カビと共に去りぬ 〜再びのアレ〜
星屑による、星屑のような童話。お読みいただけるとうれしいです。
ひだまり童話館 第9回企画「ぷくぷくな話」参加作品です。
ヒナノは今、目の前の光景が、夢または幻であることを願った。
――これって、お弁当箱よね。どこを、どう見ても。
小学六年生女子の、勉強部屋。
少しくたびれた学習机と壁の間にある、10センチほどの幅の暗闇――そんな恐ろしげな空間に、誰にも気づかれないよう息を潜めて隠れていた弁当箱を、つい今しがた、彼女は見つけてしまったのだ。
――たしか、夏休みのキャンプに持っていったものだよね。
街は紅葉の真っ盛り。季節すら、変わっていた。
すでにあれから、3ヶ月が経っている。
――もしかして、あの日からタイムトリップして来たの?
そんな風にヒナノに思わせてしまうほど、それは堂々とした威厳に満ちていた。
赤にピンクに白に青――柔らかく、派手な彩色の布に包まれたその姿は、まるで女王様のように美しく、気品がある。目の奥をズズンと突かれるような迫力と、12才の少女には持て余すほどの驚きで、ヒナノはたじろいだ。
そんなこんなで、しばらく動くことのできなかった、ヒナノ。
けれど、やがて気を取り直し、弁当箱の包みをむんずとつかんで、台所へと向かう。
「いちいち、考えてる暇なんてないわ! だって、今日はお母さんの誕生日。この前のお父さんの誕生日のときみたいに、失敗はできないからッ!」
ヒナノは、包みの布の縛り目をほどき、中から蓋の付いた黄色いプラスチックの容器を取り出すと、台所のシンクにそれを、ことり、と置いた。
気のせいだろうか。
蓋の隙間から、アラジンの魔法のランプよろしく、煙のようなものがもわもわと漏れ出しているかのような、そんな気がしないでもない。
「……」
何も見なかったことにして、ヒナノがかぶりを一度、横に激しく振る。
両手を腕まくりし、まるで超魔術をかけるマジシャンのような手つきで、弁当箱の蓋に手を掛けた。
「うおりゃ!」
ぱふっ!
それはまるで、玉手箱だった。
巻き上がるカラフルな煙の中、ヒナノの目に飛び込んできたのは、弁当箱の中に潜む赤やピンクや白や青のかたまり……そして、それらの中心に聳え立つ、こんもりと黒い山だった。
まさに、色とりどりの「カビ」たちの楽園。
「……」
煙をまともに吸い込んだヒナノは、白目をむき、そのままばったりと後ろ向きに倒れてしまった。
◇◆◇
「起きて! 起きてよ!」
体を、揺さぶられる、ヒナノ。
良かった、生きてた――彼女は、神に感謝した。
けれど、目を開けたヒナノは、絶句した。
白くてでっかい、綿ぼこりかマシュマロのような物体が、そこから伸びる二本の太い糸のような腕で、彼女の体を支えていたからだ。
――もしかして、お父さん?
