その1 目覚め
世界は、本当にあっけなく水没した。いや、色々な出来事が複雑に絡み合っていたのかもしれない。しかし、ちっぽけな存在にしか過ぎない我々では……「あっけないなあ」と思うのが精一杯だった。
でも、生きている限り復興は必ず果たされる。私が生まれてから二十数年経った今日は、ちょうど復興百周年。とはいえ、盛大なイベントなども無く、今日もいつも通りの一日が始まった。
窓から差し込むキツイ日差しを受けて、私はゆっくりと目を覚ます。
「もう朝か……」
けだるい頭を押さえてベッドから起き上がると、窓のカーテンを開けた。透き通った青色の空には、夏のように重たくて存在感がある雲と、冬のように幾分光が弱い太陽が浮かんでいる。これが水没した世界の秋の空だった。
空を眺めながら大きく背伸びをしたとき、何かが窓を叩き続ける音が聞こえてくる。何だろう……と思って窓を開けると、漆黒の毛並みを持った小さいけど形の良い猫がベランダに座っていた。ちなみに、ここはアパートの三階である。
「なんだ、お前?どうやってこんな所まで上がってきたの?」
ベランダにいた黒猫を自分の目線の高さまで持ち上げると、猫は何やら眉間にたて皺を寄せて難しい考え事をしているような表情を浮かべていた。中々不思議な猫である。
「廊下に出してあげるから、ちょっと待っていてね」
私はそのまま玄関へ向かうが、何だか、黒猫がお腹を空かせているようにも見えた。
― ミルクかエサを与えようか? でも、それが原因で居着いちゃったら育てていけないよ ―
ここは心を鬼にして、黒猫にミルクやエサをあげないことにした。玄関を開けて黒猫を廊下へ出すと、眉間にたて皺を寄せた表情を浮かべている黒猫からモノ欲しそうな目線を感じる。私の決心がほんの少しだけ揺れ動いたとき、タイマーを掛けていたラジオ放送が鳴り始めた。これが始まるということは、そろそろバイトへ出かける用意をしないと遅刻してしまう。
「ご、ゴメンね。もう仕事に行かないといけないの……」
断腸の思いで玄関を閉めると、急いで着替えを済ませた。
― 朝ご飯を食べている時間は……ないか。―
私は冷蔵庫の中からキンキンに冷やした牛乳をコップに注ぐと、腰に手をあててコクコクと喉を鳴らしながら牛乳を飲み干した。
「よし、出かけるか」
玄関で黒色のローファーを履いたとき、何かがドアを叩き続ける音が聞こえてくる。
― きっと、さっきの黒猫だ。…… ―
恐る恐る玄関を開けてみるが、黒猫の姿は陰も形も無かった。予想外の事態に少しだけ寂しい気分を味わってしまう。そのとき、私はエメラルドグリーン色の何かが足下に落ちている事に気付いた。
「何だろう? 私が落としたのかな?」
手にとってみると、それはプラスチック製の指輪だった。指輪を手の平で転がしながら辺りを見回すと、階段の踊り場から黒い尻尾が消えていくのが見える。
― この指輪……もしかして、黒猫が持ってきたとか? ―
私が住んでいる部屋は一番隅なので、こんな指輪を付けて部屋の前に立つ人はまず存在しない。
「でも、まさかね……」
口に出した言葉を後押しするように、携帯電話に設定していたアラームが鞄の中から聞こえてきた。
「マズイ! 本当に急がないと遅刻しちゃう!」
私は素早く戸締りを確認すると、駆け足で部屋を後にする。
今回から趣向を少し変えて、昔同人小説冊子用として作ったお話を少しずつ投稿して行こうかと思います。
このお話を思い付いたのは、今から約8年前……。ヨコハマ買い出し紀行とクラフト・エヴィング商會の作品にすっかり魅了されていたころ、水族館だったかでボンヤリ企画が思い浮かんだ気がします。
これが自分の活動の出発点。ここから色々書いて、ノベルゲームのシナリオやらカードゲームやらどんどん方向が色々なところに(笑)
全8話のお話となり、1日1話ずつ追加していこうと思います。最後までお付き合い頂けると、幸いです。