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猫の行き先・その2 サンドイッチと共に

 ここには何も存在してはいなかった。……いや、私が理解できなかっただけかもしれない。光や風や水、皮膚の感覚や匂い、「生きている」という実感さえも理解する事ができなかった。

 このまま何も感じ取る事もできないまま流されていくのか……とボンヤリと思っていたとき、それをいきなり感じ取る。一言で言うと、それは「重さ」だった。時間や光、肉体という重さ。

 何かが光を感じたので目を開けると、最初に見えたのはとても鮮やかな青空だった。次に嗅覚が土の匂いを感じ取ると、膨大な情報や感覚が身体へ苦痛を与えながら流れ込んでくる。

「これが、生きている感覚?!」

激痛を感じながら絶叫すると、自分の声がある事に驚いた。

「これか! これが人間の身体なのか!」

 私は、自分の身体を動かすようにイメージする。腕が、脚が、身体が思った通りに動く。勢い良く立ち上がると、私は自分の身体を見回してみた。可もなく不可もない標準的な体格、服装は黒ずくめで帽子ですら黒い。でも、青いリボンが一つのアクセントとして帽子に巻いてあった。

 ふと、足元に目線を移してみる。そこには頑丈そうなトランクバックが置いてあった。

「これが、私に与えられた荷物ってわけか……」

置いてあったトランクバックを片手で持ち上げると、心地良い重さが腕に伝わってくる。留め具を外して鞄の中を確かめてみると、衣服や雑貨の数々、タイトルや著者名が何も書かれていない赤いカバーの本が一冊入っていた。

「これが……本」

ためしに本をめくってみるが、今の私には何が書いてあるのか読むことができない。

「感覚だけでは本を読むことができないのか……」

大きなため息を一つ漏らしたとき、自分の右側に濃い緑が生い茂っている山脈が見えることに気付いた。そして、目の前には自分の背丈と同じ高さの防波堤がある。その防波堤越しから、塩の匂いが漂ってきた。

「これが……潮の香り」

文字は読めないのに言葉が思い浮かぶのは、何とも不思議な感じがする。

 防波堤に階段があるのが見えて、一歩ずつ階段を踏みしめるように昇っていく。防波堤の上に到着すると、鏡を連想させるような広大な水面が広がっている光景を見下ろせた。その水の鏡は空の色が映し出されているから、私の目には青色ともエメラルドグリーンにも見て取れた。

「これが……海かぁ」

海を眺めながらこれからの事を悩んでいると、かなり遠くの方だけど、誰か歩いて来るのが見える。

「人と話がしてみたいから、ちょっと行ってみようかな」

私は足元に置いたトランクバックを手にとると、ゆっくりとした足取りで歩き出した。


-*=*-*=*-*=*-*=*-*=*-*=*-*=*-*=*-


 意外と長い時間を歩き続けて、ようやく歩いて来る人がどんな風貌なのか知ることができた。その人は私と同じような背丈、服装、トランクバックを持っている。違うとすれば、帽子に巻かれているリボンは山吹色で、顔は獣のように顔中に黒い毛を生やしていた。彼は、私と向かいように足を止める。

「どうも、こんにちは。今日は良い天気だね」と彼は帽子を取って軽く会釈をしてきた。

「こんにちは。青い空が綺麗ですね」

少しだけ彼の真似をして、私も挨拶を返す。彼が私の言葉を待ってくれたので、次の質問をした。

「この先には何がありますか?」

「この先には建物が一件だけ建っていて、そこは【入出星管理所】とも呼ばれているんだ」彼は自分が歩いてきた方を振り返る。

「【入出星管理所】……ですか?」

「言うなれば、旅の出入り口さ。我々の旅はあそこから始まり、あそこで終わる」彼は言い終わると同時に、私の方へ向き直った。

「我々は、旅人だからな」と意味ありげな笑みを浮かべる。

「旅……をする人。あなたの旅はどんな旅でしたか?」

そんな質問を投げかけてみると、彼はニヤリと微笑んでから首を横に振った。

「それを知る……ということは、未来を知るに等しい。これから起こるかもしれない未来を知ってしまったら面白くないだろ?」と彼は言う。

 彼の言葉を必死になって理解しようとしていると、突然お腹がカッと熱くなるのを感じだ。その後、初めて耳にする未知の音が自分の体内から聞こえ始める。

「こ、これは一体何の音ですか?!!」

私の驚いている様を見て、彼は突然笑い始めた。

「それは君が生きているという証だよ。生き物という姿形をしている以上、何かを食べないと生きていけないんだよ」彼はトランクバックを開けると、一つの包みを取り出して私に手渡してくれる。

 恐る恐るその包みを開けてみると、柔らかい三角形のモノが三つも入っていた。

「それはサンドイッチという名前の食べ物なんだ。口に入れて噛み切ったら、良く噛んでから飲み込むんだぞ」と彼は言う。

 私は彼の教えに従って、三角形のモノを口に含んで噛み切ると、一生懸命口を動かして噛み始める。何か濃厚な味とシャリシャリした甘酸っぱい味などが、複雑な味を私の口の中で作り出していった。しかし、意識はそれを「オイシイ」と感じ取っている。

「オイシイ……美味しい……旨い!」

「いいぞ、その調子だ。人は見たり聞いたりするだけが覚える事のすべてでは無いんだ。時には食べ物を食べることで学べる事がある」彼は私の持っている包みから三角形のモノを一つ取り出して、それを食べ始めた。

「これは私でも作り出せますか?」

「もちろん。料理というのは素材と料理法が肝心だからね」彼はポケットから紙の束を取り出すと、青い液体が出る棒で小さくて細かい字を綺麗に書き込んでいく。

「これは、ブラウマンズという名前のサンドイッチでね。これから君が行くことになる【入出星管理所】で所長を務めている人の得意料理さ」

彼が紙の束から文字が書かれた一枚を抜き取ろうとしたとき、私達の周囲を取り巻いていた風が小さなつむじ風を作り出した。それは甲高い音を鳴らしながら、彼の書いた紙をビリビリに破いて持ち去ってしまう。

「あぁ~ぁ」

私は、思わず恨めしそうな声を上げてしまった。それを見て、彼は再び笑い出す。

「そんなに空を睨まなくても大丈夫だよ。所長の方が親切に教えてくれるから」彼は腕に巻いている“カチ、カチ、カチ……”と一定のリズムを刻んでいるモノを見ると、トランクバックを手にした。

「もう少しゆっくりと話をしたかったけど、そろそろ行かなくてはいけなんだ」と彼。

「あなたは、今度は何処へ向かおうとしているんですか?」

彼は立ち止まると、しばらく考え込んでから屈託の無い笑顔を浮かべた。

「しいて言えば、次の未来ってところだな。そうやって旅人は次の場所へ旅をするんだよ」と彼は言う。

「未来……ですか?」

「ちょっと気が変わったよ。一つだけ君に未来を教えておくと、これから旅をする世界は、きっと……水没しているよ」彼はそれだけ言うと行ってしまった。

「水没した……世界……」

また新しい言葉を聞いた私の脳裏には、色々な考えがよぎっていく。これから旅する場所に対して大きな期待を抱きながら、自分の想いの速さへ追い着くために最初より少し早い速度で歩き出した。

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