その白いかたまりは、彼女の気持ちを読んだかのように、ぷんぷんと怒り出した。
「オイラがキミのお父さんなわけ、ないだろ! オイラ、カビの妖精『かっぴぃ』だよ。前に会ったよね。忘れたの?」
「え? ああ、かっぴぃね……憶えてるわよ。また来たの?」
「なんだよ、久しぶりに会えたってのに感動が少ないね……。まあ、いいや。じゃあ、気を取り直して――本日は、またまたオイラを呼んでいただき、ありがとうございまーす!」
「へっ? 私がアナタを呼んだって……どういうこと?」
「ええっ? まさか、オイラの呼び出し方を忘れたなんてこと言わないよね?」
「そ、それは……」
細い両腕を組み、どこにあるのかわからない眉毛を吊り上げるかっぴぃを前に、ヒナノが、きゅるりと首を傾げる。
――あ、そうだった、そうだった。
「赤、白、青の三色のカビの煙を同時に吸い込むと呼べる、のよね?」
「そうだよ。そんな特別なときにしか呼べない、貴重な妖精なんだよ。オイラは」
「でも、呼びたくて呼んだわけじゃ――あ、いえいえ、私がアナタを呼びました。わーい、かっぴぃがまた来てくれてうれしいなあ」
のっぴきならぬかっぴぃの雰囲気を察したヒナノが、かっぴぃを呼んだことを、仕方なく認める。それを聞いたかっぴぃが、あるのかないのかわからない表情を緩め、弾んだ声を出した。
「それじゃあ、始めようか!」
「始めるって、何を?」
「え?」
かっぴぃが、どこにあるのかわからない肩をすくめる。
「だってキミ、クッキーを焼きたいんでしょ?」
◇◆◇
「だから、今回はクッキーだし、アナタの出番はないんだって!」
ヒナノは、どうしても自分の体を材料として使って欲しいというかっぴぃを尻目に、クッキーづくりに体を忙しく動かした。
全身もこもこの、白いかたまりのような体に手足がぴょこんと生えただけのかっぴぃが、恐らくはしょんぼりと寂しげな目をして、立ちつくす。
「今度こそ絶対、役に立つからさ……」
「私、あなたのこと信じないもん!」
「そ、そんなあ……。オイラの体を使えば、ぷくぷくとふくらんで、ふわふわで口当たりのやさしいクッキーが出来上がるのに」
「本当?」
ふわふわでやさしい口当たり――
そんな言葉に、ちょっとだけ心がひかれたヒナノ。
――しょうがないな。1度だけ、やってみようかな。
彼女の心が、かっぴぃに傾きかけたときだった。
急に、ひゅるんとつむじ風が部屋に舞い、新たな物体がそこに現れたのだ。
「ちょっと、その白カビ待ったあ!」
見た目は、ほとんどかっぴぃと同じ。
ただ、その色だけが違っていて、黒かった。
「お、お前は黒カビの妖精、『くろっぴぃ』だな。何しに来た!」
「簡単なことだぜ。ヒナノちゃんを助けに来たのさ」
「ヒナノちゃん、騙されてはダメだ。こいつは暗黒界の妖精だよ!」
「何を言う。キサマこそ、いやがるヒナノちゃんにまとわりつく、ダメ妖精だろうが!」
むむむむ……。
口をあんぐりと開けたままのヒナノの前で、にらみ合う黒カビと白カビ。
と、くろっぴぃが自分のお腹辺りの綿のようなものをごそっとちぎり取り、ヒナノへとダッシュした。そこへかっぴぃが体を入れ、くろっぴぃとヒナノの接触を防ぐ。
「ヒナノちゃん、俺の黒い体を使うんだ。必ず、美味しいお菓子になるからさ」
「嘘をつくな、くろっぴぃ。そんな黒いので美味しくなるわけないじゃないか!」
「何を!? 白けりゃいいってもんじゃないんだぜっ」
「うぬぬぬぬっ。何をいう、黒カビより白カビの方が良いに決まってるだろっ!」
揉み合う、カビとカビ。
結局、最後にその勝負を決したのは、壮絶な体と体のぶつかり合いだった。
さすが、カビとカビのぶつかり合いだ。
まるで爆発でも起きたみたいに、白と黒の混ざった煙のようなものが部屋中に満ちあふれ、前が見えなくなった。
何となくだが、ヒナノは息をしたくない気がした。
「ぐはっ」
やがて、その煙がおさまったとき。
苦しげに息を漏らして倒れたのは――くろっぴぃだった。
「く、くやしいが、俺の負けだ。かっぴぃ、後はお前に任せた……ぜ」
くろっぴぃが、怪しい灰色の煙とともに何処かへと消えた。
見ると、かっぴぃも相当のダメージなのか、ハアハアと息を荒くして、座り込んでいる。
「ヒナノちゃん……オイラ頑張ったよ。でも、さっきの戦いでオイラの力もほとんど残されてはいないみたい。このオイラの体の一部を預けるから……後は自分一人の力で、美味しいクッキーを焼いてくれ」
「うん、まあ最初からそのつもりだったんだけど……。とにかくありがとうね、かっぴぃ」
多分、ニヤリと笑ったかっぴぃは、白いふわふわのかたまりをヒナノに託し、ゆらゆらと揺れる白い煙の中、消えていった。
「一体、何だったんだろう……。あ、もう時間がないわ! 直ぐに焼かなくちゃ」
ヒナノが、クッキー作りにとりかかる。
と、気になるのはかっぴぃからの贈り物。キッチンの脇に置いたままの白いかたまりを、ヒナノはちらり、見遣った。
――今度のは、かっぴぃの気持ちがぎゅっと詰まってる。きっと、大丈夫よ!
