々しい笑顔を作って答える。
「た、ただいま……。マジェンテフ……」
「うん!」
勢いよく頷くマジェンテフ。無邪気なもんである。こんな顔されたんじゃあ、怒る事も出来ないよね。ゼニシエンタがそう思っていると、マジェンテフのいた部屋から、青い髪と黄色い髪した頭がぴょこぴょこと飛び出した。
「あ、お帰りー! おねーちゃん!」
「…………りー」
黄色い髪をした女の子に続いて、青い髪をした女の子もぼそりと呟いた。マジェンテフと良く似ているこの二人も、ゼニシエンタの妹だ。しかし、髪色と髪型は、まるっきり違っていた。そのため、それぞれ受ける印象も随分と変わってくる。
黄色い髪をしたのがイエオーシカ。髪を両耳の上ぐらいで纏め、二つの三つ編みが左右の肩まで伸びている。今年で四歳。三人の中で、一番おしゃべりさんだ。そのためなのか、滑舌も良く舌足らずな部分も少ない。そして、この歳でしっかり者、いや、ちゃっかり者であると、家族の皆から認められている。
青髪の方は、シシアン。肩の辺りまである髪を一つに纏め、おさげの三つ編みにしている。二人に比べると、ジト目だ。ただ、家族の前以外では大人しくて、人とはあまり話そうとしない。その傾向が強い。
しゃべる言葉は、家族の前でも今みたいに少なかった。だが偶に、普段では考えられないような行動力を発揮することがある。こちらも今年で四歳。本や絵本が大好きだ。
三人とも四歳。そう、彼女たちは三つ子なのだ。そして、この二人もゼニシエンタ目掛けて、走り始めた。
「ちょ、ちょっと!?」
やばい! このままじゃあ――! そう思ったが、時すでに遅し。二人は、彼女の前に辿り着くと、マジェンテフを避けるように両脇へ別れ、同時に頭から突っ込んだ。
「ずどーん!」「……ん!」
「ごっぼおお!?」
既にふらふらであったゼニシエンタに、止めの鈍痛が脇腹を抉りように打ち込まれる。そして、限界へと達していた体を支える力を使い切り、ゆっくりと後ろへと倒れていく。結局、彼女は盛大に尻もちをつく羽目となってしまった。
「痛ったああ……」
『あはははは!』
「こ、こらあー! あんたたち! 笑うんじゃないの!」
「きゃあ! にげおー!」「にげろー!」「……ろー」
倒れたゼニシエンタが手を振り上げると、きゃっきゃと笑いながら三人は奥の部屋へと逃げ出した。
「もう! あの子たちはああ! ――はあ。お腹空いた……」
彼女はパタリと振り上げた手を下した。最早、怒る気力すら湧かない。それでも、何とか立ち上がって、お尻に着いた埃を払う。すると、後ろから女性の笑い声が聞こえた。
「ふふふ!」
「あ……」
振り向けば、茶色の髪を一房の三つ編みにして胸元まで掛かった、体が細めの女性が立っている。彼女とよく似た目を細め、右手で口許を押さえていた。左手には、竹細工の買い物籠を持っている。
「お帰り、ゼニシエンタ!」
ゼニシエンタの母、カジェリカだ。
「ただいま、母さん……」
「お帰り」
「母さんも、どっか行ってたの?」
「うん、ちょっと買い物をね」
そう言うと、手に持った食材の入っている買い物籠を、ゼニシエンタに見せるようにして少し揺らす。
「そっか」
「――ん? どうしたの? 元気ないね?」
「…………」
カジェリカは、娘がいつもと違う様子に気付いた。普段なら籠を奪い、食材の吟味でも始めそうなもの。それもない。お腹を、ただ空かしているものかとも思ったが、何か違った。どうしたのかしらと首を傾げながら、我が子の様子を窺う。
「ゼニシエンタ?」
「はあ……。うん、実はね――」
溜息をついたゼニシエンタは、先程の経緯をゆっくりと話し始めた。