ヒナノの瞳が、キラリと光った。
ついに、決心した彼女。
白いもこもこをつかんでボウルに入れると、他の材料とともに、もうぜんと混ぜ始める。
それが終わると、型を抜き、オーブンに入れた。
――さあ、そろそろ出来上がりよ!
セットした、タイマーが鳴る。焼きあがる時間だ。
オーブンを……オープン!
が、しかし――。
ヒナノの目の前にあったものは、まるで白い綿ぼこりの集会場だった。小さなかっぴぃたちの、賑やかな集まりにも見える。
どこからどう見ても、クッキーとは思えなかった。
「いーやあぁぁ!」
ヒナノはそう叫ぶと、もう一度、後ろ向きに倒れてしまったのだった。
◇◆◇
「ちょっと、ヒナノ。起きて!」
彼女の目を覚まさせたのは、仕事から帰宅したお母さんの声だった。
あわてて周りを見渡すと、ヒナノの目には、激闘の末のキッチンの姿だけが映った。
出来上がったクッキーは、どこにも見当たらない。
――楽しい誕生会は、カビとともに去ったのね。
ヒナノの頬を、悔し涙が伝う。
が、そのときオーブンを開けたお母さんが、声をあげた。
「何? もしかして、私のためにクッキーを焼いてくれたの?」
「う、うん……まあ。そうなんだけどね」
伏し目になったヒナノが、肩を落とす。
それを見たお母さんが、優しく目を細める。
「ヒナノ、ありがとう。……ちょっとつまんでみてもいい?」
「え? でも美味しくないわよ、きっと……」
「そんなことないわよ。ほら、とっても美味しそうだもん!」
ヒナノは目線をあげ、オーブンの中を見た。
すると、意外や意外、そこにあったのは、白と黒の縞模様のクッキーだった。
――これ、私が作ったの?
出来上がったクッキーに覚えがないヒナノは、盛大に「はてなマーク」を頭の上に付け、首を傾げる。
「いっただきまーす!」
「あ、ちょっと……」
ひとつ、クッキーを指につまんだお母さんが、ぽい、と口へ運んだ。
「うわあ、すごく美味しいよ、これ!」
「ほ、本当?」
おそるおそる、クッキーに手を出すヒナノ。
表情が、パッと明るくなる。
それはまるで、ぷくぷくと膨らんだ赤い風船のように、楽しげだ。
「やったぁ、うまくいったわ!」
「ヒナノ、すごいね!」
たった、二人だけの誕生日会。
単身赴任のお父さんがいなかったのは残念だったけれど、ヒナノにとってそれは、タンポポの綿毛のようにふんわり優しい、そしてとびきり楽しい誕生会になったのだった。
〈おしまい〉
お読みいただき、ありがとうございました。
挿絵は美汐さんからの頂き物です。美汐さん、我儘を聴いていただいて誠にありがとうございました!(2016.12.08)